顔だけSSRと笑われた子爵令嬢、家出した王太子を連れ戻すためにNランク冒険者から始めたら、二十日でギルドの頂点に立ちました
王太子アルベルト殿下が家出した。
置き手紙には、顔だけの婚約者には飽きた、俺は冒険者になって自由に生きる、と書いてあったそうだ。
そして責任を取らされたのは、なぜか置いていかれた私のほうだった。
「三十日以内に連れ戻しなさい。できなければオルヴェル子爵家は取り潰し、あなたは北の修道院です」
王妃殿下は扇の先で、私の顔を指した。
「そのお顔は何のためについているのです。殿下のお心ひとつ、つなぎ止められないで」
家出したのは殿下で、私ではない。けれど言い返したところで、修道院が遠のくわけでもない。私は黙って頭を下げた。扇の先が、まだ目の前で揺れていた。
この国には、王位を継ぐ者が三十日王都を離れれば継承権を失う、という古い法がある。陛下は隣国へ外遊中で、ひと月は戻らない。殿下が戻らなければ、次の王太子は側妃さまの生んだ第二王子になる。かといって兵を出せば、王太子の家出が国じゅうに知れ渡る。だから王妃殿下は、婚約者ひとりに押しつけることにしたのだ。
私は、この先の筋書きを知っている。
前世で遊んでいたスマホの乙女ゲームと、ここまでの出来事がそっくりだからだ。ゲームの私は、殿下の家出の責任を負わされて修道院へ送られる脇役だった。台詞は三つ。立ち絵の説明は、王太子の美しい婚約者、の一行だけ。ファンがつけたあだ名は、顔だけSSRだった。
実際、この顔のせいでろくなことがなかった。
子爵家の娘では釣り合わないと反対されたのに、顔が好みだという殿下のひと言で婚約者にされた。婚約して三年、殿下と交わした会話の半分は私の髪型の話で、残りの半分は、隣に立つときは黙って笑っていろ、という注意だった。
五歳から数えて、攫われかけたことが十七回ある。助けを待っても誰も来なかったから、毎回自分でどうにかした。人さらいの腕をひねり、馬車の扉を蹴破り、最後のほうは騎士崩れを素手で沈めていた。おかげで私は、国でいちばん顔がいいと噂される令嬢で、たぶん、いちばん拳の重い令嬢になった。
不思議なことに、私を攫おうとした家は、そのあと必ず没落した。悪いことはするものではないと、私は思っていた。
その晩、父に王妃殿下の命令を伝えた。
父は書類から顔を上げずに、そうか、と言った。それで終わりだった。
十二回目に攫われかけて、ドレスを破いて帰った夜も、父は同じ顔で同じことを言った。夜会には来ない。誕生日に顔を合わせても、きれいになったとは一度も言わない。屋敷にいるあいだは、ずっと書斎で紙をめくっている。娘に興味がないのだと、とうに諦めていた。
夜更けに、厩のほうで馬のいななきを聞いた気がした。
冒険者ギルドは、王家の命令でも動かない。所属する者の素性と居場所は、外には決して明かさない決まりだ。内部でも、ほかの冒険者を照会できるのはSRランク以上だけ。乙女ゲームのおまけについていたミニゲームの名残で、この世界のギルドランクは、ガチャのレア度と同じN、R、SR、SSRの四段階になっている。
NからSRまで、普通は五年かかる。
王妃殿下の命令は、最初から無理難題だった。それでもやるしかない。修道院の朝は四時に始まると聞いている。
ギルドの扉を開けると、受付の女性がペンを止めた。奥の酒場から口笛が飛んだ。
「お嬢さまの社会見学かい」
「その顔なら、魔物のほうから寄ってくるさ」
またか、と思った。この顔は、どこへ行っても私より先に部屋へ入る。
いったん外に出て、隣の武具屋でいちばん安い鉄兜を買った。頭からかぶると、視界は細いすき間だけになった。息がこもって、鉄の匂いがする。それなのに、驚くほど楽だった。誰の目も、私の顔に吸い寄せられない。
ゲームでは、昇格試験で試験官に勝つと、決まった数の依頼をこなさなくても上のランクへ上がれた。受付で聞くと、この世界でも同じだった。
試験官は、Rランクの大男だった。
「嬢ちゃん、兜の中で泣くなよ」
一歩で懐に入り、顎を下から打ち上げた。大男は天井を見上げたまま、ゆっくり後ろへ倒れた。酒場の口笛は、それきり聞こえなくなった。
目を覚ますと、大男は私の前で膝をついた。
「ガルドだ。姐さんと呼ばせてくれ」
呼ばなくていいと言ったのに、その日からガルドは私の後ろをついて回るようになった。
そこからは早かった。
街道にワイバーンが巣を作ったと聞けば、ひとりで出かけて、尾をつかんで地面に叩きつけた。首を持ち帰ると、受付の女性は書類を二回書き損じた。
ワイバーン狩りの帰り道では、ゴブリンに囲まれていた駆け出しの子たちを拾った。足をくじいた一人を背負って戻った翌日から、ギルドの隅で私を待つ顔が増えた。薬草の見分け方を教えてくれと言う。教えると、次の日にはもっと増えていた。
姐さんと呼ぶのは、いつの間にかガルドだけではなくなった。酒場の親父は、兜のままでも飲めるようにと、私の杯にだけストローを挿してくれる。受付の女性は、手ごわい依頼を取り分けておいてくれる。最初の日に口笛を吹いた男は、昼飯をおごらせてくれと言って聞かなかった。
兜をかぶっていると、誰も私の顔の話をしない。代わりに、兜の姐さんがまた何か狩ってきた、という話をする。夜会で値踏みされていた時間に比べれば、魔物の相手など気楽なものだった。
登録から十八日目、私はSRになった。ギルドの記録で最短だという。
その足で照会を申し込んだ。この二十日に登録した、育ちのよさそうな若い男。探すと一人だけだった。受付の女性が、紙を読み上げた。
「登録名アル。ランクN。所属は、王都の外にある西の森の支部です。依頼の失敗、十九回。酒場のツケ、金貨三枚。現在、角ウサギ駆除を受注中です」
それから、気の毒そうに付け足した。
「その依頼、ドラゴンの目撃情報が出て、報酬が倍になってるんです。Nの方は、たいてい理由が分かってなくて」
ゲームの殿下は、家出先のギルドでヒロインと出会い、二人でSSRまで駆け上がる。けれど、この世界のヒロインは、今ごろ隣国へ留学している。
隣に誰もいない殿下は、十九回失敗して、まだNだった。
西の森に入ると、すぐに悲鳴が聞こえた。
殿下は、角ウサギ三匹に追い回されていた。泥だらけで、上等だったはずの外套はつぎはぎになり、自慢の金髪は茶色に染めてある。剣は鞘ごとどこかに落としたらしい。
「来るな! 俺を誰だと思っている!」
言い終わる前に、森が暗くなった。
頭の上を、屋敷ほどもある影が横切った。角ウサギたちが散り散りに逃げていく。取り残された殿下は腰を抜かして、尻で後ずさった。
ドラゴンが、木をへし折りながら降りてきた。
ゲームでは、ヒロインがSSRのカードを三枚重ねて、やっと倒せる相手だった。私にカードはない。あるのは、十七回ぶんの場数だけだ。
ドラゴンが口を開いた。喉の奥が赤く光る。私は地面を蹴って、その下顎へ跳んだ。
拳に返ってきた手応えは、騎士崩れの顎を打ったときと、たいして変わらなかった。
長い首が真上へ跳ね上がり、巨体が木を三本なぎ倒して、横ざまに崩れた。それきり、動かなかった。
振り向くと、殿下が膝立ちで私を見上げていた。目が潤んでいる。
「なんという強さだ。頼む、名を教えてくれ。君のような人を、俺はずっと探していた。どうか、俺の妃に」
顔しか見なかった人が、顔も見ないで求婚している。
私は兜の留め金を外した。汗で張りついた髪をかき上げると、殿下の口が、妃に、の形のまま固まった。
「……リゼット?」
「顔だけの婚約者には、飽きたのではありませんでしたか」
殿下の顔から、音がしそうな勢いで血の気が引いていった。
「ち、違う、あれは言葉のあやで」
「王妃殿下のご命令です。三十日以内に連れ戻せと」
腰の縄をほどくと、茂みからガルドが出てきた。待ちくたびれた顔をしていた。
二十日目の朝、私は縛った殿下を連れて、謁見の間に入った。殿下はガルドの肩に担がれていた。
王妃殿下は息子の姿を見るなり立ち上がり、それから私を見て、扇を握りしめた。
「なんということを。王太子を縄で縛るなど不敬にもほどがあります。殿下の婚約者ともあろう者が、冒険者の真似事をして、兜で顔を隠して、なんとはしたない」
「連れ戻せとおっしゃったのは、王妃殿下です」
「お黙りなさい。子爵家は取り潰し、あなたは修道院へ。殿下には、もっとふさわしい家の娘を」
縄の中から、殿下まで口を挟んだ。
「母上、待ってください。こいつ、顔だけはいいんです。側室としてなら置いてやっても」
ガルドが黙って殿下を床に下ろした。少し強めに。
そのとき、謁見の間の扉が開いた。
入ってきたのは、旅の埃をかぶった父だった。その後ろに、隣国にいるはずの国王陛下が立っていた。
王妃殿下の顔から、森で見た殿下とそっくり同じ速さで血の気が引いていった。親子なのだな、と妙なところで感心した。
「王妃。余の留守に、ずいぶん勝手な命令を出したものだな」
王妃殿下の扇が、床に落ちた。
陛下は、縄に巻かれたままの殿下を見下ろした。
「務めを捨てて城を出たのは、そなた自身だ。戻ったかどうかで、その事実は消えぬ。王太子の位は第二王子に移す。冒険者として自由に生きたいのだったな。望みどおりにせよ。Nランクから励むがいい」
殿下は口を開けたまま、何も言えなかった。ガルドがその肩を叩いて、小声で言った。
「角ウサギなら、俺が教えてやるよ」
陛下は眉ひとつ動かさずに続けた。
「王妃は離宮にて謹慎。婚約はアルベルトの過失により破棄とし、オルヴェル子爵家には相応の償いをする」
陛下はそこで私に目を向け、少しだけ笑った。
「ドラゴンを素手で倒した令嬢がいると、帰り道で噂を聞いた。まさか本当だったとはな」
城を出ると、父は黙って隣を歩いた。
「隣国まで、行っていらしたのですか」
「片道九日かかった」
あの夜のいななきは、父の馬だったのだ。
思い返せば、攫われかけた翌朝には、いつも屋敷の門番がひとり増えていた。誰が雇っているのか、考えたこともなかった。
「お父さまは、そうか、としかおっしゃらなかったから。私のことなんて、どうでもいいのだと思っていました」
父はしばらく歩いてから、前を向いたまま言った。
「お前の顔を一度も褒めなかったのはな。お前の顔の話しかしない連中と、同じになりたくなかったからだ」
石畳に、二人ぶんの足音が続いた。
父は、ついでのように付け足した。
「十七回、お前を攫おうとした家には、全部、責任を取らせてきた」
没落した家の名前が、頭の中に一列に並んだ。罰が当たっていたのではなかった。父が当てていたのだ。書斎でめくっていた紙の束が、急に違うものに見えた。
目の奥が熱くなって、兜をかぶろうかと思った。やめた。この人になら、顔を見られてもかまわない。
翌朝、私は兜を持たずにギルドへ行った。
扉の前で、少し足が止まった。この顔で入れば、また顔の話が始まるかもしれない。最初の日の口笛が、まだ耳の奥に残っていた。
扉を開けると、酒場が一瞬静まり、それからいつもの声が飛んできた。
「姐さん、おはようございます!」
「兜、どうしたんですか。割れたんですか」
駆け出しの子たちは、私の顔より手もとを見ていた。兜を探しているのだ。
酒場の親父は、私の杯にいつものストローを挿した。もういらないのに、抜く気にはなれなかった。受付の女性は、取り分けておいた依頼票をいつもの順に並べ、口笛の男は、今日こそ昼飯をおごらせてくれと言った。
話題は、ドラゴンの鱗の値段と、角ウサギの追い払い方だった。
SSRの証を受け取って振り向くと、酒場のカウンターの奥で、茶色い髪の新人が皿を洗っていた。所属は西の支部からこちらへ移され、ガルドが面倒を見ることになった。ツケの金貨三枚を返し終えるまでは、ここで皿洗いらしい。
私は、受付の女性が並べた中からSSRの依頼票を一枚選んで、差し出した。
顔ではなく、ランクを見て受理された。
それがこんなに気持ちのいいことだとは、知らなかった。




