8/8
エピローグ 勝者のいない盤
数か月後。湊は祖母の家で、近所の男の子にチェスを教えていた。
男の子は盤を眺めながら尋ねた。
「ねえ、チェスって、最後に勝つ人がいるんだよね?」
湊は少し考えた。
「そうだね。でも、勝つことだけが大切なわけじゃないよ」
「じゃあ、何が大切なの?」
湊は白と黒のキングを並べた。
「相手のことを知ろうとすることかな。どうしてその手を指したのか、何を守ろうとしているのか」
男の子は、よくわからないといった表情を浮かべつつ、対局を始めた。
駒が一つずつ動いていく。そこには呪いも、恐怖もない。ただ、二人が同じ時間を過ごしていた。
湊は窓の外を見た。庭の花が、風に揺れている。そのとき、どこからか声が聞こえた気がした。
『ありがとう』
湊は微笑んだ。
「どういたしまして」
その夜、湊はチェス盤を木箱にしまう。箱の底には、かつて三本の傷が刻まれていた場所があった。
しかし、傷は消えていた。
代わりに、小さな文字が一つだけ残されていた。
『FIN』終わり。
湊は箱を閉じた。百年以上続いた対局は、ようやく終わったのだ。
勝者はいない。敗者もいない。
ただ一人の魂が自由になり、もう一人の人間がその魂を忘れずに生きていく。
それが、この物語の最後の一手だった。




