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サム・グラウンド  作者: 虎徹
3/6

錆びかけた小さな勇気。ルーク・ストレイシーブ・フェードアルト

魔界の辺境の山奥で出会った。

少年と少女の心が繋がってゆく。

「山から降りちゃいけない理由、わかった?」

リリアが人差し指を口に当てて可愛らしく聞く。ルークは何も答えず不機嫌な顔でリリアを睨みつけていた。

「ねえ聞いてるんだけど!」

リリアが顔を近づけてくる。

ルークは心底嫌そうな顔をして大きくため息をついた。

「お前の言ったことを要約すると、この山もあそこの山の盗賊の縄張りで、降りようとするやつは麓で見張ってる下っ端に見つかってあっという間に奴隷として売られてしまうんだな?」

ルークは乱暴な仕草でここから見える小高い山を指差した。

「そうそう。それと言っとくけど最寄りの町ペルドラマまでは最低一週間はかかるよ。」

リリアは能天気に答える。

「じゃあどうすればいい?俺はこんなやばそうな畑に居たくないんだが」

「我慢しなさいよ、だだっ子じゃあるまいし。つまり貴方にとって一番安全なのはやっぱりここにいることよん。盗賊が違法植物を取りにくるのは一週間後だしその時だけ家のどっかに隠れればいいわ。」

「じゃあここから遠く離れた場所で勝手に暮らすよ!」

ルークは地面の落ち葉を蹴っ飛ばしながらその場から立ち去ろうとする

「あれ〜ご飯は?この山には食べられる木の実なんて落ちてないしなあ〜。あ、布団は?昼はそうでもないけど夜になるととんでもなく冷えるのよお。それに飲み水は?私は秘密の滝壺を知ってるからいいけどお〜」

ルークはまた嫌な顔をして彼女の方へと振り返る。今日だけでシワが増えそうだ。

リリアは大きな瞳をキラキラさせながらニタア〜と顔を歪めた。

・・・くっそ!なんでこんな奴に!

震える足で彼女の方へと向かい、直角90°にきちんと頭を下げる。

「こ、ここにいさせてください。リリアさん

「え、聞こえない!敬意が足りなくて耳が受け付けないわ!」

頭上からのリリアの楽しそうな声。

ルークの怒りによる足の震えが全身に達しった。

「どうかここにいさせてくださいませ!

よろしくお願いいたしますリリア様!」

顔を上げると彼女は眩しい笑顔でとても嬉しそうに笑っていた。

「よし!じゃあ早速収穫の手伝いをさせて上げましょうかねえ」

リリアは見せつけるようにもう一度ニタ〜と笑うと、とっとこ野菜畑(違法植物)の方へと向かって行った。

ルークは歩幅を狭めてちんたらその後をついてゆく。

それにしても違法植物栽培の手伝いだと。

地上でやろうものならたちまち天使治安維持隊にとっつかまってブタ箱行きである。

「・・・母さんがこんな姿みたら狂い死にしそうだなあ・・・」

「ちょっと何のろのろしてるのよ〜!」

畑の方からリリアの声が響いてきた。

ルークは急かされるまま、駆け足でリリアの元へ向かっていった。

二人はあの野菜畑のある斜面へと戻ってきた。バフォメットの角は完全に体液を垂れ流してご臨終していたので、その奥の畑へと足を運んだ。その畑はバフォメット畑と同じくらいの縦横10メートルほどの大きさで、細い枝を組み合わせて作った柵でぐるっと囲んであった。

「よし!ここ!」

リリアは畑の前に立つと仰々しい仕草でルークの方へと振り返る。

「ベルゼブブの卵の収穫!いくよおおお!」

「お〜・・」

とりあえず乗ってやる。

さっきからの馬鹿騒ぎでも少しも疲れを見せないのは驚愕である。

「よし、じゃあこれね!」

リリアは2つあるハサミのうちの一つを渡す。ハサミは繊細な作業をするためか刃先がやけに細く、ピンセットのような形をしていた。二人は脆そうな柵を跨いで卵の前にちょこんと座る。

「よ〜くみててね〜」

その植物は白い円錐の図形を下から3分の1ほど地中に埋めたような形をしており、その先っぽにはハンドボールほどの大きさの粘膜で覆われた袋がくっついていた。粘膜の中には白いゼリー状のものが詰め込まれており、風が吹くと外側の粘膜と一緒にプルプル揺れた。

ソフィアは慣れたようにその粘膜を持ち上げ、円錐の先っぽと白い粘膜の結合部分を見つけ出してちょきんと切る。

「ね、こうすると上手くできるのよ。下側からそうっと持ち上げて・・繋がった部分を探して・・こう!こっちも・・!」

彼女は慣れた手つきでもう2、3個粘膜の袋を収穫する。

可愛らしい顔を誇らしげに変え、袋を両手いっぱいにもってプルプル揺らしながらルークの方へと近づけてきた。

「やめろ気持ち悪い!」

「あっはははは!さあ次はルークの番だ!

良いとこ見せてくれたら惚れちゃうかもよ!」

うるせえと突っ込みを入れた後、

恐る恐る粘膜の袋を持ち上げて先端との結合部を探す。袋は触るとぬっとりと湿っており、少し触れただけで中のゼリー状のものがグリュグリュと蠢き生理的嫌悪を与えてくる。

「・・きもちわり〜・・」

なんとか苦闘していると小さなコリコリとした繋ぎ目を見つけた。

狙いをすましてハサミを慎重に滑り込ませてゆく。

・・・細心の注意を払ったつもりだったがハサミの切っ先が少しそれた。

ゼリー状の粘膜に小さな切り傷が一つ入る。

「あ、やべ」

突如中の液体が凄まじい速度で流れ出し、畑の土壌を白く汚した。

「うおおおおお!」

思わず叫び声をあげた。

ルークの腕にも数滴白い滴が垂れる。

そして、なぜか腕にくすぐったい違和感が走った。

「ん、なんだこりゃ」

濡れた自分の腕に視線を移す

・・・滴はハエの幼虫、ウジだった。地面には何百匹というウジがわき、地面に白い水たまりを作っていた。

ウジの群れは粘膜から今も止まることなくドロドロと流れ出し、数百匹の白い蠢きは周りにびちゃびちゃと水音を響かせた。

・・・全身の毛穴が開き、毛が逆立ってゆくのがわかった。

「ぎゃああああああおおおおおお!」

後転でもできそうな勢いで後ろに飛び上がる。

「あ〜やっちゃった。」

すでにもう2個ほど収穫していたリリアが答えた。

「おま、おま・・お前!こ、こここ!これ!

オエッ!ウエエエエエエエエッ!」

「うん、そうだよ!これがベルゼブブの卵って言う名前の由来。この植物が生えたところにはショウグンバエっていうバカでかいハエがやってきて粘膜の袋に卵を産み付けるの!その幼虫の体液が麻薬の原料になるんだけど。そしてそれは成長して植物の体内の中で無数に繁殖していって・・・どリュリュリュリュリュリュ!」

「ぎゃあああああ!」

彼女はあははと笑った後、何事もなかったかのように作業へと戻ってゆく。

「冗談じゃねえぞ・・・」

ルークは呼吸を整え作業に移るのにもう5分ほどの時間を有した。



時間は過ぎた。頭上の岩盤の花は咲き誇り、朝よりもさらに強い光で畑を照らした。

ああ、今が昼なのだと思った。ちょうどお腹もいい具合に減っている。

ルークは収穫作業を中断して彼女の方を見る。彼女は時間など一切気にせず、顔と髪を汗に濡らしながら作業に没頭していた。

仕方なしにルークは昼飯を捨てた。

・・・自分から言いだすのも悪いしなあ

しかし昼飯と同じようには、先程から頭の中に芽生えている疑問は捨てきれなかった。

彼女は一体何者なのだろうか.。

よく考えずとも分かることだが、こんなへんぴな山奥で違法植物を栽培していることはどう考えても可笑しい。いや笑えないのだが。

しかも一人でだ。両親はどうしたのだろうか。考えるほど疑問は頭の中で渦巻き、やがて好奇心という抑えきれない衝動となってルークを急かした。

「お前、なんでこんな植物なんか作ってるんだよ。収穫した後どうなるんだ?」

ルークは我慢できず笑いながら聞いた。

彼女の性格上、笑いながらネタも交えて答えるものと思っていた。

しかし、遠目からも明らかに彼女の顔が哀しげに変わったのが見えた。

「さあ、私の植物がどうなるのかは知らないけど・・きっと巡り巡って誰かの天奉金にでも当てられてるんじゃないのかな」

彼女は静かに答える。

「そうなのか・・・」

ルークは申し訳なさからすぐに彼女の仕事を減らそうと作業へと戻った。

・・・天奉金、か

ルークは一つ、少し慣れた手つきで卵を収穫した後、その言葉に考えを巡らせた。

天奉金とは読んで字の如く、悪魔が地上の天使達へと支払う税金のことである。

それは植物であったり、鉱石であったり、

はたまた紙幣や食物であったりと地上の需要と地下の風土の違いによって内容は変わる。そしてそれは年に何度か地上から地下へと降りる役人達によって回収されてゆく。

学校では、はるか昔に天使に敗北した悪魔に科せられた言わば懲罰のようなものであると教えられていた。

しかしルークはある日、長兄に弟への説教も兼ねて食事の場で聞かせられたことがある。

「いいか、ルーク。俺は一度士官学校の研修で地下の天奉金の回収に付いて行ったことがある。知ってるよな?地下の一つ一つの町を回って金を回収していくんだが・・。払ってねえ奴、払えねえ奴ってのはこちらのリストに載ってるもんだ。

それで・・・まあ行くかどうかってのは上官次第なんだが、すぐに帰りてえって人もいるけどな。大抵リストに載ってるやつの住所を突き止めて徴収してゆく。払えねえ奴は収容所いきさ、昼も夜も区別がつかないほど働かせる。地下にも貧富の差はあってな。中心街のママルガムやその周辺の町は大抵全員払ってるんだが・・

ひでえのは農村部の連中さ。

不作の時はほぼ全員が払えねえから村一つ回収のたびに消えるってのもしょっちゅうある。

だが収容所にもやはり人数の限界はある。

どうすると思う?住民どもにとってはまあ賭けだな。不真面目な回収人だったら見逃すってのもあり得るが・・。

真面目な方なら、銃殺さ。口減らしにな。

俺の時はクソ真面目な方で困ったよ。一体何人の死体を俺達で処理したかわからない。

死体はまるで石ころさ。

あれだけ泣いて、騒いで、子供達だけはと叫んでた奴らが引き金一つ引いてくだけで・・なんも言わない。ウンともすんともな。」

そう言って長兄は不気味にニヤついた。

ルークは誇らしげに話す兄の話を聞いてそれが懲罰とは思えなかった。

それは罰という垣根を飛び越して、暴虐。

心の一番醜い感情にのっとった行為にも思えた。

・・・リリアは悲しげに話を綴る。

ときおり、乾いた笑いをあげながら。

「父と母と私。お父さんは有名な考古学者で、私が小さい頃にここに越してきたらしいんだけど。3人で暮らしてたわ。でも、別に幸せともその時は思えなかったわ。だって毎日なんも変わらないもの。そりゃあ誕生日とか楽しいこともあったけど・・・父も母も優しかったけどね。別にこのままなんてこともなく大人になってくんだろうなって漠然と思ってた。

・・・でも、3年前のある日母さんが病気になっちゃって。父さんはその時に過去の文献がどうちゃらで家にいなかったの。

もうどうしようもなかった。医者を呼んだけど不治の病いだって・・・。

結局母さんは二週間後に風邪を拗らせて死んじゃったわ・・・。」

リリアは関を切ったように話す。ずっと誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

「は、話すの下手でごめんね!

でもっ・・何もわかんないじゃん!何で母さん死んだの!父さんは!?どこに行ったのって!私、母の遺体を家の外に埋めて、父さんの帰りを待ってたわ。納得いくまで、問いつめるつもりだった。なのに結局父さんは帰ってこなかったわ。

・・・代わりに来たのは盗賊だった。」

リリアはハサミを強く握りしめて俯いていた。声が震えていた。

「この山は俺たちの縄張りにするからどけって。そんなことを言ってきたわ。嫌だって言ったら代わりに違法植物の栽培を命じられたの。たとえ治安維持隊に知られても容易に切り捨てられるからいいって・・・。そんな理由。

最初に来た時は収穫量が足りないって数発殴られたわ。だから、私。母さんのお墓の上にもケシを植えたの。本当に、親不孝だわ。」


リリアはハッと気づいたようにこちらを向いた。

「あは、アハハハッ・・や、やめよ!この話

湿っぽくなっちゃったからやめ〜!

終わり!終わ〜り!アハハハハッ」

暗い空気を吹き飛ばすように笑いだす。

ルークは何も言えずただ唇を噛んで俯いた。

それでも足りず、より強く唇を噛む。

皮が破れ、血が滲んでズキズキと痛んだ。

自分への罰だと思った。

・・・何やってんだ俺。

ルークは自分の無神経さを深く後悔した。

思えば彼女の先程の馬鹿騒ぎも、違法植物の栽培を誇りに思ったような言動も、自分の不幸を笑い飛ばすことも、一つの強がりと言えた。

山奥で一人家族を失い孤独に暮らす、無力な少女の精一杯の強がり。

「リリア・・・ごめんな」

「いいの、作業を続けましょ!」

リリアはまたあははと笑った。

彼女の笑顔の裏に隠された悲しみに、胸がキリキリと痛んだ。


ー夜ー

時間のことを気にしてたわけではない。

ただ、よく袋と円錐の結合部が良く見えないと思っていたらいつのまにか夜が来ていた。

岩盤の天井を見る。かろうじて花が見えた。

昼間あれだけ咲き誇っていた花は今は成長の逆再生をしたように蕾へと変わっていた。

「夜が来た・・・んだな」

「本当だ・・・気づかなかったな。まあ普通の事じゃん。時刻花は夜になったら閉じるものでしょ?」

自分が魔界の出身という設定も忘れていて、そうだなと適当に相槌を合わせる。随分と長い時間、魔界にいたような気がしたがまだ一日しか経っていないのだ。

「ベルゼブブの卵、入れようよ。大体今日の収穫量だとこれくらいかな。」

リリアはあらかじめ用意しておいた古ぼけた籠を持ってきた。縦は上背185cmの自分の腰あたりまでの大きさ。入れ口は大きく普通の座椅子くらいならすっぽりと入りそうだった。

二人でポイポイと卵を投げ込んでゆく。

ちょっとの切り傷だけでも中身が溢れるのに大丈夫なのかと聞いたが意外に切り傷以外の衝撃には強いらしい。

10分ほど格闘して籠に詰め込んだ後、改めて畑をみる。

ベルゼブブの卵は見事に全ての円錐状の植物の上に復活していた。リリアが言うにはとってもとってもまた生えて来て、一つにつき平均40個ほど取るとじきに枯れてゆくらしい。

今日の収穫量は休憩を入れて280個ほど。

生えているのは14本ほどなのでおよそ半分収穫したことになる。

「お〜い!重いから運んでよ〜」

リリアの声がして振り向く。彼女は前と同じように眩しい笑顔をしてこちらに手を振っていた。

・・・それが作り物なのかどうなのかはまだわからなかった。

ルークは彼女の元へ走り出す。

ルークは籠を担いで、リリアはその横。

「私、ご飯の準備してるから風呂焚きお願いね。あと電気の節約もしたいからご飯食べたら先にお風呂入っちゃって。」

「俺が先に入っちゃってもいいのか?」

「いいよ、私が先に入ったら残り湯全部飲んじゃうかもしれないじゃん。」

「んな事するか!」

彼女はまたあははと笑った。

まるで夫婦のような会話をしながら、

暗い山道を二人は歩き始めた。



「っはあ〜///」

ドラム缶に並々と入れられたお湯の中に入っていると体の疲労と一緒に体まで溶けていきそうな感覚に襲われ思わず声が漏れた。

食事もとり、胃袋もハーブ(合法)の効いた温かなスープで満たされている。決して豪華とは言えなかったが、こんな魔界の辺境で温かな食事にありつけるだけでありがたかった。

周りを見渡たす。虫の声響く静かな夜の森。繁華街の光と人々の声が響くあの地上とはえらい違いだ。

静かな森の雰囲気に誘われるように、目を閉じ、今日1日の出来事に思いを馳せる。

先程からこればかり繰り返していた。

やはり、気になるのはリリアのことばかり。

「あいつ・・・あんな過去があったなんて・・・気づかなかったな。」

目を閉じると作り出される薄暗い闇にいつも明るく無邪気に笑うリリアの顔が悲しみに陰った。

聞くのも辛い悲痛な声でこちらに語りかける。


「(本当に親不孝よね・・・私。)」


「(だってよくわかんないじゃん!何で母さん死んだの!父さんはどこいったのって!)」


耐えられなくなって拳を思いっきり風呂の水面に叩きつけた。

「・・・俺のバカ野郎」

もう、上がろう。随分と長い間たってしまっている。彼女も早く寝たいだろう。

古ぼけたタオルで体を拭いた後、彼女が貸してくれた父親の寝間着に袖を通しルークは部屋へと歩き始めた。

部屋に戻っても中は外と同じく真っ暗だった。ルークは壁に手をスイッチを手探りで探し出す。

明度の低い光が窮屈な部屋を照らす。

さっきまで二人で食事を取っていた古ぼけたテーブルに彼女はまだ座ったままだった。

「リリア〜?上がったぞ」

返事はなかった。疑問に思い近づいてゆく。彼女は自分の腕を交差させて作った枕に顔を埋めて、小さな可愛らしい寝息を立てながら静かに寝入っていた。

ルークは優しく微笑み、クローゼットから小さな毛布を引っ張り出して肩にかけた。

「お休み、リリア。今日はありがとな。」

ルークは部屋の電気を消すと、そのまま外へと出る錆びかけたドアに手をかけた。


(リリア〜ご飯よ〜)


(今日のご飯は何!?)


(今日は子豚のフルーツソースがけと、ほうれん草と卵のソテーと、パンとスープよ)


(やったあ!お肉だ〜!)


(こらこら、リリア。ちゃんと手を洗いなさい。)


(うん!)


(うん!リリア手をあr)



・・・家族の日常は脈絡なく打ち切られた。

ハッとして飛び起きると

肩にかけられた毛布がすると落ちてゆき、椅子は鈍い音を立てながら床へと転がった。

はあはあと呼吸を荒くしながらまだぼやける視界で見慣れた部屋を見渡す。

いつのまにか窓に塗られた夜の闇は消え、柔らかな日差しとなって薄暗い部屋を照らしてゆく。

いつのまにか、朝が来ていた。

胸に手を当て、呼吸を落ち着かせながら冷たく滲んできた額の汗を拭う。じきに不快さが消え、それとともに徐々に意識が覚醒してゆく。

・・・また、この夢だ。

もうずっと前からこの夢ばかりを見ている。

家族の夢だ。3人で仲良く手を取り合って暮らしていた眩しかったあの頃。

時が経つと慣れると思っていた、この孤独もいつか受け入れられる日がくると思っていた。

しかし、現実を過ごすたびに濃くなってゆく孤独という闇に比例してゆくように、眩しかった思い出は夢の中でより強くその姿を見せつけてくる。

「あはは、あっははははは」

目に涙が溜まってゆくのを遮るように彼女は笑った。乾いた声でも笑った。

もうクセになってしまった辛い時に笑うのは。

「そういえば、昨日は一人じゃなかったなあ・・・ルークがいた・・」

譫言のようにその名前をつぶやいた。

ある日突然、家の近くに落ちてきた。

背もすらっと高くて、それでいてとてもキレイな顔をしたカッコいい同い年の男の子。

目は忙しなくその姿を探してゆく。

しかしその姿は見当たらない。不穏の考えが頭の中に浮かんできた。

もしかしたら妄想なのかもしれない。

孤独な自分が作り出した空虚な妄想なのかも。

いてもたってもいられず、錆びかけたドアを蹴破って彼の姿を探してゆく。

「野菜畑に行こう!彼と一緒に作業をしたあの畑へ!」

地面の落ち葉を散らかしながら走ってゆく。

ぬかるんだ地面に足を取られても、木の根に躓いてこけても、あの畑に向かって走り降りてゆく。

「妄想なんかじゃないよね。

そこにいるのよねルーク!」

枯れたバフォメットの畑を踏み荒らして、ベルゼブブの卵の畑へと彼女は走り出す。

・・・彼はいた。

今まさにベルゼブブの卵の収穫の途中だった。

「よいしょっと・・・やっと終わったあ!

リリア喜んでくれっかなあ・・・あ、リリア!」

彼は私の方を見て誇らしげに笑った。

よく見るとパッチリとした子犬のような目の下には不健康にクマが出来ており、体は何時間も作業をしたよう汗でビショビショだった。

「ルーク、一体何して・・・」

よく見ると彼の後ろのカゴには昨日使ったのと同じ収穫用のカゴがあり、その中は白く光る粘膜の袋でいっぱいになっていた。

私は驚いて声を上げた。

「ひょっとして、一晩中収穫してたの!?」

「ん、ああ・・・。暇だったからな!別になんてこたあねえよ!」

彼は宿題を早めに終わらせた子どものような純粋な笑顔で笑った。

それがやけに眩しくて、妙に可愛くて、心臓がドキンと跳ねた。

彼はきっと昨日の私を心配してくれて一晩中頑張ってくれたのだ。一睡もせずに。

「それよりもリリア!今日は収穫終わったからサボれるぜ!何して遊ぶ!?」

「そうね!ここから1kmほど歩くと滝壺があるの。そこで水遊びでもしよう!」

「よし来た!」

彼は行き先も知らないのに私の手を握って引っ張って来た。

私たちは落ち葉の山の斜面を駆け上がってゆく。あの頃のような温かな幸せが、私の中に満ちてゆくのがわかった。


ー-ー

そこから俺とリリアはいろんな話をした。


昼は一緒に農作業をして、夜は同じテーブルで食卓を囲み、くだらない話に夢中になった。そこから風呂に入って、寝て。


また起きて、農作業をして、ご飯を食べて。


4日目の食事は子羊の肉が出て嬉しさに飛び上がった。


そんな永遠にも思える日常を繰り返していたら。


いつのまにか一週間が過ぎようとしていた。


「・・・よいしょっと!これで全部か?」

「バッチグー!素晴らしい!」

窮屈な部屋の中にはこれでもかと魔界の違法植物達が敷き詰められていた。

ケシに、ベルゼブブの卵に、アゼザルの指。

大麻にマリファナ。

地上でも有名な覚せい剤の原料達もあった。

治安維持隊がこの中に入って来たら驚きなあまり家から飛び出して山の斜面を転がってゆきそうなほどだ。

自分達の一週間が今ここに並べられていた。

「よし!ルーク。そろそろ隠れなよ!」

リリアが時計を指差して急かしてくる。気づけばそろそろ盗賊達が来る時間帯であった。

「隠れるってどこに?」

「ここ、ここ!」

リリアが誇らしげな顔で扉を開く。

隠れ場所はクローゼットだった。

クローゼットの中にはリリアの私服の他に父親と母親の服がごちゃごちゃに詰め込まれており、外からはよく中が見えないようになっていた。

「ここは中から鍵がかけられる仕組みでね!ずっと息を殺して隠れてたら問題ないよ!それにもし見つかったとしても・・・。」

リリアはクローゼットの板を一枚外すと、隠されていた扉が姿を現した。なるほど、ここから逃げれば確かに安全である。

「はい、カギ!さあ早く入って!」

リリアが背中を押して急かしてくる。いざ足をかけ中に入ろうとした瞬間、ルークはなにかを思い出した。

急いでシングルベットへと走って行き、その下へ手を伸ばす。確かここに入り込んでいったはずだ。

「なにしてるの!?早く!」

「わかってる!ちょって待て!・・・あった!」

リークは腕をさらに奥の方へと伸ばし、白い小さな球体を引っ張り出した。

ルークをここに連れてきた張本人。

一週間も放置していたため、薄くホコリをかぶっている。

「なにそれ・・・いやそれよりもはやく!」

リリアが声を高くして急かしてくる。

「大事なものだ・・・わかった!」

ルークはポケットの中へと球体をしまい、急いでクローゼットの中へと滑り込む。

「ちょっとの時間。さよならだね〜」

「・・・リリア!ちょっと待て!」

急いで扉を閉めようとするリリアを制してルークは叫んだ。リリアはキョトンとしてこちらを見つめてくる。

「どうしたの・・・?」

「リリアッ!そのっ・・・!!・・なんでもない。」

リリアはしばらく硬直していたが、変なルークと笑ってクローゼットを閉めた。

クローゼットの中は一気に暗くなり、自分の手が見えるのがやっとな程だ。

ルークは暗いクローゼットの中で小さく歯噛みした。

何かあったら、俺に任せろ!と、どうしても言えなかった。

5分ほど経つと、家の中に馬のいななきと蹄の音が響きだし、それはどんどんと近づいて来た。ルークは外の様子を伺うため、わずかな光が漏れる小さな穴に目を引っ付けた。

外にはリリアが見えた。落ち着かないのか手を交差させ、椅子に座り俯いている。

やがて馬のいななきが一層強く響き、蹄の音がやんだ。

錆びたドアを蹴破って男の3人組が入ってくる。どれも人相の悪い顔と、屈強な肉体をしていて、腰には銃やナイフなどの武器を持っていた。

ルークは思わず恐怖で唾を飲み込んだ。

「あ、お疲れ様です!これ今日渡す分、確かに揃えました。」

リリアが盗賊に話しかける。

リーダー格のような男がなにかを二人に命じて、二人は違法植物の入った鍵を物色してゆく。やがてそれも終わるとリーダー格の男は静かに答えた。

「なるほど、確かに受け取った」

「よかった〜。はい、わかりました!」

リリアとルークは同時に胸を撫で下ろす。どうやら無事に終わりそうだ。

「おい、リリア。」

リーダーの男は続けた。

「お前はもう植物を栽培しなくてもいい。」

「え・・・。」

「俺たちのボスがくたばってな。近くの山からアジトを移すことになった。よってここも用済みというわけだ。」

リリアは口をパクパクさせたままただ頷く。

何を言っているのか把握できないといった様子だ。

「リリア、俺たちの違法植物の販売はいわば副業だ。本業は人身販売。俺が言いたい意味、わかるか。」

リーダー格の男が邪悪に笑う。取り巻きの二人も呼応するように笑い出した。

「リリア、お前を買いたいっていう金持ちが見つかった。そうとう素晴らしい趣味の持ち主でな。今まで買ってきた女の子の手足を千切っちゃったから新しいのをくれって連絡が来たんだ。一人、茶髪の上玉がいるって伝えといたよ。」

リリアの可愛らしい顔が恐怖で歪んでいき、叫び声を上げながら逃げようとするのを取り巻きの二人が羽交い締めにして阻止する。

「いや!いやだ!離して!売られるなんていや!そんなとこになんていきたくないわ!離せ!離せええええ!」

「うるせえぞ!」

リーダー格の男が拳を握り、リリアの顔を殴りつけてゆく。骨と骨がぶつかる鈍い音が響き渡った。

鼻からは血が吹き出し、口の中を深く切ったのか、リリアの口からは濁った血が唾液と混じって床をボタボタと濡らしてゆく。

「(あの野郎リリアの顔を!)」

ルークは怒りを滾らせクローゼットを開け放とうとする。

・・・体が動かない。ただ、全身が恐怖に侵され、無様に震えるばかりだった。

「ちょっとヤバいっすよ!セッツさん!殴るんなら服で隠せる腹とか!」

「構わん。うちの団に回復魔法使える奴がいたろ。そいつに治療させる。」

セッツは白い歯をむき出しにして邪悪に笑った後、髪の毛を引っ張り上げリリアの顔を上に向かせる。

「お願い、助けて・・・。お願いします。

お願いします。お願いします。」

リリアの顔は恐怖に歪み、泣きながらただ命を乞うばかりだった。

セッツは顔を醜悪に歪ませ大声で叫ぶ。

「リリア、俺たちが本当にお前みたいな奴生かすと思ったのか?両親もいねえ。知り合いもいねえ。こんな山奥の中でただ孤独に!仙人みてえに生きてるガキ!こんな有益なゴミ他にいるか!?ハハハハハ!」

盗賊3人はリリアの顔を踏みつけ大声で笑った。

・・・こんなのが許されていいのかよ。

行け!行けよ!ルーク!

リリアを助けるんだ!

奴らの顎を得意の空手で砕き!彼女を助けるんだ!

何度もクローゼットの壁に手を当て、開け放とうとする。力が入らなかった。

死への恐怖で腕が震えてゆうことを聞かない。

情けねえ。クズだ!ほら、行けよルーク!

しかし足が震えて立っていられなかった。

最大限音を立てないように注意深く座る。

何やってんだよ俺、バカみてえだ。

さあ行くぞ!ルーク!

震える足に力を入れて立ち上がって開け放とうとする。

・・・どこからか声が聞こえてきた。

懐かしい声。父の声だ。

「あいつはダメだ。使えん。」

はっきりと聞こえてきた。

空手大会で負けた時に言われた言葉だった。

違う!父さん!俺はリリアを!

「あなたなんか産むんじゃなかった!」

この恥さらし!」

またはっきりと、母さんの声だ。

違・・う!母さん、俺、俺は!

「お前また一位じゃなかったんだってな

てめえ士官学校でも家の顔を潰すようなら・・・マジで殺すからな」

兄の声。今まで言われてきた侮辱の言葉がルークの頭の中に響いてきた。

「無能」「恥さらし」

「ゴミ」「面汚し」「使えん」

「ウジ虫」

俺・・・は。

・・・ルークは動けなかった。

震える足を折り曲げて、最大限音が出ないように座った。

そのまま膝を抱えて震えながら俯く。

・・・すまんリリア・・・

俺には、無理だ。

俺は無能なんだよ。ゴミなんだ。

どうせ盗賊にも勝てやしねえ。

立ち向かう意気地さえないんだ。

だから俺は、

ただ流されるままにあの屋敷に居たんだ。

・・・ずっと。ずっと。ずっと。

立ち向かうのが怖かった、家族にも。周りにも。

俺はここで盗賊が去るのを待つよ、リリア。

すまん。本当にすまない!

俺なんかには、無理なんだ。

父さんや、長兄や次兄じゃないと無理なんだよ。

俺は使えないから、ゴミだから。

・・・ッ!・・君と会えて、本当に良かった。リリア。

リリア・・・!

ルークはもう一度震える足で立ち上がり、小さな穴からあちらの世界を覗いた。

リリアは今まさに運ばれようとしていた。

さらに痛めつけられたのか顔に青黒い痣をいくつも作っていた。

3人組に縄で縛られたまま、

リリアがゆっくりとこっちを向いた。

ルークとリリアの視線がぶつかる。

彼女はゆっくりと、声を出さずに、口の動きだけでこう言った。

「げ・ん・き・で・ね」

そういって、恐怖を隠したぎこちない笑顔で笑ってみせた。

・・・死ね。死ねよ俺。

もう死んでしまえ。

ルーク・ストレイシーブ・フェードアルト。

彼女を守るために、死んでしまえ。

全身の震えが止まった。涙も拭った。

前を見る。ただのクローゼットの扉が、

あの屋敷の自室のドアに見えた。

思いっ切り蹴っ飛ばし、外の世界へと。

錆びかけた小さな勇気を抱いてルークは飛び出した。

「ちょっと待てこのやろおおおおおおおおおおおおっっっ!!!」

窮屈な部屋に少年の勇ましい声が響き渡る。

リリアは目を丸くして彼を見つめていた。

盗賊達もゆっくりと振り返る。

「おいおい一体なんだよこりゃ・・・

リリアお前・・男連れ込んでたのか」

セッツの呼びかけとともに取り巻きの二人が腰に付けたナイフを抜いた。

無機質な白い刃が光を照り返して不気味に光る。

「おい小僧。まさかリリアとヤってねえだろうな。こういう商品ってのは処女じゃねえと・・・価値が下がっちまうんだよお!」

セッツの蹴りがリリアの腹に入った。

彼女が低い呻きとともに床に崩れ落ちる。

ルークの中で何かが弾けた。怒りの咆哮とともに奴らに突進してゆく。

「てめええええええええええ!!!!」

取り巻き2人の突き出したナイフを両腕の皮一枚いなしつつ躱す。

勢いそのまま前足に体重を移動させつつ、威力が逃げないように脇を締めて拳を繰り出す。渾身の下突き。鈍い音とともに取り巻きの一人の鳩尾に鉄拳がめり込んだ。

呻きとともに一人が床へと倒れこんでゆく。

てめえよくもと後ろからナイフが突き出されるのを身を翻して態勢を立て直す。

顔に鋭い痛みが走った。交わし切れずに頬を切られたらしい。

ルークはそのまま足を振り上げる。

運が良かったのは一人を空手の下突きで倒したのでもう一人が下の方に注意を向けていた点であった。盗賊は狙いが外れルークの振り上げた足を見て硬直した。

インパクトの瞬間、腰を支点に上半身を反らせて足を落とす勢いを瞬間的に高め、相手の額に向けて思いっきり振り下ろす。

踵の骨と額の骨がぶつかって鈍い音を立て、盗賊は崩れ落ちた。

「ルーク!」

リリアの悲鳴が響いた。

慌てて後ろを向いてももう遅かった。

「グハッ!」

後頭部に凄まじい痛みが走り、思わずうずくまる。

「よくもやってくれたなあ〜!王子様!」

セッツは邪悪に笑い、手に持っていたハンマーを投げ捨て、ルークの上に馬乗りになる。

逃げようとしても足で体を固定されて動けなかった。そのまま馬鹿力で顔を殴られる。

骨と骨がぶつかる鈍い音がいくつも響き、顔に凄まじい痛みが走り続けた。口の中は切れ、鼻は折れ、鉄の味が口一杯に広がってゆく。

「お願い!許してよ!その人だけは!

私ついて行きますから!もうやめてください!」

「黙れ!こいつを殺したら今すぐ連れってやるよ!」

リリアの悲痛な声をセッツは遮り、セッツは殴り続けた。

「(終わった・・・。いや、まだだ)」

気がつけばルークはポッケの中に球体に手を伸ばしていた。

もう、こいつにかけるしかない。

手探りで球体に付いているボタンを押した。

頼む、答えてくれ。

頼む。頼む。

彼女を救いたいんだ。

お前がここに連れてきてくれたんだろ?

彼女を救い出すチャンスを俺に与えてくれたんだ。

頼む!・・・答えろ!応えろ!応えろ!

「答えろよ!彼女を救いたんだ!頼む!」

「なに訳のわかんねえこと言ってやがる!」

セッツは気づけば黒光りしているダガーを手に取り、彼の腕が届く範囲ギリギリまで振り上げていた。

「あばよ、一発であの世に送ってやる。

まあリリアも一年後くらいにはそっちに行くからよ。寂しくねえだろ?あばよ!」

ダガーが振り下ろされる。セッツの顔の表情が愉悦に歪んだ。

ルークは思いっきりポッケの中の球体を握りしめ、最期に叫んだ。

「応えろおおおおおおおおおおクソボールッ!!!!!!」

「あいよ!」

壮年の男のような声が響いた。握りしめた手がやけに熱い。視界が凄まじい光に満ちた。


・・・気がつくとルークは立ち上がってい

た。ハッと気づいて周りを見渡す。

盗賊達の顔が見えた。どれも恐怖に歪んでおり、先ほどの威勢の良さのかけらもない。

よく見ると部屋はバリバリと裂けたクレバスのように真一文字に切り裂かれ、向こう側の森が切り口から見えた。切断面は森までも達しており、巨大なバーナーの刀で切ったかのように地面は焼け焦げていた。

自分の右腕を見ると、淡く光を放つ鋭い光剣が握りしめられていた。

まるで学校で習った大昔の天使の武器のような、そんな神々しい光だった。

「俺がやったのか・・・これ?」

ルークはやるべきことを思い出し、光剣を振り上げ、盗賊達に告げる。

「二度とリリアに近づくな!わかったか!」

「ひ、ひいいいいいいい!」

盗賊達はその言葉を待っていたかのように堰を切ったように逃げ出し、錆びかけたドアを蹴破って出てゆく。外の馬が先ほどの騒ぎで逃げ出したのを悟るとそのまま恐怖で叫びながら森を降っていった。

ルークはそのまま膝から崩れ落ちた。

今更、死への恐怖で足が震えてきた。

光剣は床へと落ちると、そのまま体をガシャガシャと組み替えながら元のあの小さな球体へと戻った。

「お、お前は一体・・・」

ルークは球体の方へと目をやり聞いた。

「まあ〜俺からも色々言いたいことはあるけどよ。とりあえずいいや。邪魔しちゃ悪いしよな」

「邪魔?」

「ルーク!」

リリアが胸の中へと飛び込んでくる。可愛らしい顔は青黒い痣だらけでポタポタと血を流している。リリアの縛られていたはずの縄は切られて解けていた。あれほどの攻撃をしたにも関わらず彼女は無傷だったのだ。

「よかった無事で。本当に良かった・・。」

「こっちのセリフだよ・・・リリア。」

お互いの体を固く抱きしめあう。

ずっとずっと離れないように。

彼女の体温も鼓動も、強く感じられた。

ああ、彼女は生きている。

ルークはずっと胸にわだかまった思いを伝えるため、覚悟を決めた。

精神を集中して、肩の辺りに力を込める。

突如、ルークの肩の辺りが沸騰するように膨らみ、そこから柔らかな羽毛を含んだ美しい翼が生えた。ルークはその翼を使って彼女をより強く抱きしめる。

「え、ルーク・・・?この、翼・・・」

彼女は驚いたように目を見開いた。

二人は体を離して向き直る。

「リリア、俺は・・・天使だ。

騙してごめん。嫌いになったかな。

でも、・・・これ以上嘘をつきたくなかった。」

「ううん、天使でも。悪魔でも。

ルークはルークだもん。変わらないよ」

リリアはその言葉を素直な響きで答えた。

「ありがとう・・・顔は大丈夫か?」

「え、ああ・・・随分殴られちゃったね。

あっハハハハハ!私回復魔法は使えるけど。下手だからな・・・ちゃんと治るかな。」

彼女はそういってぎこちない笑顔で笑った。

ルークはいたたまれなくなってもう一度彼女を抱きしめた。

もう、彼女にも嘘をついて欲しくなかった。

「リリアも・・・もう、嘘をつくのはやめてくれ」

「え・・・」

さらに強く抱きしめる。二人の体が密着して一つになりそうだった。

「もう、辛い時まで笑うのはやめてくれ。

もういいんだ。俺でよかったら、辛い時は一緒に泣かせてくれ。そして本当に楽しい時は一緒に笑おう。」

「ルーク・・・」

そういって彼女は一つしゃくりあげた。

「ルーク、私、寂しかった。」

「ああ」

「・・お母さん、死んじゃった。」

「・・・お父さん、も」

「ごめん、辛い思いさせて。」

「・・・・・お母さん!・・・お父さん!

ううッ・・・ヒック」

彼女はもう一回大きくしゃくりあげると、

ルークの体に顔を埋めて大声で泣きだした。

隠していた感情が津波のように押し寄せ、それは涙となってとめどなく少女の目から溢れた。窮屈な部屋に少女の悲痛な泣き声が響き渡る。少年もまた我慢しきれず、声を上げて泣きだした。





「ルーク、遅いよ!」

「わりいわりい手間取っちまって、

・・・ってほぼお前の荷物だろ!」

ルークの上には時刻花の光があった。

下には落ち葉の地面があった。

家の周りには収穫され尽くしたケシがある。下を見下ろすとわずかに見える植物畑には枯れたバフォメットの角とベルゼブブの卵があった。

もう一度二人はお互いの顔を見る。

昨日の騒ぎが嘘のようにお互い綺麗な顔をしていた。リリアの回復魔法をあのボール、名前はアルファードというのだが、彼が手伝ってくれたおかげだ。

「リリア、あの日記と水晶玉はちゃんと持ってるのか?」

「え、うん。これね。」

リリアは古ぼけた厚い日記帳とともに、ソフトボールほどの大きさの小さな水晶を取り出した。水晶は紫色に煌めき、中を覗くと中心部分には煙のようなモヤが旋回するように蠢いて怪しい魅力を放っていた。

ルークとリリアはあの後、お互いのやりたいことを決めた。

リリアは前に見つけた父の日記帳を辿って行って、父の消息を知りたいという事。

ルークは地上から不思議な力でこの魔界に来たこと、そしてこれからもリリアを守っていきたいことを話した。

父の日記はちょうど家から出た前日の日付を最後に終わっており、自分のこれからの旅路を大まかに記してあった。そして水晶を肌身離さずに持っていてほしい事。誰にも渡さずに守って欲しいという旨が書かれてあった。

日記によると山を下って

最寄りの町、ペルドラマへ。

少年と少女の旅が始まろうとしていた。

「よし、もう行きましょ!あのクソ親父!

絶対見つけて頬ひっぱたいてやるわ!」

リリアはそう言って眩しい笑顔で笑った。

もう何の偽りもない。そのままの彼女がそこにいた。

「よっしゃ!俺もいつか家に帰ったら・・。

絶対頬を張ってやる!クソ親父にババア!

クソ兄貴にもタイマンはって地べたに這いつくばらせてやるぜ!」

ルークも大声でそう宣誓した。

「(そういつかな・・・)」

リリアとルークは二人で山を下り始める。落ち葉の地面を蹴って、木の根を飛び越えてさらにその下へ。下へと降りてゆく。

「・・・ルーク!ちょっと止まって!」

先を行っていたルークをリリアが呼び止めた。何だろうと振り向く。

リリアは可愛らしい顔を赤く染めて俯いていたが、やがてルークの方へ歩み寄り、赤い顔を近づけてきた。

近づいて見ると髪は見事のツーサイドアップ。パッチリとした子犬のような瞳は髪と同じく見事な茶色をしていた。

鼻も小さく、口はまるで小さな花の蕾のよう抜群に可愛い美少女だった。

・・・彼女の唇とルークの唇がそっと触れる。

数秒、虫の鳴き声が聞こえなくなった。

「ハイ終わり!さあ行きましょ〜!」

彼女は顔を真っ赤に染めたまま俯きながら山を走り降りてゆく。

ルークは硬直して動けなかったが、やがて熱をもった唇から火照りがどんどんと顔中に広がっていった。

「あ〜あ、モテるねえ相棒。

こりゃ旅の途中でもう一人増えちまうかもな!」

貸してもらった父親の私服のポッケからアルファードが目をパチクリさせてからかうのを布ごしから殴りつけて黙らせる。

「違う!きっとあれは・・・あれだ!

魔界の挨拶かなんかだ!」

ルークはそう言い聞かせて走り下りてしまった彼女の後を追いかけてゆく。

ルークはふと、空を見上げた。

時刻花は今までよりはるかに眩しい光で輝いているように見えた。

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