魔族と勇者のあり方
「ごめんなさい、もう大丈夫です」
俺は恥ずかしくて目を逸らしながら言ったが、向けた先にもソラがいたので目が泳いでしまう。いい年して人前で泣いてしまうとは不覚だった。男が泣いていいのは財布を無くした時と、親が死んだ時だけだ。
あの時に枯れてしまったと思っていた涙が、二日連続でソラに見られてしまうとは思わなかった。こいつの中で泣き虫な女の子という認識になっていなければいいのだが。
一瞬だけ目を合わせれば、安心させるような優しい微笑みを浮かべている。美形の無駄遣いだ。その顔を俺に向けるんじゃない。
「あはは、それにしても、その様子だと聖女さまも春は近いかな? たまに無茶をするお人だとは思っていたけど、こんなとこまで来たのは勇者の坊やに感じるものがあったからなんだね。ソラって言ったね。聖女さまの手を離したら承知しないからね」
「はい、任せてください」
勝手な事を言っているミルコナフとソラに、咳払いしてから釘を刺しておく。
「えっと、ミルコナフ? 勘違いしないでくださいね。私とソラさんはそういうのではありません。確かに何かが変わるかもと思って付いてきましたが、恋愛とかそういう意識はありませんよ」
「そんな事を言わないでツバキ。私は心から君を愛している、真剣なんだ」
「あっはっは、情熱的じゃないか。聖女さまはアタイと同じで絆され易い性格だから根気よく頑張りな!」
彼女の言いぐさにアベルも苦笑するが、俺に同じ手は通じないぞソラよ。
とにかく軌道修正をしなければいけない。表情を引き締め、改めて問う。
「その話題はさて置きまして、もしよければ私とソラさんに魔大陸の常識や魔王さまに対する印象とかを教えて頂けませんか。私の知識は昔に魔族の方から聞いただけですから違う部分もあるでしょうし、今暮らしている貴女の言葉を聞きたいです」
「そういえば、ソラ君は勇者にしては落ち着いていますね。魔大陸に渡ってくる勇者と言えば、魔族への恨みや偏見に満ちている方が多いのですが、これも聖女さまの仁徳の成せる業ですか」
アベルが陶酔した様子で俺を称賛するが、これはちょっと想像以上だな。今までの信者は俺に直接助けられたりしている。でもこの人の場合は、その位置にミルコナフがいる。そしてその上位存在として聖女があるわけで、美化と言うか期待が跳ね上がっている気がする。
やめろ、俺は人間に毛が生えた程度の者であって、そんな熱い眼差しを向けられたら騙してるような気分になってくるだろうが。
ああでも直情的なミルコナフから美化された話を聞かされて、本当に洗脳状態かもしれないな。申し訳ない。
「そうでしたね。じゃあちょっと長くなりますが話させてください。アタイが魔大陸で学んだこと、魔族のことを」
ミルコナフがまず語ってくれたことは、俺がまだソラたちに言っていなかった事。つまり魔族とは何者かだ。
魔族と言うのは、魔大陸を開拓した人族の末裔らしい。魔大陸の濃密な魔力が生まれてくる前の子どもに影響を与え、魔力に対して順応した人族の子どもが魔族と呼ばれている存在の正体だ。
魔族同士の子どもでも二十人に一人くらいの割合で、人族の子どもが生まれる。これは地方によっても違うらしいが、魔族が暮らしているような比較的安全な場所での確率なのだろう。魔力が豊富なところであれば、それだけ魔獣も強い影響を受けて生まれるのだから。
ともかく重要なのは、魔族と人族の違いと言うのが出身地の違いくらいしかないという事だ。それが人大陸の国から敵視されているのは、かつて魔術の力を危険視した国とそこから受ける迫害に対抗した代表者――初代魔王が戦争をしたためらしい。
現在の国連も魔王と魔族の力を恐れるが故に、魔大陸に押し込めておきたいから戦争をしているのだろう。
これに対して魔族側のスタンスは、その代の魔王によって違う。民を守る事だけに終始した者もいれば、安全な人大陸を手に入れようと戦争に肯定的な者もいたのだとか。
「今代の魔王さまはどちらかと言えば穏健派ですよ。いつも民の心配ばかりしているようなお方だそうで……ただ時折、過激な侵攻を行っているのも事実なのですよね。アタイは王様がどうすれば民が幸せになるかなんて考えた事もなかったから、どういう考えがあってかは分かりませんけどね」
「穏健派……」
隣に座ったソラが低い声で、俺にしか聞こえないような呟きを漏らす。ディオール陥落は魔王が直接その手を下したのだから、思うところがあるだろう。強張ったソラの背中を軽く何度か叩いて、籠った力を抜いてやる。
「私も何度かお会いしていますが、優しい方ですよ。聖女教への義援金も頂いてしまいました。なんでも貧民街の出身だそうで、お金がない子どもでも診てもらえる事が嬉しいと仰っていました」
「そうでしたか……。きっと苦労された方なのでしょうね」
それからも色々と聞かせてもらえた。今代の魔王が単独で龍を撃退した逸話や、危険の多い魔大陸では両親が亡くなって孤児になる子どもが多い事。それらを養う孤児院などがしっかりと整備されていないのは、魔獣と人族、二つの危険と常に戦っているせいで手が回らないのだろう。
他の司祭たちも各地で小さいながらも診療所や孤児院を構えているらしい。
それからクシルの街の現状。
やはり魔獣の襲撃が定期的にあるため、軍人が怪我で運ばれてくることも多いらしい。それでも住民に被害がほとんど出ていないのは、彼らの頑張りがあってのものだと誇らしげにアベルが語ってくれた。
それから診療所の付近にある畑は、アベルがミルコナフのために用意したらしく各種の薬草などを栽培できないか実験しているらしい。
「アイヌねぎもあるのですか。魔大陸で育ったものなら滋養効果もさらに高まっているでしょうね。あ、ちょうど風邪をひいて仲間が弱っているので少し分けてもらってもいいですか?」
「もちろん! 聖女さまに献上するにはちょっとばかし匂いのキツイ品で申し訳ないですけどね」
笑って顔の前で手を振るミルコナフに苦笑する俺。そもそも普段から薬草やら何やらの匂いに包まれている俺が、今更にんにく臭くなったところで平常通りだと伝えると、ソラとミルコナフが同時に首を振る。
「ご自分じゃお気づきでないかもしれませんがね聖女さま。甘くてクラっとくる何とも言えない匂いがしてるんですよ」
「うんうん、隣に座っていても平常心でいられる私の胆力を自分で褒めてあげたいくらいだよ」
信じられないが二人して言うのだから本当なのだろう。これも信者が抱くイメージのせいか、それとも常に清浄さを保つために神力で勝手に脱臭されてるのか? いや、それだと体臭も無くなりそうだから前者か。
そしてソラの発言に危機感を覚えたので少し反対側に寄っておく。傷付いたような顔をしているが、口の端が上がりそうなので演技だなこれは。
そうやって色々と話している間に昼過ぎになり、街の壁外を警備していた軍人が運び込まれてきて騒がしくなる。
なんでも鬼熊という体長六メートルはある魔獣に襲われたのだとか。爪で一撫でされただけで金属鎧を着ていた軍人が重傷を負うのだから、恐ろしい魔獣のようだ。
二十人がかりで対応して七人も負傷しながら追い払うのがやっとだったという。肋骨が折れて内臓を傷付けていたり、手足の骨が完全に折れてしまっていたりと酷い有様だった。
俺たちは話を切り上げて治療にあたり、聖女本人がいるとバレたら面倒な事になるかもしれないから、その後はすぐにお暇した。
「というわけで、だな。ソラとお前らには今の話を聞いた上で、魔王をどうしたいのか考えて欲しい。もちろんここまで到達できてしまったのは俺の責任もあるから、魔王を殺すつもりでも俺は手伝う」
宿へ戻って、起きたグレンにアイヌねぎ付きの食事を摂らせた。本当は消化にいいメニューの方が負担が少ないかもしれないけど、見たところ胃はそんなに弱ってなかったのでしっかり食べさせた。
その後に部屋で今日あった事を話して、俺はどうしたいか聞く。魔王と和平の道を考えるのか戦うのかは、どちらが正しいとも分からない。
もし魔王を殺す事になったとしても、俺はこいつらに付いて行くだろう。それくらいには、こいつらの事が好きだから。
皆もすぐには答えを出せないだろうし、情報を整理したいだろうから悩んでいいと言っておく。後悔しないようになんて無理かもしれないけど、よく考えて決めて欲しい。
「オレはアニキと同じだ。アニキがお前らを信じたんだから、どうするつもりでも付いてくぜ。……ソラのおかげで、最近はアニキの笑い方が自然になった気がするしな。恩返しくらいしてもいいと思ってる」
ディランだけは即決だった。俺を中心に世界を回すのはどうかと思うが、こいつはこいつでソラやグレン、カーライルが好きになったんだと思う。今更放ってはいけないよな。
結局これは、国連と魔国の戦争で、勇者と言うのは兵士だ。勇者さま御一行の幸せだけを考えるなら、勝って帰れば英雄として地位を保証されて不自由ない暮らしができる。
そして親と祖国の仇も取れるのだ。
だけど、優しいこいつらは迷う。
だって、お前らは誰かのために武器を手に取って、旅に出てしまったから。
国連の現状を鑑みると、和平の道は難しい。それに魔王だって勇者だけは自分を殺しうると分かっているのだから、完全に信頼されるのは難しいだろう。
静かな室内に零れた、皆が幸せになれればいいのにという子どものような願いは、誰の口から出たのか分からなかった。




