豚は出荷
ティエル村から東へ二十キロ。そこから街道をそれて南へ林の獣道を抜けて八キロ程度。
徒歩で行くにはちょっと遠い、山麓の川と寄り添うように並ぶ家々がリゲル村だ。
人口は二百人程度。千年以上前に花を愛する流浪の民リゲルさんが、この世で最も美しい花畑の近くに作った村だとか。
「その美しさは多くの画家によって描かれてきたけど、地図に描かれない場所ゆえに発見は困難だとか。僕はそれを本で読んだとき首を傾げたものだが、なるほど納得したよ。この景色に人が集まるのは無粋という事だな」
「ええ、リゲル村の場所は領主さまと近隣の村人、そして辿りついた旅人の方しか知らず、皆が吹聴しないよう心に決めている場所ですわ」
グレンがずり落ちたメガネを中指で押し上げて言うのを、俺は地元民として誇らしい気持ちで肯定する。
目の前には切り立った崖と、その上から下の花畑までを滝のように覆い咲き乱れる花々。
ソラは壮大な目前の光景に息を呑み、魂を吸われたかのように見入っている。
カーライルも表情こそ変えていないが食い入るように見ている。
ディランは何度目かの訪問なので驚きもしないが、季節によって全く違った顔を見せるこの花畑を楽しそうに眺めている。
「さて、村長さんに挨拶してきましょうか。オークの出没場所の確認と、勇者さまを紹介せねばなりませんし」
ソラの脇腹を指先で突いてやると、はっとした様子で照れ笑いを浮かべる。
そんな表情でも無駄にイケメンオーラ振りまいてるよなこいつ。
半分でいいから俺にくれ、本気で。
ていうかメアリー嬢の言いぐさじゃないけど、こいつらよく見たら全員イケメンだな。許せねぇ。
「あっ……と、そうですね。行こうかツバキさん」
「なんかここ数時間で馴れ馴れしくなってきてないか、勇者さまよぉ」
「ディラン、無駄に絡まないの。これからしばらく一緒にいるんだから貴方も仲良くしなさい」
道中も皆でだらだらと喋りながら来たからか、勇者さま御一行も少し俺との距離が縮まったかもしれない。
仲間との気の置けない距離感は大切だ。俺はかつての傭兵として積んだ経験で理解しているが、ディランはまだちょっと人見知りなところがあるみたいだ。
兄貴分がとられるような気がして不安なのかもしれない。
ちょっと甘やかして育てすぎたかな。年の離れた弟分というのは生意気だが可愛いものだ。
「ご無沙汰しております村長。こちらは勇者ソラさまです」
「おぉ、これはこれは、このような田舎に勇者さまが御足労くださるとは。これも聖女さまのお導きですかな」
「はじめまして村長。ソラ・ディオールと申します。なんでもオークが現れたとか」
「私がお話ししたところ、勇者さまも人が困っているならば見捨ててはおけないと言ってくださり……」
今年六十を数える好々爺然とした村長が言うには、村の男連中が狩に山へ入ったときに洞窟あたりでオークの群れを見たのだという。
慌てて逃げ帰った男たちは急いで村の周囲へ柵を作って、その日から夜も見回りを続けているが今のところ近づいては来ていないらしい。
「領主さまに遣いをやって騎士を派遣してもらおうとしとるのですが、いかんせん場所が場所なので口の堅い者を選ぶという事で、すぐには到着しないのだそうですわ」
「なるほど、なら私たちが様子を見てきましょう。もしあの花畑が荒らされるようなことになったら許せません」
「そうだな、僕らならオークごときに後れを取ることはないだろうし。それに、あまり時間が過ぎて数が増えると厄介だ」
「……そうだな。村人たちも不安そうにしている。早い方がいい」
勇者さま御一行が村長と話すのを俺は微笑みながら眺める。
うんうん、これで村長にとってソラは心優しい勇者さま御一行。この話が領主さまの方に伝われば街でも噂程度にはなるだろう。
「ありがとうございます勇者さま。お礼と言っては些細なものですが、今夜はここに泊まって下され。歓待の酒宴を開きますのでな」
「せっかくなのでお言葉に甘えさせてもらいます。ですが、勇者として当然の事をするだけですので、あまり気にしないでください」
「ふふっ、ソラさん、田舎では酒宴の口実がないとガス抜きが出来ませんので遠慮は不要ですわ。ともあれ、善は急げと申しますし、日の暮れないうちに洞窟を調べてみませんか?」
「そうだね、私もそれでいいと思う。みんな、いいかな?」
俺の予定としては今日中にざっくりと殲滅して、今日はぐっすり寝てから明日も朝から旅の続きというのが理想なので早めに終わらせてもらいたいところだな。
ソラの言葉を受けて皆がそれぞれ立ち上がり、武器を確かめながら口々に言う。
「……いつでも大丈夫だ」
「僕の方もそんなに疲れてないからすぐでかまわない」
「うーし、んじゃあ一暴れしてくるかぁ!」
「オークは洞窟をねぐらに山の数か所で群れているみたいだ。数はおよそ五十……どうする?」
とりあえず斥候役を自任するカーライルが軽く偵察してきてくれた内容を聞いて、ソラは顎に手を当てて考える。
「うーん、予想外に多いな。できれば村の方向に逃げられたりしないようにしたいけど……あちこちに散らばっているんじゃ難しいよね」
グレンの方に意見を求めるように視線を向けるソラ。グレンも難しい顔で肯く。
「ああ、この数だと僕らの人数で完全なフォローは難しいな。全員がソラくらい強いならひとりが村の防衛、他の各自で洞窟と周囲の山に分かれて同時に仕掛ければ確実なんだけどな」
「んぁ? なんだ、強さの基準は勇者さまかよ。オレの方がたぶん強いし、そっちのカーライルもけっこう何とかなるんじゃないのか?」
ディランが面倒くさそうに言うと、グレンがむっとした顔で食って掛かる。
「お前がどれくらい強いか知らないが、生憎と僕は殲滅力は高くても自衛は苦手だし、カーライルだってソラほど規格外な強さはしてないんだぞ」
「はぁ? なんだよ、オレにはお前らの中ではカーライルが一番強いと思うぜ」
言い方は悪いがディランのいう事は概ね正しい。
「……いや、俺はソラには勝てなかった」
「あら、それは正面からの斬り合いの話ですよね? ディランが言っているのは手段を選ばない戦闘での話ですわ」
わざとらしく聖女スマイルで指摘してやるとカーライルも思うところがあるのか、むぅと唸る。
「ではこうしましょうか。カーライルさんには村の防衛を。ソラさんには周囲の山の掃討作業を。グレンさんとディランは組んで洞窟の方へ。私は遊撃として皆さんのバックアップを担当しましょう」
「え、ツバキさんひとりでなんて危険では……」
「オークがうろつく中で女の子ひとりで行かせられるわけないだろ」
「ツバキが強いのは俺たちを試した時に分かってはいるが、二人の言うとおりだ。せめて俺と組んで村の防衛に……」
うーん、本当は俺一人で全滅も行けると思うのだが、彼らの活躍も重要だしなぁ。
それに少しでも経験を積ませておきたい。
だから今日の所はそれぞれの戦闘を実際に見てダメ出しして歩くつもりだ。なので、反対意見は認めない。
俺は緩慢な動作で腰の細剣を抜いて、ソラの首元に突きつける。
「ひよっこが俺の心配なんて五年は早いぞ。あと、面倒だから女の子扱いはやめろってば」
たぶん、ソラとグレンには俺がいつの間にか剣を突き付けていたように感じたろう。
これは俺特有の技術で、認識の隙というか。警戒意識の『弱い』ところを手さぐりしながら動くことによって相手に知覚されないで行動した結果だ。
ゆっくりやって見せたので、気を張っていたカーライルと慣れているディランは普通に認識できていたろう。
意地の悪い笑いを浮かべるディランに、恐れ入ったというように肩をすくめるカーライル。
ソラとグレンも何が起きたかまでは分からずとも俺の実力の片鱗を見て、さすがに頬をひきつらせる。
「それでは、納得していただけたようなので作戦開始といたしましょう!」
オークの殲滅は順調だ。
カーライルは意外とリーダーシップがあるみたいで、村の男衆と協力して罠などを仕掛けることで防衛態勢を盤石なものにしていた。
布陣とかにちょっと口出ししつつあとは問題なさそうだったので褒めておいた。
ソラはさすがの勇者さまと言うべきか、風の魔法で走る速度を上げて囲まれないように立ち回りながら強襲を繰り返す。
普通の騎士ではオーク二頭と同時に戦うのが限界という程度には厄介な相手のはずなのだが、余裕をもって無双している様子だ。
そしてグレンとディランは。
「僕、グレンの名において願う。灼熱の劫火よ爆ぜて大輪の火花となれ!」
「ははっ! いいなぁ。派手にやるじゃねえか!」
大規模な魔術を思わず舌を巻くような精密さで制御するグレンと、その隙を埋めるように近づくオークを戦斧で薙ぎ払うディラン。
初の共同戦線だがちゃんと連携は取れているらしい。
左右から迫るオークの、人間の数倍はあろうかという膂力で繰り出されるパンチ。
それを冷静に足さばきだけで避けて、逆に右手側にいたオークの首へ目掛けて戦斧を振るう。
その勢いを殺さずに左のオークへ回し蹴り。
吹き飛んだオークが他のオークを巻き込んで転倒して、そこにタイミングを合わせた魔術の爆炎が襲いかかり一網打尽にする。
「次! 右前方から四匹だ」
「わかった、足止め用の土魔術を使うから合図をしたら下がるんだ」
ソラに絡むから心配していたけど、ちゃんと協調性はあるみたいだな。
「二人とも、怪我はしないように全方位にしっかり気を配ってくださいね」
俺は二人に注意を促しつつ、グレンの背後へと突っ込んでいく二匹のオークの片割れにナイフを投擲。
ナイフが頭にしっかりと刺さるのを見届けながら、もう一匹の足を細剣で突いて転ばせ首を掻っ切る。
二足歩行し人に近い姿勢を取るオークだが、所詮は魔獣だ。
豚が魔獣化したもので、知能は豚のままだし精神性は人間ともほど遠い。
よって殺すことに躊躇いはない。
使う魔術も身体強化と……最低な話だが人間の女を孕ませる身体変化の接触魔術だけらしい。
人間を攫うこともあると聞いていたが、先刻グレンから聞いたオークの生態に関する話ではそんなものだそうだ。
おかげで今、俺が嫌いな魔獣の第一位にランクインしている。
気持ち悪いんだよ、この豚が!
こうして日が暮れる前には豚の処分が終わった。
状態よく血抜きが間に合ったオークは後で干し肉に加工して出荷されるらしい。
まあ、元の見た目はどうあれほとんど豚だし、魔力が浸透した肉は体にも良い。
市場価格はけっこう高いんだよなぁ。ちょっと複雑な気分だ。
「さっすが勇者さまだ! 聖女さまも本当に素晴らしい方を連れてきてくださって、もうなんとお礼を申し上げたら良いやら。村に平和をもたらしてくれただけでなく、これだけのオーク肉。本当にもらってしまってよろしいのですか?」
「ええ、かまいません。私たちはそんなにあっても使い道に困ってしまいますし」
ソラがにこやかに村長と話している。せめていくらかと差し出された礼金すら恐縮して受け取ってるし、お人好しというか……まあ、嫌いではないけどな。
「ソラさん、皆さんもお疲れ様でした。勇者の名に恥じない見事な戦いでしたよ。私も足を引っ張らないように付いてまいりますので、明日からも頑張りましょう!」
「あはは、ありがとうございます」
猫を被った俺のお世辞に苦笑する面々。
聖女さまの仮面というのも大変なんだよ。そんな顔されたってなぁ……その、しかたないだろ?
それに、見事な戦いだったのは本当だ。
期待してるぞ勇者さま御一行!