二日酔いと乙女な俺
静かに開け放たれた鎧戸から優しい日光が差し込んで、俺は薄く目を開ける。
頭が痛い。酒を飲むときは意識して神力による再生力を抑えている。酒を飲むからには酔わないのがもったいないし、そんなことに神力を使うのは無駄だと思っている。
微かに顔を顰めながら上半身を起こせば、ソラが紅茶を片手に近付いてくる。深い青の髪が日光をたっぷりと吸ってふんわりと揺れる。
「おはようツバキ。ずいぶん酔っていたようだけど、調子はどうかな?」
「ん……。大丈夫、ちょっと頭が痛いな。あと顔が近い」
寝起きにそのやたらと美麗な顔を至近距離で見せつけられると、何だか落ち着かなくなるからやめろ。笑顔ですり寄ってくるのを手で邪険に追い払って紅茶を受け取る。
頭が水分を欲しているのが感じられる。一口だけ含んでカサつく喉を湿らせてから小首を傾げる。
「他の皆はどうした?」
「今、朝食を取りに行ってるよ。ツバキの分も持ってきてくれるから安心して。私はツバキを起こす係というわけさ」
ふぅん、と気のない返事をしてから紅茶をもう一口。
横目で見たソラが、何か言いたげな顔をしていたから視線で促す。
「ツバキ、その……セラという男について、聞いてもいいだろうか」
「ああ、そうか。すまない何か口走っていたのか。不安にさせてしまったか」
恐らくは何か聞かれて魔将らしき人物と接触した事を口にしたのだろう。宿へ着いた頃にはもう眠気が限界だったからな。記憶にないが酔っていれば失敗をすることも、ままある。
俺が何から話そうかと思案しだしたところで、ソラが聞いてくる。
「その、もしかしてキスとか、したのかな……? まさかあんな時間に帰ってきたのは酔った勢いで連れ込み宿に行ったなんてことは無いだろうね?」
「はぁっ!? 誰が男なんかと!」
まあ、男としたことないと言えば嘘になるが。ディランとの事も今では反省している。
俺が眉を寄せていると、ソラが小さく息を吐く。
「うん、ごめんね。ツバキが一目惚れしたなんて言うから私たちも動揺したというか、モヤモヤしたので確認しておきたかったんだ」
「俺、そんなこと言ったのか……」
「男にドキドキする、とも。私たちでドキドキしてくれたかい?」
ソラはそうそう嘘を吐かない。なら言ったんだろう。
それでさっき寝起きにやたらと距離が近かったのか。くやしいが確かにソラたち相手の落ち着かない感じは、不快ではない。
でも健全ではない気がする。ひとりの相手じゃなく不特定多数の異性に気を向けるなんて。
いや、女だって嫌いじゃない相手に迫られたらそんなものなのか。男は殊更に助平な生き物だから恋人以外にも興奮するのかと思っていたが、女も恋愛感情まで発展していない段階で相手を性的に意識するのだろうか。
それとも俺が男だったから?
なんだか無性に恥ずかしくなって毛布で顔を覆う。ソラの顔が見られない。
俺、溜まってるのか。しかも女として?
頭痛がひどくなる。頭に血が上ってるのが分かる。
「どうしよう。俺、こんな、変態だ」
「ツバキ……?」
「許してくれ、俺、セラやお前たち相手に欲情してたかもしれない。ちゃんと好きになったかも分からないのに……」
涙が出てくる。泣く資格なんて無いと分かっているのに目をこじ開けてあふれ出てくる。
男は恋愛対象になるのか。それとも体が求めているだけなのか。俺の主体は躰と心の何処にある?
自分が欲望に強い人間だとは思っていないが、恋愛感情を向けてくる四人に同時でどきどきしていたなんて不誠実だ。しかも会ったその日にセラへ恋愛感情を向けていた可能性があるなんて。
「ツバキ、なんで謝るんだい? むしろ欠片も意識してもらえない方が困るんだけどね。ツバキが恋をどれだけ美化しているかは知らないけれど、私はそんなものだと思うよ」
「でも、俺……」
頭の中がこんがらがって言葉が出てこない。思考も定まらない。
気が付けばソラは俺の背中を撫でながら、大丈夫、大丈夫だよと優しく囁く。
「……なんでアニキ泣かしてんだ、ソラ」
背筋が凍るような声に、俯かせてしまっていた顔を跳ね上げる。いつの間にか部屋の入口にディランが立っていた。
あんなに怒っている声は初めて聞いた。カーライルが肩を掴んでいなければ詰め寄っていたかもしれない。グレンが肩を竦めている。
「やめろディラン。俺が悪いんだ、お前たちにも謝らなきゃいけない」
俺が正面から目を見つめれば、頭が冷えたのかディランの怒気が収まる。
「……悪かったなソラ。アニキがそんな顔してるの、初めて見たから動揺しちまった。お前がそんなことするわけないもんな」
「いいよ。私も逆だったら寝てるのをいいことに唇を奪ったのかと邪推していたかもしれない」
冗談めかして言うソラは余裕そうだった。ディランの事をそれだけ信頼してくれているのだと思うと嬉しい。
とにかく座って、とソラに勧められて全員がベッドに腰掛ける。
俺はそれを見回して、覚悟を決める。ソラは何故か許してくれたけど、皆は傷付くかもしれない。
大きく息を吸ってさっきソラに話した事を繰り返す。
皆が黙って耳を傾ける。ソラは話してる間も背中を撫でてくれていた。
話し終えたらまた目の奥が熱くなってくる。掠れそうになる声でごめん、と絞り出す。
「あー、なんでそう極端なのか僕には理解できないんだが、ツバキが泣いている理由はよく分かったよ」
「うん、何か困ってしまうくらい可愛いよね。私としては気にしなくていいと伝えたんだけどね」
「……純情、なのか。もっと擦れているというか達観していると思っていた」
「昔はパーッと稼いで美人囲って豪遊したいとか言ってたのにどうしちまったんだよアニキ」
皆が微妙な表情をしている。怒っていないのだろうか。上手く伝えられていないから実感が無いのか。
仕方なく次の言葉を手探りしながら吐き出す。
「だって俺、女の子になっちゃったのにはしたない……」
「はぁ!? え、いやいやいや、ツバキ? まだ酔ってるのか?」
「あー、アニキって恋愛とか女の子に幻想持ってるところあったかも。想いの通じ合った運命のひとじゃないといけないみたいな」
「……娼婦はいいのか」
「あれは仕事だから別問題だ。ちゃんと恋人と客で切り替えてるって言ってたし、客もただ性欲を処理するために通うんだから」
以前ディランとしてしまったのも、親代わりの義務というか責任感みたいなものが強かった。結果として俺は娼婦の仕事は無理だと思った。男の相手は体も精神的にも結構つらいから、恋人相手じゃないとしたくないと思ってしまう。
ディランが俺を好きだと言ってくれる今なら、そんなに嫌じゃないかもと思ってしまうのがどうしようもなく汚らわしく思える。
もちろん、自分から皆に手を出そうとは思わないけど、頼み込まれて甘く囁かれたら流されてしまうのではないかという考えが頭を離れない。
ソラが困ったように頭を掻く。
「ツバキは変なところで潔癖なのかな」
「小さな村とかでは夜這いで体の相性を確かめるような恋愛も普通なんだけど、そういうのには馴染みがないのか」
「あー、聖女に夜這いは門番に止められるし、それ以前は傭兵で一つ所にいる時間が短いからタイミングなかったろうしなぁ」
「……そもそも、別に誰彼かまわず誘惑しているとかではなく、俺たちの熱烈な求愛に心が揺らいでいるだけなのにどうしてはしたないだとか言うんだ」
誰一人として俺を責めないので首を傾げる。
ディランが溜息を吐いて口を開く。
「とにかくさ、アニキはアニキで女の子かどうかなんて関係ないから。傭兵時代に街でお姉さん方にちやほやされてた時みたいに、誰と恋愛しようかなーって妄想してるのが今の状態だろ? そんときだって鼻の下伸ばしたりエロい事考えたりしてたろ? 体の性別が変わっただけで同じことなんだから泣かないでくれよ」
よくそんな昔の事を覚えてたな。まだ小さかったろうに、いっつも俺の後ろを付いて来てたような気はするが大した記憶力だ。
もしディランの言うように、性別が変わっても同じようにいてもいいのなら、俺は許されるのだろうか。
恐る恐る目を向ければ、優しい顔をしている皆。
俺は女の子じゃなくて、俺なのだと。何度も聞いた言葉がやっと少し分かった気がする。
「落ち着いたみたいだから、食事にしようか」
そう締めくくったソラの言葉が、耳に心地よかった。
分かりにくい話で申し訳ありません。
気になる相手がフリーなのに、別の異性をいいなと思ってしまう事に対する罪悪感を持つ子どもとでも言いましょうか。
「そんなことを考えてしまうのは俺が元男で変態スケベ野郎だからでは」とか考えてしまう拗らせ乙女思考のツバキ。
まあ乙女思考って女性より男性が抱えてる場合が多いですけどね。
ツバキは15歳までマザコン&ファザコンを拗らせてた上に、それ以降は青春時代を人助けに割いてしまったから恋愛偏差値が小学生以下というイメージです。




