one
部活等忙しく、
予告より遅い投稿となってしまいました。
体育祭のお話です。
登場人物の名前は、
畑中 彰 ⇒ ハタナカ アキラ
水上 凛花 ⇒ ミズガミ リンカ
二宮 緩子 ⇒ ニノミヤ ヒロコ
です。
暇潰し程度にどうぞ。
「瑛太!」
大声と、体育館シューズが床を擦るキュッキュッという音。それらと共に飛んでくるバスケットボール。
ボールは走っていた俺の少し手前でバウンドした。敵にとられない内に、ボールを掴んでそのままゴール方向へドリブル。
無論そのままシュートは入れない。ゴール傍には敵チームがわんさかと構えている。コート内でマークをつけられていない人物へ目を走らせ、ええと、確か名前は、
「…畑中!」
呼びかけるまでにあった少しの空白は見逃してほしい。と思いつつ、俺はボールを高くパスした。
畑中はキャッチしてから、間をあけずゴールへシュート。
バスケットボールは綺麗な弧を描き、赤い輪へ吸い込まれた。その数秒後、ゲーム終了のブザーが鳴る。
最後に華麗なシュートが決まったものの、試合は二点差で敵チームの勝ちだった。しかし両チーム共に、勝敗に関して嬉しさや悔しさが見られない。
というのも、これはあくまで体育の授業に設けられたバスケットボールの練習試合。本番は別にあるからだ。
「瑛太ぁー。パス、マジでありがと! 俺出番ないまま終わるかと思ったわ!」
ユニフォームを脱いでいるところに声をかけてきたのは、先ほど名前を少々ド忘れてしまった畑中彰だった。
俺は微苦笑を返す。
「俺の勘違いかな? シュートは全部畑中が入れたような気がするんだけれど」
「やめろよーっ、照れるだろ」
「褒めてないよ」
お決まりの応酬をしてから、何ともなしに俺と畑中は顔を女子コートへ向けた。女子はまだ数分ほどゲーム時間が残っている。
体育館の半分の面積を占めるコートの中で、一際目立つ女子生徒がいた。流れるようにドリブルとパスを繰り出し、チームを勝利に導いている。得点版を見ると、その女子生徒のいるチームの圧勝だった。
「やっぱすげーよな、水上は。男の俺でも勝てる気しねぇもん」
畑中も同じ女子を目で追っていたようだ。
学年でも有名な少女で、俺の所属する十二ホームルームでも常に人の輪の中心にいる。名前は水上凛花。何とも品ある純な姓名であり、本人もその名に恥じるところがない。
陸上部の短距離種目のエースらしく、全校集会で行われる生徒表彰の常連。高校入学後初の高総体でインターハイまで進んでいたはずだ。
成績面での栄光は特に耳にしないが、恋愛面での武勇伝は頻繁に聞く。というのも、水上が凛々しくすらりとした美人だからだ。
曰く、学年男子の半分には告白されたことがある。
曰く、上級生男子の三分の一は彼女に好意を寄せている。
曰く、告白した二桁に及ぶ男子生徒の全てを振っている。
噂に疎い俺でも知っているのだから、門田高校の常識と化していることは明々白々だ。
「聞いたか? あの達樹が、この前水上を遊びに誘ったらしいんだけどさ。あいつ部活あるからって断ったらしいんだよ。あの達樹をだぞ?」
ぎょろろ。
唐突に、畑中の腕に、足に、背中に、腹に、肩に、数個の目玉が現れた。体から生えているような、半球の目玉。白地に黒い瞳孔の眼球が、せわしなくうろつき、瞬く。
普段俺は、畑中をただの人間として見ている。しかし時折、こうして畑中の体のいたるところに目玉が出没し、気味悪くしばたたくのだ。
切欠が何かは分からない。俺に分かるのは、彼もまた外面から逸脱した本性を持っているということだけ。
内心を気取られぬように、俺は穏やかに笑った。
「水上さんはストイックなんだろうね」
「部活中も、ほんと怖いぐらいだよ」
「畑中も陸上部だっけ?」
「まぁ一応。つっても俺はしがない長距離部員だけどさー。いやでもホントラッキー。水上さえいれば、明日の体育祭もラクショーに思えるわ」
そう、ついに明日体育祭が始まる。
準備期間中の様々な面倒事も、やっと終わるのだ。あとは体育祭で真面目に審判やら得点係やらを務めるだけ。とかく穏やかに閉会式まで持ち込みたい。
勝利? そんなの知らない。
「こら。あたしだけで優勝できるわけないでしょうが。畑中もちゃんとやれ」
その瞬間、女子の試合が終わるのを待っていた男子全員が談笑を止め、その張りのある声の元へ振り向いた。すぐ何事も無かったかのようにお喋りは再開されるが、若干ボリュームが下がったように感じられる。
会話に入ってきたのは話題の中心人物だった。噂をすれば、というやつか。
試合終わりの水上は、汗だらけでも静かな気迫が失われていなかった。
「八月一日くんは、学年対抗の選抜リレメンだっけ? 頑張って」
「…本当に俺なんかでいいのなら」
俺は曖昧に笑って頷く。
正直言ってご免だった。実力で選ばれたのなら、まあ少しは嬉しさを感じることだろう。…多分。
だが俺の場合は少し事情が異なる。
門田高校は一学年に四クラスしかない。一クラスから男女一人ずつ速い順に学年対抗リレーのメンバーが出され、計八人のチームが作られる。
ここまではいい。
問題は、陸上部員はチームに入れないという規則があること。
そして十二ホームルームにいる運動部員の半数が陸上部員だということだ。
つまり俺はクラスの五本指に入るランナーでもないのに、選抜のリレメンになってしまったことになる。
平和好きな俺は咄嗟に、目立つことと、リレメンを断ってクラスメイトの反感を買うことを天秤にかけた。
して今に至る。
水上は俺の表情を見て何か思うところがあったのか、気さくに白い歯をこぼした。
「部活入っているわけでもないのに、リレメンになれたってだけで凄いじゃん。もっと自信もって」
「ああ。ありがとう」
「何か俺と瑛太で対応ちがくないかー?」
俺と水上の会話を傍で聞いていた畑中が、口を尖らせた。水上は肩を竦める。
「お子様な畑中と大人な八月一日くんを同じにする方が無理あるわ」
「うっわ、俺のアダルトさを知らねぇの」
「畑中のアダルトは下ネタ方面でしょ」
「反論できねぇ!」
賑やかな二人の会話に入ることはせず、俺は穏やかに笑って突っ立つ。
水上は、会話をしている分には二宮に近い存在だ。爽やかで話しやすい。二宮と違う点は、水上のほうが本心から言葉を言っているということ。
水上の鍛えられた健脚に関して、俺は畑中を含む男子連中のようにミーハーに騒ぐことができない。なぜなら見えないからだ。代わりに視えるのは、バネ。足ほどの太さと長さのバネが、水上の足があるべき位置から生えている。
一種の不気味さを感じさせるそれが、水上も化け物であることを表す確たる証拠。
流石にあいつみたいな人間が大量にいる訳はないな、と俺は先日転入してきた女子生徒を思い浮かべた。
鐘がなり、俺と畑中と水上はそのまま更衣室へ共に歩く。
話題は二宮と水上の噂話へと移り変わっていた。
「え? やっぱマジなの?」
「マジっていうか…確かに二宮に映画に誘われはしたけどさ。あくまで友人としてだから。あたしと二宮の間にそういうの無いから」
「えー、二宮、デキる男って感じじゃん。付き合いたいとか思わねぇの?」
「好きになったらね」
「純情か」
「純情です。あんたは盛りすぎ。八月一日くんの落ち着きを見習え」
いきなり引き合いに出されて戸惑った。更衣室に着くまで影を薄くしていようと誓ったところだったというのに。
畑中は誰にでもあけっぴろげであり、水上に至っては年齢の域を超えて平等にソツなく関わり合う。
対する俺は、男子はさておき女子との会話を疎んでいる。話の飛びやテンションについていけない。
いや、そもそも人間自体が好きではないのだが。
「いいんだよ。俺はピッチピチの男子高校生だからな」
「じゃあ俺も」
とりあえず便乗しておく。水上が脱力するように笑った。
「はいはい。そのピッチピチさで、明日の体育祭もよろしく。じゃね」
随分無理やりなまとめ方だったが、時間的には最適だった。
俺達は、それぞれの性別に合った更衣室へと分かれていった。
俺は人が嫌いだ。故に俺は人と過度に接触しない平和が好きだ。
今まで俺は自分のことを冷めた性格だと考えていたのだが、そうでもなかったらしい。情念に刺激を与えない生活を送っていたものだから、勘違いしていたようだ。
要するにどういうことかというと、俺は少しプレッシャーを感じていた。
「頑張れよ瑛太!」
「八月一日くんならいけるって!」
クラスの声援を、同じくクラスから出た女子の学年対抗リレー代表と浴びて、選手控えの白テントへ入る。そこには既に二宮や、サッカー部やら野球部やらの高一エースがいた。
体育祭当日。
朝からジャージ、全校生徒が頭にハチマキ、一日中勉強なし。普段と違う状況だからなのか、それとも単に体育祭だからなのか。運動場にいる生徒全員はどこか浮ついた雰囲気を醸し出している。
話したこともない、受験生である三年の体育行事員会委員長の宣誓により、華やかに体育祭は開幕した。
真面目な体育行事委員である俺は、本当はものすごく最初の競技の審判をやりたかったのだ。が、戯言として却下されてしまった。というのも最初の競技が学年対抗リレー、つまり俺が出る種目であり。
もはや憂鬱以外の何物でもない。
体育祭は学年ごとに順位が掲示される。点数は学年別で行われる競技のみに入り、一競技につき一位三点、二位二点だ。
また、リレーには学年対抗と学年別クラス対抗の二種類がある。最初に、体育祭を盛り上げる役の学年対抗リレー、そして最後に締め役の学年別クラスリレー。
クラス対抗ではない学年対抗では順位を決める点数が入らないことが、不幸中の幸いだ。だがどちらか一つでも十分だろうと思うのは、俺だけか。
「よし、じゃ円陣組むか」
フレッシュな二宮の清新な台詞に、高一リレメン八人のあちこちから同意の声があがる。俺はひとまず差し障りのない笑みを顔に貼り付けた。
二宮はいつも通り絶好調らしい。巨体と対照的な小さな瞳は、自分の意のままに動く同級生を睥睨し、口は軽薄な笑みを浮かべていた。
二宮とは円陣を組まないようにさりげなく離れ、輪郭的には人型に視えるリレメンと肩を組む。
円陣に響く二宮の大音声。それに何倍にもなって応える、他のリレメンからの掛け声。同時に手前の地面に打ち付けられる全員の右足。
瞬間それぞれのスタート位置へと散る、勝利へ意気込んだ八人、いや七人。
どうしても俺は、自分だけ異邦人のような疎外感を拭いきれなかった。