十二魔将――エルフォード・シュバルツハイド
残酷な描写、錯乱した主人公などの表現が含まれます。ご注意ください。
エルフォード視点です。
俺は考え続けている。先ほど遭遇した聖女の事を。
相手を見縊っていた訳ではないが、魔術も使えず筋力も低い女一人を捕らえることが出来なかったという事実に狼狽しそうになる。感情の御し方を知っていても、もう任務は失敗した後なので存分に驚愕していてもよい。
横で俺と同様、呆然自失の態で拘束されて転がっているのは、信頼する副官のジルフィール。俺とジルは物理的な攻撃力を有するタイプの魔術を持たないため、雁字搦めに縛られて転がされている現状を打破できない。
目下のところ異常に気付いた部下が回収してくれるのを待つだけだった。あまりの不覚に笑いが出る。
ジルに睨まれた。仕方ないじゃねえかよ笑うしかないとはこの事だぜ?
部下に救助されて、ヘイの旦那に運ばれて魔都へとんぼ返り。ちょうど今は暇だという魔王さまに謁見できた。
もう少し飾り立てればいいのにと思う質素な謁見の間で穏やかな笑みを浮かべている魔王さま。相変わらずのうりざね顔よな。俺と違い、女にモテまくって仕方ないだろうよ。
いつも傍に引っ付いているリガルトは最近忙しいのか魔王さまを放置気味だな。まあ、おかげで仕事用の口調じゃなくて済むから有り難い。
リガルト爺さんは有能だけど頭が固くていけねえ。
「よく来てくれましたエルフォード。聖女さまにはフラれてしまったそうですね?」
「ええ、魔王さま。俺が地味すぎるからですかね? 次の機会を頂けるならちゃんと魔王さまの肖像画を持って行くことにしますよ」
互いに慣れた軽口を叩く。魔王さまは貧民街の出身だったせいかやたらと気安い。俺も殺しの時以外は部下たち曰く不気味なほど陽気、らしいので堅苦しくないのは嬉しい。これが地なんだよ。逆に言うが殺す時まで陽気だったら、それこそ今回の殺人鬼じゃねえか。
魔王さまは俺が言った内容を想像して顔を顰める。相変わらず女に追っかけられるのが苦手なんだろうな。初心な弟を見守っている気分になるぜ。
「勘弁してください。もし惚れられてしまったらと想像してしまいましたよ」
「いいじゃないですか。魔王さまのために癒しの奇跡を、ってなれば予定通り万々歳でしょう」
「いえ、それはそうですが。あくまで私は民の幸せのために協力してほしいのであって、私のためとかはちょっと」
「結果は大して変わらんじゃないですか。それに、俺が見たところ美人だけど素朴な雰囲気の顔立ちで奥手な魔王さまにはピッタリだと思いましたが」
からかってやれば魔王さまが頬を膨らませて、もう、とため息を吐く。
それから少し表情を改めて姿勢を正したので、俺も空気を読んで玉座近くに用意されてた椅子へと腰を下ろす。見れば横の卓には紅茶とアップルパイだ。相変わらず用意がいい。
「ヘイからは勇猛で老獪な戦士だと聞きましたが、貴方はどう思います?」
「まあ、信じられないことに同意できますね。聖女ってやつは俺の奇襲に対して、致命傷を避け即座に戦闘行動に移れる場馴れした気配。その上、命のやり取りをしながらでも冗談を吐けるような胆力がある。いい女でしたよ」
「ジルが拗ねますよ」
「アレはまだまだですよ。俺との相性はいいけど未熟者だから目が離せなくて困る」
俺のすっとぼけた言葉に、そうじゃないでしょうと魔王さまが苦笑する。いやまあ分かっている。あの無駄に器量のいい副官が、こちらへ好意を向けてきているのは気付いているが浮かれて死なれちゃ困るので返事はしていない。
「魔王の影とまで称されるシュバルツハイド家の当主さまが言うなら、そうなのでしょうけどね。女の子は複雑なのですからもう少し優しくしてあげたらどうですか?」
「女に追っかけられては逃げ回ってる魔王さまが何をおっしゃるやら。というか、話が逸れてますよ」
「相変わらず口では勝てませんね。っと、そうでした。今回も命はとられませんでしたね?」
「ええ、魔王さまに会いに来ると言ってましたし、勇者の思惑はどうだか知りませんが聖女は話し合いが通じそうな雰囲気ですよね。あ……だから聖女教を野放しにしてるんですか」
ヘイからの報告で聖女が勇者に付いたと発覚した時、魔将たちの中では聖女教を危険視する意見も出た。だが魔王さまは有益だからと放置するよう言ったのだ。
たしかに聖女教の宣教師どもがうろつくようになって病での死者は減ったし、反社会的な活動も現状は見られない。まさに慈愛の聖女に仕える敬虔な信徒と言ったところだな。
だが、俺としては今回の事で聖女は安易に信用してはいけないかもと思ってしまった。なので、魔王さまにはしっかりと見たものを伝えておく。
「聖女の事ですが、あれはちょっと不気味ですよ。普通なら俺とジルでかかれば負けるはずがなかった。それを俺たちを殺さぬように無力化なんて尋常じゃない」
「得意の大鎌を持って行かなかったせいではないのですか?」
「んー、あってもダメだったかもしれませんね。まあ殺すだけなら出来そうですが、捕獲となると」
「詳しく教えてください」
首を傾げる魔王さまに俺は記憶を可能な限り克明に話した。
クシルの街で騒ぎを起こしていた殺人鬼については、俺たちも聞き及んでいたので見つけた瞬間に殺した。あの下卑た笑みと濃密な血の匂いは殺しに快楽を見出した狂人のそれだ。クソ気持ち悪い。
しかし、その途端に聖女が動揺した。もしかしてこいつ、戦い慣れているのに殺す事は不慣れなのか?
ともあれチャンスが転がり込んだら俺たちは即座に動く。ジルが牽制して、その隙に俺は魔術を形作り飛ばす。
これは触れた者の恐怖を増幅する闇。それを丸めて飛ばす。聖女に数秒前までのキレはなく、動きは精彩を欠いていた。
俺は揺れ動く聖女の瞳に見慣れた感情――恐怖をたしかに見ていた。そして、闇弾が聖女を貫く。
頭を抱えた聖女。ジルが素早く聖女の足を切り落としにかかる。
俺たちは仕事の間、慈悲や容赦を忘れる。それを徹底しておけば大事な局面を逃す事は大きく減る。ご先祖の有り難い金言ってやつだ。
どうせ治癒の奇跡でくっつくのだから痛みに気絶しようと構わない。拘束してから止血してやればいいだろう。
俺はジルの一刀が避けられた場合に備えて身構える。しかし、それは無用の心配だったらしい。
一撃は確かに膝下を切り払い、剣が両足を貫通していく様がはっきりと見えた。そして、それは起きた。いや、すでに数秒前から起こっていたのかもしれない。
聖女が顔を上げる。
「危ないぞ。刃物なんて持っていたら怪我をする。こっちに渡せ」
まるで男のような口調で場違いな台詞を言った聖女の足は、血を流してはいたが切れてはいなかった。断面が綺麗だったから瞬時に治癒することで転倒すらしなかった? あまりの異常にジルが竦む。
その腕に聖女の手が、まるで蛇のような素早さで絡みついて引き倒す。それは身体強化魔術を使ったジルより速くて強い力だ。
何故か聖女の体から骨の折れる音がする。一瞬で転がされたジルは長剣を奪われ、白いローブを引き裂いて作った紐で後ろ手に縛られた。
俺は状況を理解しようと頭をフルで回転させつつも、体は染みついた最適の動きで聖女へ迫る。
「大丈夫、死なない殺させない。もうあの頃の俺じゃない。助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ助けなきゃ」
聖女の口から身も凍る呪詛が紡がれている。その意味は掴めないが、転がされてもがいていたジルですら動きを止めてしまう。
俺はナイフを二本投擲。一本は避けやすく首を狙った物で、その陰に知覚し辛い腹部への一投。そのどちらもが迎え撃つべく駆けだした聖女に突き刺さり、しかし動きが全く止まらない。
獣の速度で走り込んできた聖女に脳が警報を鳴らす。俺は聖女にナイフを突き立て、膝を蹴り砕く。その代償が振りほどけないほどの怪力で掴まれ、地面に引き倒されるという結果だった。
聖女は喉笛に突き立ったナイフを抜く手間すら惜しんで、自分のローブを力任せに引き裂く。それを俺の腕に巻きつけてぐちゃぐちゃに縛っていく。
抵抗も虚しく十重二十重に縛られて転がされる。武器は全て没収され、無造作に遠くへ放り投げられた。ジルも念入りにローブで巻かれる。
「おい、聖女。俺たちは人質には向かないし、仲間の居場所は吐かないぞ。さっさと殺せ」
拘束を解くことが出来ないのを確認して、俺は告げる。すると、聖女は虚ろな瞳で見返して、言う。
「死んだらダメだ。仲間が助けにくるまで大人しくしてろ。……仲間? ディラン、ソラ? どこにいるんだ? そうだ、助けに行かなきゃ。襲われてる。死んじゃダメだ!」
突如として叫んで走り出す聖女。泣いていたようにも見える。俺もジルも唖然として見送ってしまった。
「というわけで、得体が知れないというのが正直な感想ですね」
「恐怖が増幅されて正気を失ったのに、自分の身を危険にさらして、相手を殺さなかった。異常ですね」
「俺の個人的な感想ですが、街はずれに住んでた知り合いの婆さんを思い出す表情でしたね。息子夫婦や旦那に先立たれて、ある日あっさりと自殺したんですけどね」
「聖女は自身より、あらゆる人々の命を大切に思っていると? 理解し難いですね」
俺の話を聞いて魔王さまが戸惑ったようにこぼす。同感だ。
誰が聞いても狂人のそれだと思う。
「興味が湧きました。どうにか勇者のいないところで接触できませんか」
「本気ですか? まあお望みとあらば部下にチャンスを探らせますが、下手すれば見つかるくらい勘がいいんですよね。あと、俺は予定通り水の勇者を始末しに行くということでいいですか?」
どうやら聖女としてじゃなく、人間としての相手が気になったらしい。まあ動向を探ること自体は当然だ。
面倒な事にならないといいが……。
「まあ私が御忍びで直接会いに行くので、深追いはしなくていいですよ」
「あい分かりました。神力で勇者にバレたら面倒ですから、封印具はちゃんと付けて行ってくださいよ」
というわけで、ツバキの記憶が飛んでいたのは魔術で正気を失ったからでした。本当はもっと戦闘描写したかったのですが、長くなってしまったので割愛。




