六ノ章 最強の武器
黄林寺 退魔僧伝 六ノ章 最強の武器
「剣だ!」
と、若者は言う。
「槍だ!」
と、もうひとりの若者は言う。
「弓矢だ!」
と、さらにもうひとりの若者は言う。
「法術だ!」
と、さらにさらにもうひとりの若者は言う。
四人の若者が面付き合わせ、それぞれに己の信ずる論を強く争わせて、語気を荒くしていた。
四人は四人とも頭を丸めた剃髪であり、纏うのは武芸を嗜む僧侶の修行衣、羅漢服。
塔や蔵の巨大建造物を伴う敷地の中では、他にも無数の若者たちが型稽古や組み手、乱取りの稽古を行い、研鑽に励んでいた。
洋の東西交わる地ガンダーラに居を構えるは、退魔の聖殿と称される僧侶の一派、黄林寺の僧たちであった。
黄林寺の僧侶には大きく分けて三つの階級がある。
入門したてのもの、寺が引き取った年端もない少年僧で構成される初級僧。
ある程度年齢を重ね、武芸や諸々の業務を行える中級僧。
そして武芸も法術も鍛えに鍛え、個々の技倆を極めた上級僧。
この中で最も人数が多く、層が厚いのが中級僧だろう。
黄林寺の中でも、中級僧は二〇〇人以上もいる。
下はまだ内功もほとんどできず、妖怪退治の実戦に出たこともないような未熟ものから、上は実戦武芸の腕前だけなら上級僧にさえ比肩するような卓越した天稟まで。
まさにぴんきりというやつだ。
特に上位には、ゴウジン、ゲンコウ、ライレイという若者たちがいるが、この三人の中でも特に腕前の優れていたゴウジンは、戒律破りを理由に破門されてしまい、俗世へ降りる、つまり還俗してしまっていた。
ともあれ、このように人数の多い中級僧たちは血気盛んな若者揃いである。
日夜諸々の武芸の修行に刻苦練磨を重ねている。
となると、自然に自分の得意とするものや信条というのが出てくるのだ。
「俺は剣が一番優れている武器だと想う」
型稽古を終え、汗をぬぐっているときに、ひとりの男がそう言った。
他愛ない日常会話の中で、ふと、得意な武器の話から、こういう話題になったのだ。
――真に優れたる武器はなにか? と。
「適度な長さに重さ、携帯もしやすい。諸刃の単剣もあれば片刃で扱いに優れた柳葉刀もある。これほど優れた武器があるか? 千古の昔から、武の象徴とは剣じゃあないか」
と言うのだ。
すると、その場に居合わせたもうひとりの中級僧の青年が異を唱えた。
「なにを言う! 一番優れているのは槍だ!」
「なにっ!?」
「剣の間合いなどなにほどのものだ、槍に比べりゃ話にならないじゃないか。二倍も三倍も遠間から突けるんだぞ。戦い続ければ刃味も落ちる。そうなれば戦力半減。その点長柄の槍なら打撃も存分に使える。その気になれば鎧の上からだって相手を倒せる。妖怪相手の戦いだって、長柄武器を用いるじゃないか。剣なんてその予備だよ」
なるほど、聞いてみればもっともである。
だが剣の理を解く若者は納得いかない。
「だが槍では戦いづらい場面もあるぞ、木々が深く茂ったところや屋内じゃどうやったって使えないじゃないか。柄の間合いの奥に踏み込まれたらどうする」
「そうしないようにすりゃいいんだよ。最初から選ぶなら槍だ」
すると、さらにもうひとつの声が加わった。
「ハハハ! お前らバカだなあ、剣も槍も大したことぁない。弓矢が一番さ」
「なにっ」
「なんだとっ」
もうひとりの若者、中級僧の青年が、短弓を手に我が論を語る。
「まず戦いは相手を接近させず、危険を冒す前に終わらせるのが肝要だろう? 剣や槍の間合いに近づく前に、まず弓矢を射って終わらせるのが一番さ。昔から戦場の主役は弓矢だ。たぶんこれから先もな。武芸の頂点こそ弓矢なんだ。リュウガイ和尚様だって特大の鉄弓を操るそうじゃないか」
と言う。
たしかにそれはもっともな論でもある、戦場でまず最初に使うのは遠距離武器の弓矢などの、敵を間合いの外から倒す武器だ。
槍も剣も使うのはその後。
では弓矢こそ最も秀でた武器なのか。
だがさらにそこへ、別の声も加わった。
「いやいや、最も優れているのは術。法術さ」
「なにっ」
「なんだあっ」
「なんだと」
四人目の若者は真言を書き記した札、いわゆる術符を手にしていた。
法術の腕前に一家言あるらしく、符を手早く宙に投じれば、それは見事に炸裂する。
当たればひとたまりもない、人間もそうだが、妖怪変化、悪鬼魔性の眷属ならば効果は倍増。
「俺たち退魔僧が相手にするのはなんだ? 人間じゃあない、妖怪や悪魔だぜ? 中には霊魂のように実体を持たない相手もいるんだ。となると、剣より槍より弓より、法術のほうが効果的だ。しかも御札の形で持ち歩けば軽量このうえなし。投げれば遠くの相手にも使える。こんな便利なものがあるか」
なるほど、言うことはもっともだ。
しかし、それで持論を翻せるわけもなし。
「術だけでは話にならんだろう。やっぱり剣こそ一番汎用性がある!」
「剣なんぞなにほどのものだ! 槍こそ最強!」
「ええいバカ野郎ども! 弓矢が一番だってわからねえのか!」
「術だ術! 法術こそ退魔の技には最高! いい加減認めろこのアホ共!」
喧喧諤諤である。
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う。
四人が四人とも、自分の得意とする武器が最強と主張して止まらない。
誰も一歩も譲らない。
言葉ではらちが開きそうにもなかった。
まさにそのとき、まるでそれを見越していたように、寺内へ駆け込んだものが声を上げた。
「お、お助けを~! 西の村で見たこともない妖怪が暴れております! どうか~!」
農夫らしき格好の男が寺の門へ駆け込み、そう叫んだ。
言われるが早いか、それぞれに論じあっていた四人の若者は、一瞬で手元にあった武器を取り上げて駆け出したのである。
これぞ天の采配! 俺の信ずる武器の優位を示さん! と意気込んでいたのは言うまでもない。
誰よりも早く、四人は厩へ入るや馬に跨り、西の村へと駆けていった。
咆哮を上げた獣が、口から血を滴らせ、爪振るい、尾撓らせ、人馬六畜を引き千切り、家屋を砕く。
荒れ狂う魔獣、妖怪変化はただの一匹であった。
そのただの一匹相手に、市井の民草に混じり、武器を携えた憲兵の死体も路上に転がっている。
どれほどこの魔獣が手強いか知れようものだ。
獅子の顔と牙、山羊の角、尾は毒蛇。
合成獣である。
西洋はギリシア、魔神テュポーンの血縁と言われており、強靭な肉体に火炎の息吹を放つ、凶悪な魔獣である。
西洋魔術師の中にはこれを使役するものも居ると言われるが、操るのは至難の業。
一度荒れ狂えば処置のしようがない。
今まさに、その恐るべき破壊が、人間の営みを蹂躙し尽くす勢いであった。
「やめろ化け物! 俺が相手だ!」
意気軒昂と叫んで現れたのは、あの四人の若者のひとり。
剣使いの中級僧であった。
馬から飛び降りるや、剣士の退魔僧、軽功にて素早く駆け走り、自慢の剣を翻す。
反り浅い幅広の柳葉刀、斬撃の威力重く、刺突も自在。
近づけば敵などなし。
素早く近づく剣士の影に、合成獣が轟と吠えた。
白い牙の並ぶ赤い口腔から吐き出されたのは、特大の火炎の玉だ。
「むう!」
剣士の若者は、勁力を込めた剣を素早く振り回し、火炎の勢いを殺そうとする。
だが神の血縁に属する魔獣の吐く火炎は、魔力強大にして威力も絶大。
弾き返すどころか、炸裂した爆風に負け、青年は勢いよく後方にぶっとんだ。
「ぎええ!」
したたかに背を打ち、転げ回る。
剣まで取り落し、戦いどころではない。
その横を、別の馬が通り過ぎる。
「俺が相手だ! 槍の威力見せてくれる!」
息巻くは槍使い。
馬上より巧みな剛槍が一閃。
突きは当たれば鎧でも貫通しそうな威力である。
だが魔獣の動体視力、反射速度からすれば、点で迫る穂先の一撃など、回避するのになにほどのこともない。
ひらりと躱す、青年は「あっ」と叫ぶ。
気づいたときには、毒蛇の尾が翻り、馬の首を噛む。
毒殺された馬と共に槍使いはスッ転げ、地べたの上に倒れた。
「バカどもが! うかつに近づくからそうなるんだ!」
叫ぶのは弓矢使い。
十分に距離を取り、正確無比の射撃で素早く射った。
一条の線となって奔る矢は、見事命中。
魔獣の胸板に突き刺さる。
が、魔獣は構わず走り寄ってきた。
「わわわっ!」
驚き、焦り、次射の構えが淀む、まさか矢を受けてまったく気にせず走り寄るとは。
次の矢を取る間もなく、若者のすぐ目前まで迫る。
「おっと! やっぱり最強は法術だな! 見てろお前ら!」
横から駆け込んできたのは、最後の四人目、法術使いの青年だ。
懐から取り出した幾枚もの術符を翻し、眼前に迫った魔獣目掛けて投げる。
命中した瞬間に炸裂し、衝撃と魔物封じの真言にて邪悪なる存在を滅する、退魔法術の業が冴える。
それを、斜め上方から滾り落ちた四つの斬光が断ち切った。
「な、なにっ!」
驚嘆と恐怖に染まる顔。
研ぎ澄ました剃刀のように鋭い魔獣の爪が、命中するより前に符を引き裂いてしまったのである。
術が発動する暇さえなかった。
「ひ、ひええ!」
ずん、ずん、と、魔獣は近づく。
もう弓も符も取り出す余裕などない。
多少知恵もあると見えて、合成獣は舌なめずりし、目の前の若い僧侶を見下ろす。
たっぷり恐怖し、絶望の叫びを聞きながら喰らうつもりか。
いつでも鉤爪を振るって肉塊にできる圏内に捉えている、焦る必要はないだろう。
もはやこれまで、失禁寸前の恐怖で震え上がる、弓使いと法術使い、すぐに剣使いも槍使いも喰われるだろう。
「ほいよ」
という、軽い掛け声が響いた。
それと同時に、なにかが、弓使いと法術使いの青年の頭の上を奔り抜けた。
間近まで迫っていた合成獣の顔面を、それがぶっ叩く。
――ゲグうううう!
刃のような牙がへし折れ、血反吐ぶちまけて吹っ飛ぶ魔獣の巨躯。
おそるおそる、二人は見上げた。
そこにあったのは、腕。
そして拳。
何年も何年も打ち続け、鍛え続けた、丸っこい拳だ。
まるでごろりとした自然石だった。
腕も太い、丸太のような筋肉の塊であった。
たった一本の腕、たった一つの拳が、ぶん殴って巨大な魔獣をぶっ飛ばしたのだ。
二人は振り返って、拳撃の主を見た。
「お、和尚様!」
「お師匠様!」
驚きと喜びに声を上げるふたりに、齢七〇も過ぎて久しい老僧は、にっと笑った。
黄林寺大僧正、リュウガイ和尚そのひとである。
「まったくお前ら、わしらの命もなく勝手に飛び出しおって。もう少し遅かったら死んでおったぞ」
苦笑交じりの和尚の叱責に、ふたりは俯く。
同時に、腹の底まで響く凄まじい咆哮が轟いた。
見れば、魔獣は和尚の一撃で多少ダメージを負ったが、まだピンピンしている様子で、むしろ怒りを燃やしてさらに恐ろしさを増している。
「和尚様ぁ!」
「い、一度引きましょう!」
自分たちの自慢の武器が通じなかっただけに、もはや今の手勢で勝てる見込みはないと感じたようだ。
和尚は一足先に来たのだろうか、他に上級僧の影もないのでは、無理もなかろう。
だが和尚は気にせず、ひょいと気軽に一歩前へ進み出た。
「借りるぞ」
言うなり、和尚は弟子が落としたものを拾った。
弓と矢である。
瞬速一閃、いや、二閃、三閃。
あっ! という間に、和尚の太い腕は弓を軽々と引き、矢を放つ。
一本は口の中に吸い込まれ、残る二本は目玉を貫く。
魔獣は口内を貫く痛みと視界を閉ざされたことで、凄まじい絶叫を上げた。
和尚はそのときにはもう、さらに一歩駆け出して、距離を詰める。
同時に両手を振りかざし、なにかを投じる。
術符であった、これも弟子が落としたものを拾っていたのである。
視界を閉ざされた魔獣は、炸裂する法術の攻撃をもろに喰らった。
巨体がさらに後方へ転がり、ぶすぶすと体毛を焦がす。
そのときにはもう、和尚の巨躯は疾風の速度で接近していた、中級僧の弟子たちの二倍も三倍も素早い軽功である。
弓矢と御札に続き、和尚の手はまたなにかを拾い上げる。
槍と剣だった。
右手に剣、左手に槍である。
――シャアぁあああ!
雄叫びを上げて毒牙光らせる魔獣。
獅子の顔の目玉を失っても、まだ毒蛇の頭が残っている、その間合いは爪や牙にも勝るものだった。
一撃喰らえば馬でも死ぬ猛毒だ。
それが凄まじい速度で迫る。
だがさらに素早く激しいものが、鞭のように撓った。
左手で握った槍を、和尚が捻りながら掬い上げたのである。
ただ突くのみならず、恐るべき速度での攻防にも応じることができる。
柄の打撃で蛇を弾き、一度手早く引いたかと思えば、今度は穂先の突きで、合成獣の足先を地べたへ縫い止めた。
絶叫を上げてのけぞる魔獣は、足を引き抜こうとするが、深々と柄の半ばまで入った槍は、うんともすんとも言わない。
そしてすでに、和尚の踏み込みは、剣の間合いに入っていた。
魔獣の爪躍り、毒蛇はまた翻る。
だが内勁を込めた利刀の斬撃は、魔獣の手首を、蛇の首を刎ね、最後の一撃で獅子の頭も切断。
血飛沫を飛び散らせ、音を立てて魔獣の肉体は崩折れた。
「まあ、こんなもんだろう」
和尚は言いながら、剣をくるりと翻し、弟子のほうへ放り投げる。
受け取った弟子の中級僧は、まだ事態が信じられないのか、呆然として目を見開いていた。
一連の攻防から勝利まで、まさに流れるような動きであり、微塵の迷いもなかったのである。
「おいお前ら、なにをぼけっとしておる。早く起き上がって怪我人の面倒をみんか」
「あ、はい!」
「すぐに!」
勝利の喜悦に浸ることもなく、和尚はそそくさと戦闘後の処理にかかる。
場には魔獣のめちゃくちゃに荒らした街で、一般人の怪我人も、憲兵隊の怪我人もごっちゃになっている。
弟子たちはそれぞれ顔を見合わせて、師の腕前と心配りに感服した。
「さすが和尚様だ……ああも見事に魔獣を蹴散らしてしまうとは」
「ああ。剣も槍も大差ないのかもしれんな。一番大事なのは、あらゆる武器を使いこなす技倆か」
「まだまだ俺たちも未熟だな」
怪我人の世話をしながら口々に言う。
なるほど、真に最強なるものとは、武器そのものでなく、それを扱う名人の腕前か。
青年らは皆一様に、自分の未熟な考えを恥じた。
そのときであった。
――グゥるるるぁああ!
地も震えるような雄叫びと共に、断たれた合成獣の首が、首だけで跳ね上がり、牙を剥いて和尚へ襲いかかった。
なんたる生命力。
いや、魔神に類する存在の持つ、怨念の魔力であろうか。
首だけになっても、敵に食いつき、殺そうと牙光らせる。
視覚を失っても嗅覚は健在、和尚の臭い目掛けて飛び込んでくる。
和尚はそのとき、怪我をした憲兵を抱き上げており、手には先程つかった剣も、槍も、弓も、符もない。
弟子たちには、あっ、と声を上げるより術もなかった。
和尚は抱きかかえた兵士を横へ投げながら、その兵士から掠め取ったなにかを構えた。
右手で握ったそれを、腰のあたりで構え、左手を躍らせる。
刹那――轟音/火花/硝煙。
一度矢で貫いた目玉に全弾命中し、脳髄をぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、今度こそ合成獣の頭部は完全な死を迎えて転がり落ちた。
和尚は手にした武器を、ひょいと目の前に上げ、ふう、と息を吹いて立ち上る硝煙を散らした。
拳銃であった。
都の憲兵隊には最近支給されたばかりの最新式、六連発式の回転弾倉拳銃であった。
和尚はそれを、左手で撃鉄を叩いて起こし、凄まじい速度で連射する扇撃で射ったのである。
至近距離とはいえ、全弾を目玉に命中させる腕前は筆舌に尽くし難い。
一体全体、どこでそんな扱いを覚えたのか。
拳銃は先程抱き上げた憲兵の腰から抜いたのは言うまでもなかろう。
魔獣が死んだのと、弾倉の弾を撃ち尽くしたのをそれぞれ確認しつつ、和尚は一言。
「いやあ、やっぱり拳銃は便利だな。もっと使い勝手がよければ、剣も槍も不要なんだが。いやはや」
などと言われては、あんぐり口を開けて聞くよりなかった。
剣が強いか。
槍が強いか。
弓が強いか。
術が強いか。
答え:拳銃が強い。
いやいや、全て使う坊主が強いか。
考えるほどに意味はなく、その日その場で戦った四人はそれぞれ皆一様に、くだらぬ問答は控えたという。
さもありなん。