規格外
真意を探るようにフードを脱いで瞳を見返すが、セラと名乗った男は自然体で笑っている。俺との邂逅は偶然なのだろう。俺が来る前から座っていたようだしな。
念のため名前は誤魔化しておいた方がいいか。
「ただの冒険者などと、ご謙遜を。貴方さまほど身体強化を使いこなしている魔術師は初めて見ました。私は聖女教のカメルと申します」
「……驚きました。これに気付いたのは貴女で二人目ですよ。カメルさん」
怪訝そうな表情を浮かべるマスターとは対照的に、何を言っているか理解したセラは目を瞠る。演技の匂いはしないから、恐らくは本当に驚いているのだろう。
「これでも眼には自信がありますので。貴方さまほどの実力者が魔将以外にいるとは思えないのですが?」
極秘任務か何かだろうかと、少しだけ声を潜めて問えばセラが快活な笑みを浮かべて頷く。急に花が咲いたような感覚とでも言おうか、不思議と目が離せない表情だ。
「ではそういう事にしておきましょう。実は鬼熊の番が現われて、被害が深刻だと近隣から報告があったので討伐しに来たのですよ。まあ昨日、こちらのギルドに情報を聞きに来たら二匹とも討伐された所だというから肩すかしを食いましたね。私は武器を振るうくらいしか能がないですからね、仕方ないので近所で巣を作っていた火蜥蜴を追っ払ってきたところです」
「……そんなことを部外者に喋っていいのですか? 立場のある方なら耳に入っているのではありませんか、聖女が勇者と共に進軍していると」
マスターが仕方ないなという表情で肩を竦めるのを尻目に、セラは何でもないように話し続ける。俺が耳元に口を寄せて、敵に情報を漏らしていいのかという意図を口にしてもセラは頭を振る。
小声でも聞こえていたのか、マスターが口元をひくつかせて驚愕を押さえ込む。
さすがに今度はセラも声量を絞って答える。
「敵対的な行動だと、まあそう言う魔将は多いでしょうね。ですが違いますよ。私は感謝しているくらいです。立場上はリカルドとトリスの作戦に賛同しましたが、今回のセルキア連合への侵攻作戦は互いに死に過ぎる。それを犠牲を少なく止めてくれたのですからね」
今度は俺が驚く番だった。聖女の行動原理に気付いているかのような言い種に、思わずその整った顔を見つめる。
すると、悪戯な笑みを浮かべてセラがさらに顔を寄せる。俺は次の言葉を真剣に待つが、数秒してセラが小さく噴き出す。
「美人のくせに無防備なんですねカメル。キスされそうになっても瞬き一つしないなんて」
言われてからさっきの妙な間とセラの顔を思い出して頬が赤くなる。真面目な話の最中にふざけた奴だと思うのに、なぜだかその顔から目が離せない。
というか、ソラたちに迫られるようになって警戒度を上げていたはずなのになんたる不覚か。
俺はやたらと跳ねる心臓の鼓動を隠すように小さく溜息を吐く。
「憂国の騎士かと思っていましたが、軟派な冒険者でしたか。私の眼もすっかり曇ってしまったようですね」
「うははは、こりゃ驚いたな。セラが女に本気出してるのは初めて見たぞ。おいお嬢さん、悪いがステーキは俺の奢りだからそいつの相手してやってくれ。悪い奴じゃねえんだよ」
「さすがマスター、いい事を言いますね。ごめんなさいカメル、こんな気持ちは初めてで私はちょっと可笑しくなっているみたいです」
眦を微かに下げて謝罪するセラ。長いまつげと艶やかな金髪が静かに揺れる。表情を引き締めれば怜悧な美貌が拝めそうなのだが、さっきから表情が忙しなく変わるので愛嬌のある印象だな。
「私もこれくらい慣れてますから、いいですけれど」
「なんだなんだ兄ちゃん、女の子をいじめてんじゃねぇぞぉ、んん~?」
すると後ろから近付いてきた男が俺たちに絡んでくる。口ではセラに絡んでるように聞こえるが、視線はしっかりと俺の胸と顔を往復していた。フードを外したから仕方ないのか。俺は溜息を大きくしてマスターを見る。
マスターは小さく首を振って、セラに顎をしゃくる。静観していろという意味だろうか。
セラは先ほどまでの笑顔に少し困った色を混ぜて、男を見返す。
「ごめんなさい。私は今こちらのお嬢さんと話しているのです。酔うのは自由ですが、周囲に迷惑をかけてはいけませんよ」
「ぁあん? なんだとぉ、こいつ小奇麗なツラして言ってくれるじゃねえか。冒険者の怖いとこ見せられたいのかよお坊ちゃんよぉっ!」
セラの余裕の態度が気に入らなかったのか、男が激昂する。完全に酔いが回っているのだろう、足取りも若干怪しい。セラはやれやれと小さく呟いて、男が腰に提げていた長剣を手で握りつぶす。
比喩でも冗談でもない。刀身を手で掴み、クルミを割るような音と共に手の中で圧搾して無数の破片に変えてしまう。
男も俺も、言葉が出ない。こんな規格外の怪力など誰も見たことが無いだろう。下手をすれば鬼熊に匹敵するのでは無かろうか。それが知性を持って武器を振るえばどれほど危険か、考えるまでもないだろう。
一瞬で酔いの醒めた男が、よろけて後ずさる。周囲でそれとなく成り行きを見守っていた者たちも目を逸らす。その反応に満足したのか、セラは上品なすまし顔で口を開く。
「足元も覚束ないほど呑んでしまうのは善くありませんよ。今日の所は休まれたらどうですか?」
「……ぅ、あぅぁ、はひぃ! 失礼しましたっ!」
男は震える手で、慌ててカウンターに財布の中身をばらまくと脱兎のごとく店を飛び出す。マスターが律儀に、毎度どうもと声をかけるが聞こえてはいないだろう。
「ん、お待ちどうさん。レッドステーキと、ミードのお代わりな」
声に振り向けば何でもないようにマスターが皿を置く。パプリカと唐辛子で真っ赤に染まった肉はおどろおどろしい見た目だが、ニンニクと香辛料の香りが食欲をそそる。
おまけとばかりに横に置かれた小鉢には豆のサラダ。中心に乗せられたポテトサラダが舌を休ませてくれる心遣いなのだろう。それだけ辛いのだと主張しているようでもある。
「あー、見てたらお腹空いてきましたね。マスター、私のもレッドステーキお願いします」
「お前、さっき食ったよな。まあいいけどよ。お嬢ちゃん、冷めないうちに食いな。肉は熱いうちに食うのがマナーだ」
「あ、はい。では失礼しまして」
赤い肉をナイフで一口サイズに切り取り、口に運ぶ。香ばしい風味が広がる。焼き加減はウェルダン。その割には柔らかい歯ごたえ。脂とハーブの甘味が舌に触れ、火のような辛さが一瞬の間を破って押し寄せてくる。
汗がじんわりと浮かぶ。恐ろしく辛いのだが、その中に主張する肉汁の深い味わいは食べたものにしか伝わらぬ物だ。ひりつく舌をミードで濡らしてサラダを口に運ぶ。
酒に合うよう濃く味付けられたサラダは、辛さに麻痺しかけた味覚でもはっきりと分かるため嬉しい。
マスターが口の端を上げる。
「気に入ったみたいだな。美人が美味そうに食ってくれるんだから、お前には感謝しないとな」
「私も今、自分の手柄を噛みしめていますよ」
俺は微笑ましげに見ている二人の視線で、言葉もなくがっついていたのを自覚して軽く咳払いをする。
「美味しいですね」
咄嗟に出た言葉はそれだけだった。




