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八月一日日記  作者: よしえ
少年と少女
4/31

「瑛太、どうだったー?」


 戻ってすぐ梶谷が声をかけてきた。傍に二宮も居たので、俺は手短に、高一競技のルール詳細だけが手に入らなかったことを話す。


「そうか…うーん、どんまい」


「蕗先輩ならコピーとってるはずなんだけどなぁ。ヘンだな」


 梶谷と二宮の反応は対照的だった。意外にも二宮は本心から蕗を怪しんでいた。


「今日中に資料を探そうと思う。二宮、遠藤さんに別の仕事を、」


「あの人が、ぬすんだ」


 止める暇もなく、遠藤は俺の言葉を遮ってずっぱり言った。咄嗟に誤魔化すことを考えたが、俺が迷った一瞬の隙に梶谷が聞き返した。


「ぬすっ? え、遠藤さんどういうこと?」


「ふき、というひとが盗ったということ」


 口数少ない遠藤の台詞だけでは理解できなかった二宮が、俺に尋ねる。


「蕗先輩が資料を盗んだのか? 遠藤さんを疑うわけじゃないけど、証拠は?」


「いや、証拠もないし、気にしないでくれ」


 控えめに苦笑しつつ話を終わらせようとした。が、梶谷が遠藤に質問を重ねる。


「遠藤さんは、どうして蕗先輩が盗んだって思ったんだ?」


「きたない目で、ごみみたいに笑ったわ」

 仮にも先輩に向かって、なんという表現を使うのだろうかこいつは。事実なのだが。


「怪しすぎだなソレは」


 梶谷がうーんと唸った。本当か、と俺に眼で問いかけてくる。俺はただ苦く笑ってみせた。


「そうだとしても、何も物証はないんだ。蕗先輩を問い詰めることはできないかな。とぼけるかもしれないし、本当に盗んでいないかもしれないから」


「それはない」


 静かに、しかし頑固に遠藤は呟く。事を大きくすることも荒立てることも望んでいないので、できれば黙っていてほしかった。


「でも、だとしたら許せないことだな」


 二宮の深刻そうな声音と矛盾した、どうでもよさそうにだらけた眼をしている本性。一瞬、不恰好な目にナルシズムを感じた。優しい自分に自己満足している。


「瑛太には探す手立てとかあるのか?」


 対する梶谷の本心は鏡面なだけで、まったく読みとれない。俺に不可視の本心は多分ないはずで、ひょっとしたら梶谷には意思というやつが無いのかもしれない。


「後々、俺が先生方にまとめを提出できなくて困るのは、蕗先輩も同じだと思う。だから、俺が探せる場所にあるだろうな。学校のなかで俺が行きそうなところを探す予定だよ。蕗先輩が盗んだとしたらの話なんだけど」


 まあ、まず間違いなく犯人は蕗だろうが。


「俺も手伝うよ。二宮、いいだろ?」


「うん、いいよ。ちょうど一段落ついたところだし、俺も手伝うよ」


 いくら一段落ついたところで、やるべきことはまだ他にあるに違いなかった。

 俺の失態に四人分の動力を削ることになってしまう。他の体育行事委員の顰蹙を買うので敬遠したいところだ。


「いや、でも―――」


 しかし慎ましく申し出を辞退しようとした俺を通り過ぎて、三人はさっさと教室の外へ出ていく。


「おーい、瑛太。まずどこを探すんだー?」


 廊下から梶谷が声を張り上げた。

 俺の意向を聞く耳のない三人に駆け寄りつつ、俺は内心で肩を落とす。

 皆のアイドル二宮くんを私用で教室から連れ出してしまったせいか、どうにも視線が痛かった。




「なぁ瑛太。俺はさ、犯人は蕗先輩で間違いないと思う」


 二宮と俺、梶谷と遠藤の二グループに分かれ、俺と二宮で化学室内を見渡していたときだった。二宮は、いきなりそう断言した。


「どうしてそう思うんだ?」


 二宮を一瞥してそう問う。二宮は醜い顔をさらに歪めて、憎々しげに吐き捨てた。実際はきっと爽やかな笑顔のまま爽やかに言っただけなのだろうけれど。


「俺も時々嫌がらせを受けるんだ。パソコンに入れていた完成データを消されたり、事故に見せかけて飲み物かけてきたりとか」


 終始涼やかな口調ではあったが、本性である真っ白い粘土のような巨体は憎悪で震えていた。

 今目の前に蕗がいたら、その大きな体で踏み潰してしまいそうだ。


「蕗先輩は後輩が嫌いなのか?」


「いや」


 化学室には無かった。音楽室へ移動しながら二宮は語る。


「他の二年の先輩に、蕗先輩についてちょっと聞いてみたんだけどさ。蕗先輩は何ていうか…デキる人間を妬むことがあるらしいんだ。別に、俺がデキる人間っていうワケじゃないんだけど」


 謙虚は無論フリだ。


「同級生にも同じらしい。自分より成績がいい生徒には、遠慮なく皮肉で罵る。一回、蕗先輩が風邪で休んだ時に、蕗先輩の仕事を代わりにやっちゃったことがあるんだよ。それから、大分嫌がらせされてさぁ」


「大変なんだな」


「ホントに。俺が東京から転入したって聞いてから、余計嫌がらせが酷くなってさ」


 二宮の白い体躯に埋もれたどんぐり眼に、怨恨の炎が燃える。火傷を恐れた俺は話を転換させた。


「二宮も門田町に引っ越してきたのか?」


「ん? ああ。中学校の時に」


 言われてみれば、訛りがまったくない。また都会に居る多くの人間のように汚い本性だ。江戸っ子と聞いて俺は心から納得した。

 ついでに分かったことがある。特に聡明な人間でもない平凡な俺が、蕗に眼をつけられた理由だ。予想はしていたことだが、都会っ子ということが蕗にとって虐めのキーワードの一つらしい。


 俺だって別に都会っ子が好きではないのだ。都会っ子として当てつけられるとは、とんだ皮肉だった。

 心中で自嘲しつつ、俺達は音楽室へ足を踏み入れた。





「で? 大事な昼休みに俺を呼び出したのは、どーいうわけだ? 八月一日」


 一晩明けて、昼休み。

 俺にとっても主に昼寝という意味で貴重な休み時間だったが、今日は目の前にいるこの人間と会うために時間を割いていた。


 場所はこの真夏にまず人は来ないであろう、じめっとした裏庭。校舎の真ん中にぽっかりと空いた空間だ。裏庭を囲む廊下は日ごろから人気が少ない。

 好んでここを選んだわけではない。

 ただ、そろそろ決着が必要だと思ったのだ。


「蕗先輩。お借りした資料、返します」


 無くなったはずの資料は、今俺の手にある。




 結局、昨日の放課後に俺達は資料を見つけることはできなかった。俺が行ったことのある学校内は全て回ったにも関わらず。

 帰宅してから祖母の作った夕飯を食べ、風呂に浸かり、敷いた布団に横になるまで俺は考え続けた。

 残った探すべき場所は何処か。


 どうにも思い当らなかったので、考え方を変えてみた。

 蕗は、どこまで俺に汚名を着せようとしたか。

 先生に高一体育祭の資料を提出できない時点で、俺に汚点をつけることはできるわけだ。

 ならば、資料をなくした犯人まで俺にする必要はあるか。

 必要がないのならば、蕗自身が犯人ではないことを確実にさせることが最重要。

 たとえば、クラスの人間が悪戯半分にやったような、そんな隠し場所。

 尚且つ、俺達が今日探さなかった場所。


 その場所に思い当ったのは、時計の長針と短針が重なろうとする少し前だった。


「へぇ、見つかったのか。良かったなぁ?」


 悔しそうな口調と、嘲るような笑みを浮かべた本心。

 裏と表両方で、自分が盗んだことを隠そうともしない。

 ただし、別に素直というわけではなく、俺をどれだけ傷つけられるかに重きを置いているだけ。


「はい。今朝」


 教卓の中にある、紙やらチョークやらを入れられる棚の裏側。そこに、資料はテープで張り付けられていた。

 悪ふざけにも見えて、俺が探すこともできて、俺達が昨日探さなかった場所。

 全て該当する場所はそこぐらいだ。


「で? 俺を呼び出したのは、資料を返すだけか? 違ぇよなあ?」


「はい」


「言ってみろよ」


 上から目線は虚勢ではなく、素なのだろう。

 子供の下手なお絵かきのような顔を見やりながら、俺は口を開いた。

 湿度の高い裏庭では苔の匂いが鼻をつく。夏の粘り気のある風が肌を撫でる。


「蕗先輩。得意科目はなんですか」


「何だよいきなり。礼儀を知らねぇのか? 俺はお前の先輩だぞ」


「得意科目はなんですか」


 いつもはここで愛想笑いを浮かべ引き下がる。しかし、俺はカタをつけたいのだ。

 だから俺は淡々と繰り返す。蕗は不機嫌そうに返した。


「英語だよ」


「安藤先輩が校内模試で一位、蕗先輩は八位だったそうですね」


 前日のうちに二宮から聞いた情報だ。会ったことも見たこともない〝安藤先輩〟は、蕗と同じ二年生で生徒会の役員、つまり蕗と立場は同等の存在。


「だからなんだよ。お前、俺を馬鹿にしてんのか?」


「蕗先輩、体力テストは校内順位は何位ですか?」


 蕗の台詞には頓着せず、俺は二つ目の質問に移行した。


「なんなんだよお前さっきから。調子のんなよ」


「前回のテストでは総合順位、科目順位は何位でしたか」


「お前なんかに言うわけねぇだろ」


「部活は水泳部でしたよね。レギュラーになれましたか」


「おい、黙れ」


「今年の県大会はどうでしたか。決勝にいけましたか」


「黙れ」


「今回の体育祭で、選抜のリレメンになれましたか」


「だま」


「何か一番になれるような得意なものはありますか」


「黙れっつってんだよ!」


 怒声と共に、腹に拳骨をくらった。痣になっても外から分からない箇所を狙うところも、陰湿だ。

 いや陰湿なら俺も同じかもしれない。どれだけ怒鳴り声をあげようと、人が駆けつけないような場所を話し合いに選んだのだから。

 腹は痛むが、話せなくなるほどではない。


「先輩より上の人間は、門田高校の中に何人いますか」


「死ねよ」


 さらに拳を繰り出そうとする腕をつかむ。手がどろっとしたゲルを捕えた。その感触に慄いている暇はない。


「先輩より上に居る人間を見下したら、先輩が下であることが変わるんですか」


「うるせぇよ! 都会人だからって田舎もんを馬鹿にしてんのかお前。俺はお前の先輩だぞ! お前なんかより、教師からも信頼されて、」


「二宮も、安藤先輩も、蕗先輩より教師からも人からも信頼されていて有能なんじゃないですか」


「俺はあいつらより何だってこなせる」


「何をですか」


「全部だ。俺が本気でやればあいつらなんて越えられるに決まってんだろ!」


「そう考えているのは、蕗先輩以外に誰がいますか」


 蕗の喉が、蛙が潰れたような音を出す。

 出鱈目な顔のパーツが、二つの目と鼻と口が、緑色のねっとりとした体である固まりの上を駆けずり回る。

 俺がつかんでいる腕から溢れだした緑のゲルが、俺の服を汚す。


 きっと今までもこうやって自分より上にいる人間を汚そうと、自分より下へ落とそうとしてきたのだろう。

 仮の名誉や、自分の中にしかない自分の地位に、その粘着性の体でしがみつくために。


「先輩は誤魔化しているだけだ」


 蕗が反射的に反駁する前に、次の言葉を吐き出す。


「先輩が居る地位は、先輩が思っているところじゃない」


「違う」


「先輩が在る本当の立ち位置は、」


「黙れ!」


「その他大勢の一つだ。平凡、標準、凡百、平均、並、普通、一般、大衆、スタンダード、ありふれた普及品と何も変わらないんじゃないですか」


 一つ呼吸する。

 蕗は何も言わない。先ほどまで目まぐるしく動かしていた落書きのような顔のパーツが、今はあるべき場所で細かく震えていた。


「先輩の地位は高くも低くもない場所だ。どれだけ自分で誤魔化していても、事実は変わらない。先輩が自分より上にいる人間をどれだけ引きずり落とそうとしても、先輩の力では落とせない」


「…俺は上に居るべき人間だ」


「先輩の世界の中での話だろう。でもそれは俺の世界じゃない」


「俺は、」


「もし自分がやればできる、有能だと考えているのなら、俺の世界に関与しないでほしい。そうすれば先輩の世界を壊さないから」


 玩具のような蕗の目、鼻、口、耳やらそれぞれが静止した。目の瞳孔が空を彷徨っている。彼の視界に俺は入っていなかった。

 蕗は黙って俺の腕を離した。無言で俺に背を向け、のっそりと去っていく。歩いた道が緑色の粘着物質で汚れる。

 俺も何も言わずにその後ろ姿を眺めていた。

 裏庭と校舎の間のアルミ製の戸が、パタンと閉まった。


 窓越しに、覚束ない足取りの蕗の姿が目に入る。それが見えなくなってから、俺は自分の腕に視線を落とした。すっかり汚れてしまっており、非常に不快だ。今すぐにでも洗い流したい。

 水道を探そうと辺りを見渡した俺は、できれば今は会いたくはなかった人物を発見した。





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