霊峰に差す影
「というわけで、今のところ南の賢王国側が主戦場で、北の武王国側は平和らしいのです」
セルキア連合国はかつてはひとつだった王家が三つに分かれた国である。しかし魔族との戦争が激化した後に団結するため、三国の王たちが手を取り合い今の形となった。
三国はそれぞれ分かれた当初の王たちに因んだ名で呼ばれる。武王国、賢王国、そして東の聖王国――つまり今は亡きディオール王国だ。
この地方で現在の魔族が侵攻するルートは、海に面して三日月型の山に囲まれた港湾都市国家ディオールから、ひとつだけ存在する大トンネルを通って南の賢王国へ来るものがほとんどだ。
稀に山を越えて北の武王国へ散発的なゲリラ活動部隊が差し向けられるが、一時的に支援ルートを分断して賢王国への圧力にするのが限界だろう。それだけディオールを囲む山は険しく大部隊を送るには難しい。
しかし、人族側もディオールへはトンネルでの移動に頼らざるを得なくて膠着状態が続いている。互いに攻め辛く守り易いのが現状だ。
そんな状態であるにもかかわらず、今、南側に魔族の軍勢が集結して陣を整えているらしい。
もちろん戦力は拮抗している。
しかし、今回はさらに次々と魔族側が攻勢に出て、トンネル外の陣地が広がってきているらしい。無茶な事をするものだ。魔族側の負傷者数はうなぎ上りだろう。
普通にいけばディオールの戦力が空っぽになる勢いの攻勢だ。このままでは補給線も伸びきって、攻めきれず手痛い反撃をもらって撤退することになるだろう。
「妙だな。それなら同時進行で、援軍を出し続けて手薄な武王国に大規模のゲリラ部隊が向かっていてもおかしくないのだが……」
説明を聞いてグレンは首をひねる。他の面々も魔族側の意図が読み取れないのだ。
俺も正直に言うと判断に困っている。
「そうなのですよね。ですが傭兵たちも北側では仕事がないので南に向かっているそうなので、本当に今のところ北側へのアプローチは無いようです。あからさまな陽動にも見えますが、肝心の切り札が見えてきません。武王も警戒して山岳付近の哨戒を密にさせているようなのですが、不気味なほど静かだそうです」
「嫌な予感がするね。私たちとしては少人数の利を活かして、今のうちに山を踏破して手薄なディオールに潜入したいところだけど」
そのままディオールを電撃的に奪還制圧できれば名声も轟くだろうしなぁ。
だが、やはり気になる。
「ここで出方を誤ればセルキア連合国の壊滅という歴史的な局面にも感じられますが、されど武王国にただ向かうだけでは出来ることも限られています。難しいですね」
「うーん……」
皆で朝っぱらから卓を囲んで唸っていると、皿の割れる音。
宿の食堂は満員御礼で、たまには聞こえてくる音でもあるのだが、これは揉め事らしい。
なにせ続いて聞こえたのが慌ただしくも爽やかな朝をランクダウンさせてくれる胴間声だ。
「だからそんな安っい金で動く傭兵なんぞ居ねえと言ってるだろうが! これ以上ちょろちょろしてると張っ倒すぞこのガキ!」
目を向ければ傭兵らしき数人の男たちと、それに縋り付く少年。動きやすそうな旅装で手に乗せられた銀貨袋にはお世辞にも多いとは言えない金額。
周囲は迷惑そうに顔をしかめるが御節介を焼こうという大人はいないらしい。まあ俺も男なら子どもといえど自分で責任を持てと言いたいところだが、飯が不味くなるのは本意ではない。
やれやれと立ち上がると、ちょうど男が拳骨を振り上げて少年の頭に落とす。
その一瞬前に、カーライルが椅子を蹴るように走り込み、男の手を受け止める。
驚愕に目を見開く男。
「な、なんだよ兄ちゃん。コイツの保護者か?」
カーライルは男の顔を覗き込み、睨みつけて一言だけ告げる。
「……子ども相手に大人げないマネをするな」
その静かな迫力に呑まれて、男は呻く。
どうやら御節介なやつはここにいたらしい。
俺は溜息を堪えながら、そこに近づいて頭を下げる。
「もし、傭兵のお兄さま方。朝から災難でしたね。この通りお詫びいたしますのでご容赦を」
そう言って銀貨を三枚ほど握らせる。すると、まあ向こうも馬鹿をやった自覚はあったのだろう、悪かったよと呟いて引き下がる。
そこに改めて頭を下げて、カーライルと少年を引っ張るようにして席に戻る。
フード被ったままで失礼な! とか絡まれなくてよかったな。まあ、聖女教の司祭って大体は俺と同じ格好をしてるので、不信感は薄いのかもしれない。
「……坊や、何であんなことした」
「カーライルももう少し穏便に済ませるように気を付けてくださいね」
「すまん」
まあ、俺が冷たいだけで、カーライルのやったことは倫理的には正しいかもしれない。ソラも同じように動きそうになっていたが場所の問題でカーライルの方が早かったのだ。
グレンは反応できてなかった。ディランはまあ俺が育てたせいか、男なら拳骨もらったくらいで騒ぐこともあるまいという姿勢だ。
とりあえず流されるままに付いてきた少年は、カーライルに見つめられると居心地悪そうに顔を下げる。
「父さんが帰ってこないんだ、国に捜索願を出しても戦争のせいで人を回せないって……」
「それで傭兵を雇いに来たのか。村の人間じゃ行けないような場所なのか?」
グレンが尋ねる。まあ普通に行方不明とかだったらまず知り合いやご近所さんが心配してくれるよな。それに、国に届け出るというのも妙な話だ。
「飛竜の霊峰が騒がしいって、父さんは国の許可をもらって霊峰での狩りを行う猟師なんだ。だけど最近になって山がざわついてるみたいだから一週間くらい調べてみると出てったっきり、もう三週間も経ってる」
「飛竜の霊峰!?」
「知っているのかいグレン?」
「ああ、武王国の片隅にあるワイバーンが多数棲息する山で、ワイバーンは霊峰から出ない代わりに侵入者には容赦なく牙を剥く獰猛な魔獣だ」
ワイバーンって、アレか。英雄譚とかに出てくるでっかい空飛ぶトカゲ。
「となると、この子のお父さんはワイバーンに……?」
ソラが不安げに聞くと、少年は頭を振る。
「父さんはワイバーンを刺激しない。ウチは代々そういう技術を受け継いできたんだ。だから、きっとあそこに密猟者が入ってきたか、違う魔獣が住み着いたんだ」
「ワイバーンの棲家を平気で闊歩する魔獣なんて……」
グレンが考え込むが、俺はふと思い出す。
「あの……十年くらい前、十二魔将に龍使いと呼ばれた魔族がいたのをご存知ですか?」
「あっ、優れた魔獣使いだったという? だけどそれって十年前、鬼神に倒されて以来は姿をくらませているから死んだという説が有力だったはずだ」
そう、十年前に剣魔将と龍使いはディオールに攻め入り、当時の勇者であるディオール王と雇われた俺の父によって倒された。
だが、剣魔将は首を刎ねたが、龍使いは腕を切り落とされても魔獣に飛び乗り逃げ去ったのだ。
「私は偶然にもその場にいたのですが、龍使いは片腕を失いましたがまだ致命傷ではありませんでした。そして、今回の不可解な魔族側の侵攻。敵将は剣の魔女だそうです」
「剣魔将の娘。そして飛竜の霊峰……無関係とは思えないね。キミのお父さんが居なくなったという霊峰、私たちを案内してくれないか」
全員の視線が少年に集まる。彼はちょっとたじろいだ後、唾を飲んでから頷く。
「……父さんを助けてくれるなら」
「……確約はできない、だが、捜すのは手伝う」
カーライルが請け負う。
俺たちの方針は決まった。これは急がないといけないかもしれないな。