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四ノ章 巣食う怪物(前編)

黄林寺 退魔僧伝


四ノ章 巣食う怪物(前編)


 雑多、この街を、この地を、形容する言葉のひとつである。

 カオスがそこにはあった。

 西洋の聖十字教会が礼拝堂を設け、仏産食材と料理を提供する店があり、金髪に白い肌の白人アングロサクソンが道を歩く。

 東洋の寺があり、道には托鉢に歩く僧がおり、漢字でメニューや宣伝を書いた店が並び、瓦屋根が散見され、黒髪の東洋人も、また、黒人や、赤い肌の異人も、獣に酷似した容姿の亜人までいる。

 東西のあらゆる文化と文明が、経済活動と共に混在し、入り交じる。

 それがこの街だった、この地だった、ガンダーラだった。

 そのガンダーラの街を、ひとりの少女が歩いていた。

 白く、清廉せいれんなる印象であった。

 清潔な白い上着、スカート。

 髪は肩で切りそろえたショートボブ、銀髪である。

 女としては、まだまだ実りの足りぬ肢体で、乳も尻も手に収まる程度であったが、一四という年齢を考えれば、十二分に将来性がある。

 顔立ちは品があり、如何にも柔和そうだった。

 手にした魔導杖まどうじょうは、黄金に細緻さいちな彫り細工を施したもので、ぜいらしたしろものだ。

 家柄が伺い知れる。

 若い、魔術師の娘であろうと、ひと目でわかる。

 そんな娘が、何処いずこへ向かうか。

 少女が足を運んだのは、カオスの渦巻く街の中でも、さらに凶悪に人間の業が渦巻いている場所だった。

 看板には、こう記されていた。

【冒険者ノ館】

 と。

 戸を開け、中に入る。

 幾つかの視線が、白と銀の少女を、これみよがしに舐め回した。

 建物の中には、広間にテーブルがあり、玄関のすぐ先には、事務員が立つカウンターがある。

 壁には、大きな掲示板があった。

 そこには張り紙が並んでいる。

【ゴブリン退治、洞窟探査募集、報奨金二〇万ギルダ】

【オークの略奪隊討伐。求む! 屈強戦士! 期間一週間、戦闘回数関係なく一〇万ギルダ。オーク一体につき五万ギルダ】

【古代遺跡、古城の財宝探索任務。対呪法、侵入者防御魔術への要員求む。三〇万ギルダ】

 などなど。

 事務所の母体がそうであるせいか、このギルドに集う客の関係性か、報奨金は西洋通貨のギルダで記したものが多い。

 当然、東洋側の金やげんで書いたものも、幾つかある。

 それらの仕事の依頼書の横には、犯罪者の手配書も並んでいた。

 殺人、強姦、強盗などの罪状と、捕縛した際の賞金。

 デッド・オア・アライブ、生死を問わずというのも多い。

 そこには、戦闘や探索、様々な荒事あらごとで金を稼ぐ仕事が、たっぷりと並んでいた。

 少女は、中に入り、まずそれらをぱちくりとまばたきして見つめた。

 これが、冒険者の集う場所なのかと、感慨に耽っているようだった。

「いらっしゃいませ。当事務所をお使いになるのは初めてですか?」

 受付にいた事務員の女性が、声をかけた。

 少女ははたと気づき、ぱたぱたと歩み寄る。

「はい」

 鈴振るが如き、甘い声であった。

 事務員の女性は笑顔で応える。

「どういったご用件でしょう」

「冒険者として、お仕事をお受けしたいのですが」

 線の細い乙女、それも、年若く、戦いの経験がありそうにも見えない。

 一瞬、女性事務員は、なにか言おうとする。

 が、ギルドを利用する冒険者に、あまり立ち入ったことを言う権利はない。

 しかしせめて、考慮の一助いちじょとなることは、含めておきたかった。

「こちらの用紙にご記入ください、当ギルドの登録手続きです。終わりましたら、あちらの掲示スペースからご自分の条件、実力に見合ったご依頼をどうぞ」

 実力を、そこに、少し言葉に力を込めて告げた。

 最近は若い経験の少ない冒険者が、行方知れずになるケースも多い。

 昔からあることとはいえ、不安にもなる。

「はい、ありがとうございます」

 少女は一礼して、受けた。

 宣告された言葉の意図を、どこまで理解しているかは、誰にもわからない。


「ねえ、いいかしら」

 一通ひととおりの手続きが終わり、掲示スペースの依頼書を見に行こうとしたとき、声がかけられた。

 魔術師の乙女は、そちらを向く。

 ふたりの人間が立っていた。

 女性と、男性だ。

 どちらもまだ若い、二十代の年頃であろう。

 女性のほうは、赤毛で長身、そして、豊満だった。

 豊かな胸が、防具に押し潰され、窮屈そうである。

 腰にはあまり使い込んでいない長剣、背には盾をかけている。

「私はジゼル・シャレット。いちおう、爵位しゃくい持ちの騎士よ。それでこっちが」

「チャールズ・ボウルガードだ。まあ、剣士というか、冒険者の端くれだ」

 ブロンドで、さわやかな笑顔の、如何にも好青年である。

 腰には定寸じょうすんの剣と、短剣が一本ずつ、背嚢はいのうからは二連式のクロスボウが覗いていた。

 チャールズは笑顔で手を差し伸ばし、握手と、仕事の誘いを、少女へ向けた。

「これから、探索任務に行く。上手くいけば半日で終わる行程こうていだ。君は魔術師だろう。よければ、同行しないか。報酬はひとり一〇万ギルダ、別途発見したものや、モンスター駆除での報酬も出る。危険はあまりないと思う。どうだい?」

 と。

 ぱちりとウインクする所作に、人好きのする持ち前の明るさが透けて見える。

 少女はしばし、彼の言葉を自分の中で反芻すると、はっと気づいて、頭を下げた。

「は、はい! よければ、ご一緒させてください! 私は、ウルスラ・リュッケルトと申します!」

 かくして、三人のパーティメンバーは、冒険へと旅立つこととなる。

 少女はそれが地獄への道だとは、そのとき、想像もしていなかったろう。


 ガンダーラの都が如何に混沌の繁栄で満ちるといえど、未だに周辺の森林や山岳地帯に、ひとの手が入らぬ秘境・魔境がひしめくのは、この時代の常であった。

 特に西洋側に向かって連なるザーグロス大山脈は、大森林の中、硬質なる土と岩の中に、未だに解明しきれぬ、大量の古代遺跡を内包している。

 野生獣からモンスターまでが根城にするその危険な遺跡を探索し、千古の文明の遺産を求めるのも、冒険者の生業なりわいのひとつである。

 今日の彼らの旅も、その種のものだ。

「やっぱりあなた、こういう仕事を受けるのは初めてだったのね」

「はい」

 言葉を交わす、美しい女と少女は絵になった。

 一行は馬に揺られていた。

 目的の場所を目指して、都の街道を外れ、山脈へと続く道を、二時間ほどの予定である。

 赤毛の女騎士、ジゼルの乗る馬で、うら若き乙女、ウルスラは、騎士の後ろに腰を下ろしていた。

 ブロンドの青年冒険者、チャールズはもう一頭の馬に乗っている。

 元々ふたりでやる予定の仕事だったので、人数分の馬はなかったのだ。

 探索場所までの行程で、互いの自己紹介や身の上を話すのは、初対面の即席パーティなら当たり前だ。

「一五才で王立の魔術学校卒なんて凄いわね。でも、あなた家は貴族でしょう? どうしてわざわざ、冒険者の仕事なんて?」

「私は三女です。家は兄や姉が継ぎますし、まだ縁談のお話もありません。魔術の技倆ぎりょうを収めたなら、なにか人々のお役に立つよう努めるのが、義務だと思って」

「真面目ね。でも私も、少し似てるかな。位はさほど高くないけど、爵位持ちだから、女だって騎士の家柄ですもの、実戦も少しくらい経験しておきたいわ。だから冒険者を始めたの。実をいうとね、私もまだ日が浅いのよ。一ヶ月もないわ。それでも、王立練兵所おうりつれんぺいじょは上位の成績で卒業してるのよ?」

 ウルスラ・リュッケルト、年齢一五。

 生徒は士族階級がほとんどを占めるとはいえ、魔術学校の卒業は実力を評価しての考査こうさである、その年齢で卒業したことは、ウルスラの才能を端的に表していた。

 ジゼル・シャレット、年齢一八。

 彼女もまた、女だてらに、正式の騎士や戦士を育成する、練兵所を出ているのに、ウルスラは安心する。

 そしてもうひとりのメンバー、チャールズ・ボウルガードは、そんな様子を、微笑して見ていた。

「おいおい、ガールズトークかい? 俺も混ぜてくれ、寂しいぜ」

「あらなにチャールズ、あなたこういう子が好み? 私と組んだときよりご機嫌じゃない」

「おっと、レディに変な印象を与えるのはよしてくれ。これでもパーティリーダーとして、メンバーと親睦を深めたいだけさ」

「ほんとかしら」

 ふたりは、組んでしばらく経っているだけに、気さくなやりとりだ。

 チャールズ・ボウルガード、年齢二二。

 名だたる名家の出でもなく、訓練所を出たわけでもないが、実戦経験はそれなりにある様子で、この小規模パーティのリーダーである。

 明るく気さくな性格は、ムードメーカーとしてぴったりだ。

 美男美女で、自分より年上のふたりを、若き魔術師、ウルスラは、どこか夢見るように、憧れの眼差しで見つめた。

「あの、お二人は恋人同士なんですか?」

「ちょ! 変なこと言わないで! 私はこれでも、婚約者フィアンセがいるわ。こんなお調子者ごめんよ」

「ハハハ! 照れてるのかい? 俺はいつだって浮気歓迎だぜえ」

「もう!」

 軽口の叩き合いは、これから先のことを知らぬがゆえか。

 ふたりのやりとりに、ウルスラは緊張の硬さを、やや緩める。

 そんなふうに進んでいくうち、程なく、彼らは目的の場所にたどり着いた。


「わあ」

 ウルスラはショートボブの銀髪を揺らし、それを見上げた。

 鬱蒼うっそうと茂る木々の中に、溶け込むように、巨大で荘厳そうごんな石造りの建造物が屹立していた。

 いったいいつ頃から存在するのか、相当に昔のものと憶測される。

 邪悪とも取れる魔像、そして、妖しい文様と石碑は、古代の魔神を信仰していた、今はついえた文明の証であろう。

「まだ都の調査隊もほとんど調査していない、民間向けで調査委託されてた仕事だ。モンスターもいると思うが、この辺は強いやつはあまり出現した例がない、まあ、大丈夫だろう」

 チャールズが、今日の任務の概要を、おおまかに再度説明する。

 馬を降り、近くの木に繋いで、遺跡の中へと侵入する。

 長年月による摩耗により、壁も床もかなり擦り切れていた。

 内部には、壁に刻まれた文字や意匠以外、なにひとつない。

 広大なスペースの中央に、出入り口とは違う、門のようなものが立っていた。

 近づくと、さらに奥へ、地下へと繋がり、幅数メートルはあろう階段があった。

「これは?」

「俺たちが調査するのは、この中。地下の迷宮ダンジョンだ」

迷宮ダンジョン、ですか」

「ああ」

 かつて地中深くには、独自の文化圏が存在した。

 地上の文明とは別種のなにか。

 無限に広がる数多の洞窟と洞窟、その支路しろ同士が複雑に絡み合い、掘った当人たちさえ、把握しきれていたか定かでない世界。

 それが地下迷宮である。

 今なお全容の解明できぬそれらは、地上に多くの入り口を設けており、特に古代遺跡はそれが顕著だった。

 内部には過去の文明の栄華たる、財宝の数々が、住み着いたモンスター、侵入者迎撃用のトラップに守られ、簒奪者さんだつしゃを待ち侘び、悠久の眠りを貪っている。

「とりあえず、半日の行程でいくことにしよう。いいね?」

「あ、えっと、はい」

 確認され、ウルスラは頷く。

 場合によっては数日がかりの調査もあろうが、この人数と装備では一日以内がベストだろう。

 距離的に考えても、内容は郊外への小旅行のようだった。

 都を離れた外の世界、暴力や悪意が生々しく跋扈ばっこするリアリズムの中に、とうとう足を踏み入れる心地。

 美しい白皙はくせきの少女は、こんなにも自分の身近に、自分が触れたことのない異世界が在った事実に、緊張と、胸の高鳴り、そして恐怖を覚えた。

「大丈夫、私がついてるわ」

「ジゼルさん……」

 そんな乙女の支えるように、傍らの女騎士、ジゼルが微笑む。

 チャールズも、明るくウインクした。

「おう、心配しなさんな。レディふたりは俺がしっかりエスコートするさ」

「あ、ありがとうございます! 私、がんばります!」


 入り口を内包していた地上の建造物と同じく、地下内部もまた、古代の石造りの通路が、地の底まで続いているようだった。

 古代遺跡、特に迷宮ダンジョン内部は、完全な暗闇ではない。

 内部は薄く光が照らしていた。

 これは、かつての文明が発見、増殖させたという輝苔てらしごけという植物が起こす発光だ。

 壁や天井のあちこちに張り付き、ほとんど熱を生まぬ微量の光を放つ。

 やや薄暗くはあるが、行動に支障をきたすほどではない。

 呼吸する空気が薄くならぬよう、松明は燃やせないが、これで光源の問題はクリアできる。

 あとは、出入りする洞窟にそれぞれ、風の流れがあるか、つまり、呼吸する空気が正常かに気を配ることが最重要だ。

 これは事前に魔術の術式で、大気中の分子の流れを追えば問題ない。

 それこそ、今回誘われたウルスラの出番であった。

「問題ありません、おそらく、ここから先の道はほとんど空気があるはずです。どこか他の太い支道から流れ込んでいるみたいですね」

 地面を中心に構成された、魔力光を放つ魔法陣を消し、ウルスラはそう告げた。

 大気と風を司る精霊に交信する、広範囲探査術だ。

 流石は若くして学校を出ただけあって、術の範囲が広い、ジゼルとチャールズは、それだけで彼女を誘った意義があるだろう。

「敵は?」

 ジゼルが問うた。

 空気分子の把握は、気流に含まれる微分子から、臭気なども識別できる。

 生き物がいれば、それだけである程度警戒しなければならない。

 現時点で、一行はまだ敵性存在と遭遇してはいないが、ゴブリンやオークなど、邪悪で凶暴な生物はよくこの手の洞窟をねじろにしている。

 十二分に注意を払って進まなければいけない。

「敵かどうかわかりませんが、生物の血液のような反応がありました。それに、呼吸しているものの気配……もしかしたら」

「そうか。とりあえず、様子見に行こう。どうだ?」

 チャールズが問う。

 リーダーは行動の決定権を持つが、独裁を善しとはしないのは彼の性分か。

 同行するふたりに是非の意見を聞く。

 ジゼルは頷いた。

「行くわ。まだなにも発見してないんですもの。体力も装備も十分、臆する理由はないでしょ」

「さすが女騎士殿。カッコイイねえ」

「茶化さないの。ウルスラ、いい?」

「は、はい……大丈夫です」

 初めての実戦、それを想像すると、少女は震えた。

 攻撃魔法は、当然習得はしている、学校で訓練だって受けた。

 それでも怖いものは怖い。

「安心して、私がついてるんだから。守ってあげるわよ」

「ありがとうございます、ジゼルさん」

 頼もしいお姉さんだった。

 長身といい、豊かな体つきといい、ウルスラはジゼルのような女性に憧れを抱いてしまう。

(頑張らないとっ……)

 ぐっと、大事な魔導杖を握り締め、少女は気を引き締める。

 一行は、石造りの迷宮ダンジョンを、そろり、そろりと進んだ。

 向かう先には、太い通路の奥に、より広い、儀式用と思わしき広間があった。

「っ」

 大きく声は立てず、だが、はっと息を呑む。

 広間には、小型のモンスターの死骸があった。

 吸血鼠ヴァンプラットである。

 長い牙を持ち、全長三〇センチになる魔獣で、凶暴ではあるが、戦う相手としてはくみしやすいほうだろう。

 数は三匹、死骸はあった。

 どれもなにかで叩かれたと見え、腹部や頭部を粉砕され、血と臓物を飛び散らせている。

 一体、なにが? 誰が?

 さらに、奥へ、先へ。

 周囲にも警戒を怠らず、彼らは進んだ。

 そうしてどれだけ奥へ向かったか。

 そこで、あるものを見た。

 なにやら、汚らしい黒い塊が、地面に落ちている。

 最初はゴミかなにかかと思った。

 だが違う。

 木の棒を立てかけた横に、転がっているそれは、呼吸の証として、小さく上下していた。

 布切れを纏ったなにかである。

 襤褸布ぼろぬのの奥から、白いものがふさりと広がっていた。

 長い、ひげである。

 もう一歩、もう一歩、近づいて、あらためようとする。

 そのとき、それは顔を上げた。

 しわだらけの老いた顔が、眠たげにこちらを見た。

「なんじゃ、お前さんがた」

 と。

 頭巾フード目深まぶかに被っている、小柄な老人であった。

 モンスターでもなんでもない、ただの人間にしか見えない。

 よっこいせと、老人は立ち上がる。

 とても小柄だ、身長一五五センチメートル程度だろうか。

 長さは自身の背丈よりも長い、手をほとんど加えていない、切り詰めただけの、捻じくれた自然木しぜんぼくの杖を突き、老人はひょっこり、ひょっこりと、ウルスラたちの眼前に歩み寄る。

「ほぉ、冒険者かねお前さんがた? よう、こんな辺鄙へんぴなとこまで来たもんじゃ」

 ゆうるりと、首を巡らせ、ウルスラ一行を見て言う。

 緊張感はまるでない。

 小汚い頭巾フード外套ローブの風体といい、まるきり乞食こじきも同然だ。

 地下の古代迷宮で出くわすなりではなかった。

「まあ、そんなとこだが……爺さん、あんた、ひとりなのか? こんな場所で? いったいどうして」

 チャールズは、唖然とした様子で、老人をマジマジを見た。

 冒険者歴がパーティで一番長いだけに驚いたのだろうか。

 白髭はくぜんの老人は、ふむふむと手でひげをさすりながら、答える。

「そりゃお前さん、わしも探索に来たんじゃよ。未開の迷宮めいきゅうにはお宝もあるしのう」

「だからってひとりで、よく無事だったな。さっき見かけた吸血鼠ヴァンプラットは爺さんがやっつけたのか?」

「うむ。危ないところじゃった。この杖で、えい、やあ、とな。これでも若い頃は『鳴らした』もんじゃよ」

 杖をひょいひょい振る姿からは、とうてい強さというものは見えない。

 なにせ小型の低級モンスターだ、老人でもそれなりに相手できよう。

「なあ、どうする」

 視線を、ジゼルとウルスラに向け、小声でチャールズが問うた。

 どう、とは、この老人をどうするかであろう。

 無視して進むか、それとも……

「お爺さん。帰り道はわかりますか?」

 ウルスラが問う。

 老人は首を振った。

「いやあ、それが道に迷ってしまってのう。お前さんがた、よければ街まで送ってくれんか」

「ちょ、ちょっと、そいつは困るぜ。俺たちだって仕事で来てんだ」

「なら同行させてくれんかのう。わしも少し法術はできるぞ。なあ、ええじゃろ? な?」

「……っ」

 さすがのチャールズもこれには眉をしかめる。

 帰り道、これまでのルートは、ウルスラの魔術波形を残す、マーキング魔術でマッピングしている。

 これは魔力波形の個人差を応用したもので、つまり、ルートを正確にたどれるのはウルスラだけだ。

 物理的に地図も記しているが、こちらはウルスラになにかあったときの保険用。

 ウルスラを同行させて彼女だけ帰すという手もあるが、これもできるだけしたくはない。

「いいんじゃない? サポートが増えるなら私は構わないわ」

「お、おい」

「このひとも冒険の経験あるみたいだし。私としては問題ないわ」

 これまで戦闘もなく、平穏な道を来たこともあるせいか、ジゼルは少し楽観的になっていた。

 ウルスラも、老人を捨て置けぬようで、その意見に賛同した。

「わ、私も。ご一緒したほうがいいと想います。ご老人ひとりでは、危険ですし」

「おお、優しいのう。ありがたい。ではお願いしていいかのう」

「ったく……しゃあねえなあ」

 女ふたりに我を通すのもはばかられ、結局チャールズも折れた。

 老人はそんなやりとりを前に、ふふんと鼻を鳴らして杖を振る。

「なあに、わしがおりゃあ百人力よ、お若いの」


「おおっとっと、こりゃ、おわわっ」

 ガウっ、と吠える牙と、血走った獣の形相。

 老人は杖を振って威嚇しながら、腰を抜かしそうな有様で後退する。

 相手は地下に生息している、妖犬エビルドッグの亜種のようで、地上で見られる種と違い、体毛が白い。

 狼並の体格で、牙はかなり長く鋭い、筋肉も発達しているのか、おぞましいほどの隆起が体毛を押し上げている。

 それがおおよそ五匹、襲ってきた。

 戦闘の場となったのは、剥き出しの岩が連なる空間である。

 一行は今、石壁で作られた通路から、純粋な自然洞窟を進んでいた。

 人工物と自然物とが入り乱れるのも、古代遺跡の文明では珍しくな。

 中には、儀礼用、儀式用に、このような空間に財宝を秘すものもある。

 だがそれは同時に、地下の魔物の生態系に、より深く足を踏み入れることも危険性もあった。

 まさしく、現在の状況のように。

「ちょ! 大丈夫? ウルスラ、お爺さん」

 前から攻めてくる妖犬へ、剣先を突き出して牽制し、距離を測りながら、肩越しに後衛を案ずるのは、女騎士ジゼル。

 チャールズはその傍らで、さすがはベテランというべきか、前方の相手だけに集中していた。

 襲ってきた五匹の妖犬のうち、四匹をジゼルとチャールズが相手にしている。

 ウルスラと老人は、回り込んできたたった一匹相手に杖を振っていた。

「こ、この。えい! スラグ・ファイア!」

 威嚇するように、黄金の瀟洒な杖の先を突きつけ、野生の魔獣と距離を測りながら、銀髪の少女は、初めての実戦で、初めて攻撃を放った。

 才能があるというだけあって、初歩の火球魔法弾魔法であったが、それなりの威力があるようだ。

 サッカーボール大の火の玉は、当たればこの程度の魔獣、一発で吹き飛ぶだろう。

 当たればの話だ。

 緊張のせいか、妖犬の反応が速かったのか、横へステップした妖犬には、当たらなかった。

「あ!」

 どっと、火球が散る。

 地面に灼熱を残し、その横に立った妖犬は、血に飢えた目と吠え声を上げ、牙を剥く。

 少女が恐怖と緊張に固くなったとき、よろよろとした老人の杖の一振りが、偶然なのか、妖犬の脇腹を捉えた。

「ぎゃうん!」

 犬が泣き叫ぶ。

 杖に打たれ転がったのは、ウルスラの放った火球が、高熱の火炎をくすぶらせる上だった。

 体毛に火が点き、痛みに鳴き声を上げる妖犬へ、老人はそおれとそでの内からなにかを投げた。

 手のひら大の、紙だ。

 紙は妖犬に当たると、霊力を発動し、爆裂散華ばくれつさんげ

 あわれ妖犬は、炎とぜ散り、焦げた死骸と果てる。

 老骨ロートル新人ルーキーの後ろで、女騎士と青年は、とっくに妖犬を片付ける。

「やったわねウルスラ。怪我はない?」

「は、はい……」

 ようやく緊張が解け、ウルスラはぺたんと尻餅をついた。

 綺麗な瞳はまだ恐怖が抜けないのか、薄く涙ぐんでいる。

「あ、ありがとうございます、お爺さん」

「なあに、なんのなんの、お嬢ちゃんのおかげじゃよ。助かったわい」

「いえ、そんな……あの、先程のあれ。もしかして、術符じゅつふですか? 東洋の」

「おお、なんじゃ知っておったのかい」

 魔術のことに関しては、おおまかな体型は学んでいる。

 老人の放ったそれは、東洋魔術、法力に依るものだ。

 梵語サンスクリット真言マントラを刻んだ、つまり、紙片を用い、様々な術を用いる。

 杖を振る攻撃はただの目くらましで、それこそ本命に見えた。

 もしや、無様に見える振る舞いまで、相手を油断させる囮なのでは、とも。

「ほら、やっぱり連れてきて正解だったでしょ?」

「へいへい、おおせの通りで」

 女騎士ジゼルは、ウルスラが助かった様子に、老人をパーティに同行させて正解だったろうと、チャールズにアピールする。

 得意げなその笑みを前に、同行を渋ったチャールズは、不承不承と、やや複雑そうに肩をすくめた。

 ウルスラは小さなお尻を上げ、杖を支えに立ち上がる。

 初陣を経験した小さな魔術師の、一五才の乙女は、ようやく自分が冒険者として、最初のステージに立ったのだと自覚する。

「皆さん、ありがとうございます」

「いいのよ。強い敵は任せておいて。お姉さんが守ってあげるから」

「お兄さんもだぜ」

 剣を収めながら、微笑するジゼル。

 陽気にウインクするチャールズ。

 老人も、杖を頼りなく振り回して、勇ましさをアピールしようとする。

「おうとも、わしも頼ってくれてよいぞお」

「もう、あんまり気張ってずっこけたりしないでよ?」

「足手まといになったら捨ててっちまうぜ」

「むむ。最近の若いのは厳しいのう」

 茶化したように、冗談めいた軽口を叩く。

 その様子に、ウルスラは微笑した。

 こんなみんなと一緒なら、きっと、なにごともなく冒険を終えられる。

 儚い、無意味な希望を、少女は抱いた。


「わああ! すごっ! すごいわこれ! うわあ!」

 ジゼルが、凛々しい女騎士としての様相を捨て、ほとんど素の女性の声で感嘆する。

 彼女、そして同行している皆の眼の前にあるそれは、そんな反応をして、しかるべきものだった。

 色とりどりの宝石。

 エメラルド、サファイア、ルビー。

 黄金に白銀。

 彫り込まれた細緻な細工と、装飾と。

 石造りの箱の中に収められていたのは、古代の文明の残した遺物であった。

 財宝、なんと心地よい響きであろう。

 一行が訪れたのは、自然洞窟の奥で、さらに横穴を掘られた、祭壇のスペースだった。

 かつての超古代の文明と、そこに営む人々が、ここでなんらかの儀式を行っていたのだろうか。

 だが、そんなことはどうでもいい。

 今ある重要な事実とは、未開の迷宮ダンジョンを探索するクエストにおいて、彼らが最初にそれを発見する栄誉えいよを得た幸運だけだ。

「ねえチャールズ、今回のクエスト、発見した財宝は何割くらいだったかしら」

「四割だ。こりゃ、一〇〇〇万ギルダ以上はいくんじゃねえか? 凄え収穫だぜ」

「わ、私もいただいてしまっていいんですか……?」

 あまり、大した仕事をした自覚のないウルスラは、どこか恐縮してしまう。

 チャールズは陽気な笑顔で応えた。

「当たり前さ、うちのパーティの大事な魔術師さんだからな」

「つまりわしももらえるんかの」

「爺さんは関係ねえだろ! 同行させてやってるだけでも感謝してくれ。まあ、さっきの戦闘の分くらいはやってもいいぜ」

「ちぇ、ケチじゃの」

 ねた様子の老人だが、特にそれ以上不満をいう気配もない。

 だが、お宝をくすねないよう、チャールズは目を配りつつ、ジゼルと共に、それらを用意した袋へと詰め込んでいった。


 一通り宝を袋詰にした後、一行はその祭壇室で、休憩を取ることにした。

 このような霊的、あるいは魔的な儀式の空間では、低級モンスターだと、霊的波長や儀式の残滓のせいか、寄り付かない場合がある。

 出入り口もひとつで、警戒もし易い、休息を取るにはもってこいだった。

「さ、俺の自慢の手料理だ。たんと喰っておくれ」

「チャールズは、剣の腕よりこっちのほうが上よ。安心して食べていいわ」

「おいおい、ひでえこというなよ」

 また軽口を叩き合う、チャールズとジゼル。

 ウルスラは、ふっと微笑して心を和ませた。

「ありがたくいただきます」

 一礼し、手に取る。

 携帯性に重きを置いた食料は、肉と野菜をパンで挟んだサンドウィッチだ。

 チャールズが作ったという特製燻製肉の旨味うまみと、ぴりりとしたマスタードがいいアクセントになっている。

 錫製すずせいのポットに入れてきたコーヒーを、チャールズがそれぞれにカップで手渡す、老人の分はポットのフタで注いだ。

 少しブランデーを注いであり、いい香りだ。

「ふうむ、食料はこれだけなのかのう?」

「なんだよ爺さん、食いたくないのか?」

「いや、そういうわけじゃあないんじゃが」

 サンドウィッチを手に、老人は少しためらいがあるようだった。

 自慢の料理に難癖をつけられたと思ったか、チャールズは眉根をしかめる。

 ウルスラは、なにかに気づいたように声をかけた。

「お爺さん、もしかして東洋の方、ですか? それで食べづらいんでしょうか」

 先程の戦いで見せたあの法術の術符じゅつふ、そういうものを、法力として修練するのは、僧侶などが多い。

 口調や、頭巾フードの奥から垣間見える輪郭など、老人は東洋人の特徴を覗かせていた。

 西洋料理、肉を使ったものなどに、忌避感を示すのもありえるだろう。

「無理に食べなくても……私、ビスケットなら持ってきていますよ」

「いやいや、いいんじゃよ、気にせんで。たまにはこういう今風のもんも喰ってみたいわい。む、ふぐふぐ、んむ、美味いのう」

「へへ、だろう爺さん。どんどん喰っていいぜ」

「もう、あんまりがっつかないの。喉に詰まっても知らないわよ」

 ひげをマスタードで汚しながら、美味そうに食する老人。

 得意げなチャールズに、呆れるジゼル。

 そうして、和やかな食事と休息の時間は過ぎる。

 美しい銀髪の少女は、嬉しげに微笑んだ。

 地獄の前の、嵐の前の静けさだとは、まるで想像もできなかったろう。


「ちょっと眠ろうぜ」

 といったのは、チャールズだ。

 周辺には、彼が糸仕掛けの警戒用トラップを設置していた。

 モンスターが近づいても、すぐに気づく。

 探索任務の工程は、おおむね順調。

 もう一時間ほど、体力温存と回復のため、小休止するのに、なんの問題もない。

 ジゼルは頷いた。

 食事をとったせいか、皆眠気を覚えている。

「いいわ。私が起きてるから、みんなは眠ってちょうだい」

「はい……お願いします。私も、とっても眠くて」

 初めての冒険だ、緊張の連続で、疲れているのだろう。

 ウルスラは横になり、バッグを枕に寝息を立てる。

 老人はちゃっかりその隣でぐうぐうとしだした。

 チャールズも横になる。

 ジゼルひとりは、寝ずに番を務めた。


「?」

 三〇分は過ぎたときだった。

 ジゼルは、ふと顔を上げる、外で響いた音に気づいたのだ。

 本当に、かすかな音だった。

 どこからか、地上に通ずる穴が、空気を運んだ風の音か。

 いや、それは違う。

 かたん、という音だった。

 硬いものが、それも、わずかな質量のものが、落下するような音だった。

 赤毛の女騎士は、腰の剣柄けんぺいにそっと手を重ねながら、擦るような足取りで、祭壇室の入り口から、顔を出す。

 視線を周囲に流した。

「なっ」

 驚きと、戸惑いが、ジゼルの豊かな体を貫いた。

 祭壇室の周辺に張っていた、糸仕掛けのトラップが、外れていた。

 硬い小さな音は、張った糸と、そこに結んでいた、鳴子なるこの木が地に落ちる音だろう。

 チャールズが仕掛けを作るのに失敗していたのか。

 自然に外れたのかもしれない。

 注意深く、視線をもう一度、左右へ向ける。

 もし、何者かが外したとするなら、それは知性を持ったものだろう。

 待ち伏せ? そう考える。

 だが、ならばすぐ襲ってくるのでは?

「……っ」

 ジゼルは迷った。

 チャールズや、皆に声をかけて起こそうか。

 そこが運命の分かれ道だった。

「まあ、大丈夫よね」

 ここまでの道筋が、なまじ安全だっただけに、彼女は警戒を緩めていた。

 仕掛けを直そうと、部屋の外へ出る。

 距離は数メートルだ。

 膝を突き、糸を取り、結ぶ。

 背後でなにかが動く。

 振り返る。

「え?」

 そう呟くのと、衝撃が後頭部を捉えるのは同時だった。


「どうなすったね」

「じ、爺さん、起きたのか」

「ああ。だがこれは……」

 はっと驚きの顔で、あの陽気な顔に恐怖を交えた、チャールズが振り返る。

 皆が休憩していた祭壇室の、入口の前だ。

 チャールズはそこで屈み込み、状況を確認している様子だった。

 後から起きてきた老人が、彼に声をかけたのだ。

 頭巾ローブの奥で、隠れていた老人の目が、険しい光を浮かべる。

 痕跡から想像される事態をかんがみれば、当然だろう。

「お嬢さんを起こしてくる」


 初陣のせいか、ウルスラの眠りは深く、覚醒するまで少し時間がかかった。

 しかし老人がすっと手を差し出し、額の上になんらかの真言マントラと唱えると、少女は寝ぼけまなこながら意識を戻す。

「ふあ……あの、どうか、しました……?」

「うむ。騎士の娘さんが、消えた」

「えっ!」

 はっと顔を上げ、ウルスラは慌てて、部屋の外に飛び出した。

 崩れている、意味を失った糸仕掛けのトラップ。

 入り口の周囲には、足跡そくせきが残されていた。

 ジゼルを含めた、一行の、人間のもの。

 その上から重ねて刻まれていたのは、巨大なものだ。

 指の数、形状、大きさ、土を抉る深さと、推定される体重。

 人外の形跡である。

「ゴブリンか、いや、オークか……分からねえが、なにかがあいつをさらっていった」

 怯えを交えた声音で、リーダーであるチャールズは、呟いた。

 そこに棲まう化生けしょうは、遂に牙を剥いて、獲物を定める。

 ウルスラは蒼白となり、震えるしかなかった。

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