霧の街と殺人鬼 (1)
残酷な表現、生理的に不快な描写が含まれます。ご注意ください。
霧の街クシル。
コの字型に街壁で囲まれた街は、西側にある残りの一辺を大きな川で塞がれている。このクシル川は魔都から始まり人大陸との境海に流れ込む物で、かつて初代魔王が細い河川に長い時間をかけて手を加えた運河である、らしい。
西の港湾都市はこの川の下流にあるらしいから、ディオール王国との競り合いは本当に重要だったのだろう。ディオールが勝てば船でクシルや魔都まで攻め上ることも出来たわけだしな。逆に魔将や魔王の移動にも便利な分、ディオールが強いられていた負担は推して知るべしだな。
クシルの街はクシル川のおかげで交易や漁業で栄えており、その象徴である川霧に包まれた街並みは幻想的で美しいと絵画のモチーフに使われることも多いとか。
それはさておき、今回は全員で街に入った。身分を証明するような物が無いから門前払いの可能性もあったし、低い確率だが指名手配されているかもと思ったのだが、意外にすんなり通れた。
やはり魔族は神力の集め方をしっかり知っているのだろう。いたずらに勇者の存在を周知させれば恐怖心を民に抱かせてしまう。そうならないように動いているのだと思う。
ならば送られてくるのは大軍ではなく精鋭の暗殺部隊か。
一応は門で軽い質疑応答を、魔力誓約で虚偽の発言が禁止された状態のまま行われた。上手くいかなければ逃げるつもりで緊張していたのだが、そちらは問題なく別の話で動揺してしまった。
まず普通に街に訪れた理由。野宿続きで疲れてるからきちんとした宿で休みたいとか、馬が欲しいとか、聖女教の布教をしたいなんて言ってたらちょっと態度が軟化した。なんでも聖女教の司祭がこの街で施療院を開いたのだとか。評判も良くてちょっと嬉しい。
次に犯罪歴も聞かれたが、カーライルの話した内容も上手く誤魔化して魔大陸へ流刑されたと勘違いしてくれた。まあ、死ぬ可能性の高い旅だったのだから間違いとも言い切れない。他の皆は犯罪はしていない。アリス? アリスは透明化して先に壁を越えた。
そして、ここ数日で誰かを殺したやつを知らないかと聞いてきたのだ。どういう意味かと問い返せば、なんでも一週間ほど前から毎日のように人が殺されているらしい。それも女性ばかり。
軍人さんは俺を見て躊躇ったのか少し悩んでいたが、見つかった女性の遺体には暴行を行った痕跡があると教えてくれた。胸糞の悪さに吐き気がした。
犯行は夜中に、人気のない路地裏で行われているため目撃者はいないらしい。三日前から女性の一人歩きは危険だと街中で警告がされているし軍人さんも見回りをしているが、それでも昨夜も事件は起きているとの事。
「放ってはおけないな」
俺の言葉に全員が同意する。どいつもこいつも善良すぎるとは思うが、今はそれが嬉しい。
こんな事件に首を突っ込んでも俺たちの旅に得はない。それどころか余計な時間をかけるだけでデメリットしかないだろう。だけど、見過ごす事なんて出来なかった。
宿を確保してすぐに今後の予定を話し合う。
「まずは情報収集だな。事件の起きている場所と、その近辺の地理に詳しい者について。使われている凶器や被害者の条件に時間帯や天候も。他にも思いつく限り調べて絞り込む」
「そうだね、できれば今夜の事件が起きる前に阻止したいけど……もう日が暮れるから情報収集は間に合わないかもしれない」
「夜はオレらもバラけて見回った方がいいよな。ただの人殺し程度には後れはとらねえだろうし」
「じゃあ、僕とカーライル、ディランとアリス、ツバキとソラの三手に分かれるとしようか」
「あたしとツバキは、ひとりずつで動いた方がいいわ。狙ってくれるかもしれないし、ひとりでも勝てるから」
「……危険じゃないのか」
いつもなら子どもらしく組み合わせに文句を言っているであろうアリスも、今は表情を凍らせたまま作戦を修正させようとしている。自分の過去を気にしているのかもしれない。
俺はそっと後ろから抱きしめて耳に囁いてやる。
「アリスは違う。だから、思い詰めるな」
抱きしめた小さな体から力が少し抜けたところで、俺も同意しておく。
「今は少しでも広い範囲に当たりたいからアリスの言うとおりにしよう。グレン以外は単独でも魔将クラスの手合から逃げ切るくらいは出来る実力者のはずだ。まずはこれ以上殺させない事を重視したい」
俺の言葉にやや迷いつつも、全員が頷いてくれる。それを確認してからグレンは眼鏡を中指で押さえて考え込んだ後に、小さく頭を揺らして言う。
「分かった。それじゃあ三時間くらい情報収集をして下の食堂に集合しよう。集まった内容で皆の配置を相談したい」
せっかく久しぶりに落ち着いて休めると思ったのに、どうやら今夜は寝る暇もなさそうだ。
俺たちは宿を飛び出して酒場や大通りで聞き込みを開始する。
かなり噂は広まっているようで、商店通りのお姉さま方からけっこう事件について聞けた。
「そうなのよ、すぐそこの通りでも一人殺されたらしいわ。まだ若いのに可哀そうにねぇ。傷だらけで酷い有様だったみたいよ。お嬢ちゃんもそろそろ暗くなるから帰りなさいな。美人さんだから危ないわ」
「ありがとうございます。お姉さんも気を付けてくださいね」
「あらやだ、こんなオバちゃんは見向きもされないわよ。若い子ばっかり狙われてるらしいし、本当に気を付けるのよ」
何人かに声をかけてみたが、どうやら若い娘ばかり狙われているらしい。軍人さんから聞いた話と合わせれば、やはりそういう目的が強い快楽殺人鬼なのだろう。
魔族と人族の両方が犠牲になっているようだから、俺やアリスで囮になれそうだ。事件現場を見てみたが、血が飛び散っていて惨劇を実感させられた。いたぶられたのか、それとも殺された後に冒涜されたのかは知らないが、怒りがこみ上げる。
周囲は建物の影になっていて、通りからは用事がないと入ってこない場所だけに、夜は誰も気付いてくれなかっただろう。
こういう場所を知っているのは近所の人間か、娼婦やスリか。街のあちこちで事件が起きているようだし後ろ暗い稼ぎをする者だろう。
それか金に余裕があって働かずに、犯行に使えそうな場所を下調べできるような優雅な暮らしをしている奴か……いや、推理は苦手だ。こういうのはグレンや勘のいいソラに任せた方がいい。
俺は路地を出て一瞬だけ、行き交う人の中から粘つくような視線を感じた。慌てて注意深く見回すが、相手は見えない。本当に刹那の事だから、明確な殺意なのかもわからない。
背筋に寒気が走る。もし目を付けられたなら好都合なのだが、嫌な感覚がぬぐいきれず足早に離れる。
本当は聖女教の施療院にも足を運びたかったのだが、意外と時間を食ってしまったし尾行されていたら累が及ぶ。ひとまず宿に戻ろう。
段々と人の気配が薄れていく通り。普段なら活気があるだろう街並みは霧と夜気に覆われ、不気味な空気を醸し出している。
宿の食堂に戻れば、他の皆も戻って来ていて安心する。この安堵が彼らの身を案じてなのか、自身への不安なのかは分からない。
温かな食事や酒の匂いに余裕を取り戻して席に着くと、皆を安心させるために聖女の笑みを浮かべる。
アリスがすり寄って来て、ソラたちも俺が心配だったのか息を吐く。
「さあ、とりあえず情報をまとめよう」
いつになく真剣なグレンの声に、俺たちは頷いた。




