魔大陸
俺の知る限り世界ってやつは、八等分したケーキを一切れつまみ食ってしまった時のような形をした大陸だ。中心から南へ欠けた大陸の、東側が魔大陸。西側が人大陸。それらを分つ北の高山群を龍神山脈と呼んでいる。
もちろん地図なんてのは機密情報で王家とかしかるべき所が保管してるだろう。よって、世界全体の地図を持っている者なんて居ない。
それでも俺みたいな学のない人間が地理を知っているのは、昔に知り合った魔族の冒険家が物好きにも世界中を回る学者だったからだ。
怪我した父を助けたというその魔族は、傭兵団の皆と意気投合して客分となり半年ほど匿われたまま人大陸を旅した。彼の語ることは俺たちの世界を広げた。
もともと傭兵っていうのは魔族と関わることが多い。実は魔族の中では人族はただの敵国であり、差別はあまりないのである。そのため、雇い主に捨て駒として使われた傭兵が魔族に助けられることも秘かにあった。
人族はそういった都合の悪いことを広まらないようにしていて、この手の知識を吹聴して回ると国連から刺客が来るんじゃないかと俺は推測している。
だから、勇者さま御一行に俺の知る魔族の実態をどこまで教えていいのか未だに悩む。彼らなら真摯に聞いて判断してくれるだろう。だが、知らない方が幸せなのかもしれないとも。
特にグレンなんて、人大陸ではあまり口に上らない神力の仕組みを薄々だけど知っていたみたいだし、好奇心猫を殺すを地で行ってるよな。きっと有名な神に仕える高位の司祭が口伝でのみ伝えてる知識とかだと思う。王家とかなら把握してるのかね。分からんな。
ともあれ俺たちは妙に速い魔動船に揺られて、たったの二日程度で魔大陸までついた。たどり着いたのは周囲に漁村もなさそうな砂浜。
人気が無ければ魔獣が多いのも常ではあるが、船を隠すには都合がいい。
魔大陸の植生はいい。魔力の溢れる大地は魔獣のみならず植物にも繁栄をもたらしているため、人大陸よりも高栄養価な実りが期待できる。
そのため人族は魔大陸の幸を手に入れたい。逆に魔族は危険の少ない人大陸に住みたい。
まあ、それはさておき上陸した俺たちは全員でひいこら言いながら船を引きずり上げ、獣に荒らされたり風雨で痛まないように伐採してきた木々や草を使って覆う。
聖剣の最初の使い道が、裂帛の気合いと共に板材を切り出す事とは勇者セルキアも神界で苦笑してるだろうよ。
余った木からグレンが魔術で水気を吸出し乾燥させて、俺たちは焚き火を囲んで暖を取る。魔術便利だな。村に帰ったら信者の魔術師に声かけて有効活用を一緒に考えよう。
「で、今後の方針だがな。伝承では魔王城って魔大陸の中心くらいなんだよな? たぶん象徴として存在するわけなんだから、そこから遷都したりは無いと思う。だから基本は北東へ進みながらアリスに先行偵察してもらって、危険そうな街は避ける形になるかな」
「まあ妥当じゃないかと思うけど、危険でない街ってあるのかい?」
ソラの疑問に他の三人も同じ気持ちなのか、頷いたりこちらに視線を向けてくる。アリスだけは興味なさげにしているが、この娘はこれで俺の言う事は全部覚えてたりするし頭の回転も早い。傭兵を続けてたら斥候隊のリーダーとして副官にするレベルだ。
「んーと、しっくりこないかも知れないし十二年前の情報になるが、人族が一緒に暮らしてる街もけっこうあるんだよ。そういうところなら軽く変装すれば平気だと思う」
「そ、それは……捕虜や奴隷じゃないのか?」
グレンが不安げに聞いてくるが、細かく教えるかどうか結局は海の上では決めれなかったな。
とりあえず軽くでいいか。
「ああ、特殊な事情で人大陸に居られない者や魔族と結ばれた人族とかだ。魔族は人口が少ないから敵意が無ければ迎え入れてくれる。魔獣の方が危険度が高いせいもあるのかね」
「……なるほど、しかし詳しいな。理由を聞いてもいいか」
「ん、まあ大きな声で言えないが魔族の学者と半年ほど旅路を共にしたことがある。信用できる相手だ」
「――なっ!?」
まあ驚くよな。ソラとディランのぽかんとした顔。カーライルも目を見開いている。グレンは目を輝かせて、アリスはまあ常識に囚われてないので驚いてない。
「それはさておき、アレはなんだ。魔獣か?」
俺はさっきから気になっていた波打ち際の影が二本足で立ちあがるのを指さす。
皆で一斉に視線を浴びせたそれは、暗緑色の体に甲羅を背負った姿。人間サイズの亀が二足歩行するようなコミカルな外見だ。
グレンが唸る。
「あれは河童だな。実物を見るのは僕も初めてだが、亀の魔獣で鋼より硬い甲羅と鋭い爪を持つ。水辺に棲み、亀甲に溜まっている水を魔術で薄い円盤状にして飛ばしてくるのだとか。肉食で動物を水に引き込んで溺死させてから食う事もあるんだったかな」
呑気に聞いていた一同は、グレンの説明が後半になるにつれて河童がこちらに迫っているのを見て戦闘態勢に入る。というかグレンはまず危険性を先に説明してくれ!
「ディランとソラは正面から押さえてくれ、カーライルは後ろから足を狙え。アリスはいざという時にフォロー。グレンは即死させれるような魔術を頼む!」
「僕、グレンの名において願う――」
ディランとソラが応じて武器を振るうが亀とは思えない敏捷さで、甲羅を使って受け流す。これを観察してたら盾を背負ったまま使う武術が編み出せるかもな。
カーライルが背後に回るが、皿のような水刃に阻まれて近付くには至らない。
熊のように爪を振り回して暴れる河童は、俺が振るう鞭では皮膚を切り裂くことも出来ないくらい固い。この調子じゃあ剣や斧で叩いても甲羅は割れないだろうな。
「――貫き穿つ閃雷よ、我が敵をその内より焼き滅ぼせ。……二人とも、距離を取ってくれ、巻き込まれたら道連れだぞ!」
「ぬあぁ、こいつ亀のクセに素早くてっ」
「せめて強化魔術が掛かってればよかったのだけどね」
グレンが魔術を待機させて叫ぶが、河童にぴったりと張り付かれて二人が離れられない。俺が仕方なく右前脚に鞭を巻きつけて全身で引っ張ってみるが、馬鹿みたいな力で引きずられる。
それでも少し鈍った動きにカーライルが素早く反応。水刃を避けながら飛び込むように足元を転がって、魔道具のよく切れる短剣で後脚の一本を深く切りつける。
よろめいて失速した左前脚をソラが受け止めて、ディランが胴体に全力の蹴りを叩き込む。片足に力が入らない上に痛みもあってか、たたらを踏む河童。俺は鞭を解いて引き戻す。
ディランとソラが飛び退いた瞬間に、グレンが魔術を放つ。
咄嗟に首を縮めた河童の甲羅に、吸い込まれるように雷が落ちて周囲へ火花をまき散らす。おぉぉ、これは二メートル以内なら一緒に死ねるかもしれないな。
ともあれ河童は嫌な臭いと煙を上げながら動かなくなり、俺たちはそれが倒れるのを見届けて息を吐く。
「魔大陸、噂以上に過酷だな」
「僕が本で読んだ記述より大きかったから、人気がない地域で長生きした個体だったのかもしれないな。面白い」
「うへー、それなら早めに街なり村なりが近い場所まで移動したいな」
「……同意する」
「私としても、聖剣の切れ味を試すのは今ので充分だから魔獣退治は遠慮したいね」
まあ、ちょっと手こずったが一応俺たちの誰か一人でも勝てない相手ではないと思う。いや、アリスと俺は攻撃力足りなくて無理だな。今もアリスは出る幕が無かったし俺の援護も大して意味はなかった。
俺たちはとりあえず寝る順番を決めて野営の準備を始める。
「ところで、河童って食えるのか?」
「僕も知らないが、興味はあるな」
いや、食わないけどな。




