魔大陸の魔獣
ちょっとした誤算は馬が高かった事だ。
いや、いきなり何かと言えば路銀の都合で馬が四頭しか買えなかったのだ。よく考えれば魔獣の跋扈する魔大陸は家畜への獣害は多く、必然的に価値が上がる。
しかも馬ですらやや魔獣化の兆候が見られている種が多いので、草食動物とはいえ調教も大変だ。だが風を操る魔術を無意識に行使しているらしく、空気抵抗を減らして走るので速度は普通の馬よりかなり出る。持久力も高いと言うから身体強化も使っているのかもしれない。
上等な馬だと追い風を起こして加速し、魔獣相手に風の刃を飛ばす旋駆馬などもいるらしいが目玉が飛び出るほど高いので一見さんには売ってくれないらしい。というか見せてもくれないが妥当だろう。
まあともかく、五頭目以降を買うと食料の資金を残して宿代は残らない。これ以降ずっと野宿……というのはさすがに酷だろう。
こんなことならもっと金貨を持って来ればよかったか。いや、さすがに荷物が増えすぎるとまずい。ただでさえ軟弱な体ゆえに、荷物の大半をディランに背負わせているのだ。
ちなみに通貨は人大陸の物でも使える。というより、魔族も先祖が使っていたであろう人大陸交易貨幣を再現しているので違いがほとんどない。
金銀銅の価値は魔大陸でも変わらないみたいだしな。
とりあえず荷物を他の馬に負担してもらい、軽くなった馬には二人乗りするということで決まった。最初は体重の軽い順という事で俺とグレンが二人乗りという話だったのだが、他の三人――珍しくカーライルまでゴネたから持ち回りになった。
圧倒的に軽い俺と、他の奴を組み合わせて回すのだ。
とりあえず前に乗ったら背後から感じる息遣いに寒気がしたので、即座に後ろへ移動したのは当然と言えば当然か。クシルを出立した初日はグレンと乗ったのだがまあ、ちょっと居心地悪かったので早く慣れて欲しい。
落ちないように後ろからしがみつかなければならないのだが、体が触れるとあからさまに身を捩って落ち着きがなくなるのだ。お互い疲れるし危ない。口を酸っぱくして言ったのだが、グレンは本気で申し訳なさそうにしつつも真っ赤になっていた。
ここまで純情だと逆に心配だ。初恋が俺らしいので変な拗らせ方をしないといいけど。
グレンの心配ばかりしていられない。先日クシルを襲って撃退された鬼熊は北東に逃亡したというから、魔都への街道に出没する可能性は高い。
野生の動物より狩りやすい人間の味を覚えた。それはとても危険な事だ。
「馬鹿だよな」
「もっとこう、優しいねとか言えないかなツバキ」
「僕としては病み上がりにハードな戦闘は避けたいんだけど」
「オレは別にバカでもいいけどなぁ」
「……賢い生き方が出来ないから俺たちはソラに付いてきた」
辛辣な言葉に苦笑するソラたちだが、別にお前らだけじゃなく俺も含めての事だ。
なにせ、街道の近くにあった血痕を追いかけて林に入ったのは総意だからな。
結局、ソラは勇者だった。それは身分としての意味ではなく、心根が物語に出てくる勇者のようだった。
人族と決別する可能性があっても、恩人たちから恨まれることになっても和平の道を考えると決めてしまった。
彼と気高き同行者たちは、もう当たり前のように魔族も守るべき対象になっていた。だから危険な鬼熊を放置する事を善しとしなかった。
ちなみに、いかにして魔王や魔族の信用を得るかという問題に対して、ソラは剛胆な答えを返した。
『魔王は倒す。その上で、殺す気はないから人大陸との友好関係を築くように協力をお願いしてみるよ』
強さを貴ぶ魔族には受け入れられやすい方法かもしれないと、目から鱗が落ちる思いだった。
敵討ちは魔王を痛い目に遭わせて平和のため尽力させれば、亡くなった故国の人たちも許してくれるんじゃないかな、と儚げな微笑で言われてはそれ以上追及できない。ソラ自身のやり場のない怒りや悲しみは、優しさに覆われて見えない。
もうこいつが聖女でいいんじゃなかろうか。
こんなに誰かのためを本気で実践し続ける、根っからのお人好し。俺は自分のために生きているが、こういう損な性格の奴が嫌いじゃない。
報われようとは思っていないのかもしれないが、少しでもソラの振り撒く幸せが本人にも返ってくるようにしてやりたい。
グレンもカーライルもディランも、皆で同じことを考えているのだろう。ソラを見る目が優しいから、勇者さま御一行は今日も温かい。
まあ目下の問題は、予想通りに遭遇した鬼熊が、予想外の数だったことだ。
「……番いだな」
気配を探っていたカーライルが俺と同じ結論に達して小声で告げる。
全員に緊張が走る。軍人が二十人がかりで戦い仕留めきれない魔獣が二匹だ。争う気配もなく体躯に大差がないから親子でもなく番いだろうな。
さてクシルの街を騒がせたのは雄だろうか? それならまあ手負いだろうし不意打ちで有利に進めることが出来るかもしれない。
しかし、怪我をしているのが雌なら雄はどれほど強いのか。考えても仕方がないのでとりあえず作戦を立てる。
「グレンの魔術が届く範囲まで近づけば気付かれる可能性は高いな。俺とカーライルの奇襲で手負いの方を攻撃、即座に離脱してグレンの魔術でトドメ。もう一体はディランとソラにしばらく押さえてもらいたいが……できるものかね?」
「熊なんか狩ったこと無いから何とも言えないなぁ。とりあえず牽制ぐらいはできると思うけどよ。ソラはどうだ?」
ディランの率直な言葉へとソラが答える前に、グレンが眼鏡を中指で押し上げて苦い顔をする。
「熊と同列に考えたら命がいくつあっても足りないぞ。僕も文献でしか知らないが、毛皮の堅さも厄介だけど異常な膂力と巨体から生み出される暴力は災害そのものらしい。かつて人大陸で発生した体長八メートルの個体は、砦の門を壊して侵入したと書かれていた」
「腕の一振りが攻城兵器みたいなものだと、それは受け止めるわけにはいかないね。他に注意するべき事はあるかな?」
ソラが肩を竦めて問えば、頭を振って、それ以外に危険要素があったらその文献を書く人間すら残らなかっただろうさ、という皮肉が返ってきた。ごもっとも。
「じゃあ、基本的に攻撃は避ける。常に間合いを取って互いにフォローしながら動こうか。動きも速そうだからディランの手斧かグレンの魔術で目を狙うのは難しそうかな?」
「んー、まあ狙ってみるかね。六メートルだから立ち上がられたら白兵武器じゃ顔は狙えないもんなぁ」
「そうだね。僕も動きを鈍らせる方向で魔術を使うとするさ」
「……いざという時、すぐに離れれるようにグレンは距離をしっかり確保した方がいい」
「そうだな。グレンの実力じゃあ魔獣の攻撃は避けれないだろうから大技は危険かもしれない。最初の一発以外は隙の少ないものを。狙われたと感じたら即座に持ち場を放棄して全力で逃げろよ。さすがに即死したら俺も癒せないしな」
グレンの顔が強張るが、本人も殴られたら即死するであろうと自覚しているのか重々しく頷く。まともな防具も着けていないし、回避もまだまだ下手だ。
クシルの街を守る軍人が死ななかったのは金属鎧に加えて、咄嗟の回避動作があって首の皮一枚を残す結果となったはずだ。どちらも持ち合わせないグレンは近付かれた時点で死が半ば確定する。
一瞬だけ木の上から魔術を撃たせようかと思ったが、さっきの話で小枝を折るように大木を圧し折る様が容易に想像できたので口には出さなかった。木から落ちては逃げる暇もなく追撃される。下策だな。
「土壇場で試すのは危険かもしれないけれど、今なら聖剣の力を使えそうな気がするよ」
「そういえば、ここ数日でソラの纏う神力がかなり増えているな。各国に送った武王さまの使者が武勇伝を広めてくれてるんだろうよ」
「古い伝承だとあらゆる災厄から身を守る盾を生み出すとあったけど、消耗とかも分からないから基本方針は変えない方がいいと思う」
俺がソラの変化を指摘すれば、グレン参謀が解説と指針をくれたのでソラも神妙に頷く。
俺の見立てだとまだ聖女信仰の一割にも満たない神力だから、ソラ自身にもぼんやりとしか分からないだろうな。ともあれディオール出身だから勇者ソラは人族の盾という信仰のされ方だし、権能を端的に再現するのだから信頼性は高そうだ。
まあ無駄遣いは危険だろうし最後の手段だな。
「それじゃあ、行こうか」
俺たちはソラの言葉を受けて、一斉に頷いた。




