魔女 vs 聖女
心臓が酷く跳ねている。目の前には当代最強と噂される魔将、そして無傷とは言えないが無事な三人の姿。
念のためアリスを付けていて良かったと心底思う。玉座の間付近が妙に手薄だと思ったら、こちらの目的を読まれていたとは。いや、少し考えれば分かる事だったのかもしれない。
いつものポーカーフェイスで余裕ぶってみたものの、敵の強さから来る重圧と仲間が死んでいたかもしれない恐怖で声が震えそうになっている。
俺は自身を落ち着けるためにゆっくりと話しかける。
「初めまして剣の魔女さま。私はツバキと申します」
応じるのは褐色の肌に肩口まで伸ばした金髪の愛らしい少女。だがその剣気たるや魔将として相応しい程の鋭さを放っている。
「初めまして聖女さま。あたしは魔将トリス。ねえねえ、インを倒したって本当? あの子も詰めが甘いわよね、ヘイが猫っ可愛がりしすぎるからいけないのよ」
「あら、お恥ずかしいですわ。龍使い様から聞いてらしたのですね」
おほほほ、と互いに実力を探りながら笑い合う。数秒の沈黙、そしてトリスが目を細める。
「その腰に差してるレイピア、どこで手に入れたのか聞いていいかしら」
「お目が高いですね。父より譲り受けました」
「ヘイの言った通り、鬼神の娘なのね……鬼神はどこ?」
その言葉にせっかく落ち着きだした心臓が乱れそうになるのを押さえつけて、鮫のように笑う。
「父は病に倒れました。敵討ちは諦めてくださいませ」
「そう……じゃあ貴女でいいわ」
トリスの手に握られているのは決して折れぬ長剣と、上質な細剣。俺を殺してついでに父親の剣を取り返す。彼女にとってそれは当たり前の事だし、かつての俺にとっても日常だったもの。
そしてこの少女は強い。恐らくは剣魔将よりも。
俺は自然体でソラの方へ視線を向け、伝わってくれと願いながらその眼を見つめる。ソラの頬に微かな朱が差した後、真剣な表情で頷く。ちゃんと伝わったか不安になるからやめろ。
「では、まずは敵討ちの流儀に則って一対一の真剣勝負としますか?」
「へぇ、いいわ。そういうのあたし好きよ。ヘイの時みたいに魔力誓約でもしたいの?」
「いいえ、貴女は受けないでしょう? ここで全員を殺す気ですよね」
魔女が笑う。愉快そうに。
俺は皆を見回して、巻き込まれないように下がっていてくださいと告げる。
躊躇いながらも壁際に下がっていく皆。さて、俺は大丈夫だろうか。今回ばかりはちょっと怖いな。
「震えているのによく言ったわね。まずは貴女から殺してあげるわ」
「光栄ですね。十年前のあの日、叶う事なら貴女のお父上と剣を交えてみたいと思いました。戦場の流儀とはいえ惜しい戦士を亡くしたこと、お悔やみ申し上げます」
「ふんっ、どこまでもムカつく……。そのすまし顔が、いつまでもつかしらね」
ああ、こういうところは年齢通りなんだな。きっと父の仇を取るために鍛え続けたのだろう。そんな一途な子を悲しませる戦いなんて、きっと止めて見せる。それがソラたちの願いであり、俺の幸せだからだ。
だから、ここは譲ってやれない。殺させてあげない。恨まれてもいい。
静かに細剣を抜き放つ。剣魔将が愛用した折れぬ魔剣を。
「あたし、魔女トリスの名において願う。猛り狂う火焔と迅雷よ我が体の内に宿りてその威を千里先まで轟かせよ」
トリスの詠唱完成を待たずに距離を詰め、右手の鞭で首を狙い撃つ。音の速さで飛来する先端部を、長剣で切り裂こうとするが甘い。鞭は甲高い金属音と共に弾かれ、他の武器にない圧倒的速さで打たれた長剣が大きく横に持って行かれる。
無防備になった首と胴体にナイフを合わせて三本投擲。トリスは体を捻って一本、細剣で弾いて一本、体勢を崩しながら最後の一本も避ける。
これでも集中が乱れないのか。その上、まだ勇者さま御一行への警戒すら残している。見事だな。
追撃の鞭打ちを転がって避けながら詠唱を完成させて、動きが素早く力強くなる。
いくら身体強化しているとはいえ、鋼以上の硬度を誇る鞭の先端が掠めれば切り裂かれる。喉や動脈を数か所切れば失血で戦闘続行不可能になるはずだ。
本当なら関節を極めての無力化が望ましいのだが、相手が強すぎて選択肢を狭めるのはこちらの命に係わる。
仕方がないので鞭を暴風のように踊らせて、二メートル程度の間合いを維持するように攻め立てる。
疾風迅雷の如きトリスの動きだが、さすがに警戒の弱い角度を選んで攻め立ててやれば近付くのは難しいのだろう。一足飛びに踏み込み、鞭に打たれる瞬間を間一髪のタイミングで敏感に感じ取って、剣で弾いては飛び退くを繰り返す。
「っく、こんな屈辱は初めてよ。まるで意識の外から攻撃が生えてくるようだわ。あたしが、剣魔将の娘が一対一の近接戦闘で手も足も出ないなんて。仕方ないわ、貴女には魔女として挑まなきゃいけないみたいね」
「ええ。残念ながらまだ貴女の剣腕はお父上に届いていません。全力で来るべきでしょうね」
「後悔するわよっ! あたし、魔女トリスの名において願う。雷よ我が敵を穿つ楔となれ」
いいぞ、もっとだ。もっとこちらに集中しろ。俺だけを見ろ。
恐るべき集中力で先ほどまでと同じ攻防をしながら、呪文詠唱を混ぜてくるトリスの実力に舌を巻く。少しでも距離を取る素振りや動きが鈍ることがあれば一気呵成に攻めるところだが、その隙はない。
鞭を弾き返す瞬間に詠唱が完成する。鞭と長剣がぶつかり合った時は少しバランスが崩れるのだが、彼女は今回だけそれを意に介さず突っ込んでくる。
こちらに迫る雷線と魔女。翻った鞭が不安定な姿勢で疾駆する足を叩こうとし、細剣で弾いて衝撃に転がりながら俺に肉薄する。同時に到達する雷光を俺の細剣が一閃して弾き飛ばす。
互いに武器を振り切った姿勢のままで、腕を戻す時間も惜しみ低い姿勢でぶつかってきたトリスの体当たりを膝で受ける。
強化された力は凄まじく、俺はあっさりと押し倒されるが、そのまま腹を蹴り上げてやるように巴投げ。離れる瞬間に首目掛けて振るわれた剣撃をギリギリ細剣で防ぐ。
重たい一撃に悲鳴のような金属音が響くが、すかさず飛んでいくトリスに鞭を一閃。これも身を捩って避けられる。
そこにナイフを投擲してみるが、これはやはり剣で弾かれる。
俺が立ち上がるのと着地したトリスが疾走するのは同時。今度は俺からも間合いを詰めて、鞭を蛇のように足へと襲わせながら細剣で首狙いの刺突。
「あたし、魔女トリスの名において願う。炎よ我が敵を焼け」
鞭を巧みなステップで躱され、刺突を細剣で逸らされ、トリスの長剣が逆袈裟に振りぬかれるのを半身に仰け反りながら避ける。そのまま鞭を手放した右手で長剣を持つ手を捕らえ転倒させようとするが、火球によって妨害されて咄嗟に離れる。
多少なら食らいながらでもよいと思ったのだが、あれは下手に着弾すると一瞬で全身を焼かれて動きが鈍ったところで首を刎ねられる。そんな確信めいたものを感じさせる。
手放した鞭が慣性でうねり、トリスの背後から足に巻きつこうとするが避けられる。それを蹴り上げるように足で拾って俺は再度身構える。
ローブの前面が切れ落ちて中に着込んでいる戦闘服を露出した俺と、首筋に薄く血の線が浮かんだトリス。
「ふぅん? それが聖女の正体ってわけ。口ぶりからすると父親に仕込まれた元傭兵、魔術は使えないみたいね」
「生憎と才に恵まれぬ凡人ですので、ですが年の功で本気ではない貴女とはいい勝負が出来ていますね」
互いに笑う。やはり武人。二人とも複雑な感情には楽しさも混じってしまう。
そして分かる。
互いにまだ奥の手を隠している。使いたくないけれど追い詰められれば使うような何か。
自然な動作で俺は円を描くような右移動。警戒の弱い部分が移り変わる様を観察しながら鞭をくねらせる。
トリスは一歩も動かず、それを横目で見ながら……俺が真横まで来た瞬間に急加速。普通の相手なら理解すらできなかったであろう突発的な変化。
さっきまでの速度に倍する踏み込み。だが、俺だけにはしっかりと予兆が見えていた。つまり神力が集中していくという現象が。
これがトリスの奥の手。魔王の敬虔なる信徒である彼女が引き出した奇跡。司祭なら誰もが仕える神の権能を借り受けるのだが、魔王の権能はどうやら身体強化。武勇に優れるという信仰の通りに危険な奇跡だ。
常人では絶対に間に合わないと分かっていた俺は、枷を外す。人として持ちうる無意識下の抑制。
人族も魔族も、本来はもっと力があるのだ。だがそれを十全に振るえば骨肉が砕け千切れる。
俺は半神の肉体になってから体の任意制御が昔より上手になった。そして医学の勉強をするうちに、この無意識の枷を知る。ならばこれは俺だけに出来る力技だろう。
体感だが、およそ四倍以上に跳ね上がった身体能力でトリスの長剣を細剣で受け流す。驚愕に目を剥きながらも突きこんでくる細剣を鞭の柄で弾いて、その時に手首のスナップで鞭の先端が背中を叩くようにうねらせる。
トリスが横っ飛びに避けて距離を取る。俺はその間にイカレていた手首と肩を神力で癒す。痛みに脂汗が滲むが、一分か二分くらいなら枷なし状態で集中も維持できそうだ。
目を細めて警戒するようにステップを踏むトリス。
「無詠唱魔術ではないわ、魔力が動いてない。セラ様の神力じゃないからはっきりと感じられないけれど、神力を使っていたように見えたわね。でも、聖女の評判に武勇はない。そんな権能はあり得ない。……貴女は一体何をしたの」
「手の内を明かすのは勝ってからでも遅くありませんわ。貴女のそれも神力のロスが大きいと気付かれたくないから隠していたのでしょう?」
「……ちっ、あたし、剣の魔女にして魔将トリスの名において願う――」
魔力の集まり方が先刻までの低級魔術じゃない。俺は全力で鞭を振るい距離を詰める。
右足元から跳ね上がるような鞭の一撃が防ごうとした細剣を折る。さっきまでの数倍の威力だ、ソラたちとの戦闘で負担のかかっていた武器なら当然だろう。
不壊の細剣と長剣が噛み合い火花を散らす。互いに全力全開でも、トリスの方が力は強いらしく押し切れない。
「――吠え猛る炎雷よその力余す事無く一つに合わせ――」
トリスの蹴りが跳ね上がる直前に腿を右手で抑え込んでやる。鍔競っていた長剣が回転するように振るわれ右手を切断されるが、そのまま叩き下げられてしまった細剣で足首を浅く切り裂いてやる。
「――降り注ぎ破壊の雷雨となれ! 」
斬り飛ばされた俺の右腕に握られたままの鞭がゆるく弧を描く。必殺を確信したトリスの声。会心の笑み。
獰猛なその笑顔が一瞬で生えてきた俺の右手を見て引きつる。俺は細剣で斬り返しながら鞭を引っ掛けて横のソラたちへ向かって飛ばす。そして、斬撃を避けるために距離を取ったトリスに右手で懐から薬瓶を投げつける。
降り注ぐ炎と雷を細剣で弾いてみるが、数が多すぎて全身に灼熱の感触が走る。神力を籠めた白ローブを頭上に翳してソラたちの方へ全力で突っ切る。
いくらかはローブに吸われて跳ねるが、次々と穴が開いてもはやのたうち回りたくなる痛みだ。横目で見たトリスは薬瓶を咄嗟に切り捨ててしまい、中の粉末で咳き込む。
とっておきの煙幕なのだが、あまり吸い込んではくれなかったな。それでも足首の傷と相まって、視界が悪いからすぐに魔術を迂回しながら俺に追いつくのは無理だろう。
トリスが俺だけに集中した時からこっそりと、ソラが封印の扉を開いていた。俺のアイコンタクトを正確に読み取ってくれて助かった。正直、今の俺たちでは全員で当たっても勝てないからな。
少しだけ開いた扉に飛び込めば、ソラが扉に再度手を当てて念じると閉まり始める扉。
「卑怯者っ! 戦場の流儀はどうしたのよっ!? 戦士の誇りは無いのかしら!?」
トリスが必死に追い縋ってくる。しかし扉が閉まる方が早いだろうな。
「炎雷よ爆ぜなさいっ!!」
トリスがこちらに向けて紫電と爆風を飛ばしてくるが、届かない。俺はちょっと申し訳なく思いつつも隙間から細剣を投擲してやりつつ一言。
「生き残ることが傭兵の流儀! 逃げるが勝ちと申しましょう。悪しからず!」
憎々しげなトリスの顔を向こうに、扉が閉まった。
思いの外、戦闘が長くなってしまいました。
連載開始から早くも一ヶ月、もうすぐ物語も一区切りです。今までほぼ日刊でしたが友人からも無理せず続けなさいと言われたので、息抜きにコメディタッチの別連載を同時進行で書こうかと思います。詳しくは活動報告にて。こちらの連載速度は隔日(確実)に落ちると思いますが(オヤジギャグ)、完結目指して書き続けるつもりですので今後ともよろしくお願いいたします。




