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「案外、海岸から遠いんだな……」
しばらく海岸から歩いているが、まだリスガの故郷に辿り着かない。
俺は僅かに息を弾ませて歩いているが、
「そう?」
リスガはけろりと元気な様子だ。野生児並みの体力だな。
--ぐぅうううう!
その時、俺のお腹が鳴った。腕時計を確認すると、あれ? もう正午だ。
アルヴェルス王国からさほど時差はないはずなので、昼食時だ。
俺は足を止め、みんなに笑いかけた。疲労を誤魔化すように。
「なぁ、みんな。一旦、昼ご飯にしないか? 傍に川もあるし」
「えー!」
不満げな声を上げたのは、やっぱりリスガだ。
「早く村に帰りたいよぉ」
「本当にごめん。でも、俺はこのままだと天界行きになってしまう」
「え!」
慌てたリスガは、「な、なら、昼飯にしよう!」と急いで川辺に走って行った。
なぜ、そこまで急ぐのかよく分からなかったものの、俺たちも川辺に向かう。すると、さらさらと流れる小川を前に、リスガがズボンの裾をたくし上げ、素手で魚を捕まえていた。
ぴちぴちと活きのいい川魚だ。
「ラーシヴァルト! 焼いて食おう!」
「俺もやる」
「え?」
「それはリスガが食べてくれ。俺も自分で捕って食べる」
素潜りなんて楽しそうだ。
俺も靴を脱ぎ、ズボンの裾を上に三つ折りにする。袖をまくり上げ、川の流れにあえて逆らう不思議な川魚に目を付けた。
これなら。
ガシッと素早く川魚をサンドイッチする。逃げ惑う川魚を空高く持ち上げた。
「よっしゃ! 俺のだ!」
堂々と宣言したその時だ。どこからか凄まじい速度で鳥が飛んできた。
弾丸となった鳥が俺の手にぶつかる。
「いてっ!?」
落っこちそうになった川魚を、鳥はちゃっかりと口に咥え、どこかへと飛んでいってしまった。
「ちょ…っ、待てぇえええええ!」
俺の魚! 生まれて初めて捕った記念すべき川魚なのに!
バカバカしいことに鳥を追いかけていく俺に、イブキたちみんながぽかんとしていた。
「ラーシヴァルト!」
「殿下!?」
「何やってるんだよー、ドジ王子」
引き止めるみんなの声も気にせず、俺はただ目の前を飛ぶ鳥を追いかける。
が、敵は翼で自由自在に飛行できる鳥だ。あっという間に脇道を逸れて、森の向こう側へ行ってしまった。
でも、それで諦める俺じゃない。走って追いかけながら、魔法を構えた。
発動。--魔法『聖なる雷』。
島の上空に暗雲が立ちこめる。ゴロゴロと雷が鳴り始めた。
「落ちろぉぉぉぉ--!」
ドーンっと落雷が鳥に向かって落ちた。一瞬で焼き鳥と焼き魚に変化してしまった彼らが、ふらふらと森の茂みに落っこちていく。
俺は急いでそちらの方角へ走った。
「ふぅ。どうにか取り返せそうだな」
焼き鳥たちが落ちた周辺まで行った俺は、目を点にした。
「……え!? イブキ!?」
移動した先に、焼き鳥たちを手にしたイブキがなぜか立っていた。
イブキは呆れた顔だ。
「何もそこまで執着する必要はなかったろう。ほら」
「はは。そんなの俺の勝手だろ」
放り投げて寄越された焼き鳥たちを、俺は笑顔でどうにか下から受け取る。すごい重みだ。っていうか、熱い。よく素手で持っていたな、イブキ。
俺は布越しに焼き鳥たちを手に取りつつ、不思議そうな目を向けた。
「で? どうしてここに?」
「心配で追いかけてきた。悪いか?」
「悪くはないけど……レノスとリスガは?」
「川辺で待っている」
「そ、そう」
俺はうっかりぎこちない口調になってしまう。
思い出したからだ。あの後、イブキとは何も話していない。何を話せばいいんだろう。
実は実家のことに触れられたくないのか? いやまぁ、何かあったら里を追い出されたわけで、そりゃああんまり触れて欲しくはない、のか。
腑に落ちて納得したものの。
「……イブキ」
「なんだ?」
俺は焼き鳥たちを一旦木の葉の上に寄せてから、イブキと正面から向き合った。
プライバシー配慮に欠けることは重々承知で、聞く。
「里を追い出された理由。聞かせてくれないか?」
イブキは眉をぴくりと動かした。数拍置いてから剣呑な声で応える。
「……俺が話したいと思った時でよかったんじゃないのか?」
「そのつもりだった。でも、なんだか俺が思っている以上に……その、何か重い事実を一人で背負っているような気がして」
「……」
遠くで、川のせせらぎが聞こえる。でも、レノスとリスガが俺たちの後を追いかけてくる気配はない。俺たちを信じて待ってくれているんだろう。
俺はぐっと握り拳を作った。もう一度、頼み込む。
「話してほしい。俺たち、友達じゃないか」
「……違う」
「え?」
「友達などではない。俺が……お前みたいな優しい男の『友達』になれるはずがない」
「イブキ?」
意味が分からず、ただ声をかけると、イブキは苦しそうな表情で吐露した。
一言では言い表せないほどの、重い罪を。
「……俺は人を殺してしまったことがあるんだ」
「ひと、を……?」
木々の上でさえずする鳥の声が幾重にも聞こえる。その音が少しうるさくて、イブキのか細い声が聞き取りにくい。
「イブキ? ごめん、なんて」
「俺はお前が作る国に住まう資格がない。気を遣わせて……悪かった」
「イブキ!」
森の中へ消えていこうとするイブキの背中。俺は必死で追いかけた。でも、すぐに見えなくなってしまった。
どこに行ったんだ!
「イブキ!? どこだ!? っ、イブキ--ッッ!」
俺の叫び声が、虚しく森の中に響き渡った。
***
イブキが生まれ育った鬼族の里では、いくつかの掟があった。
一つ、勝手に里の敷地を出ぬこと。
一つ、無益な殺生はせぬこと。
そして--。
「なぜ、殺してしまったんだ! イブキ!」
「……」
父の泣き叫ぶ声を、イブキは半ば茫然自失状態で聞いていた。
なぜ、と言われても。
「……仕方ないだろ。アヤメを犯そうとしていたんだ、このクズは」
「っ!?」
息を呑む父。アヤメとは、イブキの一つ年下の妹だ。
今、イブキの足下に転がっている人間は、妹を性的に襲おうとしたのだ。だから、イブキが手を下し、妹の身を守った。
「だ、だが、何も殺めなくても……っ」
「手加減する余裕が無かった」
「……このバカ息子っ! ひ、人族を手にかけるなんて、一番やっちゃいけないことなんだぞ! 分かっているのか!」
「じゃあ、アヤメを見殺しにすればよかったのか!」
一喝すると、父親はぐっと言葉に詰まって、絶望したように顔を伏せた。
違う、そういうわけじゃない、と。
そんなことはイブキだって分かっている。だが、本当に仕方なかったのだ。殺すことでしか、本当に妹を守れなかったのだから。
「……出頭しよう。長老に」
ぽつりと呟く父の後ろに、イブキはおとなしくついていった。
どんな処罰が下るのかなんて分かり切っている。死刑だ。そうでなければ、この里の秩序を維持できないし、この里の平和を守れない。
けれど。
「すまんのぅ。イブキ」
長老は、なぜか泣きたそうな顔で謝った。
イブキは胡乱に思うほかなかった。なぜ、長が謝るんだ。罪を犯したのは所詮、俺なのに。
「お前を守ってやることができない。だが、お前はまだ子ども。外界の者には、処分したと嘘をつく。あとはもう里を出て、一人で生きていってほしい」
「!」
そんな。死刑にしてくれるんじゃないのか。
一人で生きていけって。迷惑な優しさでしかない。鬼族である俺が、どうやって一人で生きていけっていうんだよ。
イブキは言いたいことすべてを飲み込み、無言で頷いた。
それがイブキが里を出た経緯だ。
どこかで野垂れ死ぬはずだった。あの村が墓になるはずだったのに。
『イブキ。--俺と新しい国を作らないか?』
『え?』
『差別のない優しい国を作りたい。そのために力を貸してほしい』
ラーシヴァルトの優しい笑顔が、ずっと頭から離れない--。
「……所詮、俺の人生はここまでだ」
時は巻き戻り、現代。最果ての島。
イブキは森の中で、刀を抜いた。切っ先を腹部に突きつける。
--もう死のう。ここで。
里には決して帰れない。仮にこの島を出て行けたところで、飢え死にするのも目に見えている。
だったら。
「……」
震える手で、ぐっと刀の先端を腹部に突き刺そうとした時。
遠くから太陽のように眩しい男の声が耳に届いた。
「イブキ! やめろぉおおおお!」
「っ!」
横合いから押し倒され、イブキは相手の男と地面にもつれ合って転がった。
***




