四ノ章 巣食う怪物(前編)
黄林寺 退魔僧伝
四ノ章 巣食う怪物(前編)
雑多、この街を、この地を、形容する言葉のひとつである。
カオスがそこにはあった。
西洋の聖十字教会が礼拝堂を設け、仏産食材と料理を提供する店があり、金髪に白い肌の白人が道を歩く。
東洋の寺があり、道には托鉢に歩く僧がおり、漢字でメニューや宣伝を書いた店が並び、瓦屋根が散見され、黒髪の東洋人も、また、黒人や、赤い肌の異人も、獣に酷似した容姿の亜人までいる。
東西のあらゆる文化と文明が、経済活動と共に混在し、入り交じる。
それがこの街だった、この地だった、ガンダーラだった。
そのガンダーラの街を、ひとりの少女が歩いていた。
白く、清廉なる印象であった。
清潔な白い上着、スカート。
髪は肩で切りそろえたショートボブ、銀髪である。
女としては、まだまだ実りの足りぬ肢体で、乳も尻も手に収まる程度であったが、一四という年齢を考えれば、十二分に将来性がある。
顔立ちは品があり、如何にも柔和そうだった。
手にした魔導杖は、黄金に細緻な彫り細工を施したもので、贅を凝らしたしろものだ。
家柄が伺い知れる。
若い、魔術師の娘であろうと、ひと目でわかる。
そんな娘が、何処へ向かうか。
少女が足を運んだのは、カオスの渦巻く街の中でも、さらに凶悪に人間の業が渦巻いている場所だった。
看板には、こう記されていた。
【冒険者ノ館】
と。
戸を開け、中に入る。
幾つかの視線が、白と銀の少女を、これみよがしに舐め回した。
建物の中には、広間にテーブルがあり、玄関のすぐ先には、事務員が立つカウンターがある。
壁には、大きな掲示板があった。
そこには張り紙が並んでいる。
【ゴブリン退治、洞窟探査募集、報奨金二〇万ギルダ】
【オークの略奪隊討伐。求む! 屈強戦士! 期間一週間、戦闘回数関係なく一〇万ギルダ。オーク一体につき五万ギルダ】
【古代遺跡、古城の財宝探索任務。対呪法、侵入者防御魔術への要員求む。三〇万ギルダ】
などなど。
事務所の母体がそうであるせいか、このギルドに集う客の関係性か、報奨金は西洋通貨のギルダで記したものが多い。
当然、東洋側の金や元で書いたものも、幾つかある。
それらの仕事の依頼書の横には、犯罪者の手配書も並んでいた。
殺人、強姦、強盗などの罪状と、捕縛した際の賞金。
デッド・オア・アライブ、生死を問わずというのも多い。
そこには、戦闘や探索、様々な荒事で金を稼ぐ仕事が、たっぷりと並んでいた。
少女は、中に入り、まずそれらをぱちくりとまばたきして見つめた。
これが、冒険者の集う場所なのかと、感慨に耽っているようだった。
「いらっしゃいませ。当事務所をお使いになるのは初めてですか?」
受付にいた事務員の女性が、声をかけた。
少女ははたと気づき、ぱたぱたと歩み寄る。
「はい」
鈴振るが如き、甘い声であった。
事務員の女性は笑顔で応える。
「どういったご用件でしょう」
「冒険者として、お仕事をお受けしたいのですが」
線の細い乙女、それも、年若く、戦いの経験がありそうにも見えない。
一瞬、女性事務員は、なにか言おうとする。
が、ギルドを利用する冒険者に、あまり立ち入ったことを言う権利はない。
しかしせめて、考慮の一助となることは、含めておきたかった。
「こちらの用紙にご記入ください、当ギルドの登録手続きです。終わりましたら、あちらの掲示スペースからご自分の条件、実力に見合ったご依頼をどうぞ」
実力を、そこに、少し言葉に力を込めて告げた。
最近は若い経験の少ない冒険者が、行方知れずになるケースも多い。
昔からあることとはいえ、不安にもなる。
「はい、ありがとうございます」
少女は一礼して、受けた。
宣告された言葉の意図を、どこまで理解しているかは、誰にもわからない。
「ねえ、いいかしら」
一通りの手続きが終わり、掲示スペースの依頼書を見に行こうとしたとき、声がかけられた。
魔術師の乙女は、そちらを向く。
ふたりの人間が立っていた。
女性と、男性だ。
どちらもまだ若い、二十代の年頃であろう。
女性のほうは、赤毛で長身、そして、豊満だった。
豊かな胸が、防具に押し潰され、窮屈そうである。
腰にはあまり使い込んでいない長剣、背には盾をかけている。
「私はジゼル・シャレット。いちおう、爵位持ちの騎士よ。それでこっちが」
「チャールズ・ボウルガードだ。まあ、剣士というか、冒険者の端くれだ」
ブロンドで、爽やかな笑顔の、如何にも好青年である。
腰には定寸の剣と、短剣が一本ずつ、背嚢からは二連式の弩が覗いていた。
チャールズは笑顔で手を差し伸ばし、握手と、仕事の誘いを、少女へ向けた。
「これから、探索任務に行く。上手くいけば半日で終わる行程だ。君は魔術師だろう。よければ、同行しないか。報酬はひとり一〇万ギルダ、別途発見したものや、モンスター駆除での報酬も出る。危険はあまりないと思う。どうだい?」
と。
ぱちりとウインクする所作に、人好きのする持ち前の明るさが透けて見える。
少女はしばし、彼の言葉を自分の中で反芻すると、はっと気づいて、頭を下げた。
「は、はい! よければ、ご一緒させてください! 私は、ウルスラ・リュッケルトと申します!」
かくして、三人のパーティメンバーは、冒険へと旅立つこととなる。
少女はそれが地獄への道だとは、そのとき、想像もしていなかったろう。
ガンダーラの都が如何に混沌の繁栄で満ちるといえど、未だに周辺の森林や山岳地帯に、ひとの手が入らぬ秘境・魔境がひしめくのは、この時代の常であった。
特に西洋側に向かって連なるザーグロス大山脈は、大森林の中、硬質なる土と岩の中に、未だに解明しきれぬ、大量の古代遺跡を内包している。
野生獣からモンスターまでが根城にするその危険な遺跡を探索し、千古の文明の遺産を求めるのも、冒険者の生業のひとつである。
今日の彼らの旅も、その種のものだ。
「やっぱりあなた、こういう仕事を受けるのは初めてだったのね」
「はい」
言葉を交わす、美しい女と少女は絵になった。
一行は馬に揺られていた。
目的の場所を目指して、都の街道を外れ、山脈へと続く道を、二時間ほどの予定である。
赤毛の女騎士、ジゼルの乗る馬で、うら若き乙女、ウルスラは、騎士の後ろに腰を下ろしていた。
ブロンドの青年冒険者、チャールズはもう一頭の馬に乗っている。
元々ふたりでやる予定の仕事だったので、人数分の馬はなかったのだ。
探索場所までの行程で、互いの自己紹介や身の上を話すのは、初対面の即席パーティなら当たり前だ。
「一五才で王立の魔術学校卒なんて凄いわね。でも、あなた家は貴族でしょう? どうしてわざわざ、冒険者の仕事なんて?」
「私は三女です。家は兄や姉が継ぎますし、まだ縁談のお話もありません。魔術の技倆を収めたなら、なにか人々のお役に立つよう努めるのが、義務だと思って」
「真面目ね。でも私も、少し似てるかな。位はさほど高くないけど、爵位持ちだから、女だって騎士の家柄ですもの、実戦も少しくらい経験しておきたいわ。だから冒険者を始めたの。実をいうとね、私もまだ日が浅いのよ。一ヶ月もないわ。それでも、王立練兵所は上位の成績で卒業してるのよ?」
ウルスラ・リュッケルト、年齢一五。
生徒は士族階級がほとんどを占めるとはいえ、魔術学校の卒業は実力を評価しての考査である、その年齢で卒業したことは、ウルスラの才能を端的に表していた。
ジゼル・シャレット、年齢一八。
彼女もまた、女だてらに、正式の騎士や戦士を育成する、練兵所を出ているのに、ウルスラは安心する。
そしてもうひとりのメンバー、チャールズ・ボウルガードは、そんな様子を、微笑して見ていた。
「おいおい、ガールズトークかい? 俺も混ぜてくれ、寂しいぜ」
「あらなにチャールズ、あなたこういう子が好み? 私と組んだときよりご機嫌じゃない」
「おっと、レディに変な印象を与えるのはよしてくれ。これでもパーティリーダーとして、メンバーと親睦を深めたいだけさ」
「ほんとかしら」
ふたりは、組んでしばらく経っているだけに、気さくなやりとりだ。
チャールズ・ボウルガード、年齢二二。
名だたる名家の出でもなく、訓練所を出たわけでもないが、実戦経験はそれなりにある様子で、この小規模パーティのリーダーである。
明るく気さくな性格は、ムードメーカーとしてぴったりだ。
美男美女で、自分より年上のふたりを、若き魔術師、ウルスラは、どこか夢見るように、憧れの眼差しで見つめた。
「あの、お二人は恋人同士なんですか?」
「ちょ! 変なこと言わないで! 私はこれでも、婚約者がいるわ。こんなお調子者ごめんよ」
「ハハハ! 照れてるのかい? 俺はいつだって浮気歓迎だぜえ」
「もう!」
軽口の叩き合いは、これから先のことを知らぬがゆえか。
ふたりのやりとりに、ウルスラは緊張の硬さを、やや緩める。
そんなふうに進んでいくうち、程なく、彼らは目的の場所にたどり着いた。
「わあ」
ウルスラはショートボブの銀髪を揺らし、それを見上げた。
鬱蒼と茂る木々の中に、溶け込むように、巨大で荘厳な石造りの建造物が屹立していた。
いったいいつ頃から存在するのか、相当に昔のものと憶測される。
邪悪とも取れる魔像、そして、妖しい文様と石碑は、古代の魔神を信仰していた、今は潰えた文明の証であろう。
「まだ都の調査隊もほとんど調査していない、民間向けで調査委託されてた仕事だ。モンスターもいると思うが、この辺は強いやつはあまり出現した例がない、まあ、大丈夫だろう」
チャールズが、今日の任務の概要を、おおまかに再度説明する。
馬を降り、近くの木に繋いで、遺跡の中へと侵入する。
長年月による摩耗により、壁も床もかなり擦り切れていた。
内部には、壁に刻まれた文字や意匠以外、なにひとつない。
広大なスペースの中央に、出入り口とは違う、門のようなものが立っていた。
近づくと、さらに奥へ、地下へと繋がり、幅数メートルはあろう階段があった。
「これは?」
「俺たちが調査するのは、この中。地下の迷宮だ」
「迷宮、ですか」
「ああ」
かつて地中深くには、独自の文化圏が存在した。
地上の文明とは別種のなにか。
無限に広がる数多の洞窟と洞窟、その支路同士が複雑に絡み合い、掘った当人たちさえ、把握しきれていたか定かでない世界。
それが地下迷宮である。
今なお全容の解明できぬそれらは、地上に多くの入り口を設けており、特に古代遺跡はそれが顕著だった。
内部には過去の文明の栄華たる、財宝の数々が、住み着いたモンスター、侵入者迎撃用のトラップに守られ、簒奪者を待ち侘び、悠久の眠りを貪っている。
「とりあえず、半日の行程でいくことにしよう。いいね?」
「あ、えっと、はい」
確認され、ウルスラは頷く。
場合によっては数日がかりの調査もあろうが、この人数と装備では一日以内がベストだろう。
距離的に考えても、内容は郊外への小旅行のようだった。
都を離れた外の世界、暴力や悪意が生々しく跋扈するリアリズムの中に、とうとう足を踏み入れる心地。
美しい白皙の少女は、こんなにも自分の身近に、自分が触れたことのない異世界が在った事実に、緊張と、胸の高鳴り、そして恐怖を覚えた。
「大丈夫、私がついてるわ」
「ジゼルさん……」
そんな乙女の支えるように、傍らの女騎士、ジゼルが微笑む。
チャールズも、明るくウインクした。
「おう、心配しなさんな。レディふたりは俺がしっかりエスコートするさ」
「あ、ありがとうございます! 私、がんばります!」
入り口を内包していた地上の建造物と同じく、地下内部もまた、古代の石造りの通路が、地の底まで続いているようだった。
古代遺跡、特に迷宮内部は、完全な暗闇ではない。
内部は薄く光が照らしていた。
これは、かつての文明が発見、増殖させたという輝苔という植物が起こす発光だ。
壁や天井のあちこちに張り付き、ほとんど熱を生まぬ微量の光を放つ。
やや薄暗くはあるが、行動に支障をきたすほどではない。
呼吸する空気が薄くならぬよう、松明は燃やせないが、これで光源の問題はクリアできる。
あとは、出入りする洞窟にそれぞれ、風の流れがあるか、つまり、呼吸する空気が正常かに気を配ることが最重要だ。
これは事前に魔術の術式で、大気中の分子の流れを追えば問題ない。
それこそ、今回誘われたウルスラの出番であった。
「問題ありません、おそらく、ここから先の道はほとんど空気があるはずです。どこか他の太い支道から流れ込んでいるみたいですね」
地面を中心に構成された、魔力光を放つ魔法陣を消し、ウルスラはそう告げた。
大気と風を司る精霊に交信する、広範囲探査術だ。
流石は若くして学校を出ただけあって、術の範囲が広い、ジゼルとチャールズは、それだけで彼女を誘った意義があるだろう。
「敵は?」
ジゼルが問うた。
空気分子の把握は、気流に含まれる微分子から、臭気なども識別できる。
生き物がいれば、それだけである程度警戒しなければならない。
現時点で、一行はまだ敵性存在と遭遇してはいないが、ゴブリンやオークなど、邪悪で凶暴な生物はよくこの手の洞窟をねじろにしている。
十二分に注意を払って進まなければいけない。
「敵かどうかわかりませんが、生物の血液のような反応がありました。それに、呼吸しているものの気配……もしかしたら」
「そうか。とりあえず、様子見に行こう。どうだ?」
チャールズが問う。
リーダーは行動の決定権を持つが、独裁を善しとはしないのは彼の性分か。
同行するふたりに是非の意見を聞く。
ジゼルは頷いた。
「行くわ。まだなにも発見してないんですもの。体力も装備も十分、臆する理由はないでしょ」
「さすが女騎士殿。カッコイイねえ」
「茶化さないの。ウルスラ、いい?」
「は、はい……大丈夫です」
初めての実戦、それを想像すると、少女は震えた。
攻撃魔法は、当然習得はしている、学校で訓練だって受けた。
それでも怖いものは怖い。
「安心して、私がついてるんだから。守ってあげるわよ」
「ありがとうございます、ジゼルさん」
頼もしいお姉さんだった。
長身といい、豊かな体つきといい、ウルスラはジゼルのような女性に憧れを抱いてしまう。
(頑張らないとっ……)
ぐっと、大事な魔導杖を握り締め、少女は気を引き締める。
一行は、石造りの迷宮を、そろり、そろりと進んだ。
向かう先には、太い通路の奥に、より広い、儀式用と思わしき広間があった。
「っ」
大きく声は立てず、だが、はっと息を呑む。
広間には、小型のモンスターの死骸があった。
吸血鼠である。
長い牙を持ち、全長三〇センチになる魔獣で、凶暴ではあるが、戦う相手としては与しやすいほうだろう。
数は三匹、死骸はあった。
どれもなにかで叩かれたと見え、腹部や頭部を粉砕され、血と臓物を飛び散らせている。
一体、なにが? 誰が?
さらに、奥へ、先へ。
周囲にも警戒を怠らず、彼らは進んだ。
そうしてどれだけ奥へ向かったか。
そこで、あるものを見た。
なにやら、汚らしい黒い塊が、地面に落ちている。
最初はゴミかなにかかと思った。
だが違う。
木の棒を立てかけた横に、転がっているそれは、呼吸の証として、小さく上下していた。
布切れを纏ったなにかである。
襤褸布の奥から、白いものがふさりと広がっていた。
長い、髭である。
もう一歩、もう一歩、近づいて、検めようとする。
そのとき、それは顔を上げた。
しわだらけの老いた顔が、眠たげにこちらを見た。
「なんじゃ、お前さんがた」
と。
頭巾を目深に被っている、小柄な老人であった。
モンスターでもなんでもない、ただの人間にしか見えない。
よっこいせと、老人は立ち上がる。
とても小柄だ、身長一五五センチメートル程度だろうか。
長さは自身の背丈よりも長い、手をほとんど加えていない、切り詰めただけの、捻じくれた自然木の杖を突き、老人はひょっこり、ひょっこりと、ウルスラたちの眼前に歩み寄る。
「ほぉ、冒険者かねお前さんがた? よう、こんな辺鄙なとこまで来たもんじゃ」
ゆうるりと、首を巡らせ、ウルスラ一行を見て言う。
緊張感はまるでない。
小汚い頭巾と外套の風体といい、まるきり乞食も同然だ。
地下の古代迷宮で出くわすなりではなかった。
「まあ、そんなとこだが……爺さん、あんた、ひとりなのか? こんな場所で? いったいどうして」
チャールズは、唖然とした様子で、老人をマジマジを見た。
冒険者歴がパーティで一番長いだけに驚いたのだろうか。
白髭の老人は、ふむふむと手で髭をさすりながら、答える。
「そりゃお前さん、わしも探索に来たんじゃよ。未開の迷宮にはお宝もあるしのう」
「だからってひとりで、よく無事だったな。さっき見かけた吸血鼠は爺さんがやっつけたのか?」
「うむ。危ないところじゃった。この杖で、えい、やあ、とな。これでも若い頃は『鳴らした』もんじゃよ」
杖をひょいひょい振る姿からは、とうてい強さというものは見えない。
なにせ小型の低級モンスターだ、老人でもそれなりに相手できよう。
「なあ、どうする」
視線を、ジゼルとウルスラに向け、小声でチャールズが問うた。
どう、とは、この老人をどうするかであろう。
無視して進むか、それとも……
「お爺さん。帰り道はわかりますか?」
ウルスラが問う。
老人は首を振った。
「いやあ、それが道に迷ってしまってのう。お前さんがた、よければ街まで送ってくれんか」
「ちょ、ちょっと、そいつは困るぜ。俺たちだって仕事で来てんだ」
「なら同行させてくれんかのう。わしも少し法術はできるぞ。なあ、ええじゃろ? な?」
「……っ」
さすがのチャールズもこれには眉をしかめる。
帰り道、これまでのルートは、ウルスラの魔術波形を残す、マーキング魔術でマッピングしている。
これは魔力波形の個人差を応用したもので、つまり、ルートを正確にたどれるのはウルスラだけだ。
物理的に地図も記しているが、こちらはウルスラになにかあったときの保険用。
ウルスラを同行させて彼女だけ帰すという手もあるが、これもできるだけしたくはない。
「いいんじゃない? サポートが増えるなら私は構わないわ」
「お、おい」
「このひとも冒険の経験あるみたいだし。私としては問題ないわ」
これまで戦闘もなく、平穏な道を来たこともあるせいか、ジゼルは少し楽観的になっていた。
ウルスラも、老人を捨て置けぬようで、その意見に賛同した。
「わ、私も。ご一緒したほうがいいと想います。ご老人ひとりでは、危険ですし」
「おお、優しいのう。ありがたい。ではお願いしていいかのう」
「ったく……しゃあねえなあ」
女ふたりに我を通すのも憚られ、結局チャールズも折れた。
老人はそんなやりとりを前に、ふふんと鼻を鳴らして杖を振る。
「なあに、わしがおりゃあ百人力よ、お若いの」
「おおっとっと、こりゃ、おわわっ」
ガウっ、と吠える牙と、血走った獣の形相。
老人は杖を振って威嚇しながら、腰を抜かしそうな有様で後退する。
相手は地下に生息している、妖犬の亜種のようで、地上で見られる種と違い、体毛が白い。
狼並の体格で、牙はかなり長く鋭い、筋肉も発達しているのか、おぞましいほどの隆起が体毛を押し上げている。
それがおおよそ五匹、襲ってきた。
戦闘の場となったのは、剥き出しの岩が連なる空間である。
一行は今、石壁で作られた通路から、純粋な自然洞窟を進んでいた。
人工物と自然物とが入り乱れるのも、古代遺跡の文明では珍しくな。
中には、儀礼用、儀式用に、このような空間に財宝を秘すものもある。
だがそれは同時に、地下の魔物の生態系に、より深く足を踏み入れることも危険性もあった。
まさしく、現在の状況のように。
「ちょ! 大丈夫? ウルスラ、お爺さん」
前から攻めてくる妖犬へ、剣先を突き出して牽制し、距離を測りながら、肩越しに後衛を案ずるのは、女騎士ジゼル。
チャールズはその傍らで、さすがはベテランというべきか、前方の相手だけに集中していた。
襲ってきた五匹の妖犬のうち、四匹をジゼルとチャールズが相手にしている。
ウルスラと老人は、回り込んできたたった一匹相手に杖を振っていた。
「こ、この。えい! スラグ・ファイア!」
威嚇するように、黄金の瀟洒な杖の先を突きつけ、野生の魔獣と距離を測りながら、銀髪の少女は、初めての実戦で、初めて攻撃を放った。
才能があるというだけあって、初歩の火球魔法弾魔法であったが、それなりの威力があるようだ。
サッカーボール大の火の玉は、当たればこの程度の魔獣、一発で吹き飛ぶだろう。
当たればの話だ。
緊張のせいか、妖犬の反応が速かったのか、横へステップした妖犬には、当たらなかった。
「あ!」
どっと、火球が散る。
地面に灼熱を残し、その横に立った妖犬は、血に飢えた目と吠え声を上げ、牙を剥く。
少女が恐怖と緊張に固くなったとき、よろよろとした老人の杖の一振りが、偶然なのか、妖犬の脇腹を捉えた。
「ぎゃうん!」
犬が泣き叫ぶ。
杖に打たれ転がったのは、ウルスラの放った火球が、高熱の火炎を燻らせる上だった。
体毛に火が点き、痛みに鳴き声を上げる妖犬へ、老人はそおれと袖の内からなにかを投げた。
手のひら大の、紙だ。
紙は妖犬に当たると、霊力を発動し、爆裂散華。
憐れ妖犬は、炎と爆ぜ散り、焦げた死骸と果てる。
老骨と新人の後ろで、女騎士と青年は、とっくに妖犬を片付ける。
「やったわねウルスラ。怪我はない?」
「は、はい……」
ようやく緊張が解け、ウルスラはぺたんと尻餅をついた。
綺麗な瞳はまだ恐怖が抜けないのか、薄く涙ぐんでいる。
「あ、ありがとうございます、お爺さん」
「なあに、なんのなんの、お嬢ちゃんのおかげじゃよ。助かったわい」
「いえ、そんな……あの、先程のあれ。もしかして、術符ですか? 東洋の」
「おお、なんじゃ知っておったのかい」
魔術のことに関しては、おおまかな体型は学んでいる。
老人の放ったそれは、東洋魔術、法力に依るものだ。
梵語の真言を刻んだ符、つまり、紙片を用い、様々な術を用いる。
杖を振る攻撃はただの目くらましで、それこそ本命に見えた。
もしや、無様に見える振る舞いまで、相手を油断させる囮なのでは、とも。
「ほら、やっぱり連れてきて正解だったでしょ?」
「へいへい、おおせの通りで」
女騎士ジゼルは、ウルスラが助かった様子に、老人をパーティに同行させて正解だったろうと、チャールズにアピールする。
得意げなその笑みを前に、同行を渋ったチャールズは、不承不承と、やや複雑そうに肩をすくめた。
ウルスラは小さなお尻を上げ、杖を支えに立ち上がる。
初陣を経験した小さな魔術師の、一五才の乙女は、ようやく自分が冒険者として、最初のステージに立ったのだと自覚する。
「皆さん、ありがとうございます」
「いいのよ。強い敵は任せておいて。お姉さんが守ってあげるから」
「お兄さんもだぜ」
剣を収めながら、微笑するジゼル。
陽気にウインクするチャールズ。
老人も、杖を頼りなく振り回して、勇ましさをアピールしようとする。
「おうとも、わしも頼ってくれてよいぞお」
「もう、あんまり気張ってずっこけたりしないでよ?」
「足手まといになったら捨ててっちまうぜ」
「むむ。最近の若いのは厳しいのう」
茶化したように、冗談めいた軽口を叩く。
その様子に、ウルスラは微笑した。
こんなみんなと一緒なら、きっと、なにごともなく冒険を終えられる。
儚い、無意味な希望を、少女は抱いた。
「わああ! すごっ! すごいわこれ! うわあ!」
ジゼルが、凛々しい女騎士としての様相を捨て、ほとんど素の女性の声で感嘆する。
彼女、そして同行している皆の眼の前にあるそれは、そんな反応をして、しかるべきものだった。
色とりどりの宝石。
エメラルド、サファイア、ルビー。
黄金に白銀。
彫り込まれた細緻な細工と、装飾と。
石造りの箱の中に収められていたのは、古代の文明の残した遺物であった。
財宝、なんと心地よい響きであろう。
一行が訪れたのは、自然洞窟の奥で、さらに横穴を掘られた、祭壇のスペースだった。
かつての超古代の文明と、そこに営む人々が、ここでなんらかの儀式を行っていたのだろうか。
だが、そんなことはどうでもいい。
今ある重要な事実とは、未開の迷宮を探索するクエストにおいて、彼らが最初にそれを発見する栄誉を得た幸運だけだ。
「ねえチャールズ、今回のクエスト、発見した財宝は何割くらいだったかしら」
「四割だ。こりゃ、一〇〇〇万ギルダ以上はいくんじゃねえか? 凄え収穫だぜ」
「わ、私もいただいてしまっていいんですか……?」
あまり、大した仕事をした自覚のないウルスラは、どこか恐縮してしまう。
チャールズは陽気な笑顔で応えた。
「当たり前さ、うちのパーティの大事な魔術師さんだからな」
「つまりわしももらえるんかの」
「爺さんは関係ねえだろ! 同行させてやってるだけでも感謝してくれ。まあ、さっきの戦闘の分くらいはやってもいいぜ」
「ちぇ、ケチじゃの」
拗ねた様子の老人だが、特にそれ以上不満をいう気配もない。
だが、お宝をくすねないよう、チャールズは目を配りつつ、ジゼルと共に、それらを用意した袋へと詰め込んでいった。
一通り宝を袋詰にした後、一行はその祭壇室で、休憩を取ることにした。
このような霊的、あるいは魔的な儀式の空間では、低級モンスターだと、霊的波長や儀式の残滓のせいか、寄り付かない場合がある。
出入り口もひとつで、警戒もし易い、休息を取るにはもってこいだった。
「さ、俺の自慢の手料理だ。たんと喰っておくれ」
「チャールズは、剣の腕よりこっちのほうが上よ。安心して食べていいわ」
「おいおい、ひでえこというなよ」
また軽口を叩き合う、チャールズとジゼル。
ウルスラは、ふっと微笑して心を和ませた。
「ありがたくいただきます」
一礼し、手に取る。
携帯性に重きを置いた食料は、肉と野菜をパンで挟んだサンドウィッチだ。
チャールズが作ったという特製燻製肉の旨味と、ぴりりとしたマスタードがいいアクセントになっている。
錫製のポットに入れてきたコーヒーを、チャールズがそれぞれにカップで手渡す、老人の分はポットのフタで注いだ。
少しブランデーを注いであり、いい香りだ。
「ふうむ、食料はこれだけなのかのう?」
「なんだよ爺さん、食いたくないのか?」
「いや、そういうわけじゃあないんじゃが」
サンドウィッチを手に、老人は少しためらいがあるようだった。
自慢の料理に難癖をつけられたと思ったか、チャールズは眉根をしかめる。
ウルスラは、なにかに気づいたように声をかけた。
「お爺さん、もしかして東洋の方、ですか? それで食べづらいんでしょうか」
先程の戦いで見せたあの法術の術符、そういうものを、法力として修練するのは、僧侶などが多い。
口調や、頭巾の奥から垣間見える輪郭など、老人は東洋人の特徴を覗かせていた。
西洋料理、肉を使ったものなどに、忌避感を示すのもありえるだろう。
「無理に食べなくても……私、ビスケットなら持ってきていますよ」
「いやいや、いいんじゃよ、気にせんで。たまにはこういう今風のもんも喰ってみたいわい。む、ふぐふぐ、んむ、美味いのう」
「へへ、だろう爺さん。どんどん喰っていいぜ」
「もう、あんまりがっつかないの。喉に詰まっても知らないわよ」
髭をマスタードで汚しながら、美味そうに食する老人。
得意げなチャールズに、呆れるジゼル。
そうして、和やかな食事と休息の時間は過ぎる。
美しい銀髪の少女は、嬉しげに微笑んだ。
地獄の前の、嵐の前の静けさだとは、まるで想像もできなかったろう。
「ちょっと眠ろうぜ」
といったのは、チャールズだ。
周辺には、彼が糸仕掛けの警戒用トラップを設置していた。
モンスターが近づいても、すぐに気づく。
探索任務の工程は、概ね順調。
もう一時間ほど、体力温存と回復のため、小休止するのに、なんの問題もない。
ジゼルは頷いた。
食事をとったせいか、皆眠気を覚えている。
「いいわ。私が起きてるから、みんなは眠ってちょうだい」
「はい……お願いします。私も、とっても眠くて」
初めての冒険だ、緊張の連続で、疲れているのだろう。
ウルスラは横になり、バッグを枕に寝息を立てる。
老人はちゃっかりその隣でぐうぐうとしだした。
チャールズも横になる。
ジゼルひとりは、寝ずに番を務めた。
「?」
三〇分は過ぎたときだった。
ジゼルは、ふと顔を上げる、外で響いた音に気づいたのだ。
本当に、微かな音だった。
どこからか、地上に通ずる穴が、空気を運んだ風の音か。
いや、それは違う。
かたん、という音だった。
硬いものが、それも、僅かな質量のものが、落下するような音だった。
赤毛の女騎士は、腰の剣柄にそっと手を重ねながら、擦るような足取りで、祭壇室の入り口から、顔を出す。
視線を周囲に流した。
「なっ」
驚きと、戸惑いが、ジゼルの豊かな体を貫いた。
祭壇室の周辺に張っていた、糸仕掛けのトラップが、外れていた。
硬い小さな音は、張った糸と、そこに結んでいた、鳴子の木が地に落ちる音だろう。
チャールズが仕掛けを作るのに失敗していたのか。
自然に外れたのかもしれない。
注意深く、視線をもう一度、左右へ向ける。
もし、何者かが外したとするなら、それは知性を持ったものだろう。
待ち伏せ? そう考える。
だが、ならばすぐ襲ってくるのでは?
「……っ」
ジゼルは迷った。
チャールズや、皆に声をかけて起こそうか。
そこが運命の分かれ道だった。
「まあ、大丈夫よね」
ここまでの道筋が、なまじ安全だっただけに、彼女は警戒を緩めていた。
仕掛けを直そうと、部屋の外へ出る。
距離は数メートルだ。
膝を突き、糸を取り、結ぶ。
背後でなにかが動く。
振り返る。
「え?」
そう呟くのと、衝撃が後頭部を捉えるのは同時だった。
「どうなすったね」
「じ、爺さん、起きたのか」
「ああ。だがこれは……」
はっと驚きの顔で、あの陽気な顔に恐怖を交えた、チャールズが振り返る。
皆が休憩していた祭壇室の、入口の前だ。
チャールズはそこで屈み込み、状況を確認している様子だった。
後から起きてきた老人が、彼に声をかけたのだ。
頭巾の奥で、隠れていた老人の目が、険しい光を浮かべる。
痕跡から想像される事態を鑑みれば、当然だろう。
「お嬢さんを起こしてくる」
初陣のせいか、ウルスラの眠りは深く、覚醒するまで少し時間がかかった。
しかし老人がすっと手を差し出し、額の上になんらかの真言と唱えると、少女は寝ぼけ眼ながら意識を戻す。
「ふあ……あの、どうか、しました……?」
「うむ。騎士の娘さんが、消えた」
「えっ!」
はっと顔を上げ、ウルスラは慌てて、部屋の外に飛び出した。
崩れている、意味を失った糸仕掛けのトラップ。
入り口の周囲には、足跡が残されていた。
ジゼルを含めた、一行の、人間のもの。
その上から重ねて刻まれていたのは、巨大なものだ。
指の数、形状、大きさ、土を抉る深さと、推定される体重。
人外の形跡である。
「ゴブリンか、いや、オークか……分からねえが、なにかがあいつをさらっていった」
怯えを交えた声音で、リーダーであるチャールズは、呟いた。
そこに棲まう化生は、遂に牙を剥いて、獲物を定める。
ウルスラは蒼白となり、震えるしかなかった。