2
「ヒヒーン!」
「!?」
どさっ。
ようやく栗毛馬が動きを止めたかと思うと、反動で俺は地面に投げ出された。
痛い。体のあちこちが。なんでこんな目に。
「ラ、ランラン……大丈夫か?」
よろめきながら立ち上がって、栗毛馬に声をかけると、小憎たらしいことに「なんのこと?」と首を傾げている。おい。暴走してる自覚がなかったのかよ。
「大丈夫ならいいけど……はぁ。ギルドに返すか」
運良く、村が目の前にある。手綱を引きながら、貸し馬ギルドがありそうな場所へ栗毛馬と一緒に歩く。
アルヴェルス王国の王都から西。荒れ地に存在するオアシスのような村だ。この村の中心に国境があり、国外へ抜ける最短ルートになる。
隣国カレシアは、国土の半数が荒れ地の国だ。飲料水や農作物を他国から輸入し、代わりに宝石や鉱物を輸出して成り立っている資源国になる。資源に乏しいアルヴェルス王国はよくお世話になっていた。
ひとまずカレシアに入ってから、今後の計画についてしっかり考えよう。
まだ見ぬ世界を回る生活が、今から楽しみだ。
村の端にある貸し馬ギルドに栗毛馬を返却した。短い間とはいえ、可愛くて憎めない馬だった。またな、ランラン。
そうして村の中心地へ向かおうとした時。
--ぐぅぅううう!
「!」
お腹が盛大に鳴った。空腹を自覚した途端、飲食が猛烈にしたくてたまらなくなった。そういえば、もうすぐ夜だ。どこかで夕食を食べよう。
「えっと、路銀は……、は!?」
俺は仰天した。背中に乗せていたお金の包みを確認しても、なぜか中身がない。
驚いてどういうことなのか焦っていると、通りすがりの村人が苦笑いで教えてくれた。
「その袋、底が破れてるよ。にいちゃん」
「マジで!?」
言われて見てみると、確かに袋の底に穴が……。
一体どこで落とした!?
拾いに行こうと思ったものの、よくよく考えたらここまでほぼ栗毛馬の爆走状態で移動してきた。中身なんてあちこちに散らばっているに決まっている。
--終わった。
俺はふらっとその場に倒れた。移動中に張り詰めていた緊張の糸がぷっつりと途切れたこともあって。
誰か救いの女神が俺の前に現れてくれないかな。……なんて。
「はぁ。バカバカしい」
自分の心の声を鼻で笑いながら、ゆっくりと立ち上がった。国境はもうすぐだ。王太子時代のツテを頼れば、食事くらいどうにかなるはずだ。
どさっ!
そこへ大きな音を立てて、誰か赤毛の青年が倒れていた。んん?
俺は苦笑いで声をかける。
「あんたも、路銀を無くしたのか? お互い災難だな」
「……」
返事はない。
勝手に俺と同じ状態だったと思い込んでいた俺だ。はっとして、慌てて赤毛の青年の傍まで駆け寄った。
「大丈夫か!? おい、しっかりしろ!」
揺さぶっても、瞳は閉じられたままだ。状態をもっと確認したくて顔を覗き込んだ時、気付いた。青年の頭部に二本のツノがあることを。
鬼族だ。圧倒的少数民族であり、……人々から恐れられ、差別されているとされる一族。
初めて間近で見た。立派なツノだな。確かに強そうでカッコイイ。
って、今はそれどころじゃない!
「すみません! 誰か、医者を呼んできてもらませんか!」
必死に叫ぶが、集まり始めてきた村人の一人が「……この村に医者はいない」とだけ素っ気なく返す。
俺は眉をひそめた。医者がいない? 本当に?
だけど、確かに小さな村だからありえなくもない……か?
「では、どなたか! 彼を一緒に介抱してもらえないでしょうか!」
「……断る」
冷たく返され、俺は驚いた。
「ど、どうしてですか」
「そいつのツノが見えんのか、君には」
「鬼族なのは分かります。でも、それとこれとは関係ないでしょう」
鬼族だからって見捨てていいわけがない。困った時はお互い様のはずだろう。
俺がきっぱりと断言したからか、年老いた村人は僅かにたじろいだ。
「わ、儂が間違っていると言いたいのか」
「そうです」
「ふ、ふん。バカバカしい。忠告してやったというのに」
年老いた村人は悔しそうな、しかしどこか呆れた顔で、こちらに背を向けた。彼が杖をついて立ち去っていくと、他の村人もあっという間に解散してしまった。
「え……ちょ、ちょっと!」
俺は呆然とする。引き止めても、誰も返事をしないし、振り向きもしない。
どうしてこんなに冷たいんだ。俺が路銀を無くした理由を苦笑いで指摘してくれた村人さえも、俺と目を合わせずにそそくさといなくなってしまう。
鬼族だから?
種族が違う。たったそれだけのことで、人はこんなにも冷たくなれるのか。
こんなの、おかしい。絶対に間違ってる。
「く、そっ……どこで介抱したらいいんだ」
「空き家を教えてあげようか?」
頭上から幼い声が降ってきて、俺ははっとして顔を上げる。
そこにいたのは、黒毛の猫耳を持つ獣人族の少年だった。十代前半くらいか。
「君は……嫌がらないのか?」
「別に。僕は子どもだもん」
「子どもだから……? どうしてそうなる」
「だって、僕の周りの大人はみんな、鬼族差別なんてしてなかった。今、初めて知ったくらいだよ」
「……そうか。ありがとう」
ふっと柔らかく笑みをこぼすと、少年は顔をうっすら赤く染めた。
「な、なんだよ! からかってるのか?」
「からかってなんかいない。君みたいな子がいることが、鬼族たちの救いになるだろうなと思って」
「大袈裟すぎ」
「はは、どうだろうな。それで、空き家はどこにある?」
「あっち。案内するよ」
「頼む」
俺は赤毛の青年を肩に担ぐ。ずっしりとした重みがのしかかって、よろめいたけど、意地で踏ん張った。
少年が案内してくれた空き家は、村外れにあった。こじんまりとした平屋だ。といっても、岩を横堀りして作られた場所だった。
夜だからか、あるいは岩の中だからか。ひんやりして、少し肌寒い。
「よいしょっと」
肩に担いだ赤毛の青年を、岩板の上に横たえる。
彼の頬を軽く叩いて、意識があるか確認しようとした。だけど、その前に。
「ん…っ……」
赤毛の青年の双眸がゆるゆると開く。綺麗な翡翠色の瞳だ。
俺の青い瞳と目が合うと、ぎょっとしたように岩板からのけぞって転がり落ちた。
「おい! 大丈夫か!?」
怪我はないかと詰め寄ると、首元に刀の切っ先が突きつけられる。赤毛の青年が、腰に履いていた刀を抜いたのだ。
「っ!」
「誰だ。お前は」
警戒するような声音と表情で、赤毛の青年が言う。
俺はその場から逃げ出すことはしなかった。俺もまた、剣を所持しているからだ。
とはいえ、ここは穏便に話がしたい。宥めるように、至って平静に答えた。
「俺はラーシヴァルト。王都から出てきた旅人だ。君は?」
「……」
「お腹が空いてるんじゃないか? 今、何か食料を持ってくるから、待ってろ」
「いらん。色欲目的の男からの施しなど」
「は?」
俺はきょとんするほかなかった。しきよく目的の男?
しきよく。シキヨク。--色欲!?
「はぁ!?」
誰が色欲犯だ。俺にその手の趣味はないのに!
「そんなわけないだろ!」
「嘘をつけ。そうでもなければ、ひとをこんなところに連れ込まないだろう。変態め」
「だから違うって!」
とんでもない誤解だ。俺は断じて男色家じゃないし、そもそも俺はそんな卑劣なことをする人間じゃない。失礼にも程がある!
「誤解だ。俺は君が倒れているところを介抱して、ここに連れてきたんだ。な、リスガ!」
後ろにいるはずの少年リスガを振り向く。が、いない。あれ!?
「リ、リスガ! なぁ、一緒に誤解を解いてくれよ!」
「知らなーい」
「なっ!」
いつの間にか、リスガは平屋の外に出ていた。折り曲げた肘で頭の後ろに手を組み、どこかへ行ってしまおうとする。面倒事は勘弁して欲しいと言わんばかりだ。
俺は急いで後を追いかけた。すると、リスガも焦ったように走り始め、俺も走る速度を上げる。気付いたら、リスガと追いかけっこをしていた。
こんな、夕暮れ時に。




