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「ふぅ。これで準備はいいか」
軽い旅装姿に着替え、着替え等を詰めたリュックを肩に背負う。路銀も忘れない。
俺は質素な自分の部屋をぐるりと見回した。十六年間……お世話になった部屋だ。
まさか、離れる日がくるなんてな。
「……」
俺はそっと目を伏せた。
思うところはある。だけど、必死に見て見ぬふりをして部屋を出た。
こそっと宮殿を出ると、もう夕方だ。アルヴェルス王城の方を通って、王都を出ようとしていると、なんと弟王子のエリューハニスの姿があった。
「ラーシ兄上…っ……!」
「エリュー」
「どうか、お元気で……」
はらはらと涙をこぼす一つ年下の末っ子王子は、どうやら俺を見送りにきてくれたらしい。
俺は驚いた。マミバの奴は弟たちには秘密にするって言っていたのに……あれ?
「聞いたのか? 俺が流罪になること」
「はい……っ、レノスから」
「……」
俺は苛立ちに眉をひそめる。レノス。一体、なんなんだ。
ひとを裏切るわ、弟に話してしまうわ。弟には心配をかけたくなかったのに……腹立たしい。何がしたいのかよく分からない。
「……俺が悪いんだ。だから、軽蔑してくれていい」
「嘘だっ! ラーシ兄上はそのようなことをする人じゃありません! 僕は絶対に信じないっ!」
「エリュー……」
胸がじぃんと熱くなった。俺のことを信じてくれる弟が本当に愛おしい。
エリューハニスは昔からこうだった。俺のことを尊敬の眼差しで見上げて、俺の後ろをいつもついてくる。時に盲信するところもあったけど、可愛い弟だ。
この子の兄でよかった。
俺は、エリューハニスから手を離して立った。傍に他に誰もいないことを確認する。
「そういえば、ウーシュは?」
「ウーシュ兄上でしたら、執務室に立てこもっています」
「……そうか」
「お話したんですけどね! どうしてああも冷たいのか!」
ぷりぷりと怒るエリューハニスに、俺はぎこちなく苦笑いした。
「そんなことない。ウーシュはただ、不器用で誤解されるところがあるだけだ。これからもウーシュと仲良くしろよ」
「……はい」
俺に窘められて、しょんぼりとするエリューハニス。もう泣いていない。感情を爆発させたら、涙がどこかへ吹き飛んだみたいだ。多分。
俺はくるりと背を向けた。手をひらひらと左右に振る。
「じゃあ、またな」
「はい! ……あっ! ラーシ兄上!」
エリューハニスに呼び止められ、俺は足を止める。
エリューハニスが小走りで追いかけてきて、首に提げていたペンダントを自分で外した。珊瑚のような透き通るような赤い宝石が金細工にはめ込まれた、美しく高価なペンダントだ。
「ラーシ兄上。こちら、どうぞ」
俺は目を瞬かせる。
「これ、お気に入りのペンダントだろ? どうして急に」
「再会する時まで預けます」
エリューハニスは泣きたそうな笑顔で応えた。
俺は虚を突かれた。……再会する時まで。そうか、再会を信じたいのか。
俺がさっき世辞で「またな」と言ってしまったから。元気そうに振る舞っているのも、きっと俺に心配をかけたくないから……かもしれない。
「……俺は兄失格だな」
「え?」
「いや。分かった。ありがとう」
俺はペンダントをそっと受け取る。柔らかい笑みを返しながら。
「じゃあな。エリュー」
今度こそアルヴェルス王城前を発つ。早歩きで城下町へ向かいながら、考えるのは双子の弟王子のウシュベルーナのことだ。
ちょっと人見知りでおとなしいだけで、心優しい子だと思っていた。仲良くやっていたと信じていたのに。
--あの白豚宰相と実は結託していたのか?
そうでなければ、エリューハニスと一緒に見送りにきていたはずでは?
「……」
兄上、兄上、と人懐っこかった幼少期のウシュベルーナの姿を思い出す。
少しずつ距離を置かれていったように感じてはいたけど、それは兄離れしたのだろうとてっきり思い込んでいた。
だけど、それは違ったのか……?
俺は足を止め、そっと目を伏せた。王城を振り返って小さく呟く。
「ごめん。ウーシュ」
お前を信じ切れない俺を許してほしい。
裏切っていないと信じたいのに、状況がそれを許さない。でも、お前ならきっといい次期国王になるはずだとは信じている。
だから、王位はお前に譲る。
静かに顔を伏せたまま、とぼとぼと歩いていると。
「ラーシヴァルト殿下」
どこからか、小声で俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「?」
顔を上げ、右脇を見ると、王立騎士団本部がある。
そこには、なんと。
「みんな……!」
ずらりと王立騎士たちが整列して敬礼をとってくれていた。もちろん、王立騎士の全員ではない。いないのは、宰相側の者たちだろう。
全員でなくとも、俺にとっては十分励みになる見送りだった。
顔ぶれにレノスはいない。痛む胸を堪える。
ーーありがとう。みんな。
俺は目配せだけでお礼を伝え、颯爽と城下町に下りた。
馬を借りられる場所へ急ぎながら、俺は路銀が入った袋を見下ろす。
持ってこられた路銀は、金貨が百枚ほど。馬を使って路銀をケチれば、隣国のカレシアまで問題なく移動できる。
もう夕方だ。早く隣の村までには移動しないと。
「カレシアに出たら、どうするかな……」
呟きながら、俺はいそいそと歩く。
どこかでのんびりと暮らしたい。王太子という重責から解放されたんだ。もっと世界を見て回って、定住する国を探そうか。
どんな国なら、住み心地よく生きられるんだろう?
俺はもう平民同然だ。平民目線で生きやすい国……正直、あまり考えないでいた。だって所詮、俺は王族だから。
見本のような王太子。嫌みったらしく言われたとはいえ……俺のどこが王太子の見本像だったんだろう。
こんな無力で能力の低い王太子のどこが。
なんとも言えない気持ちでつらつらと考えていたら、王都の端にある貸し馬ギルドに到着した。金貨一枚で馬を一頭借り、さっさと外に出る。
「お釣りはいらない。あんたへのチップだ」
「あ、ありがとうございます!」
店主は嬉しそうににこにこ笑い、快く俺を送り出してくれた。元王太子だとは分からなかったみたいだ。まぁ、もう出で立ちは庶民と変わらないからか。
ほっとしたような、でもがっかりしたような気分で、俺は馬に乗る。ランランという名の栗毛の馬に跨がって、王都を発った。
城塞都市である王都だ。門の下を抜けてから、なんの建物もない荒れ地へと飛び出す。砂塵を巻き起こしながら、ひたすら荒廃した道を突き進んでいると、--ん!?
俺の視界に砂塵が映った。ざざっと舞う砂塵は、なんと栗毛馬の耳の中へ入っていく。
「ヒヒーン!」
「ちょっ、ま……うわぁあああああ!?」
栗毛馬は驚いたのか、暴走して勝手に突っ走り始めた。
焦った俺はどうにか手綱で制御しようとしたが、馬の扱いには実はさほど慣れていない。そのまま置き物のように座ったまま、運ばれていくしかなく。
--なんでこんなことに!?
幸先が悪いにもほどがある。
「止まってくれよ、ランラン--ッ!」
俺の叫び声が、夕日が沈んでいく荒野にこだました……。




