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一ノ章 魔剣僧拳(中編)

黄林寺 退魔僧伝


一ノ章 魔剣僧拳(中編)


 洋の東西、交わる地、ガンダーラ。

 陸路と海路の両方で、日に万という単位で荷馬車も船も行き交うこの地では、文化、経済、人種、ここには世界のあらゆるものが存在する。

 広大な都市には西洋東洋、どちらの建築群も立ち並び、商店もまた然り。

 あちらで東欧の美人が歩けば、こちらで亜細亜アジアの男が声をかける。

 あちらの店ではシチューの匂いに客がうなり、こちらの店では湯麺たんめんが屋台でひとを集める。

 大きな街路には、多種多様な髪と肌の色の人間たちがごった返し、中には明らかに通常の人間種でないもの、亜人などもいる。

 そんな街だからこそ、日常的に、犯罪というものも多発する。

 今回のそれは、このガンダーラでも、久しぶりの大事件にして、怪事件と呼べるものだった。


 王国騎士団所属、憲兵隊よりの使いが、黄林寺へと訪れた。

 憲兵隊とは、ガンダーラ都市部において、いわゆる警察的な立場を持つ組織である。

 ガンダーラは幾つかの国、地域の四方組織から多重統治をされており、西洋側の租界に居を構える西洋側から、この憲兵隊が司法の一部を司っている。

 黄林寺には、よく彼らからの依頼や相談があった。

 ガンダーラ都市部においても、妖怪妖魔、悪霊死霊、呪いに魔術による怪異事件は決して珍しいものではない。

 憲兵隊もお抱えの魔術師を持つが、退魔の歴史と腕前は、黄林寺に一段軍配が上がろう。

 今回の依頼は、昨夜発生した、ある凶悪事件の捜査であった。

「これは、和尚直々に来ていただけるとは。お忙しいところ申し訳ありません」

 女はそう言い、右手の拳に左掌ひだりてのひらを重ねる抱拳礼を取った。

 東洋人である黄林僧へ合わせることもあるが、騎士団のものには時折ときおり、黄林寺からごく初歩のものに限るが徒手空拳における拳法を指導している(本格的な黄林拳はやはり出家して入寺にゅうじしたものに限って指導する掟が厳格である)。

 彼女もその例に漏れず、その薫陶くんとうを受けていた。

 つまりは、ある意味彼女も和尚の弟子のひとりといえた。

 これに、老いたる袈裟姿の僧も、抱拳礼にて頭を下げた。

「いえいえ、なんの。ともに衆生の安寧を願うもの同士、礼には及びません。それに、ブラスシルト騎士団長殿のお美しい顔を見ると、寿命が一〇年は伸びますわい」

「お世辞をいってもなにも出ませんよ」

「いえいえ、お世辞なんてとんでもない」

 なんとも気持ちの良い朗らかな笑顔と共に、そんなことをいう、黄林寺大僧正、リュウガイ和尚。

 他の男がそんなことを言えば、見え透いたご機嫌取りとなりそうなものだが、この天性の陽の気質を持った老人がいうと、その茶目っ気にむしろ口元がほころぶ。

 しかし、和尚の言葉も、まんざら全てお世辞というわけでもない。

 たしかに、彼女は素晴らしい、美貌の持ち主だった。

 首元で切りそろえられた髪は、さながら白金しらがねつむぎぎあげたように輝いている。

 肌は白蝋はくろうの如く白く透き通っている。

 切れ長の目に、蒼氷そうひょうのように青い瞳が、ひとつ。

 隻眼であった。

 白い肌に、黒い革の眼帯。

 右目はなく、左目だけが、美しい蒼を魅せ。

 黒い軍服と外套がいとうを纏う肢体は、胸元が特に、窮屈そうに膨らんでいる。

 軍人としてのいかめしさと、女としての完璧な美貌と豊熟ぶりが、見事に両立していた。

 腰の大振りな剣も軽々と、歩みに微塵の乱れもないのが、日々の鍛錬を匂わせる。

 ガンダーラの法の番人、憲兵隊隊長、ニナ・ブラスシルト、そのひとである。

 リュウガイ和尚は今、そのニナと、ガンダーラの賑わいの中心地、都市部の雑多な店が並ぶ、街路にいた。

 だが、ふたりの周囲に、通行人や商人の姿はない。

 今そこは、封鎖線と憲兵隊によって、一時隔離されている。

 事件の検分けんぶんのためである。

「ここが現場です。どうか和尚のご意見もお聞きしたい」

「ほう、これは……」

「お恥ずかしい話です。こんな場所で」

「ふむ」

 和尚がいささかに驚きを見せる。

 ニナは幾らか、その美しい眉根にしわを寄せた。

 商店の並ぶ街路に在るそれは、あきないをする店ではなかった。

 憲兵隊の小規模な分署ぶんしょにあたる、番兵の詰め所である。

 後世には交番とも呼ばれるシステムの一端であった。

 日々、交易で外国人も多数訪れるガンダーラでは、所々に設けられている。

 その詰め所の中から、濃密な血臭けっしゅうと死臭、禍々しい邪気の名残が、漂う。

「事件は昨夜起こりました。発見したのは、偶然生き延びた番兵のひとりです。その男は深夜、夜食を買いに出かけ、一〇分ほどでここへ戻り、現場を発見。事件は全て、たった一〇分で終わったということです」

 ニナと和尚は、中へ入る。

 内部はいたるところに赤黒い染みが飛び散っていた。

 乾いた血痕である。

 内臓の悪臭。

 屍はそのままだった、事件の異常さを調査するためであろう。

 時間は早朝、事件が深夜に発生したとするなら、まだほんの数時間以内の出来事だ。

 足元の遺骸を、痛ましさと、やや驚きの混ざった目で、和尚は見る。

「凄まじい斬痕ざんこんですな」

「ええ。私も剣には自信があるほうだが、こんな真似はそうできません」

 和尚が屈み込んで、両手を合掌にして死者に礼しながら、間近で見る。

 上半身である。

 斜め、袈裟懸けであるか、逆袈裟であるか、軽装とはいえ、鉄板の鎧の胴を着込んだ大の男の体が、二つに切断されている。

 しかも、切断面には少しの乱れもない。

 凄絶としか言いようのない速度と鋭さ、得物の硬度。

 力も異常である。

 苦悶でのたうったのか、上半身の手が床を掻き毟った血痕。

 おそらく、この遺骸のものは、体を二つに分けられた後もしばらく『生きて』いた。

 視線を上げ、他のものも見る。

 最初のひとり、入り口の近くにいたものは、なにもできずに鎧ごと切断されたが、他は武器を取ることができたらしい。

 それが意味があったかどうかは別問題だ。

 剣の断片があった。

 鎧よりさらに硬く鍛え上げられた鋼鉄の剣が、同じように切断され、床の上に刺さっている。

 使い手は折れた剣のもう半分、柄を握りしめている。

 その剣ではまったく防御にならなかったと見え、その男は顔の上顎から上を失っていた。

 恐怖と驚きにかっと見開かれた目もそのままに、頭の上半分は、体から幾分離れた場所に落ちていた。

 断面はやはり、凄まじい鋭さだ。

 遺骸はあともうふたつ。

 最後のふたりは、剣よりも効果的な攻撃手段を取るだけの機転と経験があったらしい。

 どちらもクロスボウを手にしていた。

 倒れたむくろは、遠距離武器の中でも、威力において秀でたそれを、最も信頼するものとばかりに、抱えている。

 弓はつがえられていない。

 つがえる暇もなかったのか? 違う。

 撃ったのだ。

 撃ってなお、殺されたのだ。

 撃っても効かなかったのだ。

 当たっても、意味がなかったのか?

 違う。

 撃った/だが/効かなかった。

 相手の体が不死だったわけではない。

 魔術による防護障壁を展開したのでもない。

 矢は、落ちていた。

 中央から切断され、二本の矢が、見当違いの方向に転がっている。

宙空ちゅうくうの矢を斬るとは」

 和尚がぽつりとつぶやいた。

 そう。

 この事件の下手人は、自分に向けて放たれた二本の矢を、宙を飛来する段階、自分に触れるより速く、斬撃にて斬り払ったのである。

 驚天動地の剣速であろう。

 人外の所業としか言えない。

 第二射をる暇など、当然なく、射手のふたりは次の瞬間には、揃って首をねられて果てたわけだ。

 都合四人、事件の第一発見者となった番兵がここへ戻るまでの一〇分の間に、ことはまたたく間に終わったろう。

「和尚、これは、人間の仕業でしょうか?」

 自分の部下の死に様に、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、悔しさと怒りを滲ませて、ニナが問う。

 和尚は顎を掻きながら、ふうむ、と唸った。

「下手人が用いたのは、ただの段平だんびらの一振り。ただ鋭く、ただ速い。ただそれだけのことですな」

「ええ。しかし、こんなことをできる人間がいるとは」

「わが寺のもの、上級僧の幾人かなら」

「本当に?」

「世間でもそういるものではありますまい、それに」

「なんです?」

「この場に漂う瘴気しょうき、禍々しい邪気、妖気。これは魔性の眷属か、その呪いの力によるものと思われます」

「やはり、ですか……なにかお心あたりはありませんか」

「ふうむ……どうですかな。魔術での变化へんげ、獣人、魔神の類ならば、わざわざ剣のみに頼ると思えませんし。他に術を使った形跡もない」

 和尚はじゃらりと数珠を手に、小さく法力でいんを描く。

 武術のみならず、法力と法術も扱えてこそ、黄林僧だ。

 だがリュウガイ和尚の慧眼けいがんをしても、そこにはなにも映らなかった。

「同様の事件は、実はこれだけでありません。ここ何日か、深夜の人通りのない場所で、何件か同様の斬殺事件が起きています。昨夜のこの一件で、これが全て同一犯であるという見解がでました」

「ほう」

「どの事件も、ただの通行人ではなく、帯刀した戦士や、兵を狙っているもの。それも、金銭にはまったく手をつけない。ただ殺すだけ」

「犯人は、よほど自分の剣に自信があるようですな」

「はい……それに、罪悪感の欠片もない」

 忌々しげにニナは怒りを見せた。

 冷たい美貌を持つ彼女だが、その内心には、熱い正義感を持った女傑である。

 和尚は顎を掻きながら、しばし、思案した。

「わが寺でも妖魔や魔具の知識に長けた、ゲンナ大老に、憲兵隊の本署へ行ってもらいましょう。他の証拠ともども、検分していただく。あとは、そうですな、深夜警護でうちの僧を何人かそちらの詰め所にやりましょう」

「かたじけない。助かります」

「いえいえ。では、そろそろ出ましょう。早く、亡くなった方々の御遺体を弔って差し上げたほうがよい」

「はっ……」

 ニナは頷く。

 事件捜査のためとはいえ、殉職者の遺体をいつまでも放置するのは、やはり気がとがめることだった。

 和尚の心遣いに、内心感謝する。

 凶悪事件の現場と化した詰め所を出たとき、ふと、和尚へ、ニナは問うた。

「ところで、和尚様」

「なんですかな」

「上級僧の方にこれと同じ業前を持つものがおいでと、先程さきほど言われましたが」

「ええ、剣の技巧に優れた、高僧ソウケンなど、それに当たりますかな」

「では。和尚様はどうです? まさか、これほどの技を?」

 と。

 するとリュウガイ和尚は、ふふん、と苦笑した。

「いやいや。わしぁ、もう年でしてなあ。これほど速くはとてもとても。では、これで失礼いたします」

 南無阿弥陀仏と小さく唱え、数珠を手に祈り、和尚は静かに、その場を去った。


 その日もまた、黄林寺の僧たちが、ガンダーラの街を托鉢に回る。

 だが僧たちの中に、卓越した技量を持ち、精悍な横顔をした、あの男はいない。

 上級僧への昇格を考査されている、中級僧、ゴウジンは。

 彼の姿を視線で探す乙女がひとり、途方に暮れ、美しい顔に憂いを帯びて、ため息をつく。

 明るい栗色の髪に、銀の髪飾り。

 最近の流行りか、西洋風にエプロンをかけた、料理屋の娘である。

「リンカさん、でしたかな」

 そんな娘に、ふと、声がかけられた。

 振り返ったリンカは、そこに立つ、陽気で朗らかな微笑を浮かべた老人に、慌てて一礼した。

「あ! これは、リュウガイ和尚様。よく起こしに」

「そうかしこまらんでくだされ、なに、ただ年を食っただけの坊主ですぞ」

 世界に名を知らしめる退魔の聖殿、黄林寺の大僧正であるが、自分をそう言ってのけるのに、少しも嫌味な部分がないのは、この人物の気質であろう。

 バカ陽気であっけらかんとしたところに、好々爺然とした風情が、親しみを呼ぶ。

「ゴウジンをお探しかな」

 そんな朗らかさと共に、リュウガイ和尚は、ずばり核心をついた。

 リンカは、はっと顔を上げる。

 まるで、何もかも、自分とゴウジンとの間のことを、見透かされたような心地だった。

 だがそこに、鋭く相手を叱責するような、威圧感はない。

 そこがこの老人の、たまらぬところだった。

「いえ、そんな……」

「ふむ。左様か。いえ、前に、あなたとゴウジンが、親しげに話しているのをお見かけしましてな。なんでも、あいつに助けられたとお聞きしましたが」

「はい。以前……恐ろしい妖怪に襲われたおりに」

「たしか何ヶ月か前、市中で起きた妖怪の事件、あいつも討伐の一隊で出ておりましたな」

「あの方に助けていただかなくては、私はあのとき……」

「なるほど、なるほど」

「あの、ゴウジン様は……最近、托鉢に来られませんが。どうか、なさったのですか」

 不安そうに、リンカが問う。

 乙女の内心に宿る寂寥せきりょうを、和尚は、知っていた。

 恋い焦がれる男が、なぜ自分を遠ざけようとするのか、そのゆえを想うのだ。

「もうじき、あいつを上級僧に格上げしようかと、寺では持ち上がっておりましてな。托鉢に来ぬのも、そのためでしょう」

「上級……」

左用さよう。さすれば、あいつも一層寺と退魔の道のため、俗世からは離れた身になりましょうな」

「……っ」

 和尚の口より、乙女は知る。

 ゴウジンが自分と袂を分かって、恋慕を諦めようとしたわけを。

 やるせなさがこみ上げた。

 リュウガイ和尚は、ふむ、と顎を掻きながら、ぽつねんと漏らした。

「ときに娘さん。わが寺の僧侶でも、なかには寺を出て、俗世へ戻るものも、決して少なくはないのですぞ」

「そう、なのですか」

「ええ。俗世への未練絶ちがたく。商人や農夫となり、御仏みほとけでなく、愛するものとの道を選ぶもの。拳法をみだりに使うことは禁じられますが。わしはそういう生き方も、決して責めるべきでないと思っております」

「……」

「ゴウジンのやつ、どういう道を選ぶかは、あやつ次第。ということですな」

「和尚様、もしかして……」

 なにもかも、知っているのか。

 そう、問いたくなった。

 だが、その言葉は出なかった。

 リュウガイ和尚はにっと笑い、踵を返す。

「では、拙僧せっそうはこれで。どうかお元気で」

 なにも言えぬ乙女は、ただその大きな背を見送る。

 不思議と、心にわだかまる迷いが、涼しい風でも吹き込まれたかのように、落ち着いていた。

 それでもまだ、ゴウジンを恋慕する想いは、胸の奥で消えずに疼いていた。


 和尚は寺で、胡座をかいて座っていた。

 大僧正の私室である。

 壁には無数の書物がぎっしりと詰められた書棚があり、また、机の背後には、黄林寺の二大教義が、太い筆字で書かれていた。

 ――悪鬼調伏あっきちょうぶく

 ――衆生救済しゅじょうきゅうさい

 と。

 和尚は今、書物も見ず、なにか仕事をするでもなく、窓辺で、窓外を見ている。

 もうじき夕暮れである。

 大半の僧は食事前の小休止を取り、訓練や鍛錬に励むものはない。

 休むのも修行の一貫と、あくまで論理的な、命懸けの実戦派武芸者として、戦士としての思想に基づく。

 だが、それでも修行場で体を動かすものがいた。

 ゴウジンである。

 逞しい肉体に、理知を秘めた精悍な横顔を、きびしさの仮面で包む青年は、修行衣の武僧服を汗みずくとし、凄まじい速度で槍を振るっていた。

 上級僧への考査が、明後日に控えている。

 大僧正たるリュウガイ和尚も交え、高僧らを相手に、武芸試験を行うことになっている。

 やつならば合格間違いなし、それは高僧も、そして、リュウガイ和尚も信じている。

 修行に励むゴウジンは、まるで、命を削るように鍛え抜いた肉体を、さらに苛烈かれつに酷使していた。

 朝も昼も鍛錬に鍛錬を重ねている、あれでは、体に負担をかけすぎだ。

 それでも、やる。

 しなる槍のをさらにしならせ、遠心力と勁力けいりょくの乗った穂先が、稲光いなびかりの如く、刺突の一閃。

 身を捻り、鋭い穂先の弧を描き、さらなる体捌きにて、刺突の連撃。

 穂先の斬撃、石突いしづきの打撃、乱舞。

 何故なにゆえに、そこまで励むのか。

 知っていた、だからこそ、リュウガイ和尚は、なんともいえぬ顔をするのだ。

「失礼しますぞ」

 ふと、戸を開けて、入ってくる小柄な影がひとつ。

 ちらと視線を向ける。

 六尺九寸(約一九〇センチメートル)の背丈のリュウガイ和尚から比べると、実に小さい。

 おそらく五尺と一寸(一五五センチメートル)ほどではないだろうか、おまけに、背中も丸まっている。

 年はかなりの年配だ。

 リュウガイ和尚と同じか、それより上か。

 口元から、長く白いひげが伸びている。

 手は、自分の身の丈よりも長い、自然木の捻じくれた杖を持っていた。

「おう、ゲンナ大老。戻られたか」

「はっ。今しがた」

 名を、ゲンナ。

 その名には、大老という語がつく。

 黄林寺の中でもリュウガイと同期の僧で、実質、この寺のナンバーツー的な重鎮である。

 流水の如く掴みどころのない柔軟自在の武芸を得意としながら、同時に、多種多様の法力・法術に長け、死霊の浄化から悪魔祓いまでこなす、黄林寺屈指の法術士であった。

 今日は、この頃街を恐怖で震え上がらせている、辻斬りの斬殺魔の調査のため、憲兵隊へと出向いていたのだ。

 それが、今戻ってきた。

「で、成果は」

「まあまあ、というところですかな」

「というと」

「遺骸と現場に残された瘴気、残留思念を吟味したところ。術を編んだのでなく、武器そのものがなんらかの魔術的な因子を秘めているもの、おそらく、魔剣の類」

「魔剣とな」

「この寺に収蔵されし、呪われた武器、強きに過ぎる破壊の力たちと同様。宝具、魔具ですな」

「使い手は?」

「そこまで分からなんだのが、惜しいところで」

「ふむ」

「まあ、他の術を使った形跡がないことから、魔術師ではありますまい。おそらくは剣客か、武芸者か」

「ふむ」

「おいリュウガイ。おめえちゃんと聞いてんのかい」

 やおら、ゲンナ大老が、それまでの形式的な口調から、一転して伝法でんぽうなものに変えた。

 すると、リュウガイ和尚もため息と共に、表情も口調も崩す。

「すまねえゲンナ。途中から、まあ、おおよそ予想の範囲内だったもんでよ」

「ったく、まあ、おめえの気持ちもわかるがよ。どうせゴウジンのこったろう」

「ああ、それよ。ほれ見な」

 促す。

 外ではやはり、まだ、ゴウジンが鬼神のように鍛錬に狂っていた。

「例の娘っ子のことで、ああも猛ってんのかね」

「だろうな」

 ただひとり、この寺の中でも腹の中をさらけ合う仲の、古い親友同士である。

 付き合い方にも、遠慮会釈えんりょえしゃくがない。

 リュウガイ和尚もゲンナ大老には、ゴウジンとリンカのことを、話していた。

 事情を知ればこそ、老人は、鍛錬に打ち込む青年の技の奥に、悶え苦しむ心を透かして見る。

「迷いのある、技だな」

「ああ」

「だがよう、おめえ、決めるのはあいつだぜ。あいつがわしらと同じ、高僧を目指すなら、黙ってさせるがままにするべきじゃねえか」

「……」

「負い目か? あいつを寺に入れ、僧にしたことによ」

「まあ、な」

 腕を組み、ため息をつくリュウガイ和尚。

 ゲンナ大老も、これには頭を悩ませた。

 法術の扱いならともかく、若人わこうどたちの恋慕となると、さしもの大老とて解けぬ。

「どうしたもんかねえ」

 ぽつりと、リュウガイ和尚は、茜色に染まる空に向けて、呟いた。

 親友ゲンナ大老も、このときばかりは、大した助言もできなかった。


 夜の街、まだあかりを点け、商売をする店もあるが、しかし、いつもと比べると、その数はぐっと少ない。

 このところ頻発している、斬殺事件のせいである。

 到るところに憲兵隊の兵が立ち、中には、黄林寺の僧侶たちも混ざっている。

 袈裟姿のものは、名高い上級僧であろう。

 それぞれに、棍棒や槍、剣、柳葉刀りゅうようとう朴刀ぼくとう、中には大ぶりな方天戟ほうてんげきなど、様々な得物で武装している。

 人通りもまばらな往来で、僧たちの姿を、視線で追うものがいた。

 可愛らしく、美しい、乙女だった。

 明るい栗色の長髪に、エプロンを纏った給仕きゅうじ姿、配達の帰りであろう、料理屋の娘である。

 リンカ、妻帯を許されぬ僧侶に恋をした、少女である。

 彼女が横目で、僧たちを見るのは、当然、その中に、ゴウジンがいないか、探しているのだ。

 あの夜以来、まだ一度も会っていない。

 昼間の托鉢にも、夜の警護にも出ないのは、やはり、リンカと会わぬためか。

「はぁ……」

 深い悲哀の溶けたため息が、漏れた。

 豊かな胸の奥で、締め付けられるような苦しさがある。

 上級僧、高僧への道を、彼は自分よりも選んだのだろうか。

 たまらないやるせなさと寂しさに、愛らしい笑顔を浮かべるべき顔が、曇る。

 これまで彼と交わした逢瀬、なにげない会話、想い合った恋心も、全ては儚いものと消えるのか。

 白い指先は、そっと、銀の髪留めに触れる。

 それは、ゴウジンからもらったものだ。

 無骨ものの彼が、定期的に訪れる修行休みの日に街で買ったものだ。

『お前に、似合うと思って。すまん、その……女性の好みは、よくわからんから、気に入らないか?』

 屈強そのものの彼が、照れながらそう言った。

 精悍せいかんな顔に浮かぶ恋慕と自分を想う気持ちに、嬉しくないわけがない。

『いえ、とっても、嬉しいです』

 そう言って受け取って以来、リンカはこれを片時も離したことがない。

 あの時の幸福を思い返しながら、リンカは街を歩いた。

 半分、意識が現実を見ていなかった。

 気づけば、まったく人気ひとけのない道にいた。

「やだ、いけない……」

 このところの凶悪事件を思い返し、慌てて、もと来た道に戻ろうとする。

 そこに、誰かが立っていた。

 男だった。

 そして、見覚えのある。顔をしていた。

「……っ」

 息を呑むリンカは、背筋に冷たい汗をかいた。

 本能によるものだ。

 禍々しい、刃のような気配が、吹き付ける。

「お前。ああ、あの時の。あの坊主と、一緒にいた女、だな」

 男が、ぽつりと言う。

 薄汚れた外套がいとう姿。

 その外套の中に、ある剣を一振り隠しているとは、リンカも気づかない。

 金髪の白人、男は、にやにやと笑った。

 凶相、ひとを傷つけるのをむどころか、嬉々として行える人間の面相。

 いや、人間では、ないのかもしれない。

「そう。ゴウジンとか言ったよなあ、お前、あいつの女か? え? ずいぶん、仲良さそうだったじゃあねえか。ちょうどいいや、へへ」

 距離を詰めた男が、リンカの細い腕を掴む。

 鋼のように固く、野獣のような力だった。

「ちょっと付き合ってもらうぜ」

 赤い眼光が夜闇に輝く。

 傭兵、ダニエル・ジャストンは、そのまま夜の街の何処いずこかへと消えていった。

 リンカはその夜、家に帰らなかった。


「ゴウジンよいか」

「はっ」

 早朝、身を整え、これから修行というときに、青年に声をかけたのは、大僧正、リュウガイ和尚そのひとであった。

 抱拳礼でひざまずくのを手で制し、リュウガイは告げる。

「前もって言っておいた通り。本日、夕刻より審査を行う。ソウケン上級僧が武器術、ゲンナ大老が法力、そして、このわしが素手による組み手で技を見る。よいな」

「和尚様、直々に!」

「ま、そう固くなるな。といっても、しょうがあるまいが。ともかく、今日はお前は訓練はなしだ。夕刻まで休め」

「はっ」

 あまり弟子を緊張させすぎぬよう、いつも通り、ざっくばらんとした、明るい調子で言う師。

 弟子はそんな師の意図を汲み、深呼吸する。

 そんな愛弟子を、和尚はじっと、見た。

「本当に、よいな」

「迷いはありません」

「そうか」

 それ以上、問わず、師はなにを思うか、黙って踵を返した。

 和尚を見送るゴウジンは、なにを思うか。

 青年の心の奥には、やはり、愛する乙女の横顔ばかりが、かすめ過ぎていた。


 夕刻も近づいた頃であった。

 ふたりの少年が、街を歩く。

 麻袋を担ぎ、家や店を巡り歩いては、南無阿弥陀仏と唱え、食物をもらう。

 托鉢の僧侶、黄林寺の初級僧、サンケンとコウゼン。

「ゴウジンあにぃ、もうちょっとで、試験始まるのかなあ」

「かもな」

「なあ、兄ぃ、どうすんだろう。リンカさんとのことさあ」

「……そんなん俺もわかんねえよ」

 偶然にも、慕う兄弟子が市井しせいの町娘と恋仲にあり、また、上級僧への昇格のため、この恋を自ら捨て去るのと、知ってしまったふたりである。

 当然、ふたりも頭を抱えて悩んだ。

 しかし、それをゴウジン当人に問うことも、相談することもできない。

 だからこそ、悩むのだ。

 ため息混じりに、初級の少年ふたりは、街を行く。

 そのときだった。

「こないだの、小僧どもか」

 往来の人混みの中から、声がこぼれた。

 冷たく殺意を滲ませた、声だった。

 振り返る。

 そこには、外套を纏った長身の男が立っていた。

 金髪に、凶相を浮かべた白人である。

「あ! お、お前」

「あのときの」

 以前、ゴウジンと共に托鉢していた際、絡んできた男だ。

 傭兵、ダニエル・ジャストン。

 元より鋭く禍々しい風情の男だったが、今は、さらに前にも増して、瘴気めいた気配が匂う。

 まだ法力の修行も未熟な少年僧たちだが、肌に伝わる鬼気に、ぞっと背中が冷たくなった。

「なんだ、なんの用だよ」

 気の強いコウゼンが、内心の怯えを隠して前に出る。

 兄弟子ゴウジンに無理に絡んできた輩だ、今度は自分たちにも、喧嘩をふっかけるのかもしれない。

 そう考えたのだろう。

 友人、サンケンよりも先に踏み出すのに、幼いながらもなかなか骨のある少年だった。

 そんな友を、喧嘩の売り買いより先に、逃げることを考える気の弱いサンケンは、手を引っ張って震えた声を上げた。

「な、なあ、やめなよ。お師匠たち呼ぼうよ」

 一緒に托鉢に来ていた、他の兄弟子たちのことだ。

 気が弱いが、理性的な選択である、喧嘩をどうのとするよりも、頼もしい仲間を呼ぶことを考える。

 そんな対照的なふたりを前に、凶漢は薄笑いを浮かべた。

「勘違いするな。別に、お前らをどうこうしようってわけじゃねえ。そもそも、お前らごときじゃ相手にしても面白みなんぞねえしな」

「なんだとお」

「コウゼン、やめなよ」

「うっせ。で、じゃあなんの用だよ」

「ああ。それだがな」

 ダニエルは、外套の中から、手を出す。

 ちらと見えた、腰に帯びた剣から、肌に刺さるようなあやかしの気配、凄まじい魔力の波動が、ふたりをぞくりとさせた。

 だが、ダニエルが手に乗せ、ふたりへと差し出したものは、さらなる驚きで、打ちのめした。

「それは!」

「なんで、お前が!」

 瀟洒な彫り細工を施した、銀製の小物だった。

 乙女の髪を彩る、髪飾りである。

 それをふたりに差し出しながら、凶漢は告げた。

「あの男。ゴウジンとか抜かしたな。あいつへ伝言がある」


「失礼いたします」

 練武場れんぶじょう、普段、お大勢の弟子が修行に励む、黄林寺内の屋内稽古場である。

 そこへ、青年がひとり、訪れた。

 黄林寺、中級黄林僧、ゴウジン。

 今日半日、結跏趺坐けっかふざし、調息ちょうそくにて氣――つまりは、生命エネルギーを練りに練り、精神を研ぎ澄まし、このときのために備えていた。

 この寺に来てより一四年、遂に辿り着いた、その果て。

 栄えある上級僧への、試験であった。

「うむ。よく参った」

 練武場では、壁沿いに、幾人もの上級僧たちが、袈裟姿で腰を下ろし、試験の監督として待機していた。

 そして、練武場の中央には、既に最初の試験官である、上級僧ソウケンが、羅漢服姿で立っていた。

「和尚様とゲンナ大老は、憲兵隊の方とお話があり、後で来ます。まずは私が手合わせを。さあ、好きな武器を取り、来なさい」

「はっ」

 ソウケンは、上級僧たちの中でも特に実戦派で知られ、おそらくは退治した妖魔妖怪の数では一二を争う。

 得意の武器、三節棍を手に、ゴウジンを待ち構えていた。

 ゴウジンも練武場に用意されていた武器を取る。

 試験のために簡易的な武器棚には、あらゆる武器が並んでいる。

 その中から、自分の得意なものを取り、挑むのだ。

 勝敗か、それとも、戦いぶりそのもので評価するか、挑むゴウジンにはわからない。

 だが、一切の心の乱れはなかった。

 やれるだけ、やれることをやるだけだ。

「ゴウジン兄ぃ! 兄ぃ!」

「なんだお前たちは!」

 突然だった。

 試験のため、立ち入り厳禁であった練武場に、ふたりの少年僧が駆け込んできた。

 初級僧、サンケンとコウゼンである。

 当然ながら、声を荒げて試験場に来た初級僧に、上級の試験官らは顔をしかめる。

 それも構わず、ふたりはゴウジンの元に駆け寄る。

 サンケンが、手にしていたものを差し出した。

 ゴウジンの顔が、崩れる。

 驚きと、戸惑い。

 上級僧に挑む緊張よりもなお、それは、青年を打ちのめした。

 それは、銀の髪飾りだ。

 忘れもしない、忘れるべき乙女へ渡したものだ。

「リンカお姉ちゃんが……あ、あの、ダニエルってやつに」

「どういうことだ!」

 この試験の場にあるまじき、大声を張り上げるゴウジン。

 あの凶漢と、愛する娘が、共に弟弟子の口から出た時点で、彼の心は、乱れに乱れていた。

「あいつ、兄ぃと勝負したいって。それで……町外れの洋館。あの、ぶっ潰れそうなとこに」

「ひとりで、こ、来いって。兄ぃ、でないと、リンカさんが……あ、あいつ、殺すって」

「~っ!」

 もはや、言葉もない。

 ぶるぶると、ゴウジンの鍛え抜いた五体が震える。

「どういうことだ、説明しろ」

「なんなのだゴウジン」

 わけもわからず、上級僧たちが色めき立つ。

 だが、語るわけにもいかぬ。

 自分の恋慕を秘めたことを、この寺への、いや、リュウガイ和尚への恩義。

 せめぎ合う迷い、選択。

 青年は、ひとつの道を選ぶよりなかった。

「すいません。上級僧皆様がた。一身上の都合により、辞退させていただきます」

「なに!」

「おい、ゴウジン! 待て!」

 突風かと思うほど、素早く、ゴウジンは脚力の限りに、軽功の限りに、駆け出した。

 試験のためにと手に取った武器を持って、青年は、伝言された館へと目指して、全力で向かった。

 後には、なにがなにやら分からぬまま、途方に暮れ、ざわめく上級僧たち。

 そんな彼らに、なにを語っていいかも分からず、おろおろとする、少年僧ふたりが、残された。


「おう。どうしたのかな。皆。ん? ゴウジンのやつはどこに」

 混乱の場に、幾分か遅れ、憲兵隊のものたちと、辻斬り事件の相談をしていた、リュウガイ和尚とゲンナ大老がやってきた。

 はっと顔を向けたのは、初級僧のふたりである。

 和尚はふたりと一緒に、ゴウジンの秘密を知った仲であった。

「お、和尚様ぁ……」

「あ、あの。俺たち、あの……ゴウジン兄ぃに、あの……」

 泣きながら和尚に駆け寄るサンケン、コウゼン。

 ふむ、と、和尚は顎を掻きながら膝を突いてふたりに視線を合わせる。

「なんでぃ、言ってみな。どうした」

 太く、穏やかで、子供を安心させる声であった。

 まるで、実の親とは別の、もうひとりの親父のような。

 ふたりは泣きながら言った。

「あのダニエルってやつが、このあいだの」

「おう、あいつか」

「あいつが、あのお姉ちゃん、リンカさんを、さらって……」

「なにい?」

「それで、ゴウジン兄ぃと、やりあうために。来ないと殺すって。その次は、お、和尚様だって」

「ふむ、ふむ。なるほど」

 和尚は、全てを理解した。

 傍らにいたゲンナ大老も、事情は和尚より聞いている、おおよその察しはついたようだった。

「おう、ゲンナ」

「委細承知」

「まだ何も言っとらんのだが」

「わかるとも。ゆけ、わしが皆に上手く言っておく」

「任せた。さ、ふたりとも、案内してくれ。行くぞ」

 和尚が、立ち上がる。

 ふたりは泣きながら頷き、駆け出した。

 先程言った、町外れの洋館へと。

 果たして、間に合うのかどうか、それだけは、誰にも分からなかった。

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