小川で歌う聖女
陽光を反射して煌めく川は、水も澄んでいて魚が悠々と泳いでいる。一日中歩いていたせいか、その涼しげな様子に顔が思わず綻んでしまう。
なによりグレンに頼らず汗を流せるのが嬉しい。汗を流したいからと告げるたびに顔を赤らめて何か想像するし、それを見てアリスの機嫌が悪くなるしで疲れるのだ。
まだ進む余裕はあるが、せっかく川があるのだから今日は近くで野営したいな。皆に確認を取ってみれば了承が得られたので、意気揚々と魚取りに移る。
川のすぐ脇だと獣も水を飲みに来るので危ない。当然のように、街道沿いで川から数分の距離に小屋があって旅人が好きに使っていいいらしい。木札にそう彫って掛けてあった。
なので一行はそちらの近くに火の用意。それから周囲の危険確認。
今日は俺が食材確保役だ。
手ごろな木の枝をナイフで削って尖らせたら、それを片手に魚を追いかける。とりあえず人数分、大きめなあたりを狙って突き刺していく。
我ながら絶妙な突きで百発百中だ。楽しくて歌を口ずさみながら魚を値踏みしていく。
「胸の奥に咲いた花が、終わりの季節を歩み始めて~♪」
以前、村で吟遊詩人が歌っていたのを思い出しながら魚を取る。
む、あっちのほうが大きそうだな。あの時の詩人はうちの椿を大層気に入ってくれたんだよな。詩には必ず花を含めるらしい。
「思い出は私の一部になり、積み重ねた私はいつか~♪」
こうしていると、世界中から争いが無くなったような錯覚というか、まるで平和であるかのような感覚に襲われる。
別に誰かのために生きたいなんて思っていないし、そんなに優しい人間でもないと自覚している。だから俺の知らないどこかで誰かが傷付いていても、どうでもいいし興味が無い。
そのはずなのに、俺はなんでここに立っているんだろう。放っておけば故郷の村まで魔族の侵攻が及びそうだったから?
しかし、誰かを殺すなんて出来なくなってしまった俺がソラたちに付いて行って、本当に足手まといにならないだろうか。今はまだ命を奪わずに済んでいる。それでもソラたちが絶対に手を汚さないなんて無理を強要された状態で、この冒険を無事に終えられるのか。
放っておけない未熟者だった?
否、少なくとも俺と違って死を恐れて震える事は無い。
土壇場では俺の判断が生死を分けることもあるだろう。少し考えが浅かったな。
昔からそうだ。考えることは苦手で、いろいろな事から目を背けて生きていた。
なんで俺は人を助ける? 記憶の彼方に霞む母の絶対的な優しさを、自分の行動に投影しているのかもしれない。
そうすると、俺は聖女が嫌いだったのではなく……いや、わからない。
ソラの言い分を信じるなら俺と聖女は同じ人間だ。俺は聖女のように優しく在れるのだろうか。そもそも優しくなりたいのだろうか。
俺は何のために生きているんだ?
もう俺がいなくたって聖女教の信者たちが庭の椿を大切にしてくれるだろう。守るべき家は守られた。母から受け継いだ遺志は果たされた。
では父の遺志は何だろうか。俺が継いだのは戦うための知識や技。こうして勇者の仲間として戦う事が俺の存在意義なのかもしれない。請われて戦う事こそ父の歩んだ道なのだから。
ならばきっと、すべてが終われば心は軽くなる。両親の死を受け入れて穏やかな気持ちになれるかもしれない。
この旅が終わったら、妻でも娶って田舎で暮らそうか。子どもに俺の両親がいかに偉大だったかを教えて、いつかその子が何かを成し遂げるのを見守るんだ。
とりとめのない思考は俺の伴侶が妻ではなく夫になりそうだという苦い現実で切断されて、意識が現実に浮かび上がる。
止まっていた手を再度動かし魚の内臓を抜いて、葉っぱに包む。
後ろ向きだか前向きだか行方が分からなかった思考を忘れようと、歌いながら次の魚を狙い始めたところでカーライルと目が合う。
敵意がまったく無かったのと、以前より隠行が上達しているせいか気付かなかった。不覚だ。
「いつから聞いてた?」
「……二つ前の歌から。妖精でも見ているのかと思った。美しい夢のようで聴き惚れてしまっていた」
あまり人前で歌うのが得意ではない俺はカーライルの恥ずかしい評価に、自分でも顔が真っ赤になったのが自覚できた。この朴訥な男が口に出すのは冗談じゃなく、正直な感想だというのが短い付き合いでも分かっているからこそ余計に恥ずかしい。
どれだけ俺を美化しているのか。
昔の傭兵仲間と食事や酒のタイミングに歌っていた下品な物とは違う、繊細で詩的な歌だから余計に似合わない気がして閉口する。
まるでそこらの村娘だ。さっきの妄想が頭を過って悲しくなる。
黙り込んだ俺にカーライルが微かに困ったような表情で首を傾げる。
「向こうの準備が済んだので手伝いに来た。どこか調子が悪いのか?」
心配そうに手を伸ばしてくるから、咄嗟に誤魔化す。まさか恥ずかしくて真っ赤なのだとは言えない。これ以上は女の子にされたくない。
「いや、考え事をしていただけだ。せっかくだから魚を焼くための下ごしらえを頼むか」
「分かった。……考え事とは?」
俺が魚を獲って、カーライルが内臓とかを下処理して串焼きにするため枝に刺す。作業をしながら珍しくいつもよりは饒舌に話しかけてくる。
「何のためにここにいて、生きているのか、から始まって。両親が遺したかったことに、俺が自分の子どもに遺したい事……カーライルは子ども作りたいか?」
「……ああ」
少し戸惑ったような、熱っぽい声で返ってくる答えに内心で首を捻りつつも俺は続ける。
「俺も子どもが欲しいな。まあまだ相手もいないんだが、きっと生きる意味が欲しいんだな。お前たちに付いてきたのも、そのせいかもしれない」
「それは……つまり。俺たちと?」
「……うん?」
いきなりカーライルに後ろから抱き着かれる。自分の発言を振り返ってみて、一瞬だけ迷った後に誤解を招く可能性がちょっとあったと気付く。
たしかに俺だって女の子から、『子ども欲しい? うん、私も。貴方の誘いに乗ったのはそのせいかな』なんて言われたら誤解してしまうかもしれない。
だが、俺がそんな娘と同じ精神をしているわけないだろうが!
女扱いされるのを嫌がっていた事も忘れたのか。
俺は背中にあたる逞しい胸板に嫉妬しながらカーライルを投げ転がして見下ろす。呆然とした顔が捨てられた子どもみたいで罪悪感が湧きそうになるが、顔に指を突き付けて告げてやる。
「勘違いするなよ。お前らに惚れたりなんかしていないし、ただちょっと、この旅が終わったら伴侶と寄り添って田舎でのんびり暮らすのもいいと考えてただけだ」
「……すまない」
素直に謝ったので手を掴んで助け起こしてやる。と思ったら、意外に重くてカーライルの上に倒れ込んでしまう。こいつ細身だけど長身だから随分と重いんだな。
男だった時ならそれでも踏みとどまって引っ張ってやれたんだろうが、戦闘中でもないから気を抜いて今の体を考慮していなかった。
自分の間抜けぶりに羞恥がこみ上げる。今日は失敗ばかりだな。
「悪い。すぐよける」
「いや、怪我がないならいい」
そう言って目を逸らすカーライルの頬は朱が差している。顔が近かった。俺の胸が胸板と挟まれて潰れている。慌てて跳ね起きる。
これじゃあまるで、誘っているみたいじゃないか。気まずさと恥ずかしさで目を合わせられない。
川を見つけた時の浮かれた気分が、なんだか昨日の出来事みたいに遠かった。




