霧の街と殺人鬼 (3)
女軍人――ジルフィールは鞭での打擲を避けきれないと判断してか長剣で切り払うが、鋼蜘蛛の糸で作られた鞭は傷一つつかない。そのまま腕を強かに打てば後ずさる。
追撃しつつその方向に突破したいところだ。無茶をするなと口を酸っぱくして皆に言われているし、あちらだって独力では厳しいかもしれないから合流したい。
もちろん暗殺部隊の魔将――エルフォードが許してくれないわけだが。
ジルフィールへ向かおうとする俺の背後に回り込み、ナイフを無音で投擲してくる。しかも魔力が蠢いたと思った途端、その気配が先ほどより薄まり動きが素早く力強いものに変化する。
ちらりと視線を向ければ闇に溶けているかのように視認し難くなったエルフォード。
「無詠唱魔術! しかも闇属性ですか……」
「ほう、これでも俺を見失わないのか。魔力を感知されているのかな?」
闇属性の魔術は使える者が少ないため初めて見る。しかし間違いないだろう。身体強化魔術で姿がぼやけるというのは昔聞いた事があった。しかし気配まで薄まるのは恐ろしい。
ナイフを鞭の柄で弾いて魔力を探れば、死角から跳ねるように闇魔術の弾丸が三発飛んできている。傭兵仲間から聞いた話だと、食らえば外傷は無くとも激しい苦痛や精神的損耗があるらしい。
それだと俺の奇跡でも治せるか分からない上に、動きが止まれば負ける可能性が高い。ジルフィールへの追撃は諦めて横っ飛びに回避。
闇弾が音もなく地面に吸い込まれて消えていくのは、派手な魔術より恐怖を煽る。
短剣を構えて滑るように迫ってくるエルフォードに横薙ぎの一撃を見舞うが、姿勢を低くして潜ってくる。地面から襲い来る蛇のような短剣での一撃を足蹴にして、その反動を使い二階建て店舗の屋根に飛び乗る。
「私、ジルフィールの名において願う。光よ我が手に栄光を掴ませたまえ」
下から強化魔術であろう詠唱の声と、俺を追って身軽に跳び上がってくるエルフォードの影。これはよくないな。時間稼ぎにもならないか。
この調子だとジルフィールも強化された脚力でここまでひとっ跳びなのだろう。俺は正面から飛んでくる闇弾とナイフを小さく身じろぎして避ける。
傾斜のついた屋根の上でも互いに動きが鈍るような事は無い。素早く距離を詰めてくるエルフォードの短剣をナイフで受け流して足を払おうとするが、視認するのも困難な姿だから間合いが掴めなくてあっさり回避される。
せめて日中なら少しはマシなのだろうが。
俺は牽制と防御に徹しながら、気配と直感を頼りに鞭を振るう。狙い通りに鞭は跳び上がってきたジルフィールの顔面へ向かう。
「――!?」
「ッチ!」
不意打ちに対応できなかったジルフィールの代わりに、エルフォードが舌打ちしながらも短剣で鞭を叩いて軌道を逸らす。意外というほどでもないが部下思いなのかもしれない。役柄上は仲間にも恐れられる部署だろうから、団結力が強いのかもしれない。
「申し訳ありませんっ」
「お前の顔は仕事道具なんだから無暗に傷付けるんじゃないよ」
ちょっと素直じゃないなコイツは。
隙を補うために放たれた闇弾を前傾姿勢で駆け込んで避ける。今度は俺から距離を詰めて、エルフォードの膝にナイフと蹴撃の連携を叩き込む。
無理なフォローのせいで、姿勢を崩し位置が分かり易くなっているから狙いやすい。
「女の顔を平気で狙うし、慈愛の聖女さまってのは存外に冷酷らしい」
「それを言われると弱いですね。狙い通りにいかなければ顔に傷が付いていたでしょうし」
「戯言はやめなさいっ!」
ナイフでの一閃はジルフィールが咄嗟に振るった長剣で弾かれて、手が痺れる。踏み抜くような蹴りは膝をしっかりと捉えたが、身体強化魔術の恩恵と俺の非力さが祟って骨を折るような成果は得られなかった。
そしてエルフォードは攻撃の一切を防ぐ素振りも見せずに、短剣を胸へ目掛けて付き込みつつ闇弾を至近距離で打ち込んできた。
俺は攻撃を食らうよりマシだと判断して勢いのまま飛び込み前転。もちろん屋根の上ではなく地面まで落ちるコースだ。短剣が乳房を縦に割って、女の体を呪いたくなる痛みが走るが闇弾は無事に回避できた。
女の子についてると眼福だが、自分についてると邪魔でしかないぞコレは!
「ぁっく」
少しでも衝撃を殺すために地面に叩きつけられながら転がって素早く立ち上がる。全身の痛みに喘いでしまったが、傷を神力で癒しながら走り出す。
膝へのダメージは無駄ではなかったらしくエルフォードの追跡は遅い。それでも闇弾は容赦なく降り注ぎ、ジルフィールが恐ろしい速度で追いかけてくる。
先ほどから見ていた限り魔将レベルではないものの、ジルフィールは暗殺者でなく戦士としてなら優秀だと思う。それを暗殺部隊の副官に据えているのは存在感がある彼女を囮にして、自身の印象を薄めるためなのだろう。
それは実際に効果的で、闇弾を降らせながら一緒に追ってきているであろうエルフォードを見失ってしまった。
追い縋り斬りつけてくるジルフィールの長剣を間一髪で避けながら考える。このまま逃げられるほど甘くはないだろうな。
かといって目の前の相手に攻撃するため意識を裂けば、その瞬間にエルフォードの奇襲に晒されて不利になりそうだ。
ジリ貧だな。せめてもう一撃くらい足に攻撃を当てて走れなくしたい。
民家に肩をぶつけながらも闇弾を回避して、横薙ぎに足を狙ってきた長剣の一撃は小さく跳ねて範囲外まで逃げる。
角を曲がって走る先には、ぼんやりと月を見上げる男の姿。なるべく巻き込まないために路地裏とかを選んでいたのに、何故こんなところに。
そう思ったのも束の間。俺の足音に気付いて男がこちらを向く。目が合えばそれですべてが理解できた。こいつだ。
血に飢え、狂った悦楽を求める乾ききった瞳。驚きの表情を浮かべたのは一瞬で、優しげな笑みで歩み寄りながら声をかけてくる。その後ろ手に光る刃物。
「お嬢さん、こんな夜中に血相を変えてどうしました?」
いつの間にかジルフィールが屋根の上に隠れて、エルフォードの闇弾も降り止む。
俺は目の前に現れた殺人鬼をどうしようかと悩み、相手がこちらへ情欲で濁った眼を向けていることに気付く。エサを前に舌なめずりする畜生の性根が透けて見えるようだ。
こいつのせいでピンチなんだよな。俺はむかついて、男が三メートルの距離まで入った瞬間に容赦なく鞭を叩きつける。悲鳴が上がる。
その瞬間、屋根から飛び降りたジルフィールが男の胴を袈裟懸けに分断し、エルフォードが短剣で首を落とす。もう俺の奇跡でも治らない、完膚なきまでの即死だった。
「こいつが例のクズか。手間取らせてくれたが丁度いいところに通ったものだな」
「ええ、こればっかりは聖女に感謝せねばならないでしょう」
「う……くっ」
急に目の前で死を見せつけられて吐き気がする。死んで当然の相手だと理性では分かっているが、受け入れがたい寒気に足がふらつく。
二人が一瞬だけ怪訝そうに俺の様子を観察して、好機と見たのか仕掛けてきた。




