個別面談 (3)
ソラとの特訓と、その後の会話へ繋ぐ前振りです。
今回はやや異常性のある表現が含まれていますのでご注意ください。ご不快に思われた方はごめんなさい。
今日は生憎の曇天。薄暗い草原を漂う湿った匂いが、二年前の出会いを思い出させる。
「一雨来るな……」
肩に停まっていたカラスを軽く撫でて足に小さな手紙を付ける。
雨が降るならちょうどいい。今日はソラの相手をするか。
雨が外套を執拗に叩き、足元はぬかるむ。水を吸った服と湿った空気を目一杯吸い込んだ髪が、ずっしりと自己主張する。
馬を休める間に各々が鍛錬に励む中、俺とソラは皆から離れていた。
視界を煙らせる飛沫に紛れて、互いに剣を振るう、
避け、逸らし、呼吸のように自然なタイミングで突き返す。
ソラが必死に剣閃を飛び退いて避ければ、俺はそこに鋭く風切り音を上げるように石を投げつけてやる。
「――っ!」
姿勢を崩しながらも顔へ目掛けて飛ぶ石を盾で弾くソラ。盾を下した瞬間に音もなく飛来した小さな石を額に受けて呻く。
「ダメだ。顔を狙われたときに安易に盾を使うなと教えられているだろう? 耳がいいみたいだから一瞬なら視界が塞がっても平気なのは分かる。だがそれは、今までの相手が格下だったからだ。腕のいい暗殺者なんかは今みたいに目立つ攻撃と目立たない攻撃を時間差で使うことも多い」
一番の研ぎ澄まされる瞬間。そこを抜けた直後の一瞬にこそ死の危険は高まる。敵の攻撃を凌いだと思い込むのは死への直結ルートだ。
おそらくソラは今まで騎士や兵士といった洗練された武技を持つ相手から教導を受けてきたのだろう。筋はいいし努力家だ。その実力は騎士団長クラスだろう。
だが、泥臭い手管……いわゆるダーティファイトへの対応が甘い。
それらの搦め手は弱い者が強い者を倒すために作られた技術だが、強い者が使わないという保証はない。俺みたいな体に恵まれなかった人間が、伝説の傭兵と語られる父に追いつくためには正道も邪道もすべて学ぶ必要があった。
男らしくない? 傭兵は勝つのと生きるのが仕事だ! それは暗殺部隊である勇者さま御一行も同じであるはずだ。
というか目の前で死なれても困る。
「なるほど、視界や足場の悪い日にあえて実戦的な稽古をすると言ったのは、私の弱点であるこれらの要素を自覚させるためだったんだね。……それにしても、ツバキは暗殺者の技に詳しそうだけど、もしかして実際に対峙したことでもあるのかい?」
「傭兵時代の仕事ではあんまりなかったな。暗殺者からの警護は信用のある立場の人間――騎士とかの仕事だしな。でも自分なりに研究はしていたし、二年前に凄腕の暗殺者に襲われて色々と勉強になった」
「傭兵!? 傭兵だった時期があったのですか!?」
さも驚いたといった風情で声を上げるソラ。砕けてきた口調が少し戻るぐらい。
言ってなかったか? まあ聖女さまのイメージじゃないからスルーしてたとかかもしれないが。
「こちとら四歳から十五歳までずっと戦場暮らしよ」
「なんともはや……それでそんなに強いのか。私が敵わないのも納得だ」
「あと、体力のペース配分ももう少し慣れた方がいいな。こういう環境に追い込まれた時こそ、敵は追撃の手を緩めてくれない」
「たしかに想像以上に雨で体力を奪われてる……この状態で格上の相手にどう勝つか。私はまだまだですね」
まあ正直、その年でこの実力って凄まじいけどな。まあ教えてやらんが。
俺も父に似てかなりの天才肌だという自負はあったし、戦場を十年以上も渡り歩いたのだから経験もかなりのものだ。それでも下手したら数年後にはソラも互角になってそうな気がするな。
自信を無くすほどじゃないが、俺もこれからはもう少し鍛錬の量増やすかねぇ。
「まあ、もう少しで出発の時間だし今はこのくらいにしておくか」
「うん、後の時間は今のを参考にイメージトレーニングをしてみるよ」
そう言った時、俺の後ろからこの降りしきる雨の中で音も立てずに駆け寄ってくる魔力に気付いた。
振り向いた先には何もないはずの場所で弾ける雨粒。ソラはまだ認識できていない。
腹に鈍い衝撃と、強い痛み。魔法が解けて見えるようになった小柄な白髪の少女が、俺の腹に刺したナイフもそのままに押し倒してくる。
思わず情けない声が出そうになるが、喉もとで押し殺して微かに呻くだけで済ませる。
「ツバキ!? 貴方は一体何をして――」
「――聖女さまみーつけたっ! もう我慢できないよ我慢できないよできないよできないよできないよ~ぉっ! ふふっ」
大の字に倒れた俺の胸に跨って、彼女は俺の肩に膝をしっかり乗せて笑いながらも両手で首を絞めつけてくる。
腹の傷が焼けるような熱と吐き気を与えてくるが、絞められる首は空気すら通さずに苦しさを主張する。
勝手に溢れ出す涙を、上から覗き込んで浮かぶ満面の笑み。
それをソラが盾で押し退けようと駆け込むが、ぶつかる前に飛びずさって距離を取られる。
「ちょっと、あたしの邪魔しないでよ。ずっと我慢してたんだから!」
叫んでから背景に溶けるように姿を消す少女。もちろん幽霊だとかいうオチではなく、常識外れにも無詠唱で発動した魔法の効果だ。
暗い路地とかなら見つけることは困難を極める。だが今は天候が味方しているため、目を凝らすと雨の滴が居場所を教えてくれる。
ソラがこちらを庇うように慎重に相手の出方を窺う。
俺はソラに声をかけようとして、喉から掠れた音だけが漏れて咳き込む。
先に喉と腹の治療をしないと喋れないな。
体を起こして神力を傷口に注いでいる間に、ソラが相手の隙を(すき)見出して斬りかかる。
しかし、それは少女が作り出した虚構のものであり、あっさりと跳躍で避けられる。
魔力で強化された常人には不可能な跳躍は、一瞬にして二メートル以上の高さへと小柄な少女の身を躍らせる。
そして頭上から投擲される二本のナイフ。角度的にソラからは一つに見えるだろう精密で速い攻撃。
ソラはそれをしっかりと二本とも盾で弾いてから、その後に続いて放たれていた不可視の風刃にもギリギリで気付いて防ぐ。
どうやらさっき教えた事をちゃんと実践できているようだ。飲み込み速いな。
着地した少女に向かってソラは素早く距離を詰める。
透明化魔法のせいで離れれば見失う可能性が高いから、距離を取って風刃とナイフで攻撃する少女へとソラは追い縋り続ける。
ソラの凌いでいる攻撃はどれも普通は認識する事すら難しい。だがそれを躱し、盾で弾き、手足を狙って鋭く長剣を振るう。
少女もそれを転げるように避け、手に持ったナイフで逸らし、反撃をしながら距離を取る。
どちらの攻撃も有効打にならず、互角の戦いを見せている。
しかし、均衡も長くは続かない。少女の体力はやはり男であるソラに比べれば低く、限界が近づいてきた。
それを見て取ったソラが今まで以上に深く踏み込み、盾で少女の額を打ち据えようとする。
少女は咄嗟にバク転して避けながら、足はソラの顎へ見当をつけて蹴り上げる。
だが、盾の一撃は少女の視界を塞ぐための布石であり、ソラは少女の予想とは裏腹に地を這うような低い姿勢で草を薙ぐように剣を振るう。
避けきれないと判断した少女が相打ち覚悟で放った風刃を、間に割って入った俺が細剣で弾く。同時にソラの振るった剣を踏みつけて地面に縫い付ける。
「そこまでだ! これ以上は怪我をしそうだからな」
「ツバキ、もう大丈夫なのか!?」
「ああ、癒しの聖女は伊達じゃないって。俺は頭でも潰されなきゃ死なないからな」
「聖女さま、こいつってもしかして……勇者ですか?」
「そうだよアリス。あと、勇者さま御一行の前ではいつも通りツバキでいいよ」
心配するソラをなだめて、魔法を解いて姿を現した少女――アリスに笑いかけてやる。
怪訝そうな顔をするソラと、その視線から逃れるように俺の体で隠れようとするアリス。戦闘終了を悟って彼女のペットであるカラスが肩に降りてくる。
今朝の手紙で今日中に合流するのは分かっていたが、予定よりかなり早く着いたのでソラに話していなかった。アリスと皆は顔を合わせる予定なかったしな。
「この娘はアリス。元は凄腕の暗殺者で、今は俺の娘。各地の情勢を探るために密偵みたいな事をしてもらってる」
「あ、暗殺者? 娘……? あ、いやでもさっき殺されそうになってたのは?」
「あー、ちょっと繊細な子でな。人を傷つけたり苦しめないと死にそうになっちゃうから定期的にガス抜きしてやるんだ」
俺のざっくりした説明に苦い表情でアリスを見つめるソラ。
「勘違いしないでやってくれ、本当は優しい子だ。小さな内に両親を目の前で殺されて、しかも魔導増幅薬を投与されて暗殺者として育てられたんだ。心が死んでなかったのが奇跡みたいなものさ」
「魔導増幅薬!? 八十年も前に製法すら所持することが禁じられているのに……」
「世の中には畜生にも劣るような倫理観の人間がいるってことだ」
魔導増幅薬は素質のない人間の体を作り変えて魔術師を生み出す研究の産物で、投薬後の生存率が〇、五パーセント以下であり、強烈な苦痛を伴うため禁忌の薬として封印された。
アリスは複数回の投薬を経ても生き残ったらしいが、痛覚と味覚がマヒして、髪は真っ白になってしまった。
王宮の筆頭魔術師でもできるか怪しいと言われる、無詠唱での魔術発動を可能とするアリスの能力はそこに由来している。
痛覚を失ったアリスは、自分の代わりに誰かへ痛みを与えることが生を認識するための代償行為になってしまった。
「そんなわけで、悪いがソラ。ちょっとみんなのところに先に戻っててくれ。アリスのガス抜きは見てて気分のいいものじゃないだろうからな」
「それはいいけれど……その、大丈夫かい?」
「まあこの娘が味わった苦しみに比べれば些細なもんだろ。最近は一ヶ月くらい間隔をあけても平気になってきたし、俺ならそうそう死なないからな」
アリスの頭を撫でてやると、目を細めて嬉しそうにすり寄ってくる。俺も顔がほころぶ。
「あと、ディランにはアリスが来たことを言わないでおいてくれ。どうにも折り合いが悪くてな」
「ディランはツバキを独り占めする」
「ああ、うん。わかったよ。あ、そうだ」
ソラが少し屈んでアリスと目の高さを合わせる。
「私はソラ、よろしく」
アリスはそれをちょっと睨むように見つめ返して言う。
「……よろしく。次は負けない、ツバキは渡さない」
「こらこら、そんなじゃないから仲良くしてやってくれ」
ソラが苦笑して立ち上がり、それじゃあ、と皆の方に戻っていく。
少し深呼吸して覚悟を決めてからアリスに向き直る。
「じゃあ、しようかアリス」
「うんっ!」
元気よく、生き生きと取り出したナイフを体に突き立てる。
傷を抉る。
苦痛にはそこそこ耐性があるし、死ぬ心配もないんだが、やっぱり慣れる事は無いな。
悲鳴を噛み殺して、次々と与えられる痛みに身を震わせながらアリスの頭を撫でてやる。
花が咲いたような笑み。安堵の吐息。
生きた心地がしないなんて言うけれど、彼女ほどその感覚を知っている者はいないだろうな。
本当に、世の中ままならない。
十分くらいそうしてのた打ち回ってから、傷に神力を注いで綺麗さっぱり無傷な俺。
穴が開いて血と泥に塗れた白ローブも、信者から見た俺の象徴のひとつなので神力を注げば元通り。
口の中の血を吐きだして、口元を拭う。
「ごめんなさい。痛かったよね……」
いつも通り泣きながら謝罪するアリスを抱きしめて宥めながら、安心させるように耳元で囁いてやる。
「大丈夫だ、今回もよく我慢できたじゃないか。まだ二年だ、焦るな。ゆっくりゆっくり治していこう」
心の治療も聖女の奇跡で出来ればな……って、それはただの洗脳かねぇ。