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八月一日日記  作者: よしえ
体育祭
9/31

four




 たかだか一介の高校一年生がしようとする嫌がらせに、俺達は警戒しすぎなのかもしれない。だがそれほど、俺達は彼を端倪すべからざる敵として見ているということだ。

 水上がどうかは知らないが、俺は二宮がいかなる手段を使ってでも、水上を失墜させようとするとにらんでいる。

 それは現段階のクラス順位と点数を脳内で再確認し、確信に近づいた。

 なんという展開。まるで安っぽいドラマみたいじゃないか。


 一位十二ホームルーム、八点。二位十三ホームルーム七点。

 これからあるクラス対抗の種目は、リレーのみ。例え一位を十三ホームルームがとったとして、十二ホームルームが二位をとってしまえば同点。二宮が望む展開ではなくなる。


 何たることか、二宮はリレー前に水上を何としてでも走れないようにしてしまうだろう。

 俺はあの頭脳明晰な彼を、止めなければならないのか。

 改めて自分の肩の荷の重さに、膝をついてずっと倒れていたくなる。

 心中の苦悩を他所に、水上は女子更衣室から出てきた。陸上のユニフォームをまとった水上は腕も足も腹もむき出しだった。


 水上の足はバネのようにしか視えないのだが、この恰好はモザイクをかけないといけないのでは。

 門田高校の男子を刺激しそうだ。


「水上さん、陸上部の人は、あー、その、みんなそういうユニフォームなの?」


「いや違うよ。短距離で、望んだ女子だけ。流石に秋の大会は普通のユニフォームで出るけど、今日暑いじゃん? なるべく涼しいのがいいかなって」


 更衣室から運動場に出るまでには、まず下駄箱と、下駄箱から運動場まで続くプロムナードを通る必要がある。

 プロムナードには点数がリアルタイムで掲示されており、人がごった返していた。さらに下駄箱は日陰になっていて、涼みたい生徒たちの溜まり場だ。


 要するにここから人目に晒される道を、最低限の箇所のみ隠した水上と歩く必要があるということ。

 そんなの真っ平ご免だった。


「…腹を壊したら悪いし、せめて上の半袖ジャージだけでも着た方がいいんじゃないかな」


「あー、それもそうかも」


 と言って水上は手に持っていた部活の半袖シャツを羽織った。

 素直に言うことを聞いてくれたのは有難いのだが、その上のシャツが中途半端な丈のせいでユニフォームのパンツの方が隠れてしまい、正直先ほどの恰好より危うい。

 俺には足の大きさのバネが覗いているようにしか認識できない。が、これを畑中などが見たら興奮してしまいそうだ。


 そんな水上と歩く俺。

 想像するまでもない。確実に白い目を向けられる。俺の平和が壊される。


「…走る前までは、ハーパンでもはいて、足を冷やさないほうがいい」


「え? うーん…ま、それもそっか。ちょっと待って」


 水上は手際よく上履きの上からハーフパンツをはいた。

 水上の恰好に、俺は一息つく。これで、人気で有名な女子生徒と、なんとなく一緒に歩いているクラスメイトという体になるだろう。


「行こっか」


 水上が颯爽と歩き出す。彼女の斜め後ろを、俺は追随する。横だと馴れ馴れしいし、後ろだと敬遠しているように思われるので、この位置が最適だろう。


 更衣室のある廊下を過ぎ昇降口にさしかかると、無数の人目が水上に集まった。上級生の男子もいれば、同学年の女子もおり、中には教師陣もちらほらしていた。容姿端麗で悪い噂もない、そして陸上部の新人エースともなれば、注目の的にならないほうがおかしいというものだ。

 下駄箱で運動シューズに履き替えていると、数人分のソプラノの声に囲まれる。俺ではなく水上が。


「凛花ぁ。どこ行ってたの?」


「陸上部の先輩探してたよー?」


 クラス内でも男子に噂されることの多い容姿の整った、しかしどこかしらに化け物の要素を抱える女子達が水上に一斉に話しかけた。美形は美形同士で、凡人は凡人同士で群れる法則があるよな、などちらっと思う。同時に化け物は化け物同士でたむろする公理もあるが。


 親しい友人も見つけたようだったため、そろりと場を離れようとした俺の背に水上が言葉を投げかけた。


「八月一日くん、よろしくお願い。本当にごめん!」


 小さく振り向いた俺は、そら笑いを浮かべ早々に立ち去る。嫌でも耳に届くのは、水上の周りにいた騒がしい女子達の会話だ。


「えー、何々? 凛花、八月一日くんに何お願いしたの?」


「ちょっとー、いつの間にそんな仲に?」


「抜け駆け禁止ぃ」


「いや、そんなんじゃないし。それよか競技始まっちゃう」


 俺に聞こえたのは、水上のそんな返答までだった。

 二宮を探さんと、いざ俺は運動場へ出向く。




 二宮は非常に見つかりやすかった。

 容姿、成績もしくは運動神経、性格。表向きそれら三拍子がそろっている人間は、徹底的にどこかで集団を形成し、その中心にいる。


 運動場とプロムナードの中間部分に建てられた、簡易的体育祭実行委員用テント。ここでは主に競技予定や落し物、点数の現状についてアナウンスされる。二宮はそこで、体育祭実行委員会の面子とにこやかに談話していた。委員以外が入ると鬱陶しがられるのだが、何事にも例外は存在するものだ。


 何気なく俺はテント内に並べられたパイプ椅子に腰かけ、運動場を見渡す。

 既に校庭は次種目である部活動対抗障害物競争に向けてセッティングされていた。校庭目いっぱいに引かれた楕円形の白ラインに沿うように、網やらバットやら縄跳びやらが等間隔に配置されている。

 水上が担当しているハードルは、楕円形の曲線部分に置かれていた。特に高さもハードル間隔も不自然ではない。仮にハードル本体に何か仕掛けられていたとしても、水上は軽々と飛び越えるだろうから、問題ないだろう。


 そのまま二宮の爽やかな声量を意識の隅で聞きつつ、ぼうっとしていたところにいきなりピストルの音が鳴ったが故、俺はびくっと肩を震わせた。

 意識を目の前で行われている競技に向けると、途端に周囲の歓声やエールが洪水のように耳朶をうつ。

 部対抗競争は始まっていた。

 二宮を横目で見ると、和やかに駄弁っている音声に反し、ひどく憎々しげにハードルを飛び越えんとしている水上を睨んでいた。不恰好な口許は自尊心を傷つけられたか屈辱からか歪んでいる。


 見るに堪えない醜さだったが、あの分だとまだ何も水上につら当てしていないはずだ。

 ならばいい。

 神経の一部を二宮に向けつつ、俺は再び忘我の海に沈んでいった。





 ああ、暇だなぁ。

 俺は競技の様子を見ながら長嘆息をついた。現在の心境は嬉しさと萎えで半々。


 グラウンドで行われている種目は、全校女子対抗大縄跳び。二宮が全校男子対抗騎馬戦で雄姿を披露している間に、使われる大縄跳び全ての紐や持ち手をチェックしたために、準備万端な状態だった。

 まあもともと、二宮が水上を出場させなくする種目はラストのクラスリレーだと見当はついていたから、そこまで気張ってはいなかった。


 それでも一人の人間に注意しつつ、何か危険の可能性について考えを巡らすというのは想像以上に面倒くさいものがある。無論何もないことは喜ばしいことだけれども。


 校庭には、大縄跳びの列が幾つも並んでいる。その中央あたりで、水上は上半身を大きく使って縄を回していた。もう一人の縄を回す人間との相性がいいのか、水上の振り方がうまいのか、とても飛びやすそうに思える。


 続いて俺は視線を校庭の隅へ移動させる。そこでは十三ホームルーム男子が、女子へ野太い応援歌を贈っていた。二宮は前列センターで白い巨躯を揺らせている。遠いので表情までは読めないが、大方の予想はついた。


 二宮が水上に対する嫌がらせの準備をするのは、おそらく女子大縄跳びの後。そのあと少しの休憩を挟んだ後に、一年から順次最終種目のクラスリレーがスタートを切る。今の競技終了からリレー開始までのわずかな休憩時間。俺が二宮ならこの間に行動を起こす。


 二宮が何をする気かは見当もつかない。むしろ、何かすることができるのだろうか。水上はアンカーだ。バトンに細工はできない。靴やジャージを隠しても、スタートしてからアンカーまで回る間に、水上の人望なら先輩の誰かから借りられるだろう。

 俺には頭のいい二宮の策略を推し量ることなど不可能なので、早々に諦める。


 しかし二宮の見張りという名のストーカーをするのは、心底嫌なものだ。精神的疲労や肉体的疲労も相摩し、騎馬戦のアナウンスが終わってから尻が椅子にはりついてしまった。

 ひょっとしたら十二ホームルーム男子も女子を応援している最中かもしれないが、俺は委員会を名目にテントの椅子から動いていない。


 このまま動きたくないな、と怠惰に侵されそうになる。

 結局二宮が何もせず、水上が無傷で済めばいいものを。

 二宮を妨害できるだろうか――――

 そこまで考えた刹那、俺の脳内で何かが弾けた。


 おお?

 

 ささやかながらナイスアイデアが脳内で生まれたのだ。

 これは、我ながら名案なのでは?


 ならば実行するのは今しかないだろう。散々渋っていたところだったが、この思い付きを前にだらけているわけにはいかない。

 俺が先ほどより陽気な面持ちになっているところに、体育祭が始まってから初見の人物から声をかけられる。


「瑛太? 応援に行かなくていいのか?」


 梶谷だった。あの時以来、鏡張りの立方体の顔は健在だ。見間違いだったのかと、何度疑ったことか。


「ちょっと疲れて休んでたんだ。クラスの男子には悪いけれど」


 ゆるく笑ってみせると、梶谷は大きく頷いた。


「俺も。一日中動き回るっていうのは、授業とは違う疲労感があるよな」


「ああ。梶谷はどうしたんだ?」


「俺はコレをテントに届けに。いよいよラストの競技だからな」


 そう言って梶谷は手に持ったものを振ってみせた。それはバトンケースだった。梶谷はそのままそれを設置された長机の上に置く。

 それを一瞥した俺は、念のため梶谷に尋ねた。


「これ、どこから取ってきたんだ?」


「体育館倉庫だよ。鍵が一個しかないから貸出競争が午前に起きてたみたいでさ。俺は先輩からこれ預かっただけなんだけど」


 そんなものが体育祭裏で勃発していたとは、露ほども知らなかった。何か用具を取り出さなければならない競技の担当でなかったと、不幸中の幸いを見つけた気分になる。

 幸いといえば、ここで梶谷に会えたこともそうだ。

 申し訳ないけれど、俺の作戦、というほどでもないが計画に巻き込ませていただこう。


「梶谷。ちょっと二宮に伝えてほしいことがあるんだけど、いいか?」


「お、どうしたんだ?」


「あくまでの一応なんだけど――――」


 俺がその旨を伝えると、梶谷は快く引き受けてくれた。少々の疑問を頭上に浮かべて。


「そんなの、あったか?」


「一応だよ。生徒会の二宮の耳にも入れておいたほうがいいと思って」


「ああ、そういうことか。分かった、伝えておく。クラスリレー頑張ろうなー」


「ああ」


 控えめな微笑で十三ホームルーム男子のところへ行く梶谷を送ってから、俺は視線を校庭へ戻した。

 大縄跳びの制限時間は残りわずかだ。

 何としてでもこの計画を成功させ、水上に泥を塗ることのないようにせねばならない。


 そのためにも、終了の笛の音が鳴ったら即座に彼女のところへ行かなければ。





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