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「ラーシヴァルトは旅人だと言っていたな」
「ああ、うん」
イブキの声に、現実に引き戻される。
岩板を挟んで向こう側にいるイブキは、控えめに柔らかく笑んだ。
「これからどこに行くんだ? カレシアか?」
「そうだよ。イブキは……ええと、行く当てがないんだよな?」
それはそうだろうと思う。少なくとも、アルヴェルス王国民ではない鬼族だ。もしかしたら、どこの国の戸籍も持たないのかもしれず、だとしたらどこの国にも入国すらできない。
イブキは、空元気で笑う。
「そこらの森で自活する。心配するな」
「……」
ぱちぱちと目の前の焚き火が爆ぜる。
俺は少し悩んだ。このまま、一人でカレシアに渡っていいものかと。
リスガの件を終えてからになるものの……イブキのことだって放っておけない。話せばこんなにも『普通』なのに、なぜ冷遇されなくてはいけないのか。
他の鬼族も、こんな理不尽で冷淡な世界でひっそりと生きているのだろうか。イブキがすべてを察しているように、一人で生きていくと宣言していることもまた、切なく思った。きっとここまで来る道中にも、民から石を投げられてきたんだろう。話さないだけで。
俯いていた俺は、力強く顔を上げた。目の前のイブキの顔を真剣に見つめる。
「イブキ。俺と一緒に来ないか?」
「え?」
きょとんとしているイブキに、俺は優しく笑いかける。
「一人よりも二人がいい。俺とどこか違う国に行こう。二人ならどうにかなるだろ」
そうだ。俺たち二人で力を合わせたら、どこでもやっていける。
その方がきっと楽しい生活にもなるはずだ。
でも、イブキは素っ気なく返した。顔を背けて。
「……一人で行け。俺が一緒ではお前の足を引っ張る」
「そんなことない! 大丈夫だって」
「気遣いだけ受け取っておく」
イブキは頷かず、ごろりとその場に寝そべった。
こんなにもいい奴なのに、なんでみんな差別するんだろう。なんだかますます放っておけない。
だけど、無理強いはダメだ。ひとまず俺も横になった。焚き火のすぐ前に。
「明日、また話そう。おやすみ。イブキ」
「おやすみ」
イブキも『おやすみ』というところにだけ返事を返した。
焚き火は燃やしたままだけど、朝までには消えているだろう。
夢を見た。俺の元護衛騎士……レノスの夢だ。
レノスは俺が十歳の頃に、俺の護衛騎士に抜擢された。当時の俺はやんちゃだったから、よくお忍びで下町に行っていたんだけど、一緒についてきてくれたっけ。
身分を伏せて仲良くなった仲間たちが言い争う姿を目撃し、俺は仲裁役として首を突っ込んだことがある。だけど、それで逆にうざいからと仲間外れにされてしまった。悔しいし、腹立たしかった。
『さすが、ラーシヴァルト殿下ですね』
『え?』
『わざわざ、ご友人の仲を取り持とうとされるなんて。なかなか、できることではありません』
その翌日、なぜか仲間たちが謝ってきた。仲間外れにしてごめんと。
話をよく聞いてみたら、レノスが誤解を解いてくれたようだった。
レノスはいつもこうだった。俺のことをよく理解してくれていて、それでいて俺の心に踏み込みすぎない。温かく見守ってくれる兄貴分。
「…っ……」
眠っている俺の眦から涙が流れ落ちる。レノス。どうして、俺を裏切ったんだ。
--本当は俺、嫌われていたのかな?
レノスの優しさに甘えすぎていたのかもしれない。わがままな王子だと内心では呆れていたのかもしれないな……。
そこで、俺は目が覚めた。目の前にあった焚き火の炎は小さく燻っている。うっすらと、もくもく白煙が立ちこめていた。
「なぜ、泣いているんだ」
「イブキ」
体を起こした俺は、虚を突かれた。イブキがもう起きていたからだ。地面にあぐらを掻いて座っている。刀は脇に置いて。
俺も視線をさ迷わせた。あっ、よかった。剣はちゃんとある。
俺は涙を手の甲で拭い、努めて笑った。
「実はさ、大好きだった兄貴分の夢を見て」
「お国から追放されたという件で、離ればなれになったのか?」
「裏切られた」
あっけらかんと答えると、イブキは目を軽く見開いた。
不思議だ。出会って二日目の相手に、こんな重い話をできるなんて。
それは俺の中では急激に距離を縮めた相手だからかもしれないし、あるいは、逆にまだよく知らない相手だからこそ、話しやすいのかもしれなかった。
「裏切られた? なぜ」
「さぁ……? よく分からない」
「腹立たしいことだ。己の弟分を切り捨てるなど」
「ありがとう。イブキ」
俺のために怒ってくれる人がいる。俺が悪いわけじゃなかったという気がして、心が楽になった。たとえ、本当は俺が悪かったのだとしても。
それとも……他に何か事情があったんだろうか。白豚宰相に脅されていたとか。
って、俺の希望的観測だな。はは……。
「それで、昨日の話だけど。リスガの件が終わったら、やっぱり俺と一緒に行こう」
「しつこい。俺は一人で自活すると言ったはずだ」
きっぱりと拒否される。俺はしょんぼりとした。
「……寂しくないか? それだと」
「お前には関係ないだろう」
「関係なくなんかない。俺たち、友達だろ?」
つい本心で言うと、イブキは虚を突かれた顔をしていた。
「……友達? 俺とお前が?」
「そうだよ。だって、せっかく縁あって知り合ったんだから。同い年みたいだし」
俺もイブキも十六歳。奇遇なことに。
俺にはお忍びで何人も仲間はいた。でもそれはただ楽しい時間を過ごすことが中心の、薄っぺらいものだった。だから、王都を去るときもわざわざ挨拶はやめておいた。
でも、イブキとはそれだけじゃない。つらい気持ちも、話すことができた。こういう相手を友達と言うんじゃないかと俺は思う。
「……」
「もう少し考えてみてくれないか? それでも嫌なら、俺も諦めるから」
我ながらしつこい自覚はある。でも、イブキをこのまま一人にしておきたくないし、俺だって……やっぱり友達と一緒にいたい。
「……分かった」
イブキはおずおずと頷いた。
イブキが答えを出すまでというのもあるが、リスガを待ってしばらくここにいようということになって、水筒の水を一口飲む。おいしい。乾いた喉に染み入るようだ。
つい、ぐびぐびと水を飲んでいると、足音が聞こえてきた。明らかに一人じゃない。十数人分はある。
俺もイブキもはっとして顔を上げ、お互いの顔を見つめあった。目配せし、お互いに得物を手に掴む。
嫌な汗が背中を流れた。もしかして、やっぱり村人たちか?
「おい。あんたら」
「昨日の……!」
厳めしい顔つきで顔を出したのは、年老いた老人だった。俺に親切なのか不親切なのか、忠告してきたらしい人。
老人の背後には、ぞろぞろと男性の村人たちがたくさんいる。木の棒や調理道具のお玉を持っていて、俺はぎょっとしてしまった。
こいつら、いざとなったら俺たちをボコる気か? 嘘だろ!?
「……なんですか。俺たちは何もしていないでしょう」
俺は努めて冷静に返答する。が、年老いた老人は嫌そうに顔をしかめた。
「勝手に空き家に住み着いておいて、ふてぶてしい」
俺は「あ」と思った。それはそうだった。といったって、非常事態だったのだし、大目に見てくれてもいいのでは。
甘ちゃんな考えかもしれないが、むっとする俺に、村人たちは少し詰め寄った。
「今すぐ出て行け」
「鬼族がいるなんて恐ろしい」
「鬼族を匿ったとあったら、俺たちが周りからきっと何か言われる」
口をついて出てくるのは、イブキを差別視することばかり。
俺はイラッとした。すべて、偏見じゃないか。イブキは、話していたらこんなにも『普通』なのに。




