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~第零話~ 俺の罪《オレノツミ》


 物凄い速さで流れる高速大型バスの車窓の風景。そこから見えるのは高層ビルやコンクリートのマンション、激しく行き交う車だけだ。何処にも自然の色、緑の“み”の字も無い、正にコンクリートジャングル真っ盛りとでも言うべきか。



 田舎の学校からの上区組である俺、七宮龍輝(ななみやりょうき)にとっては見慣れない光景に違いは無かった。目を細め、頬杖をつきながらその眺めを見つめて思わず溜息が出る。

 緑溢れる自然が大好きな俺にとってはこういう風景は息が詰まる。コンクリートと人が犇き合い、自分が居る居場所なんか無いんじゃないか、という感覚と囚われる。

 まぁ、最新鋭学区じゃ仕方ないのかもしれないけど、もう少しくらい自然があってもいい気がする



 俺は第22学区にある国公立鷹爪総合学園という所へ向かっている最中だ。この学園は俺らが住んでいる学園国家クァンセの最新鋭の技術を使って数年前に建てられた新設の学園で、小中高大そして大学院まで一貫して通うことの出来る全学年学部一貫学園だ。

 生徒数は現在4万5000人にも上り、今でも学業が優秀な生徒を次々に編入させてその地位を築いている超ヶマンモス学園。最近では難関校と言われるほどの名門校だ。

 運の良いことに、俺は剣術の成績が評価されたらしく田舎の学校から学園国家推薦状を貰い、国公立鷹爪総合学園の高等部に編入することになったのだった。



「ねぇねぇ龍ちゃん。そう言えば結局どこの科になったの? そろそろ教えてくれてもいいよね~?」



 隣に座っている女の子が馴れ馴れしく笑顔で話しかけてきた。しかもあろうことか俺のことを愛称で呼んでいる。馴れ馴れしいにも程がある。


 俺は車窓を流れる風景を見るのを一時止めて隣にいる女の子を見据える。


 その女の子は腰まで伸びたストレートの亜麻色髪をツーサイドアップにまとめているのが特徴の小学生くらいの女の子だった。フリルやらレースやらがふんだんにあしらわれている白を基調としたワンピースがなんとも鬱陶しそうだ。くりくりした大きい透き通った翠色の瞳、そして陶器のように白い肌。顔付きは幼く、まだあどけなさが残っている。バスが揺れるたびに女の子のツーサイドアップに縛った髪が仔犬の尻尾のように揺らめいていた。



「キミは誰だ?」


「えっ!?」



 俺が“誰か”と訊いたことがさも意外だったかのように驚きを隠さない少女。口をパクパクと金魚みたいに開けたり閉じたりしている。

 キミは誰だと訊いているのだよ、リトルガール? その表情、なんか滑稽だぜ。



「あぅ……わ、私が誰か忘れちゃったの……?」



 そう言うと急に肩を落としてしゅんとしてしまった少女。今にも泣きそうな顔つきで、さっきまでバスの揺れに応じて仔犬の尻尾のように元気良く跳ねていた縛った髪が一気におとなしくなってしまったように感じる。

 おいおい、まさか……泣く?



「お、おい、泣くなよ?」


「だ、だって……龍ちゃんがいきなり“キミは誰か”なんて聞くから、私のこと忘れちゃったのかなって

思ったら……なんだか悲しくなってきて」



 ぼそぼそと歯切れの悪い口調で言葉を紡ぐ。

 はいはい、悪かったよ。俺が悪かった。



「あのなぁ、忘れるわけないだろ? 七名瀬(なななせ)(なな)()16歳。俺の幼馴染で小等部の頃からの腐れ縁――」


「く、腐れ縁……?」



 “腐れ縁”という言葉が引っかかったようだが、俺は言葉を続ける。



「――そんでもって名前が言い難くて泣き虫で弱虫。いつも人の後ろに隠れるし、体術と銃術の成績は下の下。ドジで天然、服装も容姿も性格もおこちゃま……だろ~?」



 俺が一通り言い終えると菜々璃の落ちていた肩が徐々に震えだす。そして溢れんばかりに涙を溜めた瞳をこっちへ向けた。もちろん、その瞳には俺への非難の色が混ざっていた。



「だろ~? じゃないよ! 酷いよ、酷すぎるよぉ! うわぁあ~ああん」



 そしてついには泣き出してしまった。高速バスの中に菜々璃の泣き声が響き渡り、周りにいる乗客の迷惑そうな視線を一挙に集中させる。

 マズイ、俺としたことがさすがにやり過ぎたか。



「悪かった、俺が悪かった。第22学区に着いたら美味いソフトクリーム買ってやるから機嫌直せって。約束だ、な?」



 自分で撒いた種とはいえさすがにこの状況は良くない。田舎育ちの俺は注目されるのに慣れていないし、何より小さい女の子をイジメているみたいに見られてなんかイヤだッ!

 とりあえず菜々璃は甘い物、可愛い物が心から大好きな女の子中の女の子。菜々璃の実家の冷蔵庫には甘ったるいアイスクリームが常時用意されているし、部屋はぬいぐるみやら置物やらが飾られていて、いかにも女の子っていう感じの部屋だ。当然そういう物を欲しがるわけで、それを条件として提示すれば大抵はOKになる。表向きは可愛いが、裏を返せばある意味単純ってことだ。



「ほ、ほんと……?」



 大声で泣いていたせいか、少し擦れた声で俺に問う。長い付き合いの俺は縛っている髪ひょんっと動いたのを見逃していない。これは提案が気になっている合図みたいなものだ。



「本当さ! 菜々璃の好きな味でいいぞ」

 あと一押し。あと一押しで甘い物好きの菜々璃は落ちィるッ!!


「やったぁ~!」

 落ちたぁあああああ!!



 俯いていた顔をパッと上げると、泣き顔だったはずの顔は既に期待一杯の笑顔に変わっていた。今この瞬間にソフトクリームの店を見つけたら車窓から飛び出していきそうな雰囲気さえ漂わせている。もはや狂気の沙汰と言ってもいい。

 女ってなんでこう甘いものが好きなんだろうか。



「何味がいい? 甘ったるいイチゴか? 何の変哲も無いバニラか?」



 やっぱり菜々璃にはこういう手が有効だってことが改めて実証された。長年付き合っていれば、いや、長く付き合っていなくても3日くらい顔を合わせれば絶対にわかるくらい単純な思考回路の持ち主だってこともな。



「う~ん、なんかその言い方やだな……。でもやっぱり、大人の私にはチョコレートじゃないかな~!」



 大人? いやむしろその反対だろ。なんて口が裂けても言えない。言ったとしたら、たぶん高速道路に投げ落とされる。俺だって命は惜しいのだ。



「たしかに菜々璃はチョコレートで口の周りを汚してそうだよな。しかもそれが似合っちまうよな~ハハハ――」


「……ど、どういう意味?」


「――ハハハハ、冗談だ……」



 ジトッとした目をこっちに向ける七名瀬菜々璃さん。やばい、これ以上この話題を続けているとマジで菜々璃に殺されかねない(高速道路に投げ落とされる的な意味で)。

 女っていうのは怒ると怖いってじっちゃんが言っていたのを覚えていてよかった。



「はぁ……もういいよ。それより、結局龍ちゃんはどこの科に配属になったの? そろそろ教えてくれてもいいよね」



 俺が話を転換させようとしたのを察したのか、自ら話題を変えてくれる辺り菜々璃は心が広いと思う。



「秘密だ」


「なんでよぉ~!」



 菜々璃は頬をぷくりと膨らめて駄々っ子のように軽く2、3回地団駄を踏む。



「お前は当然、魔術科だよな」


「そうだよ。私魔術しか取り柄ないもん。はぁ…………龍ちゃんはっ!?」


「だから秘密だって」



 急に訊いて俺が驚いた拍子に答えるでも思ったか? 浅はかなり。



「も~っ! 教えてくれてもいいじゃん。ケチ! 甲斐性なし!」



 頬を膨らめながら俺に顔を近づけて怒りを露にしているようだが、正直言って菜々璃の怒った表情は怖くない。どっちかって言うと、子供が必死に怒っているっぽい感じがして可愛い。



「何? 甲斐性なしだと? じゃあソフトクリームは買ってやれないな。甲斐性無しだし」


「あぅ~ごめんなさいです……」



 俺の強気な言葉にこれ以上の攻勢は無意味と判断したのか、単にソフトクリームが食べたいだけかはわからないが、菜々璃は素直に引き下がる。



「わかればよろしい」

 素直な子は好きですよ、俺は。



 菜々璃は田舎の学校でいわゆる“いじられキャラ”というやつだった。子供っぽい性格+子供っぽい容姿のせいなのか、女子からも男子からも人気で友達もかなり多かった。

 そんな菜々璃の姿を見てきたからなのか、俺も菜々璃をいじるのが日課になっている部分がある。別に俺がS気質とかそういう訳では決してないのだけど。



「でも同じ学校に行くのになんで教えてくれないの?」


「なんか秘密にしとくと面白そうだから、かな?」


「ただそれだけの理由なの!? 別に秘密にする必要ないじゃない。教えて? 一生のおねがぁ~い!」



 両手を合わせて両目を瞑ると深く頭を下げる。コイツの一生のお願いはこれで大体20回目くらいか。一生のお願いと言えばなんでも言うことをきくと思ったら大間違いだ。



「いい加減に諦めろよ。同じ学校なんだから離れ離れになるわけでもなし、別の科でもいいだろうが?」


「イ、イヤだよッ!」



 珍しく声を荒げて立ち上がった菜々璃だったが、直ぐに顔を真っ赤にして周りを見回し、静かに座席に座り直す。

 今の大声のことを気にしているのか? さっき大泣きして乗客に迷惑かけたヤツとは思えない行動だな。



「だって……龍ちゃんとずっと今まで同じ科だったのに……」


「たまにはいいじゃないか。ていうか、まだ俺が違う科だって言ってないだろうが」


「う、うん。まぁそうだけど……」



 しゅんとした菜々璃はまた肩を落としてぶつぶつと呟いている。そんな幼馴染の姿を見て、俺は溜息をついた。



「はぁ、わかったよ。そんな悲しそうな顔するな」


「教えてくれるの!?」



 一気にパッと表情が明るくなり、溢れんばかりの期待を向けられる。



「ああ。俺の科は――」


「科は……?」



 緊張の一瞬、とでも言いたげな菜々璃の瞳。



「――剣術科です」

「あぅ……」



 一気に期待していた瞳が一気に落胆に変わる。



「やっぱり剣術科なんだね……。そうだよね……龍ちゃんは剣術が得意分野だもんね。ぐずっ……寂しいよぉ~」



「と、魔術科」



「うぅ~? えぇっ!?」



 驚きの声をあげた菜々璃の顔色が驚愕から徐々に困惑に変わっていく。



「2科所属になるってこと? それって大丈夫なの? 凄く大変なんじゃないの?」


「元々は剣術科での学園国家推薦がきていたんだけどな。俺が魔術もやりたいって手紙書いたら特例として2科所属を許してくれたよ」



 2科の所属はもちろん基本的には認められていない。今回は特例として認めてもらえたに過ぎないのだ。まあ、他にも色々とコネとか駆使して結構大変だったのは内緒の話だが。



「ここまで10年も続いたお前との腐れ縁を途絶えさせるのもどうかなって思ってさ。あのな、あ、いや、勘違いするなよ、お前のためじゃなくて俺の将来のグボゥァアッ!」


「龍ちゃん大好きぃいい!」



 俺の悲鳴と菜々璃の告白はほぼ同時だった。

腹を目掛けてフライアウェイ&抱きついてきた菜々璃。当然狭い高速バスの座席内では避ける動作はおろか、避けようとすることさえ困難なわけで……。どっぷり腹に入ってきました。ありがとうございました。



「あぁ~……死ぬ」


「ごめんね、龍ちゃん。嬉しくてつい……ほら、痛いの痛いの飛んでいけぇ~!」



 前かがみになって悶絶する俺の背中を小さい手が優しくさする。幼馴染とはいえ、腐れ縁とはいえ、女の子に背中を撫でられるという状態が、何とも言えない羞恥心をふつふつと沸かせてくる。

 しかもな、菜々璃よ。俺が悶えている原因があるのは、背中じゃなくて腹だ! 腹なんだバッキャロウ!!



「わかった、わかったよ。わかったから静かに座ってろっ……」


「うん! えへへ、やったぁ~! ふっふ~ん♪」



 さっきまでのご機嫌斜めとは打って変わり、満面の笑みを浮かべて鼻歌なんか歌っている。両足を楽しげにぶらぶらさせる度、ワンピースのスカートが楽しげに揺れた。

くっそ、こっちは腹が激痛だっつうのに。



「あ、そろそろ第22学区だよ。降りる準備しないと」


「あぁ~腹がいてぇよ~」


「うぅ~ごめ――」



 俺に謝ろうとした菜々璃の言葉が急に途絶えた。いや、途絶えたわけじゃない。爆発音が車内を包み菜々璃の言葉がかき消されたという方が正しい。そしてぐるりと視界が一回転したかと思うと突然重力が下からではなく車窓の方からかかってきた。

 直ぐに俺は理解できた。このバスは空中を一回転しながら横転しようとしているのだと。



「――きゃぁああああッ!」



 今までで聞いたことのない轟音が俺の鼓膜を揺らした。高速バスのクラクションや金属がコンクリートとぶつかり擦れ合う音、乗客の悲鳴が周囲の空気を振動させ。数人の乗客が慣性に伴って人形のように宙を舞っていた。

 俺は咄嗟に座席の横にある腕掛けに片手で掴まり、菜々璃をもう片方の手で抱き寄せた。菜々璃みたいな軽い身体では簡単に飛ばされてしまう。俺が守ってやらなくては。

 轟音をあげながら横転したバスが徐々に停止すると、事態がだんだんとわかってきた。

 このバスは何かしらのことがあって前輪の片方が爆発した。その衝撃でバスは空中で一回転、かつ横転してしまった、と考えるのが妥当か。ほんの6秒くらいの僅かな時間で起こったことだが、事態の把握にはまだ時間がかかりそうだ。



「大丈夫か、菜々璃」



 第一に幼馴染の安否を確認する。あの衝撃だったからもしかしたらどこかを怪我した可能性もある。



「う、うん……大丈夫だよ。龍ちゃんは? 何が起こったの?」



 困惑と恐怖の表情を浮かべる菜々璃は小さい身体をいつも以上に小さくしているように見えた。俺は安心させるために少し冗談を言う。



「俺は大丈夫。軽い事故みたいだな……バスが横転しているみたいだ」


「それって大事故だよっ!」



 さて、冗談はさておき、この状況はかなりまずい。冗談では軽い事故と言ったが、これはかなり大きな事故の部類に入るはずだ。俺は瞬発力や反射神経を剣術で鍛えているから何とか難を凌げたものの、そういう乗客ばかりじゃないはず。それに、さっきからは若干のガソリン臭さを感じる。バスの燃料タンクからガソリンが漏れ始めている可能性があるのだ。



「菜々璃、立てるか?」


「うん……ひぅ――」



 俺の手を取りながら立ち上がろうと試みた菜々璃だが顔を歪めるとすぐにバランスを崩してしまう。



「足見せろ」


「だ、大丈夫だよっ」


「いいから」



 強がる菜々璃を制して右足首を見てみると、赤く腫れているのが目に見えてわかった。はやりバスの横転の衝撃で捻挫をしたのだろう。あれだけの衝撃だ、無理もない。



「うぅ、ごめんなさい……」



 俯くと心底申し訳なさそうに俺に謝罪する菜々璃。



「お前のせいじゃないだろうが」


「そうだけど……ごめんなさい」



 自分が悪いわけでもないのにすぐにこうやって謝ってしまうのは菜々璃の悪い癖だ。



「許す。そんなことより、ちょっとまずそうだんだよな」


「どゆこと?」


「ガソリンが漏れているみたいだ」



 すんすんと菜々璃は鼻を鳴らす。つくづく行動が小動物みたいなヤツだな。



「たしかにちょっとだけガソリン臭いかも!」


「じゃあやるべきことはわかるよな?」



 俺と菜々璃はお互いの顔を見合わせた。菜々璃の白く、幼くも整った顔立ちに見つめられると、いくら幼馴染の俺でも多少の羞恥を覚える。

 いや待て、何を恥ずかしがっているんだ俺。相手は幼馴染の菜々璃だぞ。菜々璃に興味があるヤツなんてちょっとヤバイ特定の人種だけだ。俺は違う。



「「乗客を外に運び出す!」」



 俺と菜々璃の言葉が同時に口から発せられる。俺たちは直ぐに行動を開始した。



 任務は2つ。足を挫いてしまっている菜々璃はあまり行動範囲が広くない。そのため菜々璃の任務はバス内の乗客の安否確認と救助を手伝えそうな人を探すこと。対して無傷の俺は行動範囲が広い。俺の任務はバスの外へ出て状況の確認、出来れば流出しているであろうガソリンを止めることだ。

 バスの前方へ幾つもの座席を跨ぎながら移動していく。途中で見た何人かの乗客は気を失っているのか、或るいはもう逝ってしまったのか、固く目を閉じたまま動いていなかった。何とも言えない焦燥感が胸を締め付ける。



 すまない、すぐに出してやるから。



 横転の衝撃で割れてしまっているフロントガラスを抜けてバスの外側へと脱出した俺は目を疑った。さっきまで多くの車が行きかっていたはずの高速は、何故か事故を起こして横転したバスしかないおかしな状態になっていたのだ。

 そんな異様な様子に不信感を抱きながらもバス下部にある燃料タンクへと急いで向かった。

やはり臭いで感じた通り少しずつだがガソリンが漏れている。俺は近くに落ちていたバスの破片を無理矢理燃料タンクに空いた穴に突っ込むと、外れないようにしっかりと固定した。応急処置とはいえ何とかガソリンの漏れは止まり、これで一応は安心と言ったところか。



「龍ちゃん!」


「どうした!?」



 バスの中から菜々璃の声が聞こえ俺は大声で返答する。



「ちょっとこっちに来て!」



 俺は急いでバスの中に戻って菜々璃の姿を探す。菜々璃の姿はバスの一番後部の座席にあった。



「やっぱり漏れていた。でも止めておいた。それより、何か問題か?」


「うん。乗客の人たちの数は10人。私たち以外全員怪我していて動けないみたい。何人かはもうダメみたいで……。あとね、この人の話が気になって」



 俺が座席を跨ぎながら近づいていくと、菜々璃がいる傍の後部座席にもたれ掛かるようにして立っている青年がいた。怪我をしているらしく頭部からは血筋、左肩の服は赤く染まっていた。そんな左肩を抑えながら荒い呼吸をしている。

 彼の歳は俺たちと同じくらいで身長は俺より少し高い。シャープな顔立ちと鋭利な刃物の如き視線は見るものを射抜くような印象を根強く植え付ける。少なくとも好意的な視線ではないと俺は感じた。



「逃げろっ!」


「なんだって?」



 突然口を開いた青年は眉間に皺を寄せ、必死の形相で俺たちに言った。



「逃げろと言ったんだ……!」


「そんなわけにいくか。乗客を助けるのが先だろうが」


「馬鹿ッ、お前たちは知らないのか! これは“賊連”の仕業だ」


「“ゾクレン”?」



 聞いたこともない単語に若干の戸惑いを覚える。菜々璃も同じ気持ちなのか戸惑いの表情を浮かべているだけだった。どうやら菜々璃も知らない単語らしい。



「賊連ってのは“盗賊連合”の略だ。学園国家内の高速バスを狙って略奪を繰り返してやがる。前輪を爆破してバスを横転させるっていう手口は正に賊連の手口なんだよ!」



 そういえばそんなニュースを少しだけ聞いたことがあるような気がする。

 学園国家内では転校や編入なんかが活発に行われている。そんな時、大抵の生徒は公共交通機関を使うのだが、生徒たちは貴重な物、つまりは家に代々伝わってきた武器や防具、装飾品なんかも一緒に運んでいる。それを奪って自分たちのものにするのが目的、とかなんとか。



「怖いよ……」



 菜々璃は俺の傍に寄って上着の裾を掴む。



「奴らの手口は非道だ。乗客を全員虐殺している例もあるくらいだからな」


「なんだと!?」



 そんな話、携帯新聞でもネットニュースでも聞いたことない。それが本当だとしたら怖い。怖すぎる。でも俺たちが選ぶべき選択肢は逃げるという選択肢じゃないはずだ。そもそも逃げるという選択肢は菜々璃と共に最初に捨てているのだから。



「だとしたら早く乗客をここから連れ出さないといけな――」


「それは困るな」



 バスの前方、割れたフロントガラスの方から低い声が俺たちの耳に届く。刹那、空気が急に重くなり、呻き声で騒がしかったバスの中が静寂に包まれた。



「それは困る。生きていてもらっては困るのだよ。特に君たちには」



 俺たちが声の主の方を向くと、そこに立っていたのは全身を真っ黒なスーツで身を包んだ女だった。いや、姿形は女のよう、と言うべきか。話し方と声は厳格な男っぽいのに何とも言えない変な感覚だ。



「誰……?」



 菜々璃は俺の後ろに隠れながらボソっと呟く。



「私が名を名乗る必要があるのか? これから死に逝くお前たちに」



 そう言うと女は“何か”をこっちに向けた。俺は一瞬で判断を下す。



「隠れろッ!」



 俺たち3人は後部座席の奥に折り重なるようにして倒れた。俺と菜々璃の体重が一気に圧し掛かった青年の顔には激痛に耐える悲痛な表情が浮かぶ。



「放たれよ、《悪魔の視線》!」



 あの“何か”は魔術短杖だ。ヤツは魔術を使えるのだ。

 黒々とした細い筋が俺の立っていた場所を通過する。的を射ることが出来なかったその筋はその細さとは反比例してバスの後部に小規模な爆発と共に大きな穴を作るに至った。



「チッ、外したか」



 さっきの男だか女だかわからないヤツの舌打ちが聞こえてくる。

 俺たちのことマジで殺そうとしている? 舌打ちしたいのはこっちだっつうの! 仕方ない、攻めは最大の防御ってのはどっかで聞いたことあったっけ。



「俺と菜々璃がアイツを引き付ける。戦うぞ! だけどここじゃ明らかに分が悪い。外に出るぞ。生きるにはそれしかない」


「う、うん……」



 かなり不安そうな顔をしている菜々璃だが、大丈夫。こういうときの菜々璃は凄まじい力を発揮することは誰よりも俺が知っている。



「お前はここを動くな。死んだフリでもしてろ」


「何言っているんだ! お前が死ぬことになるぞ!」



 相変わらずの必死の形相で俺たちのやろうとしていることを止める青年。



「何もしないで死ぬのか? そんなのゴメンだ。こっちはこれから新しい生活が待っているってのに、それを邪魔されてたまるかよッ!」


「お、ま――」



 俺はそれ以上聞かなかった。上に覆い被さるようにして倒れている菜々璃をお姫様みたいに抱きかかえると、さっき的を外して空いたバス後部の大穴から素早く外に飛び出した。

こういう時、菜々璃があまり成長していないことに感謝すべきだとつくづく思う。

 肺胞にバスの中の悶々とした酸素ではない新鮮な酸素が一気に流れ込み、焦りや不安を脳から一気に払い除けてくれる。これでもっと冷静に考えられそうだ。



「逃がさんよ! ハッハッハッハ」



 何が可笑しいのか、横転したバスの中から大きな高笑いが聞こえてくる。何やら狂気の気配を感じる。これは急いで手立てを考えないといけない。



「菜々璃、お前の得意な“アレ”できるか?」


「うん……あ、ああ、あのにぇ……とりあえず降ろしてもらってもいいかな……?」


「あ、悪い。ほら」



 緊張のせいか顔を真っ赤にした菜々璃をゆっくりと地面に下ろしてバランスをとらせる。右足首の捻挫のせいか、立つ姿はふらふらと心許無い。それにこんな極限の状態なのだ、緊張するのも無理はない。



「ありがと……。でもね龍ちゃん。龍ちゃんが言うほど私“アレ”得意じゃないよ?」


「いいからやってくれ、見たところ敵は1人だ。“アレ”が成功すれば形勢は逆転する」


「うぅ……わかった。やってみる」



 一瞬悩む素振りを見せるが、素直にこくりと頷いて両目を閉じると、両手を組んで祈るように意識を集中させる。



「我が親愛なる眷属ヴィナスティーリア。我の祈りに答えよ――」



 今行っている菜々璃の特殊魔術。それは世界でも使用出来る人の数が極端に少ない魔術能力だ。



「今こそ審判の時。混沌の空を聖なる翼で黎明(れいめい)の空に変える力を我に与えたまえ――」



 どこからともなく、菜々璃の周りに淡い水色の光が集まり始める。その光は凛としていて芯が強いように見える。しかし何故か逆に蛍のように柔らかく、優しくも感じた。



「困るのだよ。何をしているかは知らんが、余計なことされては!」



 バスの前部から出てきたスーツの女は狂ったように涎を垂らしながらニタニタと笑い、俺たち二人と対峙する。その姿を見て俺は驚愕した。



「何だよ、あれ……」


「ひッ……!」



 祈りの途中、俺の声に反応して一瞬だけ目を開けた菜々璃が驚くのも無理はない。



 女のスーツの色は黒から、血の色の濃い赤色に染まっていたのだ。



「見るな、菜々璃!」


「う、うぅう……今、ここに貴女との盟約を掲げ、宣言する。我ヲ盾トシ、我ヲ剣トセヨ――」



 菜々璃は半泣き状態になりながらも賢明に呪文を唱え続ける。光は徐々に大きくなっていき、既に菜々璃の周り一帯を包むほどに増幅されていた。成功は近い。“アレ”成功すれば俺が戦うより何倍も強いはずだ。



「お前、乗客を殺したのか!?」



 隣には呪文を唱えている菜々璃がいる。言葉によって敵の視線を俺に引き付けて菜々璃から逸らせられれば、祈りが上手くいく可能性は何倍にも跳ね上がる。女との会話が成立している以上、この作戦は成功すると俺は踏んだ。



「私に必要なのは武器だ、防具だ、血だ!! 命などいらぬ」


「何てことを……。お前には良心の欠片もないのか!」



 さっきの青年が言っていた乗客惨殺っていうは嘘じゃなかったようだ。こんな最悪の事態が目の前で起こるなんて、ほんの1時間前まで想像もしていなかったのに……いや、現実から逃げるな。今、この場で、この事件は起こっている。



「そろそろ戯言はいいだろう。あとはお前たちだけなのだ。黙って逝け。まず貴様からだ」



 女性は淡々とそう言って魔術短杖を俺に向ける。黒光りするその短杖をジッと見据える。



「《悪魔の――」



 女が呪文を唱えようとした瞬間だった。菜々璃の周りに集まっていた淡い水色の光が一気に女の周りを囲む。



「菜々璃!」

「うんっ! 《おかえり、ヴィナスティーリア》」


「I`m back.my lord.(ただいま。我が主)」



 透き通るような声が女を取り囲む光の方から微かに聞こえてきた。中性的な声質のため男か女かは判断出来ないが、そよ風が吹く緑溢れる平原を彷彿とさせる声だ。


 菜々璃の特殊魔術、それは全世界でも数人しか使うことが出来ない魔術。召喚魔術だ。

だが菜々璃の召喚獣、“ヴィナスティーリア”はまだ召喚洗練されていないため光の集合体でしか呼び出せない。しかしその仮の姿でも攻撃や敵を翻弄させることは出来る。何よりも、異質な物を見た相手の恐怖心は計り知れないのだ。



「何だ、これは!?」



 光に包まれて戸惑う女は何振り構わずに魔術を撃ち続けている。さっき俺を狙った魔術であろう黒く細い筋が幾つも道路や空に放たれる。しかし実態の無い光の集合体に魔術を撃ったところで何の効力も示していないのは明らかだ。だが女は気が動転しているのかそれを止めようとはしなかった。



「ヴィナスティーリア! その者を遠くへ飛ばして!」


「Ok,I can do it.(はい、やりましょう)」



 女を取り囲む光の光度がより一層強さを増す。その輝きは直視出来ない程の輝きを持ち、もはや太陽と同格といっても過言ではない。



「いいぞ、その調子だ!」



 このままいけば勝てる。俺がそう思った時だった。



「この程度で、私は負けるわけにはいかん!」



 光の渦の中から女の荒い声が聞こえる。



「我々の正義は、この程度で崩されるわけにはいかんのだぁあああああああッ!!」



 眩い光の中から黒い一筋の魔術が繰り出される。さっきまで撃ち続けていた細い黒い筋ではない。その何倍も太い筋だ。

 その魔術は光のような物凄い速度で真っ直ぐに菜々璃に向かって伸びてくる。

 時が止まった気がした。夢なんじゃないかって、思った。

 違う。俺自身が夢であって欲しいと願ったのだ。



「うっ!?」



 その黒い一筋は真っ直ぐに菜々璃に向かって伸び、そして、突き刺さった。

 一瞬にして魂の無い人形のように力が抜けて崩れ落ちる菜々璃を俺は必死で抱きかかえた。何度も力無く抱かれる菜々璃を揺する。



「フハハ、ざまあ見ろ! 今日は負けだが次は勝つ。アッハッハッハッハ!」



 光の光度が落ちると共に徐々に消えていく淡い水色の光。光の渦の真ん中にいたはずの女の姿も光と共にそこにはなかった。


 一瞬の放心の後、俺はハッとして菜々璃に勝利を報告する。



「菜々璃、やったぞ! 敵はお前の魔術でどっかに行っちまった!」


「そ……かぁ……」



 顔に血の気が無くなっていく。何故だ、さっきの黒い筋が突き刺さった場所から出血はしていない。



「血は出てない、大丈夫だぞ! すぐに救急車が来るからな」


「ん……」



 何故か菜々璃は力無く微笑みを浮かべている。その微笑が俺には無性に辛く感じられた。



「どうした?」


「りょ……んが……無事で、よか…た」



 途切れ途切れの言葉だった。でも俺は理解できる。





“龍ちゃんが無事でよかった”





 俺は口を開けたのに言葉が出なかった。言葉を出そうとしても喉から上にこなかった。その代わりに強く、強く菜々璃を抱き締める。涙が溢れそうになるのを必死で堪えた。



 菜々璃の身体、こんなに小さかったのか……。



 高速の遠くの方からサイレンの音が徐々に近づいてくるのが聞こえてきた。早く来い。早くしろ!



「第22学区に着いたらソフトクリームだったよな! 今日は菜々璃めっちゃ頑張ったからバニラもストロベリーもチョコも全部買ってやる。だから頼む、しっかりしてくれよッ」



 ようやく出た言葉。それはさっきバスでした約束だった。

 今までの思い出が走馬灯のように蘇る。一緒に過ごした日々、良いことばかりじゃなかったが総計して楽しかった。菜々璃といれば笑っていられた。他の誰でもない、菜々璃と。



「う……ん。たのし……ね」



 次々と到着する救急車、消防車、警察車両の数々。車から降りた誰もがこの惨状を見て驚きを隠せないようだった。



「こっちに怪我人がいるぞ! 救急隊員、早く!」



 制服から判断するに警察官だろうか、そんな中年の男性が俺たちを見つけて救急隊員を呼ぶ。救急隊員はすぐに来て俺と菜々璃に応急処置を施した後、学園国家クァンセで一番大きい病院である第16学区の大学病院へと搬送した。その後のことは夢を見ているような、現実のような、ふわふわとした感覚が暫く続いていた。











 次に目を開けたとき、俺は救急車の中ではなくどこかの部屋で寝ていた。いつの間にか気を失ってしまったらしい。


 周りを見回して今自分が置かれている状況を確認する。


 部屋の感じから察するにどうやらここは病院の個室部屋のようだ。ベッドの傍にある窓は少し開いていて、優しい風が室内に入り込んでカーテンを静かに揺らす。点滴を交換しに来たのか、運良く部屋に点滴袋を持った女性の看護士が入ってきた。



「あの……」


「起きましたね。ここは病院ですよ?」



 そんなことわかっている。俺が訊きたいのはそんなことじゃないんだよ!



「菜々璃は……? 菜々璃がっ」



 無理矢理身体を起こしてベッドから降りようとすると、看護士は慌てて俺を抑えてベッドに寝かす。



「一緒にいた子、七名瀬菜々璃ちゃんよね? 彼女は大丈夫よ。目立った外傷もないわ。強いて言えば右足首軽い捻挫だけです」



 俺は自分の耳を疑った。



「嘘だ、そんなことはないです! 俺は菜々璃に黒い筋にが突き刺さるのを見たんだ!」



 確かにあの女が苦し紛れに放った最後の黒い筋の魔術は菜々璃に突き刺さった。そして崩れ落ちた菜々璃を抱きかかえ、顔から血の気が引いていくのを見た。事実だ。あんな忌まわしい記憶、嘘なわけがない。信じたくなくても実際にあったのだ。



「とは言ってもねぇ……4回も診断したけど全部診断結果は良好だったわよ。あれだけの事故で軽い捻挫で済んだのは奇跡的だわ。貴方もね?」



 そう言って看護士は笑顔を見せる。だがそんな笑顔を見ても俺の心の(もや)は消えなかった。



「菜々璃に会わせてください、お願いします!」



 信じられない。今の俺は言葉だけでは何も信じられない。



「お隣の病室にいるわよ。でも今はそっとしておいてあげたほうが……まあいいわ。もしかしたら貴方と

話せば気が紛れるかもしれないし……」



 何故か引っかかる言い方をする看護士は、不振な顔をした俺を笑顔で誤魔化した。



「院長先生に動いて大丈夫か訊いて来るからちょっと待っていてね。すぐ戻るからね」



 そういうと看護士は俺にもう一度「動いちゃダメよ」と念を推し、新しい点滴に交換してから変え終わった点滴を持って足早に病室を出て行った。俺はそれを見届けて身体を起こしベッドから立ち上がる。


 待ってられるかよ……。


 一秒でも早く菜々璃に会いたかった。無事だと言うならその姿を自分の目で確かめたかった。焦燥感は募る。

 壁に手をつきながら一歩、また一歩隣の病室へ近づいていく。運の良いことに廊下には患者も医者も誰もいなかった。バレることはなさそうだ。



「七名瀬……菜々璃……」



 入室患者名のプレートには“七名瀬菜々璃”の文字がある。ここの病室で間違いない。



「菜々璃っ!」



 勢いよく病室のドアを開ける。



「ひゃあっ!」



 俺の病室と同じ部屋の造りだ。ドアと正反対の方向に窓があり、その横にベッドがある。そのベッドで半分身体を起こしながら雑誌を読んでいた様子の少女。こっちを驚いた表情で見つめている。



「菜々璃!?」



 俺はよろよろとした足つきで菜々璃のベッドまで走った。たったの5メートルくらいの距離。なのに俺にはその距離が異常なほどに長く感じられて……。

 ベッドの横に置かれていた椅子に何とか座ると、不思議そうな顔をしている菜々璃の顔にゆっくりと手を伸ばす。



「菜々璃……だよな?」


「え?」



 軽く菜々璃の頬に触れる。ふにっとマシュマロのように柔らかい白い頬。宝石みたいに綺麗で透き通った翠色の瞳。風で軽やかになびくさらさらとした長い亜麻色の髪。



「菜々璃……だな」


「う、うん……。そうだけど……?」



 小鳥みたいに小首を傾げる。この仕草も俺の記憶にある菜々璃らしい仕草だった。



「菜々璃なんだよな!」


「そ、そうだってば……どうかし――」



 戸惑う菜々璃を見て無意識に口角が上がり、自分が笑顔になっていくのを感じる。なんか俺、気持ち悪いな。



「菜々璃ぃいいい!!」

「わ、わわわっ!」



 俺は嬉しさを抑えきれずに菜々璃に飛びついてしまった。



「本物だな! なんだよ生きてるじゃねえか! 死んだんじゃないかって、こっちは本気で心配したんだぞ!」



 たぶん俺の持てる全ての力を使って菜々璃を抱きしめたんじゃないだろうか。そのくらい強く抱きしめてしまったような気がする。



「い、いらいよ、龍ひゃん。うぅ……くるひぃよ……」


「ああ、悪い。つい……」



 苦しげな声を聞いた俺は徐々に力を緩めて菜々璃を開放する。



「はぁ、はぁ……」



 菜々璃は顔を真っ赤にしながら荒くなってしまった息を整えている。呼吸が出来ないほどに強く抱きしめてしまったのだとしたら酷いことをしてしまった。



「もぅ……」



 怒ってしまったのか俺のいる方とは逆の方を向いてしまう菜々璃。俺は慌てて宥めようと菜々璃が気になりそうな言葉を探す。



「あ、えっとさ、ほら、約束! ソフトクリームの約束なんだけどさ、いついく? でもここ第16学区だよな。たしかタコスが美味い店があるとか聞いたことあるよ! 行こうぜ! あ、それより先に退院だよな……ははは、何を先走って……」

「龍ちゃん――」



 言葉を制した菜々璃は俺の方を向いてはいない。窓の外にある街の風景を眺めているだけだ。でもその横顔がなんとなく寂しげに見えた。



「――私ね、もう魔術使えないんだって」



 いきなりの告白に言葉が出ない。いきなりそんなこと言われて何て返せばいい?

嘘だとしたら俺は怒るべき? 叱るべき? 笑うべき?



「偉いお医者さんが言ったの。原因はわからないらしいけど、魔術のエネルギーを作る身体の中の部分が完全に破壊されちゃってるんだってさ。今の医学じゃ治らないんだ、って」



 徐々に頭の中が真っ白になっていく。菜々璃がもう魔術を使えない? そんなの悪い冗談に決まっている。誰よりも魔術を愛して努力していた菜々璃が?



「困ったなぁ~、私魔術しか……取り柄なかったのに……」



 菜々璃の頬を一滴の涙が伝う。それを皮切りに次々に頬を涙が伝っていき、重力に従った涙は掛け布団を濡らす。



「ぐずっ……私、どうしたらいいのかなぁ~?」



 ゆっくりこっちを向いた菜々璃の顔を見て、俺の心は鎖できつくきつく締め付けられるような感覚に囚われた。

 笑い泣き、というのか。顔では必死で笑顔を作っているのに無意識に涙が溢れ出てしまう、という感じだった。


 菜々璃の銃術、剣術の成績は共に最悪だ。しかし魔術においては非常に優秀な成績を持っている生徒でもだった。世界に数人しか使うことの出来ない召喚魔術もあり、菜々璃の“広域高威力爆発魔術”は将来を期待されたものだったのだ。

 魔術において妥協を許さず、日々訓練や勉学に励んでいたのも皆が知っている。

俺たちが編入する国公立鷹爪総合学園の学園国家推薦を菜々璃が取れたのも、魔術の優秀な成績によるものが大きい。

 そんな唯一無二の宝物を奪われてしまった菜々璃。どんな気持ちなのだろう。容易になんて想像出来ない。俺に出来るわけがなかった。


 あの黒い筋、あれが原因に違いない。


 俺が、俺があの時狙われていれば……。俺が魔術を使えなくなったって、何も困りはしないのに。何故俺じゃないんだ。あの女は何故俺を狙わなかったんだ。



「ごめん、菜々璃。ごめんな」



 ようやく出た言葉は、謝罪だった。俺にはそのくらいの言葉しか口に出来なかった。

 あの時、俺がしっかり菜々璃を庇えていればこんなことにはならなかったはずだ。菜々璃の宝物を、努力の結晶を失わせることにはならなかったはずだ。後悔の念が心を蝕む。



「お前の敵は必ず俺が取る。約束する。俺はあの女に復讐する」



 菜々璃の潤んだ瞳を見据え、悲しみに震える小さな手を握り、俺は深く誓った。

 


 必ずあの女に敵を取る。

 



   たとえ人生全てを投げ打ったとしても。



 

      たとえ自身の命を失うことになったとしても。



 

        たとえ敵が強くて敵わないと思い知らされても諦めない。




           俺があげられる全てのものを、菜々璃に捧げようと決めた。




 

               これはそんな不甲斐ない俺と、幼馴染の菜々璃との一蓮托生な物語――


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