20 ※
それから俺たちはカレシア港まで戻り、船舶していた俺たち船に乗り込んだ。再び一週間ほどかけ、孤島にあるライリーレ王国に帰還する。
「残念でしたね。シャルーラ様のこと」
気遣うように声をかけてきたのは、カザロだ。その目には、カレシア王国との接点が一つ消えてしまったという残念な色も見える。
考えは分からないでもないけど、俺ははっきりと返した。
「いいや。これでよかったんだよ」
きっと。
シャルーラが王女として一歩を踏み出せたのだから。あの様子なら、もしかしたらウシュベルーナとの婚約話も白紙になるんじゃないだろうか。
あるいは……ウシュベルーナのよき伴侶になる覚悟を決めるか。
いずれにせよ、やっぱり俺は彼女のことを好ましく思う。
「これでシャルーラ様を娶らずに済むのもありますしね」
「娶るって……言い方が古臭いし、どうなんだ」
「あ、すみません。つい」
さすが、六歳年上だ。時折、使用する言葉遣いが噛み合わない。
レノスはすぐに謝罪したけど、二十代半ばで宗教国家出身のカザロに至っては何がダメなのかよく分かっていなさそうだった。
娶るって、俺の解釈で……ちょっと、相手を物扱いしているような気がして。細かいことを気にしすぎなのかもしれないけど、苦手なんだ。
カザロにそう説明すると、「なるほど」と腑に落ちた様子だった。
「博識でいらっしゃいますね。ラーシヴァルト様は」
俺は肩を竦めた。
「双子の弟から聞いたんだ。昔」
「双子の弟君とおっしゃいますと……ウシュベルーナ陛下のことでしょうか? そういえば、シャルーラ様がお話ししていましたね」
「ああ。そうだ。ウーシュは……俺よりもずっと頭がよくて優秀だった」
マミバが言っていた言葉が事実だとしたら。二人は結託などしていなかった。
どうしてあの日、見送りに顔を出してくれなかったのか分からないものの……泣きたくなるくらい嬉しいし、安堵できた。
やっぱり大切な弟だから……嫌われていたくはない。たとえ、もう会うことがなくなったとしても。
「いずれ、外交でお会いできますよ。ラーシ様」
レノスが俺の胸中を察したように、優しく声をかけてくれる。
俺は小さく「うん」と頷いた。
今はまず、カレシア王国との取引を完遂するのが先決だ。小山の炭酸水を瓶詰めにし、カレシア王国に運ぶだけだ。そうすれば、報酬に応じた小麦や他の特産品を輸入できる。
「みんなでやっとパンを食べられるな」
レノスとカザロは優しく微笑んだ。
「はい」
「楽しみですね」
そうしてみんなと村に戻った俺は……びっくりした。なにせ、村の広場で俺たちを出迎える民たちの中に、弟王子のエリューハニスがいたからだ。見間違いか?
俺はぽかんとして、手荷物をどさっと地面に落とした。
「エリュー……? え、どうし……わっ!」
「ラーシ兄上っ!」
エリューハニスが即座に抱きついてくる。まだ成長期前の華奢な弟の体を、俺は慌てて受け止めた。
俺の胸元でペンダントが揺れる。アルヴェルス王国を発つ時、エリューハニスから預かったものだ。そういえば、再会を約束してたな、俺たち。
「ご無事でよかった……っ」
「はは。エリューも元気そうでよかったよ」
「はいっ」
俺はやんわりとエリューハニスを離そうとした。が、エリューハニスはまだまだ抱擁し足りないと言わんばかりで、ぎゅーっと抱きつく。
俺はやれやれと内心でだけ、優しいため息をついた。
「……それで本当にどうしてここに? よく俺の居場所が分かったな」
「ウーシュ兄上に言われてきたんです」
「そうか、ウーシュが……」
やっぱり優秀だな、ウーシュは。兄として誇らしく思うよ。
エリューハニスはやっと体を離した。でも、手は俺の手を握ったままだ。甘えん坊なんだよな、昔から。
と温かい兄心でいると、エリューハニスはぱっと顔を輝かせた。
「ところでラーシ兄上! どうぞお喜び下さい! マミバは文官をやめました」
え、と俺は目を瞬かせる。
「マミバが?」
「ウーシュ兄上が閑職に追いやったら、さっさと辞めて田舎に帰ったようです。これもお二人のご功績です」
俺は苦笑いするしかない。俺は追放されただけなんだけど。
でも、と思う。そうか。マミバはあれから閑職に追いやられていたのか。それでカレシア王国に乗り換えようと思ったんだな。なるほど。
「よく宰相位から引きずり下ろせたな。反発はなかったのか?」
「ありました。ですが、ウーシュ兄上を傀儡にしようとしたことをウーシュ兄上自身が気付いて……国賊だとして閑職に」
「そうか」
証拠を掴めていたのかは分からないが、強引な人事だったんだろう。そのくらい、マミバの失脚は大きな混乱を生む。と、俺は考えていた。
エリューハニスも、疲労の色が見える顔で息をつく。
「おかげで政務棟は大忙しですが……あんな奴、いなくなってせいせいしていますよ」
「はは。まぁ、気持ちは分かる」
と同意はできるけど、マミバは本当に優秀な宰相だったんだけどな。腹の底はどうあれ。
でも、国賊なんて野放しにしておくのは、当然ながら危険なことだ。ウシュベルーナの処罰は妥当なところだろう。
もし、マミバが過剰な野心を持たずにいたら。そうしたら、ちょっと腹黒くて有能な宰相として歴史書にも載っていただろうに。
もったいないことをした奴だ。……でも。
『持つ者に持たざる者の気持ちなど分かるはずがありませんね。はぁ。バカバカしい』
あいつの気持ちを、俺は確かに理解できるんだよ。本当は。
だって、俺も一度はすべてを失ったから。絶望までもしなかったのは、仲間がいてくれたおかげだ。
そのことが、あいつと俺の違いなんだろう。
「ですから、ラーシ兄上! 戻ってきていただけますよね?」
「え?」
はっとした俺は、目の前のキラキラと純粋無垢な青い瞳と目が合う。エリューハニスは心から信じて疑わない目だ。俺の帰還を。
「ラーシヴァルト……戻っちゃうの?」
遠くから心細そうに言うのは、リスガだった。今にも泣きたそうな顔をしている。
エリューハニスがここにいる間、どんなやりとりがあったのか知らない。でも、こんな不安な顔をさせるなんて。俺は保護者失格だ。
「行かないよな? だってここで国を作るんだろ? 俺たちと」
リスガの隣にいるダデラが不満そうな、でもどこか必死そうに訴える。
……アルヴェルス王国への帰還、か。
きっと、帰ったらまず家族がみんな喜んでくれるだろうな。あの時、見送りに出てくれた王立騎士たち、政務棟の配下、みんながみんなが温かく出迎えてくれるはずだ。
それはきっと、泣きたくなるくらいに嬉しいことなんだろう。
でも。
「……俺はアルヴェルス王国には戻らない」
「え!?」
「みんなとここで国を作る」
俺がきっぱりと宣言すると、民のみんなはほっとしたような顔をしていた。
さすがにこの重い空気の中でははしゃぐ奴はいなかったけど、エリューハニスが帰った後はまた祝杯を挙げることになりそうな、そんな喜ばしい表情だ。
俺は目の前のエリューハニスに視線を戻す。エリューハニスは……ショックを受けたような表情をしていた。小さく「みんな……?」と俺の言葉を口の中で繰り返す。
俺は心の中で頷く。そうだよ。俺にとっての『みんな』はもう、ライリーレ王国の民のことだ。エリューたちやアルヴェルス王国の民のことじゃない。
もう『アルヴェルス王太子』じゃなく、『ライリーレ国王』だから。俺は。
俺はエリューハニスからそっと手を離した。
「ごめんな。エリュー。せっかく迎えに来てくれたのに」
本当に申し訳なく思う。俺のことをこんなにも慕ってくれている家族の下に帰らないと告げなければならないなんて。
エリューハニスは……俯いてしまった。ぶつぶつと何かを呟いている。
「……嘘だ」
「え?」
「~~っ、嘘だ! ラーシ兄上がお戻りにならないなんて!」
「!?」
突然、エリューハニスが顔を上げ、癇癪を起こして怒鳴った。同時に彼の周りに無数の魔法陣が出現する。緑色の光……風魔法か!
「うわぁああああ!」
「わわっ」
いくつもの風刃が広場の中に乱れ咲く。
砂塵が宙に舞い、建物が次々と半壊していく。民のみんなはびっくりした顔でその場にしゃがみ込んでいた。
「エリュー! やめろ!」
俺は必死に叫んだけど、エリューハニスは頭を抱えたままだ。小さな子どもみたいに大声で喚く。
「こんな村があるから、ラーシ兄上が惑わされるんだ! うわぁあああ!」
「エリュー!」
風魔法が止まらない。荒れ狂う竜巻と化していく。
俺は冷や汗を流した。まずい。--今すぐ止めないと!
俺もすぐさま魔法を発動した。けれども。
「あ……っ!?」
ぷつん、とエリューハニスの声が途切れた。同時に風魔法もふわっと収まる。
いつの間にか、イブキがエリューハニスの背後に立っていた。イブキに手刀を打ち込まれたのか、気を失ったエリューハニスはその場に崩れ落ちていく。
「困った弟君だな」
「イブキ……!」
俺はほっとした。さすがはイブキだ。並外れた動きだったのか、全然見えなかったな。
俺は二人の下へゆっくりと歩いて近付いた。
「ありがとう、助かった」
「当然のことだ。俺はお前からこの島の守護を一任されている」
「ああ。そうだな」
俺はふと足を止め、リスガたちのことを振り返った。エリューハニスのことも気がかりだけど、まずは民のみんなの心配をするのが先だった。
「みんな、驚かせてごめん! 大丈夫か?」
「う、うん……」
かろうじて、ダデラが返事をする。ダデラはリスガの上に覆い被さって瓦礫から身を守ってやっていた。
大人のみんなもまた、恐怖で震え合っている。申し訳ないことをしてしまった。俺のせいで。
「ひ、ひとまず広場に集まって……、!?」
ドォォオオオオン!
その時、どこからか大きな砲撃音が轟いた。地面が小刻みに大きく揺れる。次から次へとなんだ!?
立ったままでいた俺は、ふらっとよろめいた。
「ラーシ様!」
レノスが背後からがしっと支えてくれた。一方、隣にいるカザロが険しい顔をして「なんの音だ」と呟く。
俺はレノスにお礼を言うのも忘れ、怪訝な顔で再び立ち上がった。
「今の音、海岸からだったな。……って、イブキ!?」
「先に向かう」
エリューハニスを捨て置いたイブキが、即座に駆け出した。
俺も慌てて追いかける。リスガたちに「ここで待っていてほしい」と伝えてから。カザロも俺の指示通りその場に残った。
嫌な予感がする。まさか……本当にサーシェ王国がやってきたんじゃ?
「イブキ!」
先を走るイブキとの距離が、ぐんぐんと広まる。ちょっと、おい。速すぎるよ。どんな身体能力をしているんだ。
鬼族の運動能力ってズバ抜けてるよな。それとも、イブキだけか? まだ何か技でも隠し持っていたりして。
俺が名前を呼んだら、イブキはちらりと俺を振り返った。でも、俺にはレノスがついているからか、構わずに突っ走っていってしまう。
「必死ですね。彼」
俺の斜め後ろを走るレノスが、どこか意外そうに呟く。
「当たり前だろ。ここは俺たちの国なんだから」
俺が息を切らしながらあっけらかんと応えると、レノスは虚を突かれた顔をしていた。
「俺『たち』?」
「俺たちは俺たち、だ。ライリーレ王国の民全員だよ」
「……敵いませんね、ラーシ様には」
レノスはふっと笑みを浮かべる。でもその表情には、多分的外れな答えだろうという考えがありありと見えた。なにがだ。
「レノス? なんだよ、はっきり言えよ」
「そういうことではないと思うだけです。……ああ、そうか」
「なんだ?」
「いえ。確かにイブキはきっと、守りたいのだろうと思って。この『居場所』を」
なんだそれ。改めて言うことか?
この国を、この居場所を守りたいと思うのなんて、みんな当たり前のことだろ。
「レノスは違うのか?」
「……」
「おい」
「……いえ。違いません。ただ」
レノスは苦笑した。己の考えの甘さに恥じ入るように。
「俺の頭にはどこか、アルヴェルス王国に帰れるからという考えがあった。ラーシ様と。すみません」
「ふぅん。俺は戻らないけど?」
「先程、そうお聞きしました。そうですね……俺も腹をくくります」
レノスは、強引に背後から俺の腕を引っ張り、俺を横抱きにした。お姫様抱っこというやつだ。ええ!?
「ちょっ、おい、レノス!」
「飛ばします」
本気を出したレノスの足の速度で、俺たちは海岸に急いだ。




