一息ついて
徹夜明けの眠い目を擦りながら今日の予定を打ち合わせる。場所は食堂の片隅で、今朝のメニューは甘めの牛肉トマトそぼろが乗ったパスタと、新鮮な葉野菜にカラフルな瓜っぽい雰囲気の野菜で彩りが綺麗なサラダ。あとはジャガイモのスープ。
これがまたトマト牛そぼろが濃厚な味で堪らないのだ。パスタ自体は普通と言うか、俺の舌はそんなに上等にできていないので大抵は違いが分からない。だが、糖度の高いトマトの酸味が飛んでトウガラシと香草でしっかりと香り付けされているソースは俺でも美味いと分かる。
サラダは葉野菜も鮮度がよくみずみずしい。そして上の黄色や橙色、赤などの色を見せている野菜は給仕のお姉さんに聞くとコリンキーというらしい。カボチャの変種なのだとか。人大陸では見たことがないので魔大陸の恵みが生み出したのだろう。これもポリコリとした触感が酸味のあるドレッシングと共に食事を単調でない物にしてくれている。
そしてジャガイモのスープ。舌触りも滑らかで丁寧に作られているだろうそれは、あまり凝った味付けをしている様子はないのに不思議と普通ではない美味を感じる。やはり人大陸とは同じ芋ひとつ取っても味が違うのかもしれない。
まあ何が言いたいかと問われれば、久しぶりに気兼ねなく美味い物を食えるので堪能しろと言う事だ。
「グレンさん、寝てはだめですよ。しっかり食べてお薬を飲んでから部屋で寝ましょうね」
「……うん。美味しい。すぅ……すぅ……」
今にもグレンがスープで顔を洗おうとしているのは、徹夜と最近の強行軍に体調を崩して風邪をひいているからだ。睡眠時間も足りていないが、昨日の夕食もほとんど食べていなかったから栄養を取らせないといけない。
これが街以外の場所だったら奇跡で治癒させてもいいのだが、それだと免疫が付かなくて今後の旅で頻繁に倒れられても困る。余裕があるうちに自然治癒力を鍛えておかないとな。たぶん一番のもやしっ子がグレンだろうと警戒していたが、むしろ今までよく持った方だ。
俺は苦笑しながらグレンを揺り起こしてやる。これで四度目だ。
皆はすでに食べ終わっており、健啖なディランがおかわりを頼んでいるのと、俺がグレンの世話で遅くなっていて半分くらい。グレンはやっと四割に届くかどうかだ。
子どもみたいだな。ディランの小さい頃を思い出す。
特に二人で暮らしてた頃だ。俺を心配してか年齢に不相応な態度ばかりだった幼いディランが、病気の時は反動が来たみたいに甘えん坊になるのだ。
そうか、あの時みたいに食べさせてやればいいのか。
俺は寝惚け眼のグレンからフォークを受け取り、パスタを軽く巻き取って口の前に持って行ってやる。そして、軽く背中を叩いてやれば目が少し覚めて口を開く。赤ん坊の世話よりは楽なものだ。
「似合いすぎていて怖いよツバキ。というか、羨ましいんだけど? 私にそういうサービスは無いのかな」
「それでいいのかよソラ。オレはさすがにこの歳になると恥ずかしくて嫌だぜ」
「……二人きりなら、か」
ソラの戯言にディランが真面目に返して、カーライルが何かを想像して赤面する。それはグレンの役目だから、お前のキャラじゃないだろ。いや、見た目は垢抜けた盗賊ギルド幹部みたいでも実は純朴な田舎青年だからなぁ。キャラが違うというほどでもないのか。
グレンは夢現だから今は大人しく雛鳥みたいに食べているが、後で恥ずかしさに身悶えするだろうな。
「ところで、皆さん。今日の予定なのですが、私は聖女教の施療院に挨拶をして、馬の手配も済ませてしまいたいのですが誰か一人付いて来てくださいますか? 昨日の今日ですので一応」
「ああ、そうだね。となるとグレンの世話は手馴れてそうなディランに任せて、その周囲へ警戒が出来るカーライルも留守番。私がついて行くの妥当かな」
「……む」
「くぅ、先手を打たれたかぁ。まあ反論の余地もないし仕方ねえか」
一瞬だけ火花を散らした三人の視線は気にしないよう努めて、内心でソラの考えの深さに感心する。数秒でそこまで考えて采配を振るとは、さすが王族という事なのか。それとも勇者の素質かね。
最初に会った時はヒヨッコだと思ったが、最近は頼もしいと感じることが多い。
『私たちは勝手に死んだりしないから、置いて行かないから』
昨夜の声が頭の中で響く。信じていいのかもしれない。俺はきっと、誰かが死ぬのを恐れている理由に気付いている。
ただ、寂しいだけなんだ。母さんが死んだとき、独りになりたくないから父さんに無理矢理ついて行った。それで父さんを心の支えにしてしまった。世界の中心に据えてしまった。
だから、父さんが死んだときに俺は独りになった。
やっとディランがいると気付いた時にそれすら失いそうになって、俺は必死に抗った。
俺は本当は甘ったれた奴で、いつも近くにいる全てのひとたちに寄りかかっている。寂しいのが怖い甘えた子どもだ。
だから意地を張って男らしくありたいのかもしれない。ソラの言うとおり、心に性別なんてないのかもしれない。だって俺は、そう考えると昔から女々しい奴だ。
しかし待て。これだと心に性別があったら俺が心まで女みたいだし、無かったら性別は体に準拠するので女だ。詰んでいる。
よく分からなくなってきた。あまりソラを全肯定するのは危険だな。
機械的にグレンの食事を済ませながら巡らせていた思考。それを放棄してソラに向き合う。
「では行きましょうか。ディラン、グレンさんの事はお願いしますね」
「あいよアネキ。まあオレも昨日は走り回って疲れてるから一緒に昼寝とするかねぇ」
「……そうだな、交代で寝るか」
「ふふふ、ツバキと二人っきりは珍しいね」
ソラが年相応の少年らしい笑顔に、ちょっと王子様っぽい気取ったものを混ぜて顔に浮かべる。似合うけど、女性受けしそうだけど。
「あら、そんな顔をされてもドキリともしないので不慣れなプレイボーイ顔は引っ込めてくださいませ」
「けっこう自信あったんだけどね。ツバキは辛辣だね」
わざとらしく肩を落とすソラと笑い合いながら宿を出る。
街の南側。畑に近く交通の事情的に見ればよくない立地で、施療院は建っていた。
そこには聖女教会という看板が立てられていて、外観は神殿に近い。もちろん規模は小さい。逆に太陽神とかの神殿みたいなのを用意されてたら顔を出しづらいよな。
広めの敷地に神殿を囲むよう平屋が並んでおり、恐らくは病人や怪我人を収容するための居住スペースなのだろうと見受けられる。
広いな。街の権力者と友誼を結んだのか、それは俺の予想よりしっかりと大きな施設だった。
正面玄関の横には椿の花を抱いた、母に似た女性の像が穏やかな表情で微笑んでいた。
「ツバキそっくりだね。というか、聖女像だよね。こんな物まで作れるなんて、バックにしっかりとしたスポンサーが付いたんだろうね」
「そのようですね。ちょっと予想以上で驚いています」
最近になって完成したばかりらしいので患者はまだ少ないのだろう。人が溢れている雰囲気はないが扉の向こうにはいくつかの気配。
さて、ここの司祭様は誰かな。
俺はかつて送り出した司祭たちの顔を思い浮かべながら施療院へと入っていった。




