朝の散歩
カーテンを透かして柔らかな日が差し込む室内。俺はぼんやりと見慣れない天井を見上げる。
武王国、王城内の客室。起き上がってゆるく団子にしてた髪を下ろす。
結局、三時間くらいしか寝ていない気がする。まあ体の疲労自体は神力が癒してくれているのだろうけど、それでも体が重たく感じるのは心因性の物だろうな。
体を軽くほぐして髪を梳いていたら、控えめなノックの音。
嫌味がない程度に調度のそろった部屋の扉。その向こうに、さっき聞いた足音からすると女性の気配。
「聖女さま。起きておいででしょうか。お湯をお持ちいたしました」
「ええ、起きていますよ。ありがとうございます、入ってくださいな」
城勤めの侍女が扉を静かに開けて入ってくる。さすが武術を奨励するお国柄だけあって、侍女もそこそこ戦えそうだな。足さばきに無駄がないしこちらに警戒心を抱かせないように気を遣ってはいるが、短剣を隠し持っているようだ。
一礼してお湯とタオルを用意しながら、よろしければお手伝いさせて頂きますが、と言うのでせっかくだから背中を拭いてもらう。
服を脱ぎ一糸纏わぬ姿を晒せば息を呑む侍女。小首を傾げて微笑んでやると、失礼しました、と動き出す。
「市井に出回る絵画は見ておりましたが、それよりもずっとお美しいですね」
「あら、そうでしょうか。私には貴女の方が魅力的に見えますよ」
「そんな、私など聖女さまと比べる事すらおこがましいです」
背中を拭く侍女の恐縮しきったような声に笑ってしまう。
俺は邪魔にならないように肩にかけていた髪を触りながら、一応あまり刺激しないように言ってみる。
「これでも本音で言っているのですけどね。だからどうか乱暴な事をしたくないので短剣はしまっておいてください」
俺の言葉に反応して音もなく振り下ろされる短剣を避けて、腕を掴み捻りあげる。素早く顔を持ち上げてやり口の中に毒を含んでいないか、指を突っ込んで確かめてから椅子に座らせる。
侍女は絶望や怒りのようなものを混ぜ合わせた表情でこちらを睨んでくる。
「練度は中々ですが、グレン以外には難しいでしょうね。本物の侍女のようですし数はいないでしょうから多くても私とソラさんだけに差し向けた形でしょうね」
「なぜっ!?」
予想外の俺の対応に怯えているのか、侍女は体を震わせる。
俺はなるべく痛くないように押さえつけたまま顔を近付ける。
「私、聖女ツバキの名において願います。古の契約神が定めし摂理に従い刻まれし誓約の形を書き表しなさい」
魔力誓約を確認する時間のかかる魔術詠唱を済ませるが、反応は無し。
「さすがに本人に枷をつけるようなヘマはして下さらないようですね。となると、成功すれば家族と貴女を無事に返す。という誓約を人質である家族と首謀者の間に成したと言ったところですか」
「――っ!」
絶望に染まった表情で脱力していく侍女。女性にこんな顔させるなんて……犯人は覚悟しておけよ。
俺は怒りを滲ませないように注意しつつ、拘束を解いて笑いかけてやる。
「貴女への裁きは容赦いただくように口添えいたします。その上で、どうか私を信じて話しては頂けませんか」
「聖女さま……。わかりました。どうか、母と弟を助けてください!」
少し悩んだ後に涙ながらに語る侍女。どうやら犯人は魔族軍の工作員らしい。
一週間前に家族を人質に取られたらしい。本来は武王への攻撃を手引きさせられる予定だったのだろうが、俺たちのせいで予定が狂ったからその原因排除ってところか。
詳細を知らされぬまま日が経ち、昨夜急に聖女を殺せと指示されたらしい。どうやら刺客は彼女一人だけのようだが、まあ勇者に差し向ける暗殺者が一人じゃ無理だろうしな。
おそらくは使い道のなくなった侍女を、勇者一行の戦力を削ぐために使い捨てで差し向けたというところか。俺が狙われたのは知名度と殺し易そうだったからかな。
「さて、ソラさんに恩賞が授与されるのは昼頃でしたね。それまでには戻りますので、貴女は他の皆さんに、私は調子が悪いので昼前まで部屋で休んでいるとお伝えください」
魔族が人族の国に潜伏して内偵するのは難しい。たとえ顔を隠そうと魔族であることは溢れ出す魔力から本能的に分かってしまうからだ。ならば人目につかずに人質を拘束しておけるような空間があって、そこそこの期間を滞在できる場所となる。
絞り込むのは割と楽だ。
俺は戦闘服の上からいつものローブを着てフードをしっかりと被る。侍女に手を振って窓から身を躍らせ壁や木々を伝って市街地へと駆けだした。
二時間もかかったが、俺はなんとか人通りの少ない一角にある民家――家主は行商で今は留守らしい。そこに辿り着いた。
窓からそっと窺えば、長い間の留守にしては埃の少ない床。扉の鍵は微かに傷がついて鍵以外で入った痕跡がある。
人質はおそらく、地下にあるという倉庫だな。
しばらく気配を探っていたが、相手はひとり。今日中にでも出立するのか荷物をまとめているらしい。おそらくは俺が死んで騒ぎになったのを確認しながら混乱に乗じて逃げるつもりだろう。
成果の確認は大切だが、ちょっと迂闊だったな。
俺はそう評価してやり扉をそっと押し開ける。久しぶりだがピッキングの腕も鈍っていなかった。
こちらに背を向けて荷物をまとめている男にそっと近づいて、首にナイフを押し当ててやる。びくりと震えて硬直する男の耳へ囁く。
「おはようございます。死にたくなければ魔力誓約をお願いします」
「何者だ。こんな手練れの密偵がいるとはな、侍女はしくじったのか」
俺は両手がふさがっているので、足を軽く払うようにしてよろめかせてから膝を使って股間を強打してやる。
聖女の軟弱な体でもこれなら十二分に威力がある。
男のくぐもった悲鳴を聞きながら、女を泣かせた罰は充分だろうと満足してもう一度言う。
「魔力誓約を、していただけませんか?」
「お、れっは、ぁ……ふぅぅ、ふぅ……魔族を、裏切らない。殺せ」
「条件を聞いてからでも遅くありませんよ。二度と意思疎通可能な相手を、直接間接的問わずに殺さない。二度と魔大陸から出ない。女性に暴力を振るわない。これだけです。了承していただければ後は干渉しません」
魔族の男は痛みに息を乱したまま混乱したように小さく笑う。
「妙な事を言うんだな。よっぽどお人好しなのか、それとも共存派なのか? 人族側の共存派は魔大陸にしかいないと思っていたがな」
「こちらのことを探っていないで答えを出してください。殺すのは嫌ですが、誓約したくなるまで拷問するくらいならお手の物ですよ」
気負いなく本音から言ってやれば、俺の声音から意を汲んだのか震える声でわかったと答える。
「ああ、一応確認しておきますが、人質はご無事ですか? 酷いことしてません?」
「攫う時に殴って気絶させた程度だ。加減も心得てるから痣ひとつ無い」
「そうですか、ではこれ以上に痛めつけるのは止めて差し上げましょう。街の外にいた連絡役の方も誓約はしてくださったので一緒にお逃げなさいな」
人質を家に帰して、俺は部屋の窓から戻るとソラたちが憮然とした表情で待っていた。
青い顔で勇者さま御一行に給仕していた侍女が、俺の顔を見るなり縋るような震える瞳で見つめてくる。
「お二人とも傷一つありませんでした。一応、証拠になるようにとこれを預かってきました」
そう言って二人がそれぞれ身に着けていた物と、名前を書いてもらった紙を差し出してやれば食い入るように見つめる。しばらくして、深く安堵の吐息を吐いて侍女がへたりこむ。
俺は軽くその頭を撫でてやってから、勇者さま御一行に視線を投げかける。
「ツバキ、先日言ったことをもう忘れたのかい」
「今回は危険もあってないようなものですし、皆さんが動けば相手に気取られてしまいますわ」
「も、申し訳ありません! 聖女さま、私のために危険を……」
「いいえ、どうか泣かないでください。可愛らしい顔がもったいないですよ」
宥めれば恥ずかしそうにこちらを見上げて、聖女さま……と潤んだ瞳で感じ入ったように呟く侍女のお姉さん。ディランが言い難そうに口を開く。
「あー、聖女さまよぅ。まあ分かってるんだけどさぁ。せめて声だけでもかけて行ってくれよな」
むぅ、最近ディランはすっかりソラの味方だな。いや、それだけ俺が危なっかしく見えるようになったのか?また昨夜の思考ループに陥りそうだな。
「ごめんなさい。今度からはそうします。危機意識に関しても昨日は遅くまで考えたのですが、難しくて結論は出なかったのです。少しずつ改善していくので許してもらえませんか」
あ、意外と素直に言えた気がする。昨夜の悩みっぷりは俺の糧になっていたのかもしれないな。
ソラも若干だけど表情を和らげたし、他の三人もしょうがないなっていう雰囲気をだしている。
この調子で行こう。まあ頭では理解してないので、言葉の通り少しずつ改善していくしかないのだが。手さぐりでこいつらの心配を減らしていこう。とりあえず今はそれで勘弁してくれ。
「まったく……次に心配させたらキスでもしてやろうかと考えてしまうよ」
怒っていたはずなのに気持ち悪いことを言い出したソラには、お望み通り床にキスをさせてやった。この時ばかりはディランも手伝ってくれた。サンキュー、ブラザー。




