霧の街と殺人鬼 (4)
風邪でせっかく仕事二連休だったのに寝たきり生活。それでもまだ治らず。皆さまも季節の変わり目はお気をつけてください。
あれからどこをどう走ったのか覚えていない。疼痛を訴えてくる頭を押さえて、暗がりに蹲る。心臓が早鐘を打っていて、脳裏に蘇るのは殺人鬼の辿った末路。
自業自得だ。冷静な自分が言い放つ。
探して捕縛する手間も省けたし、これ以上の被害も出ない。これで明日はゆっくり寝られる。そう思って立ち上がろうとしたのだが、どこかから男の子の泣いている声が聞こえる。
まだ声変わりもしていない。子どもの声だ。
「おいて行かないで。俺を置いて行かないで……父さん。母さん」
すぐ近くから聞こえるのに周囲を見渡しても、人の気配は無いように思える。なんだか落ち着かなくなる声だ。聞きたくないのに、でもはっきりと聞こえてくるものだから、俺は思わず耳を両手で塞いでしまう。
それでも声はうわ言のように繰り返し続けている。俺はたしか急いでいたはずなのに、地面に尻から根を張ってしまったみたいで動けずにいる。
ソラは無事だろうか。ディランはグレンと二人だからきっと大丈夫だな。アリスやカーライルも実力だけなら心配いらないと思いつつも、早く顔を見て安心したいと思った。
いつしか少年の声は、俺の仲間たちの名前を呼んでいた。
「ソラ、ディラン、アリス、グレン、カーライル……どこにいるんだ。俺を独りにしないでくれ。死なないでくれ」
泣きながら呻き続ける声が何故だか恐ろしくて、俺は身を縮めて震える。
どれくらいそうしていたのか、誰かが足を引きずりながらも慌てた様子で走ってくる音がする。
ゆっくりと顔を上げてみれば、建物の角から覚束ない足取りでソラがまろび出てきた。
薄闇に差し込む月明りが、その端正な顔を照らし出す。顔色は悪い。
「ツバキ! 大丈夫かい!?」
それはこっちのセリフだと言おうとして、掠れて声が出なかった事に驚く。
ソラの見た目に外傷は少ない。大腿部を刃物で浅く切られている程度だが、内臓が衰弱しているのは毒が塗られていたのだろうか。
声が出ないので取り急ぎ、ソラの傷に手を当てて神力を集中する。あっという間に癒しの奇跡が顕現し、ソラの中に回った毒も洗い流して傷口も消えていく。
地面に根付いたような重さはソラを見た時には霧散していて、あっさりと立ち上がれていた。
「……よかった。大丈夫そうだな」
俺がやっと出るようになった声で告げれば、ソラは複雑そうな顔で肯く。
「うん。私はこれでも毒には耐性を付けてるからね。それよりもツバキの方こそ、こんなところで泣いているから何があったのかと思ったよ」
「泣いていた? 俺がか?」
言われて、やっと自分がかすかにしゃくり上げている事や、頬まで涙に濡れている事に気が付いた。
それでは、さっきまでの泣き声は……。何故だか急に恥ずかしくなって、ソラから顔を背けた。
「そ、そうだ。他の皆はどうした? 俺の方は暗殺部隊の魔将と副官に襲撃されて、他の奴らにも刺客が差し向けられていただろう?」
「あ、うん。私は不意を突かれて一撃はもらってしまったけど、動きが鈍る前に追い返す事は出来たよ。それで、ツバキが心配だから探しに行こうと思っていたんだ」
口ぶりからすると、他の仲間にはまだ会っていないのだろう。俺は現在地が分からないのでソラに聞いてみる。急がないと、無事かどうか不安だ。
気を取り直し、自分より高い位置にあるソラの目を見つめて問う。
「すまん、逃げるのに必死で現在地を見失っている。ここはどのあたりだ?」
「え、あ、うんとね。はぁ……。住宅地の東よりだね。カーライルが近くに居ると思うのだけど、上手く逃げるか撃退できたのかな」
ソラが何故か顔を赤らめて、少し動揺したように怪しい挙動をしたが教えてくれる。目が泳いで、その顔で上目遣いは威力が、とか変な事を言っている。
思わず笑ってしまった。よく分からないが、どうやら緊張をほぐしてくれようとしているのだろう。
よくよく考えれば、相手側の一番警戒するであろうソラが対人戦闘能力に一番不安のある箇所だった。ならば、他の面々も無事ではあるだろう。
さっきまでの不安は解けて消えた。冷静な思考が戻ってくると、俺は全員の場所を回っているカラスを呼ぶために口笛を吹く。
これに反応して敵が集まってくる可能性もあるが、二人ならそうそう負けない自信がある。
カーライルが気付いて寄って来てくれればさらによし。
しばし待つと、小さな羽音と共に黒い影が降りてくる。肩に降り立ったその頭を撫でながら尋ねる。
「ヨル。他の皆がどこにいるか分かるか? 案内してくれ」
アリスに拾われ育てられたこの賢いカラス――ヨルは、俺とアリスの言葉なら理解しているかのように反応を返す。野生のカラスが人間には聞かせないような、げろろろろ、という甘えた鳴き声を上げて飛び立つ。
ヨルは俺が見失わないように旋回しながら先導してくれる。それを追いかけて駆けだす。
「無事だとは思うが、毒で動けなくなってる可能性もある。急ぐぞ」
「うん。一応聞くけど、ツバキは本当に大丈夫かい?」
走りながら、ソラが来てくれたから大丈夫だと答えそうになって、自分でもどうしてそう言おうとしたのか分からずに口ごもる。
俺は単独でも不覚を取るような事は無いと思っている。それでも、さっき安心してしまったのは確かだ。返事をしない俺にソラが訝しむような表情を浮かべる。
俺はそれ以上は考えるのをやめて首を振る。
「……ああ、俺はそう簡単に殺されないし、毒も怪我もすぐに治せるから平気だって分かってるだろう? それよりグレンあたりは不意打ちで大怪我してたりもあり得るから、そっちの心配をしてやれ」
「ツバキ……私たちは勝手に死んだりしないから、置いて行かないから、怖くても先に死のうとしたらダメだよ?」
ソラが、何か奥まで見透かすように深い空色の目で俺を射抜く。どういう意味だと聞こうとしたとき、前方にカーライルを見つける。向こうもこちらに気付いて、安堵の表情だ。
「カーライル! 無事か。……怪我はなさそうだな」
「……平気だ。そちらも襲撃されたんだな。少人数だから追跡したかったが逃げ切られた」
「そうだね、どうやら精鋭の暗殺者みたいだし、私たちでは捕まえるのは難しそうだったよ」
どうやらカーライルの方は無傷で撃退して、撤退する暗殺者を追跡までしようとしたらしい。まあ連携を組んだ本職の連中だろうからさすがに追いきれないだろう。
ちょっと悔しそうなカーライルと、仕方がないさと宥めるソラ。ともあれ無事でよかったと息を吐いて、気を引き締め直す。
「他の連中とも合流しよう。夜明けが近づいて人がうろつきだせば相手も派手な事は出来ないからな。その時間まで固まっていれば簡単には手出しできないだろう」
「そうだね。行こうか」
「ああ」
グレンとディランもなんとか無事で、すぐに合流できた。
問題はアリスで、どうやら撤退する暗殺者の尾行に成功したのでしばらく探りを入れてくれるとの事。ヨルに簡潔な手紙を託して行ってしまった。
あの娘は強いから大丈夫だろうけど、ちょっと心配だ。あまり無理せず戻るように手紙を送っておいた。
「というわけで、街を騒がす殺人鬼は死んだ。魔将の目的はこちらへの襲撃八割、殺人鬼の始末が二割といったところだったのだろう」
俺たちは宿の部屋で昨夜の顛末を互いに報告していた。ディランが俺の言葉に驚いて、おずおずと聞いてくる。
「アニキ、大丈夫だったのか? 死ぬところを見ちまったんだろ?」
「ん、ああ。ちょっと記憶が怪しいが、見ての通り逃げるのには成功したから大丈夫だ」
「しかし、今後は単独行動を控えた方がいいかもしれないね」
「どうかな。僕としては、けっこう手傷を負わせた相手もいるし再度の襲撃には時間が必要だろうから、しばらく安全だと思う」
「……念のため、最低でもグレンは一人にしない方がいい」
グレンの楽観的な意見に、カーライルが慎重に釘を刺す。まあ、この中で単独だと暗殺されちゃう奴は間違いなくコイツだ。俺たちはうんうんと頷いた。
サブタイトルの割に殺人鬼さんの出番が少なかったですね。勢いで書いているのでこういうこともあります。次回はツバキの記憶から飛んでいるシーンとかを補完すべく、魔将エルフォード視点です。




