聖女教会
もう二週間になりますが、しつこい風邪で体調を崩したままです。読んでくださっている皆様もどうかお気を付けて。
扉に据え付けられた武骨なノッカーを鳴らせば、中から軽い足音が走って来て迎えてくれた。小柄だが男性のものだな。予想通りに中から現れたのは、気弱そうな細身の青年。
魔族としても若干というか、かなり軟弱な外見の青年だ。場にそぐわない仕立てのよい衣服と、整った顔立ちからすると貴族階級か商人かねぇ。商人だとしたら跡目は継がせてもらえそうにないタイプだな。
青年は先に視界へ入ったソラに優しげな笑顔を見せる。
「入信の申し込みでしょうか? それともご病気で――」
驚いたことに教会の下働きをしてくれているらしい青年は、事務的な定型句を口に出しながらも俺の方まで目を向けて絶句する。俺はその反応に少し警戒するも、聖女の仮面は剥がれぬよう気を付けて微笑みで見返す。小首を傾げるのも忘れない。
青年は小さく震えながら両膝を床に突き、両手を顔の前で組んで祈るような形をとる。
その瞬間に感じられる、存在の根幹に触れられたような感覚。
「あぁ、聖女さま。このような辺境まで御足労いただき感謝の念に堪えません」
「私の神力を感じられるのですね。どうかその力で遍く人と魔族を癒して差し上げて下さい」
俺はそう言って青年の両手を包むように掴んで、優しく立たせる。我ながら手馴れたものだが、まさかこんなに信心深い者がいるほど聖女教が浸透しているとは思わなかった。この感触だと充分に癒しの奇跡で軽傷なら治せるくらいだ。侍祭として司祭の補佐についてもいい頃合いだ。
「はいっ! どうか我らの健やかなる暮らしを見守っていてください」
嬉しくなって本心から笑みを浮かべる俺に、青年も笑顔になった。横でちょっと付いて行けない表情のソラを振り返って、軽く頷いてから青年に声をかける。
「貴方がこの教会の責任者でしょうか? もしよければお話を聞かせて頂ければ――」
「――聖女さま!? 聖女さまじゃないかい!? どきな坊や、なに汚い手で聖女さまに触れてるんだい! ああ何という事でしょう、こんな遠くまでさぞかし苦労なされたでしょうに」
建物の中から青年のそれより一回りは太い腕が伸ばされて、彼の首根っこを引っ張る。
そして俺の前に姿を見せた女性。まだ二十代の後半くらいでありながら、鍛え上げられた体躯と日焼けした肌、そして短く切りそろえた赤毛とさばけた表情が姐さんとかおっかさんという印象の女性だ。
「貴女でしたか、久しぶりですねミルコナフ。お元気そうで安心しました」
「聖女さまこそ、こんな危険な場所までよくご無事で。あっ、立ち話なんてとんでもない! ささ、今は患者もいないしどうぞ中へ。坊や! アベル坊や! お茶を出しておくれよ、一番高いのだよ! はやく!」
ミルコナフは元傭兵で、魔獣によって片腕を肘から千切られた状態で運び込まれた。護衛対象の商人が錯乱して、彼女を突き飛ばしたのが原因だというのだから当時は憤慨したものだ。
運び込まれたのが早かったから治癒の奇跡で腕は繋がったが、それに感動したミルコナフは傭兵を辞めて聖女教に入信。本人曰く単純な性格だからなのか、瞬く間に俺への信心と医学知識を深めて奇跡を行使できるようになっていった。
女性でありながら戦士としての腕も確かなので、魔大陸への布教を頼んだメンバーの紅一点だ。面倒見もよく社交的、向いているだろうとは思っていたが、なるほどこの教会を建てた手腕には舌を巻く思いだ。
ミルコナフに手を引かれて連れて行かれた教会内は、入ってすぐ説法や集会に使うのであろう礼拝堂が広がっている。奥の側廊から施療院としてのスペースに繋がっているようで、礼拝堂内にいたお医者へ挨拶しながら診察室へ案内される。
元気そうな、そしてとても嬉しそうなミルコナフの顔を見られて温かい気持ちになる。
ともあれ、あまりソラを放置しても可哀そうなので紹介するために、椅子に座らされながらソラに声をかける。
「ソラさん、こちらは魔大陸での布教をお願いしているミルコナフ司祭です。ミルコナフ、こちらは勇者ソラさんです」
「こんにちは。ツバキにはいつもお世話になっています。ソラ・ディオールです」
「ゆ、勇者さまぁ!? 聖女さまったらなんて恐ろしいことを。あ、アタイはミルコナフだ。よろしく頼むよ。それにしても勇者だなんて、さすがに聖女さまと言えど魔王さまに目を付けられちゃうんじゃないのかい?」
豪放磊落を絵に描いたようなミルコナフでも、魔族にとって最も警戒されるテロリスト――勇者という存在がこんな場所に堂々といることに驚いたようだ。
まあ、昨日の接触で聖女教は泳がせてくれると確信したから、安心してここに居られるというのもあるのだが。
「実は昨夜すでに暗殺されそうになったのですが、なんとかお帰りいただきました。まあそれはさて置きまして、魔族の事、魔王さまの事、教えて頂けますか?」
目を瞠るミルコナフに問いかけたところで、魔族の青年がお茶を持って入室する。
「お待たせしました。朝食はお済みかと思いましたが、よかったらお茶請けもどうぞ」
「まあ、これはありがとうございます」
「ありがとうございます。どうぞお気遣いなく」
「あっ、アンタまだ紹介してなかったわね。聖女さま、この坊やはアベルっていうんだ」
紅茶の香りと共に用意されたのはクッキーのようだった。甘いものは別腹だからな、顔も綻ぶというものよ。
紹介された青年――アベルは給仕を終えてから向き直ると、しっかりとした貴族の礼をとる。
「ご紹介に預かりました、アベル・クシルと申します。貴女さまの信徒であり、この街を魔王さまより預かる身です」
「えっ!?」
「……あら、まあ」
ソラが先に声を上げてくれたので表情を崩さずに済んだが、俺も内心では驚愕している。なんと街長? 領主? 魔族の身分は詳しくないがともかく要人だ。それがミルコナフに粗雑な扱いを受ていいのだろうか。本人は平気そうにしているが。
俺の問うような視線にミルコナフがちょっと躊躇いながら口を開く。微妙に顔が赤くなっているのは何故だろう。
「あぁ、聖女さま。まだ確定ではないんだけどね、アタイはアベルと……その、結婚する予定なんだ」
「まぁ! 素敵ですねミルコナフ。私の権能ではありませんが、お二人の絆を祝福させて頂きますわ。おめでとう、アベル様、ミルコナフの事よろしくお願いいたしますね」
「お任せください。三ヶ月も待ってようやく返事がもらえたのです。もう絶対に離しませんよ」
ソラが横で居心地悪そうにしているけど、これは喜ぶべきことだ。なるほど言われてみれば良い組み合わせに思える。魔大陸に送り出す時、普通の幸せは望めないかもしれないと言ったのに快諾してくれた彼女が、結婚するのだ。感無量で思わず涙が出てきた。
俺はこんなに涙もろい性格ではなかった気もするが、出るものは仕方がない。
「ちょっと聖女さまったら泣く程のことかい!?」
「貴女の好意に甘えて魔大陸に送り出してしまったのに、ちゃんと幸せになっていてくれたのですから、嬉しくて。辛い仕事を頼んでしまってごめんなさい。無事でいてくれてありがとう」
自分でもよくわからないけど、聖女としてではなく俺は本心からミルコナフに感謝する。顔がくしゃくしゃに歪んで涙が止まらなくなってしまった。ソラが背中を優しく擦ってくれる。
目の前の二人は幸せそうに微笑んで俺を宥めてくれるけど、それから落ち着くのに十分以上かかってしまった。




