母のような女性
性的な行為を想像させる描写があります。苦手な方はご注意ください。
ザガッタ村は国境近くの街道が合流する場所に自然と出来た交易拠点で、様々な物を扱う商店と宿がびっしり並ぶ風景は村ではなく街と呼ぶべきものだ。
常に人波が絶える事は無く活気にあふれているが、今は世情のせいでセルキア連合に向かう傭兵団とセルキア連合から逃げてくる商隊が最も多い。トラブルも多発しているらしい。
と、先日アリスに集めておいてもらった最近の村に関する情報を説明する。
ちなみに俺は白いローブのフードでしっかりと顔を隠している。聖女を描いた絵画はかなり市井に出回っているので、こういう場所だと目立たないようにいつも気を使う。
「ですので、本当なら避けて通りたいところではありましたが、野宿が続いて体も疲れているでしょうし、寄りたいところもあるので一泊したいのですがよろしいでしょうかソラさん」
まだ正午を回ったばかりなので素通りすれば今日中に国境を越えて、セルキア連合国内の村まで行ける見込みもある。
今日みたいな暖かい日差しの下なら道行きも楽だし、宿代などの出費もここよりは小さな村の方が安く上がるだろう。
それでもなお、ここで一泊したいのである。ぶっちゃけると無理矢理にでもだ!
その意気込みが伝わったのかはわからないが、ソラもそうだね、と苦笑を浮かべる。
「私もそうしたいと思ってたところだ。馬を休ませる間も鍛錬に費やしていたせいか思いのほか疲れてる気がするよ」
「むしろ僕としては見るからに活力に満ちたディランはともかく、ツバキもあれだけ休まず動き回っていたのに涼しい顔していることに戦慄を覚えるぞ」
ぐったりした様子でグレンが言うと、カーライルも横でコクリと頷く。
「ああ、そういえば私は疲労とは無縁の体になってしまっているのでした。損なわれた体力などは神力で勝手に補われていきますので」
「……ならば俺たちを気遣っての休息か?」
カーライルがこちらの顔色を窺うように聞いてくる。たまにする子どもっぽい仕草がこいつのモテる要素かもしれんな。そんな目で俺を見るな。
「いえ、皆さんに休息が必要なのもありますが、勝手ながらこの村に知り合いがいるはずなので会いたかったのです。会うのは七年ぶりですけれど」
「んあ? 傭兵団の誰かが住んでるとかだっけ? 聖女さまの会いたがるような古い知り合いなんて他に思いつかねえんだけど」
ディランが記憶を引きずりだそうと首をひねるが、知らないはずなので無理もない。俺は皆を手招きして周囲に聞こえないよう顔を近づける。
小声で、一応は口調も変えずに神妙な顔をして俺は告げる。
「ディランは小さかったから教えてもいませんでしたが、私の初めての相手です」
「……は?」
「……ん?」
「えぇぇっ!?」
「……っ!?」
顔を赤らめて固まるソラ。
思考停止したディラン。
この手の話題に弱すぎて悲鳴みたいな声を上げるグレン。
無表情が崩れて瞠目するカーライル。
四者四様、愉快愉快。
俺は目深にフードを被っているので周囲からは口元しか見えないだろうが、なるべく上品そうな微笑を浮かべてやる。
「あら、皆さん随分と驚いてくださるのですね。これでも私の方が年上なのですからそういった経験くらいあって当然でしょう? もっとも、相手は商売でしたから私のことなど忘れていらっしゃるとは思いますが」
「しょ、商売? 相手の方は男娼……あ、七年前という事は娼婦ということなのかな?」
ソラが少し顔をしかめて言う。
「ええ、私たち傭兵は待っている伴侶のいる者は少なく、しかし命の危険や過度のストレスは種の存続という本能……性欲につながります。それを鎮めて下さる娼婦の方々は傭兵にとって尊敬すべき相手です。高貴な出自のソラさんには不快かもしれませんが、私は彼女たちに敬意を払っております」
ソラは考えもしなかったという様子で、グレンも少し偏見があったのか考え込む。
ディランはそういうものかと納得した様子。
カーライルはたぶん貧しい育ちだろうから言われずとも差別はないのだろう。相変わらずの無表情だ。
「私と同じ考えを持てとは言いません。しかし、色々な立場、事情、考えがあるという事を見失ってはいけません。皆さんはこれから魔族と戦いに行くのです。そこで大切なものを見落とした時、私たちは守るべき自分というものを失ってしまう危険があるのです」
もちろん貞淑を善しとするような女性からすれば汚らわしい考えに感じられるだろうし、それは人それぞれだ。
例えば俺がちゃんと男の体で成長していたとして、女性にそういったサービスをして金を得る仕事が務まるかと言われれば頭を振るだろう。やはり初対面の相手と肌を重ねることにはストレスがあるだろうし、細やかな気配りなど真似できそうにない。
そう、俺にはできそうにないからこそ、そこに彼女たちの強さを見て敬意を払う。
まあ筆卸してもらったから頭が上がらないというのも、心のどこかにあるのかもしれないが。男なんてそんなもんだ。いくつになってもガキだしな。
ともあれ、これから勇者さま御一行には他者を色眼鏡で見て欲しくないのだ。その結果で失われる命が増える事は理解していてほしい。
「失礼しました。いきなりお説教など……。ともあれ、今日の宿を決めましょう。あ、せっかくなのでいい宿に泊まりましょうね。実は私、ちょっと裕福なので今日の宿代と必要でしたらあちらのお金も負担いたしますよ?」
俺の言葉に同意しようとしていた一同が顔を赤くして慌てる。いや、カーライルは平然としてるな。
「いや、その……私はそういうのは」
「オレも、好きな女しか抱かない」
「ぼ、僕は。別に……」
「……では遠慮なく」
「ん、カーライルは後で一緒に行きましょう。他の皆さんは食事を豪勢にして英気を養っていただきましょうか。あ、でも恥ずかしがって機を逃すと後で苦労しますよ。戦場では余裕がないですからね。特にソラとグレンは私に変な眼を向けないように発散した方がよろしいのでは?」
フードを持ち上げてそれぞれと目を合わせてみると、やはりカーライル以外は少し目が泳ぐ。
「まあ、無理強いもしませんが。とはいえ、噂話の収集にも娼婦の方との接触は便利だったりすることを覚えておいてくださいね」
からかうのをやめて真剣な表情で言ってやると、グレンがメガネを中指で持ち上げて顔を背ける。
「なるほど、そういう事も含めての必要な経験か……僕も興味がわいてきたから一緒に行こうかな」
「オレは、いかねー」
「私も今回は遠慮するよ、うん」
まあソラなんかは勇者としてのイメージ保持のために行くなら変装してもらう手間とかあるから、面倒がなくていいか。
そしてお年頃だろうに頑なな態度のディランは、もしかしたらティエル村に操立てする相手を残してきたのかもしれない。やばい時は優先して逃がしてやらないとな。
「こんばんは。アリエッタ姐さんは空いてるかな?」
「あら、ずいぶん可愛いお客さんと格好いいお兄さん方。いらっしゃいませ……でもアリエッタに妹なんていたのかしら?」
黄昏時の娼館で俺とグレンとカーライルは受付の優しげなお兄さんに声をかける。
「いやだなぁ。発育は悪いけど俺は男ですよ。連れの二人にはお勧めの子を教えてあげてくれるかな?」
「あらごめんなさいねぇ。それじゃあ好みのタイプとか聞いちゃおうかしら。アリエッタさーん! ご指名入ったわよ~。めっちゃ可愛い男の子、羨ましいわぁ」
どこにでもいそうな見た目のお兄さんなのに、声が完璧に女性だこの人。凄いな。
無個性な顔と隙のない立ち姿、声を変える特技……多分ただのオネエって訳じゃなく、密偵崩れの用心棒とかだろうな。面白い娼館だ。
「こんばんは、若い子からご指名なんて何年ぶりかしら……って、ツバキくん? やだ、七年前からちっとも変ってないんじゃないかしら? むしろ美人になったわね」
「覚えててくれたんですかアリエッタ姐さん」
そろそろ三十に届く頃だろうにアリエッタ姐さんはまだまだ若々しい魅力にあふれていた。背中まで伸ばしたブロンドの髪は柔らかく、少し勝気そうな目元と優しげな表情が包容力を感じさせる。
初めての相手にはやっぱり思い入れというか、恋とも違う複雑な気持ちがあるから、元気な姿が見れて嬉しい。
「忘れたことないわよ、あんなに可愛いお客さんなんて初めてだったもの。たまに来る傭兵さんたちから聞いたわ。お父さんの事、残念だったわね……」
気遣わしげな表情。
「ありがとうございます。今夜、ちょっとお話しさせて頂けませんか。ちゃんとお金は出しますので」
「ツバキくんならタダでもいいんだけど、オーナーに怒られちゃうからもらっとくわね、部屋に行きましょう?」
「はい、それじゃあ二人とも、いい夜を」
グレンとカーライルに手を振って別れた後、個室に通される。
「さて、早速で悪いんだけど姐さん、ここを通る傭兵たちの最近の動向とかちょっと調べたくてさ」
「もう、せっかちはダメよ。ていうか、誤魔化されないわよ。なんで女の子になっちゃってるわけ?」
む、ばれてたか。アリエッタ姐さんが優しく笑う。
二人並んでベッドに腰掛けてから、今までの事を話す。
辛いことを吐き出すたびに頭を撫でてくれる。
頑張ったね、そんな普通の言葉が優しく響くのは母を早くに亡くしたせいかもしれない。
ちょっと格好悪いけど、まあこの人に情けないところを見られるのは初めてじゃないし不快でもない。
俺がすべて話して落ち着いたところで、頭の上から手が離れる。
「それにしても、聖女さまねぇ。ふふっ、どんないけ好かないお嬢様かと思ってたら、ツバキくんだったなんて……うふふふっ」
「あ、こら。笑うなよ」
ツボに入ったのか堪えきれずに目尻に涙まで溜めて、アリエッタ姐さんが痙攣する。姐さん、さすがに怒るぞ俺だって。
「ごめんごめん、いやー、でも元気そうで安心したわ。で、傭兵の動向ね。あ、せっかくだから聞きたい事は体に聞いてみなさいな」
妖艶な笑みを浮かべる姐さん。
俺は少し戸惑う。
「う、その、嬉しいけど……気持ち悪くないか? こんな体で」
「あー、別に、そっちの趣味の女の子もたまに来るし。心はバッチリ男の子なんでしょう? アタシのこと見る目が昔と同じよ?」
いたずらっぽい笑み。敵わないなぁ。俺は女に弱い、これは気をつけねば。
「う……ではお言葉に甘えて」
「いらっしゃい、せっかくだから女の子の体で気持ちよくなる方法をしっかり覚えていくといいわ」
「なるほどな。となると主戦場は南寄りになりそうだな。ありがとう姐さん。参考になった」
「ふふ、腰抜かしたまま言ってると締まらないわよ」
「…………」
本当に敵わないな。