表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

トワの学習帳シリーズ

トワの大いなる学習帳:「名前」

作者: 神西亜樹

「とりあえずこれが夢だということは把握したよ」

 俺がこの少女と出会うのはこれで二度目である。初めてこの靄がかった立方体の白い部屋に放り込まれた時は、鮮烈に覚醒した自己の意識と非現実的な場のアンバランスさに結局目が覚めるまで状況を呑み込めなかったが、今回は予めの経験と心構えがある。二度来たということはきっと三度目もあるはずだ。俺はこの不可思議な空間とその主に自身を脅かされた時のために即座に対処出来るだけの知識を得ておかなければならない。

 手始めに俺は観察するようにじっとこちらを見ている目前の少女と接触してみることにした。無表情ながら腹に力が入ってなさそうな間の抜けた顔をしているその少女はとてもではないが攻撃的な人物には見えなかったため、接触による危険を差し引いても情報を引き出せないか試みる価値はあると判断したからである。

 部屋にいる生命は俺と少女の二人きりだったが、俺はこの少女に親近感を覚えるどころか違和感を感じていた。少女は小柄だったが、何処か超然とした雰囲気を纏っていた。歳は14、5ぐらいだろうか。白いワンピースを着ているがそれ以外に装飾は一切見につけておらず、白い部屋と自身の白い長髪に囲まれて、唯一ほんのりと人間味を残した肌の色だけが彼女の生を主張していた。色の無い顔の中で対の瞳だけがディスクの裏面のように複雑に反射し色を変えながら爛々と輝いている。

 少女が俺を指さして言った。

「何?」

 外国人かと思ったが、少なくとも日本語が通じるようだ。俺は反射的に身構えた姿勢を再び崩し、彼女の言葉の意味するところについて考えた。

 何?

 何とは何だ?

 俺を指さしていたということは、つまり俺が一体何者であるかという解釈で良いのだろうか。確かにここは友好を示すためにもなるべく身分を開示しておくべきかもしれない。

「俺はアキラ。普通の高校二年生だよ。前回は取り乱して悪かったな。でも本当に驚いたんだ、許してくれ」

 俺はそう笑顔で答えた。少女の反応は薄い。回答として正しくなかったのかと俺が内心で焦り始めた時、彼女が表情を変えないまま再び口を開いた。

「アキラとは、何?」

「アキラってのは俺の名前だよ」

 一瞬逡巡したが、外国人には変な響きの名前なのかもしれない。俺は気を取り直して、会話を広げるためこちらからも質問した。

「君の名前は?」

「君・・・名前・・・」

 そう言って少女が首をカクンと横に傾げた。まるで耳を寄せて肩の声を聴いているかのような、少し不自然でぎこちない傾げ方だった。

「知らない。名前、何?」

「いや・・・」

 なんだ、どういう意図の発言だ?自分の名前を知らないと、少女はそう言っているのだろうか。いやそれならまだ理解出来るが、しかしその後に俺に自分の名前を尋ねていることが理解出来ない。質問者である俺が知っているわけがないだろう。一体どういう意味合いで彼女は俺に言葉を投げたのだ。

 はじめは日本語が不自由なのかとも思ったが、どうやらもっと考慮しなければならない問題があるのではないかと俺は思いはじめていた。とにかく今は会話を続けていくしかない。

「悪い、ちょっとよく分からなかったから整理させてくれな。まず、俺の名前はアキラだ。で、君は自分の名前を知らない」

 少女は頷いて肯定した。

「だから、君は自分の名前を俺に訊いた。これで合ってる?」

 少女は首を横に振って否定した。どうやら意図と違うようだった。ではどういう意味なのだろう。

「・・・もしかして、名前という言葉の意味を訊いてるのか?」

 今度は首肯した。俺は自身を落ちつかせるために腕を組んで目を閉じた。

 “()()()()()()()()()()()()()()()”?

 恐らくだが、彼女は日本語の「名前」が自身の国の言語においてどの語彙に当たるか、なんてことを訊いているわけではないだろう。本質的な部分で、「名前について訊いている」のだ。これはもう教育がされていないとかそういうレベルでは無い。名前は自己を認識するために一番初めに必要となるもので、それはコミュニティに帰属する社会的動物であるところの人間が決して欠落することの無い概念のはずだった。それを彼女は持っていないどころか、知りもしないようなのである。情報を引き出すために彼女に歩み寄ったのは失敗だったのかもしれないな、と俺は悟られないように汗を拭って少女に向き直った。

「名前というのは、自分自身だよ。最も自分を表した自分固有のもの。そうだなぁ、小難しく説明しようとすると、自分という存在を個として相手に認識してもらうために規定するもの、みたいになるのかな」

 少女は熱心に耳を傾けているようだった。無表情ではあったが、無心というよりは傾注しているようである。

「要はタグだよ。そうやって人は物事を相対化して認識するんだ。・・・あまり高校生に難しいことを訊かないでくれよ。これで良いだろ?」

 俺が苦い顔で頭を掻くと、少女は数秒間の沈黙の後に短く分かった、と言った。一連の挙動を観察した限りでも、どうやら本当に「名前」という意味を知らず、この場で学習したように見える。俺はこのことをどう捉えるべきか考えていた。常識の尺度に囚われず、それ以前に先ずここが夢の世界であるということから考慮して考察した方がいいのかもしれない。

「君・・・私、名前、何?」

 少女が再び沈黙を破った。

「私とは?私の名前とは何?」

 俺は既に知恵熱が出そうになっている頭を抱えた。今彼女は実存的なことを訊きたいような質問内容を口にしたが、単に自分の名前を尋ねているだけとも捉えられる発言でもあった。俺はこれ以上厄介な難題を吹っかけられる前に舵取りを試みることにした。そもそも質問しようとしていたのは俺の方なのだ。このまま流されていては俺の質問権は永遠に回って来そうにない。

「俺は君のことをここに来て初めてしった。だから君の名前は知らないよ。君の知らない君のことを俺は知らない」

 複雑な質問内容に対し、ある程度幅のある捉え方の出来る答えを返すことで一旦お茶を濁し、次の質問の言葉を考えているであろう彼女に先んじて言葉を繋げる。

「いっそ考えてしまおうか!名前が分からないんだったらさ、今ここで新しい名前をつけちまおうぜ」

「名前・・・つける・・・」と少女が目を白黒させた(ように感じた)。

「そう、命名式だ。何なら俺がつけてやるぞ。お前も名前が無いと何かと不便だろ?」

 些か少し強引な申し出ではあるが、俺は流れを変えないように強めに言い切った。少女はこのことについてしばらく悩んでいるように目線を下にやっていたが、こちらの目を見つめ直し、ゆっくり頷いた。

「分かった」


 さて、どうしたものか。名は体を表すと言う。俺は彼女に最もしっくり合うような名前を考えるために、彼女という存在について今分かっていることを検証し始めた。夢の中の白く閉鎖的な部屋にいる、浮世離れした少女。テーマカラーは白。表情が無い。自己規定が無い。それぐらいだろうか。殆ど視覚から得られる情報しか持ち合わせていないことに肩を落としつつも、俺は顎に手を当てて頭を捻った。

「・・・そうだ!アリスはどうだ?」

「アリスとは?」と少女が訊き返してくる。

「アリスっていうのは、不思議の国のアリスって童話の主人公の名前だよ。不思議の国を一人進む少女。ここは夢の世界だし、人として相対性が無いし、不可思議でありながら同時に幼く、どこか線の細い弱いイメージがある。ピッタリだと思うけど」

 俺が自信満々で捲し立てたが、彼女は数秒考えた後で首を横に振ってみせた。

「それはアキラが先程言っていたことと異なる」

「どういうことだ?」

「名前はユニークでかつオリジナルで無ければならない。アリスとは既存の代表の名前をなぞったに過ぎない」

 どうやら彼女の中で名前にとても高尚な位置づけがなされてしまっているようである。そんなことを言ったら俺の名前はどうなるんだ、国内で被りまくりだぞ、と俺は内心愚痴をたれつつ新たな案を考えるために俯いた。そんな俺の顔を覗き込んで少女はお構いなしに質問を続ける。

「アキラとは?アリスは分かった。アキラとは何?名前、つけ方、何?私とは?」

「決めた!!」

 俺が突如天を仰ぎ大声でそう宣言すると、少女が表情を変えないまま一瞬ビクっと体を震わせた。

「お前の名前はトワだ!何故ならいつもトハトハ言ってるからだ!以上!」

 少女が心なしか目を見開いたような気がした。暫く俺を見ていた後、自分自身の体を何かを確認するようにペタペタと触り始める。一頻り確認した後で、自分の体を見ながら彼女は小さく頷いた。

「・・・私はトワ。トワだ」

今日学んだこと

名前・・・対象を規定し自己と相対化するための手段。

・トワとはトハという問う際のトワの口癖からつけられた。捻った命名とは言えないが、悪くはない。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ