船出の時
改めて五メートル四方程度の室内を見渡せば、簡素な祭壇に突き立った武骨な長剣。部屋自体がぼんやりと光っていて薄暗いが見えないほどではない。
俺は周囲を見回してディランとソラが火傷してるのを見て顔を顰める。よくぞこの程度で済んだ。俺は無言で手招きして、背中を叩いて三人の健闘を称えながら治癒の奇跡をもたらす。
「すまん、俺の見通しが甘くて死なせるところだったな。生きててくれてありがとう」
「あー、アニキ?」
「ツバキ……」
「ツバキ、い、痛くないの?」
呆然としたディランの声。
カーライルの微かに震える声。
そしてソラが指さした俺の体を自分で見下ろして、思い出す。めっちゃ痛い。
さっきまで火事場の馬鹿力みたいな状態だったのだろう。全身が焼け焦げて皮膚……いや肉にまで穴が開いてるし、常人ならあと数分で死ぬな。
俺は慌てて神力を注ぎ込み傷を修復した。焼け落ちた白ローブも元通りに構成して軽く叩き馴染ませる。
誤魔化すように笑うが痛みの余韻で引きつる。のたうち回りたいが、見苦しいから我慢だ。
そんな俺にグレンがちょっと困ったように差し出してくれたのは、俺の右手。しっかりと鞭を握ったままのそれは、血の気を手首の断面から出し切って白い。夢に出てきそうだな。
「ツバキ……その、これは?」
俺はそれを右手で受け取り、神力に変換して吸収する。鞭はローブの中に戻す。
「これが俺だ。化け物みたいだろ? だから心配することはないって言うんだ」
人間離れした自分の体を強く意識して、言葉にちょっと自虐が混ざってしまう。すると、グレンが俺の右手を掴んでまじまじと見つめる。カーライルが俺の頭を撫でる。ディランとソラが俺を挟むように体を寄せてくる。
息の合った動きに俺は逃げ場がなくて、身を捩りながら正面のソラを見上げる。泣きそうな顔は、きっと鏡だ。
「そんな悲しいことを言わないでほしい。私たちはツバキが好きだよ」
「そうだよ。オレたちはアニキが人間じゃなかったとして変わらず心配するぜ」
「……無茶が出来る体なのは理解したが、痛みはあるんだろう? 無理しないでくれ」
「すごいな。ツバキにとってこれは忌まわしい事なのかもしれないが、人を超越するほどに人を助けてきたという証拠だ。僕は好ましいと思う」
こいつらは俺を甘やかしすぎる。でも不思議と悪くないなんて思ってしまうのは、今の戦いでちょっと疲れてるから弱気になっていたせいかもしれない。
互いの無事を確かめるように皆で一塊になって、一分くらい。ふとソラが冗談めかして言う。
「さて、次に心配させたらどうすると言ったか覚えているね?」
「あ、ずるいぞソラ。オレも混ぜろ」
「なるほどな、こういう時は便乗するに限る」
「……。」
ソラとディランが順番を巡って争いだした瞬間。意外な手の速さでグレンが、掴んでいた手の甲に口付ける。思わず小さく呻きながら手を引っ込めた。その隙を突いてカーライルが無言で俺の髪に顔を埋めて口付ける。
唖然とするソラ、ディラン、俺。頭に血が上って、三人がそれぞれ文句を言おうとしたところで遠い爆音と震動。部屋の上から砂埃が落ちてくる。
むず痒い鼻に任せてくしゃみを一発キメてから、何が起こってるか理解して再起動。
「色々言いたいことはあるが、じゃれてる暇はなさそうだ。どうやら魔女さまが怒り狂って洞窟を崩落させんと魔法をぶっ放してるみたいだな。あの娘が生き埋めにならんか心配だが、下手したら壁をぶち破られるかもしれないし逃げるぞ」
「う、うん。行こう」
ソラがあっさりと聖剣を引き抜く。おぉ、選ばれた人間しか抜けないとかそういう雰囲気なのに躊躇いなしかよ。見た目は普通の長剣だな。業物なのは確かだし、刀身に魔術が刻まれているのは見えるが、読めないから凄いのか分からんな。
まあ神器なんてそんなもんか。神が使ってたから象徴として神力を纏っていたりするだけで、元は普通の武器だもんな。神力はしっかり宿っているみたいだし、というかソラの神力と混ざっていってるな。
俺は観察を切り上げて視線を奥の壁に移す。剣を引き抜くと同時に開いていく分厚い石壁。潮の匂いと湿気が吹き込んでくる。微かな波の音。
「どうやら、ソラの言っていた通り洞窟から海に出られそうだな。例の魔動船とやらは?」
「うん、ここを出てすぐが港みたいになっていて、舫い綱で結んであったはずなんだ」
それだけ言うと先行するソラ。全員で気を張りながら進んでいくと、十人程度は乗れそうな船が見えた。これも勇者セルキアが使っていた物らしく、ソラが言うには古い魔術で作られてるから今では再現不能な逸品らしい。
洞窟の中だから違和感があるが、そこはたしかに港のようになっていた。
そして、近付いた船の操舵室に魔力を感じて俺は安堵する。
「アリス。無事に着いたみたいだな。入口はどうなってた?」
空気から滲むように現れたアリスは、可愛らしく微笑んで答えてくれる。
「うん、ちゃんと目立たないようになってた。外から見たら浅い洞窟みたいだったわ。ツバキが無事で嬉しい!」
子犬のようにじゃれついてくるアリスの頭を撫でてると、心が温かい。横でちょっと微妙な顔をしていたディランが頭を掻きながら溜息を吐く。
「アリス、怖い魔女がアニキを追っかけてくるからすぐ出るんだ。とりあえず離れろ」
「むー、あんたらこそ離れて。ツバキに男臭いのが付くじゃない」
「はいはい、喧嘩するなアリス。とりあえず急ごうか」
俺たちは急いで船の中を確認して、保存食や寝具がしっかり積まれていることに喜ぶ。羅針盤も問題なし。グレンに見てもらえば魔術的な問題も無し。
グレンが操舵室の水晶に手をかざすと、船は音もなく動き始める。まあ波を掻き分ける音と振動はあるのだが、それ以外に音がしないのはいいな。
暗い洞窟内を魔術の明かりで照らしながら進み、外に出れば日は暮れ始めている。周囲に気配はない。
どうやらここは特定されていないらしいな。皆が少し緊張を緩めて笑みを浮かべる。
小型の魔動船だから軍船は普通には追い付けないし、これなら問題はなさそうだ。
カーライルが思い出したように尋ねてくる。
「……細剣、なぜ投げた?」
「そりゃあ、親の形見は持ってたいだろ。特別な品だったしな」
「……そうか、そうだな」
トリスにとって幼い頃に亡くした父親がどんな存在だったかは、俺には分からない。それでも、あんな顔で敵討ちに挑んできたのだ。自己満足でもいいから無下にはしたくなかった。
カーライルも故郷の家族を想いだしているのか、少し遠い目をした後で俺の頭を撫でようとして、俺の膝へしなだれかかっていたアリスに手を払われる。
うん。なんか慣れって怖いな。俺が忘れてた抵抗をアリスがしてくれた。まあ、悪意があるわけじゃないから拒み辛いだけだ。特に今みたいに、しんみりした空気だとな。
一瞬の沈黙。それを見ていたグレンがそういえば、と口を開く。
「ツバキ、僕らにもその子を紹介してくれないか。無詠唱魔術なんて初めて見たんだ。興味があるな」
「あーっと、そうだったな。この娘はアリス。俺の義理の娘で、隠密性能に優れた魔術が使えるんで先行しての密偵役を任せてたんだ。ほらアリス、こっちがカーライルで眼鏡のがグレンだ」
「……あたし、アリス。ツバキはあたしのだから、あんたたちは触っちゃダメ」
うーむ、なんか好いてくれるのは嬉しいんだけどな。俺がまるで年下の女の子を拾ってきて自分好みに育ててる変態なんじゃないかと疑われそうな言動だよな。もちろん濡れ衣だからな。
カーライルは相変わらず大人な対応で、カーライルだ、と名乗る。でもちょっといつもより無愛想に見えるのは、叩かれた手が痛かったのかもしれないな。
グレンはアリスに興味が湧いたらしく嬉しそうに名乗りながらも、僕らじゃなくツバキが決める事だからな、と余計なひと言を付け加えて笑う。
勇者さま御一行に冷ややかな目を向けるアリスを撫でながら考える。うーん、もう少し社交性を学ばせなきゃダメかな。ストレスは少なくしてあげたいんだけど、あんまり人付き合いが出来ないと将来この娘のためにならないしな。
育児(?) はディランの時とアリスで二度目だけど、本職の母親じゃないからどうすればいいか分からないな。あー、今の体なら母親にもなれるんだっけか……いや、考えたくないから今のは無しだな。
背筋を冷やす恐ろしい思考から逃げて、とにかく今はアリスとグレンの妙な小競り合いを子守唄に、少し寝よう。体は疲れなくても精神的にへとへとだ。
俺はゆっくりと意識を沈めていく。
三日もすれば魔大陸だ。
向こうは魔獣が危険だから野宿にも気を張るし。
街道警備兵や町の衛兵に見つかると面倒だよな。
こらアリス、魔術は人に向けたらダメだ。
グレンも喜ぶんじゃない……。
ああ、眠い。
とりあえずここまでで第一部? 第一章? とにかく一区切りです。
同じくらいの文量になるかは分かりませんが、予定では全三部構成です。
次回からは魔族と魔獣ひしめく魔大陸編。次々送られる刺客に凶暴な魔獣。そして魔族や魔大陸の秘密が少しずつ語られていく予定です。




