明日、生きる理由が君ならいい。
【1】
__戦況ハ窮メテ困難。
ミンクマス郊外の錆びた倉庫の影で、アレンは端末に応援要請の意を記していた。白い電子の板はあっという間に黒字の群れに侵食され、一枚の報告書となって彼等の本部へと発信される。
死への恐怖が着々と彼の神経をすり減らしていく。とうに、命を捨てる覚悟は出来ている筈だった。
「ブランディ……」
祈るようにその名を口にする。閉じた瞼の裏に、焦げ茶色の髪をした幼馴染みが笑って手を振る。それだけで、彼の恐怖は払拭された。唇の端を上げ、握りこぶし大の兵器を片手に弄ぶ。付近から大勢の足音が迫るのを感じ、歯で兵器の安全装置を引き抜いたアレンは、僅か十数メートル先へとそれを静かに転がす。彼もしっかりと射程圏内だ。
「あばよ、ヘヴンの異教徒ども!」
轟音、爆風、熱波。総てが彼の五感を揺さぶり、刺激し、麻痺させた。かろうじて回避行動をとりつつも、肉に食い込む金属片の位置を探る。致命傷になり得るものはないが、いかんせん出血が多い。ぼやけた視界のまま、彼は拠点目指して這いずり始めた。戻る頃には、優秀な仲間が得物をひっさげて待っていることを願いながら。
◆
国立戦争病院。『本部』と呼ばれるここは、主に戦争で傷ついた兵を休めるために使われる。傭兵国家ザラキスタの統率者、パーシバル・ザラキスタの命により、一番に作られた施設だという。
この病院の常連客は、今日も個室のベッドに埋もれ、包帯だらけの体を休ませている。
男の名はアレン。アレン・シスというこの国でも珍しい苗字持ちの人間である。聞けばザラキスタ王の戦友にルーツがあるそうだが、端から見れば彼とシス一族は何の関係もないように思える。
シスというのは、ザラキスタ王がこの国を独立させるための戦争において、常に最前線で活躍し、最も死んでいった一族の名だ。鬼も裸足で逃げ出すような気迫と、血を浴びれば浴びるほど昂揚する性質をもった、狂人のような人々だったという。
対するアレンはというと、まるで天使のような直毛の金髪に緑柱石の瞳、ミルク色の肌に薄桃色の唇をした、少女のように儚げな美少年なのである。日がな一日無表情、誰かと話すときも事務的で愛想はないが、彼が血を浴びて笑っているところなど誰が想像できよう。
「起床だアレン・シス!早く起きないとペナルティだぞ!」
もしそうならば、悪戯っぽい笑顔の同僚が教官のふりをして、折角寝ている彼を叩き起こすことなど出来るはずがない。ああ、やっと寝ついたのだからそっとしておいてやれば良いのに。
「うぅ……はい!不肖アレン、只今起床致しま……は?」
掛け布団をはねのけ文字通り飛び起きた彼は、規則正しい敬礼をした辺りで動きを止めた。焦りの所為かいつもより彩り豊かな表情が、みるみるうちに氷点下へと変化する。冷然とした声が四方を白で埋めた病室に落とされた。
「聞くだけ聞いてあげますが……何の真似ですか、ミハル・マキシマ?」
「やだなぁ…我らが敬愛すべきオーグスティン教官の真似だよ?」
その声は確実に病室の温度を5℃は下げ、エメラルドの瞳も石のような硬い光を帯びた。悪びれぬ同僚__ミハル・マキシマ単独歩兵は、ちょっとテストの解答を誤ってしまった、程度の軽さでひらひらと手を振る。アレンの手の中で、枕の端が千切れんばかりに変形した。
ミハルはベッド脇の収納から赤い林檎を一つ取り出すと、愛用の小さなナイフで皮を剥き始める。一つ明かしておくと、それはアレンにと件の教官が贈った見舞いの林檎である。アレン本人は一度も食べたいと言った訳ではないが、彼が食べるなら1切れ貰おうかと思案していた。狙い定めたようなタイミングで、ウサギの形に切られた林檎のフォークが、アレンの顔の前に差し出された。
「……私が“食べたい”と一言でも言いましたか?」
「でも、俺が食うなら1切れ貰おうかと思ってたろ?」
これでも単独歩兵ですから、と得意気な顔をするミハル。アレンはというと、にべもなくこう言い捨てた。
「それを言うなら、私も中隊遊撃兵ですが。」
しゃくり。ウサギリンゴを咀嚼する音が、小さくアレンから聞こえた。
◆
アレンがブランディと出会ったのは__生きる目標を得たのは、彼が八つの頃だった。シス家当主の代役、つまりは次男の地位を得て生まれた彼は、兄の身代わりとして死ぬために、毎日同じ教育を受けていた。5歳で遊撃兵としての素質を見込まれ、当時軍の上位に席を持っていたオーグスティン特攻隊長からの熱い勧誘を受けた。しかし、“兄の身代わり”とすべく何から何まで同じに育て上げたものを、みすみす死なせはしまいと躍起になった一族の者たちによって、彼は監禁状態となってしまう。
すっかりやる気の失せたアレンに教育を続けさせようと、お世話係として選ばれたのが、当時5歳の少年_ブランディ・ロックベルだったのである。人形のように生気の無い少年に向かって、ブランディはこう言った。
「生きながら死んでいるみたい。君は、世界をどう思う?」
アレンは驚いた。次いで、目の前の少年は頭がどうかしているのだと思った。僅か5年しか生きていない少年が、8才の自分に何かを問うなんて。その賢い喋り方に、静かに見据える瞳に、彼は並ならぬ嫌悪感を抱いた。
「なんで、君みたいなチビにそんなこと聞かれなきゃならない。世界?そんなの、いつも僕を閉じ込めておきたい奴らの、檻の中だと思ってるよ。」
座っていた椅子を勢い任せに蹴倒して、机の上のインク壺を投げつける。ブランディは離れたところから、飛距離が足りず絨毯と床板を汚す黒いシミを見つめた。じわじわと床を浸食して色の範囲を広げていくそれに、彼は何の躊躇いもなく手持ちのハンカチを浸す。ぱっと広げられた四角い白は、音もなく黒に染まった。
「……そこまでするの?僕が汚したんだから、叱られるのは僕なのに。君は、放っておいて良いんだよ、このお節介。」
しゃがんでインクを拭き取ろうとする姿が妙に癪に障る。わき起こる罪悪感にも似た後悔が、アレンをより凶暴にしていた。
「叱られると分かっていて汚すのも、悪いと思って僕を罵るのも、本当は君のしたいことではないのにね。」
ブランディはしゃがんだまま、更に言葉を重ねた。核心を突かれ、アレンはぐっと言葉に詰まる。何を言ったら良いのか、何が言いたいのか、彼自身さえも分からない。
「何がしたいの。どんなふうになりたいの。それさえも分からなきゃ、君はこのままお人形と変わらないよ、アレン・シス。」
痛いほどの静けさが、少年らしさの残る一室を満たしている。よろよろとベッドまで後ずさりしたアレンは、お気に入りのブルーのクッションを手にマットに座った。両足を投げ出して宙にぶらぶらと浮かせる。
さっきまでの攻撃的な雰囲気が消えたアレンを見て、ブランディはゆっくりと近づく。自分の依るべき柱__周囲が刷り込んだ正しさ__がぐらついて、他者に噛みつく余裕もない彼を、なるべく刺激しないように。
「僕は貴方の味方だから。貴方が何をしようと、何を言おうと、僕は貴方から離れていかないよ。__僕は、貴方の味方だ。」
◆
ぐらり。頭の傾いだ衝撃で、束の間の夢から覚める。アレンは真新しい病院服を着て、清潔なシーツの上に枕を支えにして腰掛けていた。膝元には半分囓られた林檎の1切れと、それを支える金色のフォークが横向いて落ちている。すぐそばから、同僚の心配そうな声がした。
「アレン、本当に大丈夫か?まだ具合が悪いんじゃないのか?」
「……いえ、ちょっと白昼夢を。それと、休んでいる所を叩き起こしたのはどこの誰だと思っているんですか?」
肩を揺さぶる手を退けて、緑色の目が男を睨む。誤魔化すように明後日の方向を向いたミハルは、もう食べ終わった林檎の芯を屑籠に捨て、林檎の刺さったフォークを拾う。遠慮無く一口で頬張り、フォークを果汁で濡れた皿の上に置いた。
「悪かったよ、邪魔者は帰るからゆっくり寝てくれ。アレン、お前は暫く非番だ。」
皿ごとフォークを持って病室を出ていくミハルは、帰りざま後ろ手にひらひらと片手を振った。それを見届けて、アレンも布団に包まる。ズキズキと熱っぽく痛む背や腹、腕の感覚を切り離そうとするように、アレンゆっくりと眠りに落ちた。
しばらくすると、人気の無い病室に一人分の足音が近づいていく。それは手練れの軍人のものでも、音を殺した暗殺者のものでもない。気軽で、友人のもとに遊びにでも行くような気安さがある。静かにドアを開け、焦げ茶色の髪の少年は眠る金髪の美少年へと近づいた。手には小さなカードを持っている。
「アレン、酷い怪我をして……こんなことならずっと、あの部屋に閉じこめておけば良かった。」
カードをそっと枕元に忍ばせ、少年は来た時と変わって猫のような足取りで部屋を出ていった。
◆
神聖ハイルランド王国12の騎士__通称楽園の使徒。彼等の王がとうとうザラキスタへの本格的な侵攻を決定した。円卓の会議室へと集う12人の騎士達は、作戦を練るため、もしくは自身の意見を通すために席に着いた。
「これより円卓会議を始めます。議長は私、第一使徒ロミエール・エヴリンが務めます。」
潤沢な金髪と豊満な肉体を惜しげも無く晒した美女が踵を揃えて一礼する。白く柔らかな双丘がぐっと寄り、谷間が強調される。その対面に座る堅物そうな男が、眼鏡を光らせ挙手した。
「第七使徒ハビエル・カーラスティンが発言致します。此度はあの傭兵国家への進軍。万全を期す為、装備をより強固な物へ変更するのが最良かと__」
「必要ねぇよ。」
事務的な言葉の流れを断ち切ったのは、乱暴な口調の小柄な男。褐色の肌に見事な銀髪を結い上げた、少女にも見える中性的な風貌をしている。
「おぉっと、第六使徒エビル・ジアが発言致しちゃうぜ。俺らヘヴンズが総出で掛かりゃあ落ちない国はねぇ。よって、装備やら何やらをごちゃごちゃする必要もねぇな。」
自らを誇示するように、顎を反らして満足げなエビル。その鼻っ柱をへし折らんと、伶俐な美貌の老婦人がすっと手を挙げる。
「第九使徒ラズエル・エヴリンが物申します。貴君のそれは慢心というもの。足を掬われる前に悪い癖を直しなさい。わたくしは、二手に分かれ、攻撃と守備を担う方がよろしいかと。」
ラズエルが言い終わるや否や、追うように挙手する黒髪の少年。体格に余る布から細い腕を出し、議長に気付いて貰えるようにぶんぶんと左右に振る。ロミエールはニコリと微笑み、彼の発言を認めた。
「第三使徒ミハイル・ティヌスが発言します。ボクは、ラズエルばあやの意見が良いと思いまーす。」
その無邪気な言い方に、硬い表情を崩さなかった老婦人が僅かに頬を緩める。第六使徒エビルは面白く無さそうに鼻を鳴らした。その横に座る第五使徒のパベルは小さく顔を歪めた。機嫌を損ねたエビルに、机の下で足を踏まれたのだ。俯き、両の肩から垂れる銀の三つ編みを机に這わせ、薄幸の少女は痛みに耐える。正面に座る男は狐のような目を細めて、楽しげに二人を観察していた。
誰も意見を出さないのを眺め、ハビエルの隣にいた幽霊のような痩身の人物は、ゆらりと骨ばった手を挙げる。
「あの……第八使徒ゴスベル・アウローラが発言…致します。そもそもこれ……出席する価値のあるものなのでしょうか…いつも皆さん…_。」
ぼそぼそと聞き取りづらいが、どうやらこの場に集まる意味を聞いているらしい。確かに、会議と言うには少し自分勝手が過ぎる場だ。金髪の美女はため息を吐いて両手を叩く。途端に彼等の視線は議長のロミエールへ向き、彼女は全員を見回して口を開いた。
「皆さん、これ会議ですよ?お話なら後でしましょう。今は死なないための作戦をたてて、それ相応の準備もして、後は国を滅ぼすだけ。いいですか?」
ロミエールはもう一度席を見回す。
欠席の第二使徒に、元気に頷く第三使徒。黙々とメモをとる第四使徒に俯き加減な第五使徒。つまらなそうな第六使徒、それを腹立たしげに睨む第七使徒と、自分と目を合わせないようにしている第八使徒。真っ直ぐとこちらを見つめる第九使徒、居眠りをしている第十使徒、居心地の悪そうな第十一使徒。そして、__
「作戦ね、じゃあまずは相手の情報が必要かな?」
胡散臭い笑みを浮かべるチェシャ猫のような少年。焦げ茶色の髪を肩の辺りで切りそろえ、赤い唇を三日月形に歪めている。彼は不意に席を立つと、手近な窓から身を乗り出した。
「第十二使徒ウラジミールにお任せ下さい、エヴリン議長。」
そのまま外へ飛び出していったあと、風に揺れるカーテンを見つめ、ロミエール・エヴリンは声を荒げた。
「もうっ、会議だって行ってるじゃないですかー!!」
その声を合図に、残る十人の騎士達は揃って席を立った。
階級について。
アレンは中隊遊撃兵。ミハルは単独歩兵。どちらが偉いかというと、中隊で任務に臨む中隊遊撃兵です。ただ個人のスキルが高いのは一人で敵陣に斬り込む単独歩兵。中隊だと仕事が振りわけられている所を、彼等は一人でこなします。
この国では白兵隊、遊撃隊、工作隊の三つに従軍医師がついて計四つの軍隊があります。昔は特攻隊だったのが白兵隊と遊撃隊に分かれました。ミハルの単独歩兵は白兵隊に分類されます。