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八月一日日記  作者: よしえ
少年と少女
2/31

 中学までは転校を繰り返していた。ばりばりのビジネスマンである母が原因だ。

 会社で有能な母が転勤する先は、決まって都会。大阪、東京、神奈川、時には海外。

 何度転校したか、もう数えきれない。

 そのたびに何度吐き気がするほどの化け物に会ったかなど、更に覚えていられない。星の数ほど、など誇張ではない比喩だ。


 義務教育を終え、俺は困った。転勤するたびに入学試験を受けるのは辛いものがあった。

 母は企業戦士であると同時に、遊び人でもあった。休日は派手な格好をして外へ出かけ、大抵が朝帰りだ。

 俺への関心も特に無いようだったので、中学を卒業すると同時に祖母のいる田舎へ越すことにした。


 俺の選択は母と俺の双方にとって良かったと思う。

 母はさらに仕事と遊びに専念し、俺は化け物の少ないささやかな平和を手に入れた。


「ただいま」


 がらがらと戸を開ける。この近くは門田町があるところよりもさらに田舎だ。田圃の中に点々と家がある。それでも鍵をかけないというのは不用心だろう。


「お帰り、瑛太。今日はコロッケよ」


 玄関の右手の台所から、祖母が顔を出した。

 六十前半の祖母は、腰も少し曲がり白髪も交じっているものの、かくしゃくとしている。


「ばあちゃん、泥棒入ってくるかもしれないよ、鍵をかけないと」


「大丈夫、大丈夫。うちには取るものがないもの。逆に憐れんで置いていってくれないかしらねぇ」


 そんな人徳ある人間は泥棒などやっていない。そもそもこの家はそこまで貧乏じゃなかったはず、と思うと同時に祖母は穏やかに笑った。


「なぁんて。瑛太が帰るかと思って開けておいたの」


 俺が祖母である八月一日千代に初めて会ったのは、高校進学の折に同居すると決意したとき。

 つまりつい数か月前のこと。

 初めて祖母を見たときは我が目を疑った。祖母には、どこもおかしいところがない。化け物ではなかった。

 本当に母を産んだ人間なのか、と血縁関係まで怪しんだ。

 実の親子であり俺の祖母であることは事実だったが、ならばあの母との差は何なのか。今でも謎だ。


「揚げたばっかりだから、早く着替えておいで。一緒に食べましょう」


「あ、はい」


 一階の隅の空いていた和室を部屋としてもらっている。

 正直ここまで手厚い待遇を受けるとは考えていなかった。母の母なら、夕飯にカップラーメンをくれるだけでもいいほうだと思っていた。

 この空間は最早、れっきとした俺の家だ。



 翌日の放課後。

 今日は体育行事委員会の集まりが、俺のクラスである十二ホームルームであると連絡を受け、俺は他の役員の集合を待っていた。

 昨日二宮から引き受けた仕事は、半分は片付いていた。今日学校のパソコンを使ってまとめれば仕事は終わる予定だ。


 次第に人が集まり始めた。委員会は全員が集まってから開始する決まりになっている。

 最前列の窓際でうつ伏せになりつつ、会話に耳を澄ますと十三ホームルームの生徒がまだ来ていないらしい。

 別に盗み聞きをする趣味はないので、その情報を得てからは軽く仮眠をしていた。


 起こされたのはすぐのことだった。人の声に顔をあげると、梶谷の顔が目に入った。

 梶谷の鏡張りの顔にも俺が映っている。


「悪いな、遅くなって。俺のクラスに今日転入生が来てさ。珍しくって、つい」


 転入生。それは珍しいだろう。この田舎に転入する物好きな生徒など皆無に等しい。

 あ、俺か。


「転入生?」


 そういえば今日クラスメイトが騒いでいた気がしなくもない。


「面白い子なんだよ。体育行事員会に入ってもらったから、今達樹と来るんじゃないか? 達樹も十三ホームルームだし」


「達樹?」


「え、昨日喋ってただろ?」


 ああ、あの白い巨体、じゃなくてイケメンのことか。


「はは、ど忘れした」


 微笑を返して、その場を流す。

 と、その時クラスのドアが開いた。まず入ってきたのは、例の白っぽい粘土のような醜い二宮。

 女子が笑顔になり、男子が近寄る。えらい人気ぶりだ。

 馬鹿馬鹿しい茶番劇を見せられている気分になる。

 本当は、あんなに醜悪なモノだというのに。


「あ、ほらあの子だよ、転入生」


 梶谷が指さすのは二宮の後ろ側。俺にはまだ二宮の巨躯に隠れて見えない。

 そこで二宮がぱんぱんと手を叩いた。俺には短い手をペチペチ叩き合わせたように視えたが、女子の様子を見るにさぞ格好いい動作だったのだろう。


「今日俺のクラスに来た転入生の子、体育行事委員会に入ったんだ。とりあえず自己紹介するから、みんないいかな?」


 そういって二宮はあたりを見渡した。当たり前のように反論する人間などいない。

 「今からミサイルを発射するよ」といっても全員賛同すると、俺は思う。


「じゃ、遠藤さんよろしく」


 そして渦中の人物は二宮の後ろから姿を現した。


 一瞬二宮が消えた、ような錯覚を受ける。

 誰もが寸の間口を閉ざし、圧倒されていた。

 その転入生の、存在感に。


「遠藤ゆず。どうぞよろしく」


 その少女は機械的に頭を下げた。

 短いざっくばらんな髪が流れ、すらりとした首筋が露わになる。全体的に華奢な印象を受けた。

 膝上までまくったスカートから覗く足も、夏服の半そでから伸びる手も長く細い。

 無表情でぼんやりとした顔と痩身は、蓮っ葉なようにも、凛としているようにも掴み取れた。

 我に返った方々から、よろしくーと声が上がる中、俺は少女の顔に違和感を受ける。その正体に気付き、傍らの梶谷に尋ねた。


「遠藤さん、ハーフか何かだったりする?」


「いや?」


 梶谷は怪訝そうに首を傾げた。


「純粋な日本人じゃないか?」


「…そうだよな。強烈な雰囲気だから、少し驚いたんだ」


「ああそれは分かる。驚くよな、何にかはよく分かんないけど」


 話を逸らし、俺は再度遠藤ゆずに視線を向けた。

 じゃあ、俺だけか。

 遠藤ゆずの瞳が、

 蒼く視えるのは。

 蒼と言っても気味の悪い鮮明な青ではない。

 沖縄あたりの海を連想させる、綺麗な――――

 そう、綺麗なのだ。

 おかしい。明らかに、まともじゃない。

 俺が視えるのはその人間の本性だ。

 本性が綺麗な人間など、どこにもいるわけがない。


 大部分の人間には欲がある。欲がなければ食べることも、寝ることも、最終的には生きることだってできない。

 欲丸出しの人は、今頃犯罪者か変質者となって刑務所で過ごしているだろう。

 だから、世を歩く欲を隠した人間はどことはなしに俺には異常に視える。


 俺だって欲はある。俺が俺のことを視ることができたら、俺もまた化け物だろう。

 たまに居る無欲な人間が、普通に視えることもある。俺の祖母がいい例だ。欲深く無いから、異常じゃない。

 俺にとって人間とは、化け物かヒト型かで区別されるもの。


 それが一体どういうことだ、この転入生は。

 異常だ、――――本当に人間か。


「瑛太? 遠藤さんがどうかしたのか?」


 梶谷の声で我に返った。どうも遠藤を凝視していたらしい。


「惚れたか?」


 おちょくるように梶谷がからかう。

 いやまさかそんな万に一つもない。女どうこうの前に、人間かどうかさえ疑っていたところだ。


「はは、違うよ」


 なごやかに笑って否定。梶谷は簡単に下がった。

 彼はどうやら人間に深い興味はないらしく、常にごてごてしない。

 最後に遠藤ゆずを一瞥して、ふと目が合った。澄んだ碧眼が俺を見返していた。

 と、いきなり遠藤ゆずがこちらへ近づき始めた。まずったかな、と俺は内心眉根を寄せる。観察を悟られたのかもしれない。

 気まぐれに室内を散歩しているだけかもしれないと淡い期待を抱いたが、一直線に転入生はこちらへ来ていた。


「え? 瑛太、知り合い?」


「いいや、初対面だよ。梶谷に用があるんじゃないかな」


「絶対お前のほうに視線ロックオンされてるぞ」


 そんな馬鹿なと一念したいが、確かに俺もそう思う。

 やがて少女は俺の前で立ち止まった。蒼い双眸に吸い込まれる、と勘違いするほど注視される。

 遠藤ゆずは口を開いた。


「あなたは、ちょっとちがう。にんげん?」


 心地よいアルトが、薫風のように教室を吹きわたった。

 心の片隅でその声に清々しさを周囲の生徒も俺も感じ、同時につかのま呆気にとられた。

 というかむしろ、それは俺のほうが聞きたかった質問だし。


「あははっ、遠藤さんは面白いなー」


 後ろで二宮が涼しげな笑い声を発した。周りの生徒たちもそれに同調されていき、遠藤の奇妙な発言は冗談として認識された。

 だが言われた張本人の俺からみるに、遠藤は本気だ。


「二宮」


 俺はなるべく耳目を引かないよう、静かに二宮に声をかける。二宮は醜く大きな体を俺に向けつつ、


「どうした、瑛太」


「遠藤さん、まだ仕事分からないと思うから、俺の仕事を手伝ってもらってもいいかな」


 柔らかな物腰の提案に、二宮は口と思しき穴を歪め、つまり笑って頷いた。


「それがいいな。よろしく頼んだ!」


「ああ」


 梶谷が意味ありげな視線を送ってきたが、気づかないふりで無視した。

 今日はパソコン室で資料作成の最終段階だ。その旨を遠藤に伝えると、遠藤は無言で頷いた。

 伺うように周りの生徒からちらちら向けられる視線に反応は示さず、資料の入った鞄を片手に遠藤と教室から出る。

 廊下を歩きつつ、周りに人影がないかそれとなくチェックした。

 それからあくまで静かな素振りで尋ねる。


「遠藤さん、さっきの〝ちょっと違う〟って、どういうことか聞いてもいい?」


 遠藤が凝然と俺を直視する。にこやかにほほ笑みつつその視線を頂くと、遠藤は小さな唇を開いた。


「さいしょは、とうきょうに住む予定だった」


 何かがいきなり始まった。

 話についていけないので、とりあえず状況を整理する。


「遠藤さんはまず、どこから引っ越してきたの」


「新田村。あそこ」


 と言って遠藤が指さしたのは、窓の外。指先をたどると、門田町のさらに向こうにある低い山々に帰着した。

 ああなるほど、山に住んでいたと。


「山にはいってから、歩いたところにある村」


「どのくらい歩いたところに?」


「たけのこを、二十個とる時間くらい」


 残念ながらその基準は一般人には分からない。

 だが言いたいことは理解した。この少女が越してきたのは、この門田町よりも田舎の山奥。俗にいうド田舎。


「でもおかあさんに、高校からは都会のほうにいけといわれた」


 かわいい子には旅をさせよ、というやつだろうか。


「それで、最初とうきょうの高校にかよおうとしていた」


 それは難易度が高いことだ。田舎の穏やかな雰囲気や空気の清らかさは東京にはない。東京の発達した制度や機械は田舎にはない。

 梶谷が海外で働くことに驚いていたことを思い出す。多分、梶谷にとっての海外が、遠藤にとっての東京だ。


「だけど、きたなかったから、あきらめた」


「うん」


「だから、こっちの学校にかえた」


 無難な判断だと思う。門田町は都会ではないけれど。


「とうきょうよりは、きたなくないけど、やっぱりみんな人が好き」


 いきなりぶっとんだ話題だが何とかついていく。

 汚い云々は、人のことだったのか。


「でもあなたは、ひとが嫌いね」


 それは、まあ、事実だけれど。

 どうして悟られたかが俺には重要だった。俺の中に人を踏み込ませるような付き合いも態度も表情もしていないはずなのに。


「あなたが、ちょっとちがくみえたのは、そういうこと」


 そうして遠藤は紆余曲折しつつ、俺の質問の答えに収まった。長く話をさせて悪いが、俺はもう一つ尋ねる。


「どうして俺が、人嫌いだって思ったの?」


「どうして?」


 無表情に、遠藤は首を傾げて尋ね返した。


「見れば、分かる」


 それは、ひょっとしてそれは。

 冗談めかして、けれど内心急いで質す。


「人が化け物に見えたりするの? 遠藤さんには」


 遠藤は首を振った。少し残念だが、まあ普通はあり得ないことなのだ。

 代わりに遠藤は、遠藤独自の人を視る方法を語る。


「そのひとの、眼を見ればいい。こっちのひとは、ひとの目を見ない?」


「…見ないかな」


「じゃあ、どうやって人と関わっている?」


 人は、自分を上手にコーティングして、人とコミュニケーションをとる。大事なのは人がどういう反応を示し、結果自分がどう思われ自分がどう感じるか、物事がどう進むか。

 人が隠す感情にはさして重きを置かない。

 しかしこんな返答をするわけにもいかず、俺は押し黙るしかなかった。


 これで遠藤ゆずの蒼い瞳の理由が分かった気がする。

 あの澄んだ双眸は、人を見極めるためにあるのだろう。俺のように、具現化する必要もなく。


「…俺の目は、遠藤さんにはどう見えたの?」


「まっくろ」


 俺の目は、若干茶色いんだけどなあ。などと茶々を入れる隙はなさそうだった。


「しょうゆと、つゆだくを混ぜたみたい」


 塩分高いな。


「そっか。でも俺は、別に人が嫌いじゃないよ」

 と一応の反論。ここまで白日の元にさらされ、反論しないわけにはいかない。


「うそね」


 淡々と遠藤は述べる。信じる気は皆無とみた。


「ところで」


 遠藤は唐突に話を転換させた。今度はどんな鋭いことを言われるのかと、身構える。かわせる自信がない。

 遠藤は今までと同じように、無表情で抑揚なく発言した。


「ぱそこんって、なに?」

 今までどこかの秘境にでも住んでいたのか?




「これをクリックすると、」


「くりっく?」


「このネズミみたいな機械の左側を押すことだよ。―――クリックすると、インターネット…たくさんの情報が集まっている図書館みたいなところを見ることができる」


「うそね」


「本当」


 パソコン室で俺は原始人に、間違った、遠藤に人間の文明について教えていた。遠藤の住んでいた新田村には、ネット回線が通っていなかったらしい。

 俺は半ば本気で、この子の今後が不安になった。


「このなかに、山の葉っぱくらいの本がはいっている?」


「いや、ちょっと違うけど、まあ、そんな感じかな」


 あまり詳しくは俺も知らないので、分かりやすい説明は無理だ。遠藤は納得していないようで、首をかしげながらパソコンをしげしげと見つめた。


「目が飛びでるほどおどろいたわ」


「嘘だよね?」


「ほんとう」

 じゃあもうちょっと顔の筋肉を動かしてほしい。


「今日は、インターネットじゃなくてワードを、」


 遠藤が目を瞬きつつ小首をひねる。文明の差どうこうではなく、英語の問題ではなかろうか。


「…今日は、この図書館みたいなものは使わないで、文章をこの機会の中に入れていく作業をするから」


「…わかった」

 絶対分かっていない。

 だがこれ以上の解説は俺の能力では限界だ。今度詳しい人にでも聞くことを薦めておく。


「俺がやっていくから、とりあえず見ていてほしい。多分、なんとなく分かると思う」


「わかったわ」


 それから時折入ってくる遠藤の質問に答えつつ、作業を進めていった。

 チャイムが鳴った時に終わったのは、全体の三分の一にも満たなかった。

 遠藤に基礎を教えつつだったからしょうがない。俺の家にはパソコンが無いので、家で作業を進めることは不可能だ。

 委員会でやる仕事はこれだけではないのだが、仕方ない、明日まで延長することに決める。


「おれいに、その紙をさっきのきょうしつまで、戻す」


 といって遠藤は俺が持つ資料に視線を向けた。パソコン講座の謝辞に、資料を俺のホームルームまで返してくれると言いたいらしい。

 俺が好意を受け取るか迷ったことを察したのか、遠藤は小さく口を開いた。


「だいじょうぶ。そのかわりに食わせろなんていわない」

 そんな不安は抱いていない。


「わたしの村では、べんきょうとやさいを交換する」

 物々交換で生活をやりくりしていたと。こいつ、実はイヌイットかアーミッシュの一員なのか。


 別に持ち帰っても構わないが、万が一のためにも教室に保管しておくほうがリーズナブルだ。さらにせっかくの無償の行為でもある。


「じゃあ、よろしく頼む」


 頭を下げつつ資料を渡すと、遠藤は身を翻して教室へ駆けていった。野良猫のような俊敏さだ。

 漫然とその後ろ姿を眺めてから、俺は昇降口へ足を向けた。




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