第2話
静謐な空気が漂う洗練された空間。壁の一切が白で染められ、そこには一目見れば素人でも魅入ってしまう程の美しさを誇る絵画が等間隔に何枚も飾られていた。
かといってここは美術館という訳ではない。床に敷かれた赤い絨毯は遠く先まで伸びており、見る者を圧倒させる荘厳な雰囲気を醸し出していた。
ここは魔王城最上階。魔王、あるいは八議席に座する者か、親衛隊のみ立ち入ることが許される最高権力の密集地帯となっている階層だ。
八議席の中でも特に大きな規模を誇る“軍部”、その上位に位置する大隊長でさえ恐縮してしまうと言われる場所であり、只の上官職では踏み入る事さえまず無いだろうとされる場所であった。
が、
「ダイロォォォォォォオス!!貴様また注文と違う効果の魔法陣を作りよったなぁぁぁぁぁぁ!」
とそのような事は些事に過ぎぬと歯牙にもかけず、あろうことか怒鳴ってまでみせる男がいた。
オルタナ。八議席“軍部”の席長を務める最高幹部であった。
しかし、この大砲のような爆声が響き渡っているにもかかわらず、廊下を覗き込むような者は一人としていない。何故なら
(くそッ、アイツはどこだ!今度という今度はもう許さん!奴の研究室もろとも丸ごと潰して二度とフラスコを拝めなくしてやる!)
もはや恒例行事のとなっているからだ。事あるごとに響く爆音は既に魔王城の日常のうち
であり、最初は事情を聞いて仲裁していた者もとうの昔に匙を投げてしまった。
要するに他席長を含めた幹部全員が諦めてしまったのだ。今頃は皆耳に耳栓でも詰めているだろう。
「ダぁぁイぃぃロおぉぉス!早く出て――」
「何だい?騒々しいねぇ。他の休憩中の部下への気遣いくらいできないのかい。仮にも軍のトップなんだろう?」
呼び出しを遮った上に自分のミスを棚に上げて意見までしているこの男。黒髪黒目の爽やか眼鏡、名をダイロスという。魔国屈指の技術者であり、国で代々運営されてきた魔法研究機関の研究チーム、八議席の“研究”の席長を務めるものだ。そして事あるごとにオルタナを怒らせている張本人であり、多方面から常に恨みと羨望の眼差しを向けられている。
「貴様!またこちらの都合も考えずに違う設定の魔法陣をよこしおって!これで一体何度目だと思っている!」
「さぁ......六回目くらいだったかな?」
「八回目だ愚か者!いいか?今回の件、俺は魔王様からの勅命で動いているんだぞ。今までは厳重注意で済ませられたが、この件に関してはそうはいかない。なにせ今までに例を見ない特別な試みだからだ。失敗など元より許されない案件なんだ。これまでとは訳が違う。下手したら我々の首すら危うい。頼むからもっと慎重に、かつ正確な行動を心がけてくれ。無論俺だけではなくお前も気遣っての忠告なんだ。今回ばかりは聞きわけろ!」
心の内をそのまま吐き出すようにして憤るが、当の本人はどこ吹く風。どころか少し眉尻を下げ、苦笑を浮かべている。まるで困った奴を見るような目で。
一方、想定外の反応に怒鳴ったオルタナも呆気にとられていた、が気を取り直してもう一度説教を再開しようとすると
「ははっ、なんだわかってるじゃないか」
......なんだと?
「なにがだ?」
「本当にわからないのかい?しょうがないな」
やれやれとダイロス、怒りなど忘れて疑問符を浮かべるオルタナ。話の流れは完全にダイロスへと流れていた。
「いいかい?もし僕が君の注文通り“こちらの世界の常識を埋め込んだ状態”で召喚できる魔法陣を作ったとしよう。そしてその魔法陣で異界からの召喚ができたとしよう。もし君が召喚された立場ならどうする?」
「む...元の世界から異世界へ...常識を手に入れた状態で...手枷に足枷、か。間違いなく抵抗するな。習得が容易な身体能力強化の魔法で鎖を引きちぎり脱走、国外まで逃げて不可侵条約を盾にすれば後はどうとでもできる。それに世界地理を常識レベル備えているのなら召喚された直後からでも動ける...と、そういうことか」
「だいせいかーい。ただ、メリットはそれだけじゃ無いね。常識がなければ洗脳や刷り込み、あるいは奴隷紋を入れることすら不可能じゃ無い。要するに煮るのも焼くのも好きにできるってわけさ。だから魔法陣には言語習得に必要な分しか刻まなかった」
「なるほど、お前にはお前の考えがあったとそういうことか。......だが、それとこれとは話が別だろう?」
ゲッとした顔の丸め込みに失敗したダイロス。視線の先には既に拳を高々と振り上げたオルタナが清々しい笑みに血管を浮かせながら歩み寄っていた。
「事前に説明せんかこの戯けがぁぁぁあ!」
「ごめんなサァァァァイ!」
謝りつつもしっかりと殴打を躱していく。それはそうだろう。なにせ八回目だ。初見時、そのかなりの速度に対応しきれずモロにくらってしまったことがある。手加減ありでも軍部のトップ、その時のタンコブたるや一ヶ月は腫れっぱなしだった。
「わかった!わかったから!話をっ、話をしよう!そうだ、あの男の子のこととかどうだい?実は僕も透明化してあの場に居合わせていたんだよ。ね?聴きたいでしょ?だからいい加減拳を下ろしてぇ!」
ふっ、とオルタナの動きが止まる。それに応じるようにダイロスも動きを止め、ホッと一安心。さっきまでの焦りなど微塵も感じさせない素晴らしい微笑みでオルタナに話しかけようとして......殴られた。
それはそれはもう素晴らしい軌道で右アッパーを。
宙を舞う中一人思う。あぁ、これから暫くは念話と柔らかい食事にお世話になりそうだなと。
「それで?あの男の様子はどうだった?俺の去った後に何か言っていたか?」
「...!?!.........!」
「?しっかり喋れ、何を言っているのか全くわからんぞ」
お前がやったんだよ!とはさすがに突っ込まない。次はどこが犠牲になるか分かったものではないからだ。
人を気遣って殴られる、なんと理不尽な。
不満タラタラのダイロスだが仕事はキッチリしなければならない。徐ろに手を白衣の下に突っ込み、引っ張り出したのは「念話」の魔法陣がコピーされた羊皮紙。魔力を流して起動させつつ、改良した魔法陣の具合を確かめる。
『聞こえますか...聞こえますか...ダイロス...今あなたの脳に直接話しかけています...』
「どうやら次は頭を砕かれたいようだな」
『冗談冗談、ちゃんと報告はするから......頭はやめてね?』
「いいからさっさとしろ」
『はいはい。えっと、あの男の子の話だったね。最初に言っておくけど、これから僕が伝えるのはあくまでも僕の主観から見えたことであって、君の見地と違うものであると理解して欲しい』
「妙な前置きだな、保険をかけるなどお前らしくもない」
『それこそさっき君が言った通り“特例”だからさ。確信を持って断言して後から「違いましたー」なんて許されないんだろう?言葉を濁すぐらい当たり前さ』
寧ろ考えないことの方がありえないと呆れ顔になりながら嘆息する。決して馬鹿にしているわけではないのだが、オルタナのイライラゲージはダイロスの知らぬ間にまた少しずづつ上昇していた。
「それで、あの男。お前から見てどうだった?」
『あぁ、うん。まぁ一言で表すなら.....微妙、だね』
特例などと称された割には大したことがない。期待外れもいいところというのが現段階でのダイロスの内心だった。確かに異世界人という事も考慮すればそれなりの付加価値も付くのだろうが、こと今回の目的に関してはさほど魅力を感じない。そしてそれを感じたのはダイロスだけではなかった。
「お前もか」
静かに同意するオルタナの声もまた多少の落胆を含んでいた。
『お、オルタナと意見が合うなんて珍しいな。じゃあまずは魔法適正の話から入ろうか。適正属性は中心が火、次いで風と土だった。研究者としては闇やら光やらが出て欲しかったけど、まぁそこはいいとしよう。ただ、魔法の素養があまりないのはいただけないな。僕の見立てでは完璧に仕上がっても君より下、幹部候補生より少し強い程度までしか育たない。勿論年齢の問題を除いてもね。固有スキルによってはもう少し使い用はあるかもしれないけど、あまり期待はしない方が良さそうだ。君の方はどうだい?』
「俺もおおよそ同じだな。素養は微妙、魔力総量も普通、精神力も強くはなさそうだった。眼を見張るほどのもの無し。剣の才能はあるようだが、やはり誰かの下位互換程度か。戦力増強を期待してのものではないにしてもこれは酷い」
酷評、というわけでもない。ただ彼らにとって大きく期待外れだっただけで。
この世界でのダイロスとオルタナ、特にオルタナの戦闘能力はズバ抜けている。
魔獣と呼ばれる獣がいる。魔力を帯びた獣、略して魔獣だ。
魔獣はとにかく強い。ただの特殊変異した動物なんて言えば大したことないようにも思えるが、実際は違う。動物としての身体能力に加え、帯びている魔力による自動肉体強化、更には固有魔法に目醒める個体までおり、その戦闘能力は元の数倍まで跳ね上がる。
特に魔領と呼ばれるこの地域では他の土地よりも圧倒的に魔物の発生率が高い。本来ならばこの様な場所に国を作るなど考えられないことだ。良くて全滅、悪ければその種族の味を覚えた魔物が魔領外まで出てくるかもしれない。そうなればその種族自体が消えてしまう可能性だってあるのだ。
だが、魔族は強かった。
元より強かった獣をさらに強化して生まれた魔獣をさらに上からぶっ潰す。正気の沙汰ではない。
やがて魔物を屠るうちに戦士という役柄ができた。その中でも強く聡明なものが戦士長と呼ばれ、統率を取る様になった。時が流れるにつれて階級が増え、或いは名前が変わり最終的には軍部席長、軍部幹部候補生などと呼ばれる様になった。
魔王を除いて最も強い、それがオルタナ。
そして実力に大きな差はあれど、実質軍の上から三番目の強さに位置する幹部候補生。
弱いわけがない、むしろ他種族の軍隊の最高実力者と比べても幹部候補生に軍配が上がるぐらいだ。
破茶滅茶な歴史を持つアホなぐらい強い種族の上から三番。地球出身の彼には十分すぎるほどの評価だろう。
『どうするんだい?もう正直に言うと僕たちじゃ判断しきれないと思うんだけど』
判断しきれない、確かにそうだった。戦闘訓練は必須としてそれ以外をどうすればいいか、当然オルタナ達に案など無かった。本来ならば戦場の指揮官として戦役に就かせるつもりであった彼らだが、あんな腑抜けを戦場に駆り出しては寧ろ士気が下がってしまうと考えていた。
雑務や管理業務ぐらいはできるだろう、ならば“管理”か“総務”に飛ばすべきか。いや今回のは特例、その様な雑な扱いは許されまい。ならば財務方面はどうだろうか?計算さえできればかなりいいポストだ、文句も出ないだろう。......いや、ダメだな。いくら特命処置でも政治的な権力を持つ“行政”の管轄に回すのはまずい。何より職員たちから爪弾きにされるのが目に見えている。戦士のオルタナや研究者のダイロスと同じ様に彼らにもプライドというものがあるのだ、事実あの職場で努力してこなかった魔族など一人としていない。故にいきなり飛び級してきた新人、ましてや異世界人など到底受け入れきれないだろう。
ああでもないこうでもないと考えれば考えるほどに案がまとまらなくなってゆく。そして結局、
《魔王様の御心のままに》
という便利な回答を得て、残念な異世界人の処遇は決まってしまったのであった。
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『そういえば』
「なんだ?まだ話し合うことでもあったか?」
『いいや、そういうわけじゃないんだけど一言だけ言っておこうと思って。......君、あの子の前でも魔力放出してただろう?君がいなくなった後、過呼吸になりながら苦しそうにゲロゲロ吐いてたよ』
魔力放出。周囲を薄い魔力で覆うことによって、軽い魔術防御と探知機能を施す技術だ。ただし、オルタナが放つ魔力は他の魔族の比ではなく、既にプレッシャーの域にまで至っている。去年、新兵の前で張り切りすぎる余り、放出する魔力の濃度を高めてしまい、総勢千人の屈強な男達を気絶させたのも記憶に新しい。以来人前で滅多に魔力を使わなくなったのだが、今回もまたポカをやらかしていた。
「......戦闘育成は軍部では無理か」
『諦めが早すぎるよ!さっきまでの勢いは何処に行ったの!はぁ。でも、まぁうん。なるべく近づかないほうがいいかもね。怯えてまた過呼吸にでもなられたら困るし』
(いざとなったら魔王様に進言か。いつも肝心なところでやらかすなぁこの人。これが無ければもっと人望も集まるだろうに)
長い付き合いだ、オルタナのこれにはもう慣れている。というか、今なお魔王軍に在籍できているのはずっとダイロスがフォローしてきたからだ。
「善処しよう」
あと何度言うかもわからない言葉を口にしながらそっと顔を伏せる同僚に不安を感じながらも、せめて友人としてはうまくやっていきたいものだと思い致すダイロスだった。