凄腕冒険者
マシューの街は小さな台地の上に作られた都市で、大昔にマシューさんという魔族が安住の地を求めて開拓したのだとか。街壁はなく、かわりに小さな木の柵を越えて街から一歩出れば崖である。
街の正門だけは石段が長く続いており、歩いて入るにはここを通るしかない。それは地を這う魔獣の大半も同じらしく、空と正門にさえ気を付けていれば比較的安全なため魔獣に村を滅ぼされた難民が移住することも多いのだとか。
ただ土地に限界がある上に、特産物もないため外貨獲得が困難だ。結果として冒険者や行商になり、マシューに残した家族を養うため危険を冒す男たちが後を絶たない。
なんとも本末転倒に思えるかもしれないが、安全なところで家族が待っていてくれるというのは嬉しい事なのだろう。かつて見た父の表情がそれを物語っていた。
マシューについて色々と教えてくれたのは野盗たちだ。彼らも元は冒険者で、この街に残している家族を連れて安全な人大陸の田舎に逃げたかったとか。
たしかに人大陸でも人里離れた場所なら魔族狩りに遭う事もないだろうし、魔獣も魔大陸と比べれば危険は少ないだろう。
しかし、そこまで水の勇者って奴は恐ろしいのか。
どうやら村や街に潜入することもなく、完全に全魔族と敵対しているらしい。そのせいで冒険者ギルドでは人相書きと共に、見つけたら周辺の市民を誘導して逃げるよう警告されているとか。
ということは魔獣ひしめく魔大陸で数か月も野宿し続けているという事で、しかも魔族からの恐怖で神力も纏っているだろう。もしかしたらソラより強いどころか、単独で魔王に匹敵する存在になっているのかもな。
このままだと敵対の可能性もあるし、できればこれ以上の虐殺をされる前に説得とか交渉できればいいんだが……難しいかねぇ。
まあそれは追々ソラたちと話し合うとしよう。
それはさておき、アリスとの手紙のやり取りで、魔王軍の暗殺部隊はマシュー周辺に展開していないと知れているから油断しすぎない程度に羽は伸ばせそうだ。
なめした鬼熊の毛皮は驚いたことにかなりの高額で売れた。というより馬二頭と交換してもらえた。これで荷馬と俺が乗る馬も揃って、行軍ペースはかなり上がりそうだ。
しかも商人の忠告で冒険者ギルドに討伐報告をしたら、悪くない額の報酬も貰えてしまった。そんなつもりじゃ無かったが、情けは人のためならずと言うところか。
そんなこんなで今日は各自にお小遣いを渡して自由行動である。ついてこようとしたディランとソラも撒いた。
たまにはひとりで居たいというか、アイツらはいい奴だと思うが一緒にいると休まらない部分もある。毎日のように恋慕が含まれた視線を浴びせられていれば当然だろう。
ともかく、今日は傭兵時代の休日みたいに勝手気ままに過ごすのだ。と言いつつ情報収集とかも兼ねて冒険者ギルド併設の酒場に居るのだが、職業病みたいなものかね。
メインストリートは冒険者に向けての店や道場がけっこう多い。なんでも多くの冒険者を輩出しているこの街に、教えを乞いに来る冒険者も多いのだとか。
引退したベテランや現役冒険者が副収入として技術指導をしているらしい。魔獣との戦闘や逃げ方なんてのは人大陸より発達しているだろうし、時間があれば俺も習ってみたいところだな。
そんな通りの中心が冒険者ギルドと言うわけだ。当然立地がいいから併設の酒場もごった返している。
でもその猥雑さは好ましい。情報がそれだけ集まるという事だし、親しんだ空気を感じる。
ギルド自体はしっかりと管理された役所という風情だったが、外通路ひとつ越えて酒場に入れば昼間っから賑やかな笑い声やら怒号が響く。
鼻につく酒の匂いと肴の様々な香りが、人族と魔族が、老若男女が混ざり合い混沌としている。まあ若い男が多いのは当然だが、意外と他の層も少なくは無い。魔術に優れてるなら老若男女を問わずに活躍できるからだろう。おかげで人族は若い男ばかりだけどな。
空いているカウンター席のひとつに腰掛け、筋骨たくましいチョビ髭の偉丈夫――店のマスターであろう男に声をかける。魔族とは思えない頑健な体は白いシャツと青いエプロンがしっくりくる。
「麦酒を一杯、それからオススメの肴は何でしょうか?」
「なんだ、ガキかと思ったら女か。ああ、フードは取らなくて正解だ。ここには正義漢と、女に飢えた狼が同じくらいいるからな。面倒を嫌うなら暗くなる前に帰んなよ」
俺はいつもの格好でフードは目深にかぶっている。マスターの言うとおり厄介ごとは少ない方がいいし、冒険者だって顔に傷があったりと顔を隠す者も多いだろうから違和感ないだろうしな。
俺が忠告に小さく礼を言うとマスターはちょっと大げさに肩を竦めておどけた後、カウンター奥の調理場に少しばかり視線をやって思案する。その脇を元気がよさそうな給仕の店員がジョッキや料理を持って駆けていく。
「今日はツケの溜まっていたボンクラが火蜥蜴を仕留めたってんで利息として取り上げたんだがな、レッドステーキは喰ったことあるかい?」
「いえ、無いですね。サラマンダーというのも初めて聞きます」
マスターは人好きのする笑みを浮かべて身振り手振りを交えて説明してくれる。
「火蜥蜴は字の通り火を吹くトカゲでな、犬くらいの大きさなんだが肉は柔らかくて何故か辛いんだよ。これにニンニクと香草、おまけに唐辛子とパプリカの粉末を上乗せして焼くのがレッドステーキなんだが、まあ好みが分かれるな。鮮度のいい肉でレッドステーキを喰えるなんてなかなか無いぜ」
俺は無意識に唾を飲み込む。この体になってから甘い物好きになったが、昔から好きだった辛い料理も平気で食べれているから、激辛料理には惹かれる。
旅先で珍しい物を喰うのは重要な楽しみであるし、新鮮なうちに食べられる機会は少ないようだから是非にと思う。しかしマスターの口ぶりから、かなり辛そうだしエールだと落ち着かないかな。
そんな空気を察したのか、フード越しで顔もハッキリとは見えないだろうにマスターが頷いて告げる。
「酒は麦酒より蜂蜜酒の方が口に優しいな、どうする」
「では、レッドステーキとミードをお願いします」
「あいよっ! 母ちゃんレッドステーキ入るぞぉ! 一人前なっ」
先に出されたミードを舐めて料理を待っていると、横に座っていた細身の男が小さく笑う。
フードの下から小さく窺うと、簡素な旅装に傷のない小奇麗な顔と相まって冒険者には見えない若い男だった。
「お嬢さん、勇気がありますね。こんな所にひとりで来て、レッドステーキですか」
微笑む顔はどこか儚げで美しく、いかにも女性が放っておかないであろう美貌でありながら、それを鼻にかけない雰囲気を持っている。そして、ずっと気になっていたのだがこの男は魔族の中でも飛び抜けて魔力が高いように見える。
華奢な見た目に反して間違いなく傷を負う事すらない強さを誇る魔術師という事なのだろう。それなのにどこか弱々しく見えるのは何かを諦めているような瞳のせいだろうか。
「これでも旅慣れていますので、こういう空気もむしろ好ましく思っていますわ」
「うん、見た目に似合わず剛胆ですね。私の狩ってきた火蜥蜴、ぜひ味わってください」
「おいおい、お前が女を口説くなんて珍しいな。こんな酒場で探さんでもいくらでも寄ってくるだろうに」
どうやらツケの溜まっている冒険者とはこの男らしい。マスターが探るように割り込むが、男は柔らかな笑みを崩さずに首を振る。
「嫌ですね。そんなんじゃないですよ。ただ、なんだか気になってしまって。女性に興味は無かったはずなんですがね」
「それはそれで問題発言だろうに。浮いた話ひとつ聞かんと思ったら男色家なのか?」
マスターがふざけて言えば、男も気安く笑う。どうやらかなりの常連なのだろう。
「私も貴方さまが少し気になっておりました。名のあるお方とお見受けしましたが、お名前を伺ってもいいでしょうか?」
「そんなに大した者ではないですよ。ただの食い詰め冒険者です。セラと言います」
ただの食い詰め冒険者などであるはずがない。誰も気付いていないようだが、間近で見ればこいつを取り巻く魔力は常に身体強化の魔術らしき形を描いている。
そんな無茶な使い方ができる魔術師など聞いたことが無い。俺は予期せず魔将と遭遇していたようだった。




