18 ※
それから、ヌルゴと細やかな契約条件を整える会議に参加した。
会議が終わる頃にはすっかり夕暮れになっており、ナヤフから「晩餐会を開くからこい」と笑顔で誘われた。
断る理由はなかった。
「旅装姿でちょっとカッコ悪いな……」
俺はあてがわれた迎賓室で身なりを整えながら、独りごちる。
同じ部屋にいるレノスとカザロは、困ったように苦笑した。さすがにそんなことはないとは言えない場だからだろう。
「大丈夫ですよ。新興国なんですから。堂々となさっては」
カザロがそう助言をくれたけど、「とはいえ、これから国益で何かお衣装を購入しなければいけませんね」とも付け加えた。その通りだ。
「炭酸水の商談、上手くまとまってよかったですね。お二人とも」
レノスが言うと、カザロは「ラーシヴァルト様の入れ知恵ですよ」と笑った。敬意と、そしてほんの少し年長者として情けなく思っていそうな顔で。
「あなたのこれからを期待しているんです。よろしくお願いしますね、カザロさん」
「! はい!」
声をかけると、カザロは背中を正して緊張した面持ちで頷く。
今でも十分、優秀な文官だと思っているけど。先が楽しみな宰相候補の男だ。
「それにしても」
俺は窓の外をふいと見やる。夕焼け空の下に続いているであろう、俺たちの国のことを思った。
「みんなは大丈夫かな? 何も問題が起こっていないといいけど」
「大丈夫でしょう。イブキさんたちだけでなく、ベニートもおりますし」
ベニートは、サーシェ王国では医者だったという。カザロは文官で、ベニートは医者。いわゆるパワーカップルというものだったらしい。
朗らかに笑うカザロに対し、レノスは沈黙している。多分、先日の件--サーシェ王国からの追っ手を、レノスも心配しているんだろう。
俺も……心配だな。
「失礼いたします。ご準備はできましたでしょうか?」
その時、迎賓室の扉が開いて、料理長らしき壮年男性が顔を出した。俺たちに向かって、恭しく一礼する。
「お初にお目にかかります。本日の晩餐会の料理長を担当した、ロッガです。みなさまをお呼びに参りました」
ロッガは扉を開けたまま、手で俺たちに部屋を出るよう促す。
「ささっ。どうぞ」
「「「ありがとうございます」」」
俺たち三人ともお礼を口にして廊下に出ると、ロッガが改めて一礼した。
「では、ご案内させていただきますね」
きびきびと歩き出すロッガ。その後ろに、俺たちはぞろぞろと続く。
カレシア王城はやっぱり広い。回廊が続く壁には、歴代国王の絵画が飾られているところはアルヴェルス王城と同じだけど。
回廊を抜け、食堂まで通された。天井から吊り下げられた豪華なシャンデリアに、カザロは「すごい……」と思わず呟いていた。
サーシェ王国には、ああも豪奢な家具はなかったのかな。
「ラーシヴァルト。レノス殿とカザロ殿も。さっ、どうぞ座ってくれ」
先にやってきて座っていたナヤフにも促されて、俺たちはそれぞれ席につく。細長いテーブルの端と端に、俺とナヤフは腰掛けている。
「では、料理を」
ナヤフが手を叩くと、どこからかメイドたちが現れた。様々な料理を持ってきて、俺たちの前まで運ぶ。
カレシア王都は海側だからか、魚介類の料理が中心だった。真っ赤なブイヤベースや黄色いパエリアなど、食欲がそそられる。
「ラーシヴァルト。すまなかったな。シャルーラのこと」
「……いえ」
「あやつ、ずっと昔からラーシヴァルト一筋だったものだから……。はぁ。マミバ殿が余計なことをしなければ、アルヴェルス王国で二人幸せになれたのにな」
「……」
何事も一緒に暮らしてみないと分からない部分はある。確かにもしかしたら、いざ結婚したら俺も好きになっていた可能性がなかったとは言い切れない。
今となっては……終わった話だけども。
「シャルーラはどこに?」
「後宮の自室にこもっている。近頃、塞ぎ込んでばかりいたから……ヌルゴの奴も、よかれと思って提案したんだろうがな」
「……すみません」
「ラーシヴァルトが謝ることではない。すべて、マミバ殿のせいだ」
マミバ。こんなところにも、不愉快な謀略の余波があるなんて。
ナヤフははっとする。
「ああ、すまん。せっかくの料理だ。思う存分、楽しんでくれ」
「はい」
晩餐会を終えた後。俺は一人、カレシア王城の中庭に足を向けた。
赤い薔薇やピンク色の薔薇が咲く庭園を見つめ、過去に思いを馳せる。
『いたっ』
『だいじょうぶかよ。シャルーラ』
小さい頃、薔薇を掴もうとして指先を怪我をしたシャルーラ。当時の俺は慌ててその可愛らしい手をとり、持っていたハンカチをちぎって応急処置した。
『危ないだろ。薔薇にはトゲがあるんだから』
『うー……そうなの? 知らなかった』
『お姫様が?』
『ふん、うるさいわね。王女がみなお花に詳しいとは思わないでちょうだい』
シャルーラはほっぺを膨らませ、ぷいっとそっぽ向く。とはいえ、ぼそぼそと呟いた。ほんのりと頬を赤く染めながら。
『ありがとう、ラーシヴァルト--』
「ラーシヴァルト……?」
背後から名前を呼ばれ、俺ははっとする。急いで振り返ると、そこには瞼を少し腫らしたシャルーラが立っていた。ドレスではなく、寝間着用のナイトドレスで。
「……シャルーラ」
俺はどんな顔をしたらいいのか分からず、咄嗟に顔を逸らしてしまった。が、とんでもなく最低なことだと我に返り、すぐに「あ、ご、ごめん」と謝る。
シャルーラは、くすりと笑った。
「本当に誠実ね。ラーシヴァルトは」
こつん、こつん、とブーツの音を響かせながら、シャルーラもまた庭園まで下りてきた。シャルーラもまた、色とりどりの薔薇が咲いている目の前の光景を、懐かしげに見つめる。
「懐かしいわね。昔、薔薇のトゲで怪我をした私を手当てしてくれたよね」
「そんなこともあったな」
「ふふ。あの時からなの。私が……ラーシヴァルトのことを好きになったのは」
一本の赤い薔薇を、シャルーラはどこか愛おしげに見つめている。大事な恋の記憶を温かい目で振り返っているように。
「ごめんな。シャルーラ。お前を選んでやれなくて」
「いいのよ。ラーシヴァルトからの気持ちがないことくらい、なんとなく分かっていたから。……でも、ラーシヴァルトのお嫁さんになりたかったなぁ」
シャルーラの横顔に、じんわりと涙が滲み浮かぶ。
でも、俺は何もしてやれなかった。慰める資格さえ、俺にはないような気がして。
「ふふ。ごめんね。しつこいわよね、私」
「いいや。気持ちはすごく……嬉しいし、ありがたいよ。こんな俺を好きになってくれるなんて。他にはいない」
「っ、じゃあどうして私じゃダメなの?」
「不誠実なことをしたくない。シャルーラには……誰よりも幸せになってほしい」
「!」
シャルーラはくしゃりと顔を歪めた。泣くかと身構えたものの、なぜかシャルーラは小さく笑った。
俺のことをどうしようもない男だとでも言うように。
「残酷だわ。そんなの」
「え? ご、ごめ……」
「もういい。大丈夫。あなたの気持ちはよく分かったわ。……だから、ね。最後に」
シャルーラは手の甲を、俺の前にふいと差し出した。一瞬、なんのことか分からなくて俺は困惑した。
「シャルーラ?」
「ダンスを踊ってほしいの。最後の思い出に」
「……」
俺は迷った末、頷いた。それでシャルーラの気持ちが少しでも軽くなるのなら。
俺はシャルーラの手をそっと取り、広いスペースがある場所までエスコートする。そこで片膝をつき、改めてシャルーラの手の甲に軽くキスをした。
「私と一曲踊っていただけますか?」
シャルーラは目に涙を潤ませ、破顔した。
「はい……っ」
月明かりが降り注ぐ敷地で、俺たちは一曲分のダンスを踊る。左右に揺れ、ある時はくるりとターンもした。
シャルーラのナイトドレスがふわりふわりと風に揺れる。
数ヶ月ぶりの社交ダンス。シャルーラとは何度も踊っているけど、不思議だ。いつもはこうも切なくならないのに。
って、そうか。もしかしたら……もうシャルーラとは会えなくなるかもしれないからか。
確かに『最後の思い出』だ。
「ありがとう。ラーシヴァルト」
あっという間にダンスを終え、俺たちは体を離した。
シャルーラはにこりと笑って俺を見上げる。
「いい思い出になった。わがままに付き合わせてごめんね」
「いや、大丈夫だよ」
俺は少しほっとした。すっかりいつものシャルーラに戻ってくれたような気がして。
「夜風のあたりすぎは体によくない。さっ、もどろ……シャルーラ?」
俺が余計な声をかけてしまったからか。シャルーラが俯き、なんと肩を震わせている。
え!? なんでだ。
ぐすぐすと泣きじゃくる声まで聞こえてきて、俺はその場に固まるしかなかった。
「シャ、シャルーラ?」
「……だ」
「え?」
「嫌だよぉぉ、ウシュベルーナ陛下にお嫁に行くなんて……っ」
顔を上げたシャルーラは手で涙を拭おうとしているけど、溢れる涙は止まらない。
俺はきゅっと胸が締め付けられるように痛んだ。
この世界、俺が知る国々では、王侯貴族の女性は政略結婚することが当たり前だ。もちろん、男性もそうだけど……少なくとも、男性側には選べるほどの権力があることが多い。
好きでもない相手に嫁ぐ。
それがどれほど精神的に苦痛なことか、俺はこれまで深く考えてこなかった。
どうすればいい。俺は……シャルーラになんと言ってあげられる、何をしてあげられる?
「……シャルーラ。冷静になって聞いてほしい」
「っ、なに?」
「俺たちの国の移民にならないか?」
「……え?」
シャルーラがライリーレ王国の民になってくれたら、少しは防波堤になれる。それにナヤフだって、泣くほど嫌がる妹を嫁がせたくはないはずだ。
「俺たちの国では……ここでのような生活はできない。それでもいいなら、俺たちの国にこい」
シャルーラは、ぷっくらとした桜色の唇を震わせる。
「じゃあ……ラーシヴァルトとずっと一緒にいられるの?」
「今のところ、シャルーラの気持ちには応えてあげられないけど。そうだ」
今のところ。綺麗な涙を流すシャルーラは、口の中でそう反芻する。
迷った様子は見られなかった。決然とした表情で、力強く顔を上げる。
「行く。一緒に」
「本当にそれでいいのか?」
「女に二言はないわ」
ふっと、シャルーラはやっと本当の笑顔を見せてくれた。心から嬉しそうだ。
「じゃあ早速、準備しに戻る。また明日!」
シャルーラはふわっとナイトドレスの裾を翻し、小走りで庭園を出て行った。
俺も迎賓室に戻ろうとした時。
「まったく……罪な御方ですね」
「レノス」
陰からこそっと現れたのは、苦笑いのレノスだ。いたのかよ。気付かなかった。
俺はむっと口を尖らせる。
「罪ってなんだよ。俺はただ提案しただけだ」
「そういうことではありません。はぁ。このままシャルーラ様がいらしたら、責任を取って娶った方がよろしいかもしれませんね」
「俺は気持ちがないのにそんなことはしない。だいたい、シャルーラにだってそう伝えた」
「それで果たしてナヤフ陛下たちが納得するでしょうか……」
「うっ」
それもそうか。大事な国の王女様を、小さすぎる新興国に預ける。それだけで……あっさりと納得するわけがないかも。
彼らもまた、シャルーラのことを大事に想うからこそ。
「ですが、悪い話ではないですね」
がさっと奥の茂みからやってきたのは、なんとカザロだ。いや、あんたもいたのか。
なんなんだ、こいつら。いたならいたで、さっさと出てこいよ。それとも、空気を読んだ末に出てきにくかったんだろうか。
「カザロさん。あんたまで」
「はは。素敵なダンスを拝見できて、楽しかったですよ」
「盗み目なんてひとが悪い」
「ご容赦を。声をかけようにも、どう話しかけたらいいのか分からなかったもので」
「まぁ……もういいけど」
やっぱり、空気を読みすぎた末の結果みたいだ。
俺はやれやれと息をつきつつ、カザロたちと合流する。庭園を出て、カレシア王城内にある迎賓室へ向かいながら、話を続けた。
「それでカザロさん。悪い話じゃないっていうのは?」
「シャルーラ様のご移住のことです。それだけでも、ここカレシア王国との繋がりができるなと思いまして。さすが、お見事です」
俺は肩を竦めた。
「それが目的で提案したわけじゃない。買いかぶりすぎだよ」
「分かっております。ラーシヴァルト様は、お優しい御方ですから」
「そんなことない。俺は……また、シャルーラを傷つけることになる。きっと」
カザロは少し困ったような、でも厳しい現実を口にした。
「恋愛とはそういうものですよ。想い想われることが理想ですが、常にそうとも限りません。片方が相手を好きになるまで時間がかかることもあります」
「そういえば、カザロさんもベニートさんからの猛アタックを受けて、恋に落ちたんでしたっけ」
以前、貝掘りの時にベニートから聞いた二人の馴れ初め話だ。カザロは文官で、ベニートは産業医をしていた。その縁で知り合い、ベニートが先に惚れたのだという。
それを知らされていなかったのか、カザロは苦笑いだ。
「ご存知でしたか」
「ベニートさんから聞いたんです。微笑ましい話でした」
「俺もぜひ聞いてみたいです」
と、口を挟んだのはレノスだ。レノス……人の色恋沙汰は好きだからな。そういう自分は全然その手の浮いた話を聞かないけども。
「大した馴れ初めではありませんよ」
カザロはなおも苦笑いで固辞した。
俺はふいと顔を上げる。シャルーラのこと、明日……俺からもナヤフたちに口添えしないといけない。今のところは結婚するつもりはない、とははっきり言わないと。
申し訳ないが、これだけは譲れない。愛のない結婚なんて反対だ。そんな理想論かもしれない考えを、ライリーレ王国でなら貫ける。小さな島国だし、俺が初代国王だから。
俺の両親は典型的な政略結婚で、穏やかな関係ではあるけど、確かに熱い何かはなかったように思いながら育った。
それが悪いことではないと思う。実際、俺たち三兄弟はのびのびと平和に育った。でも、俺は……いつか、本気の恋をしてみたい。それで結婚し、子を持ちたい。
本当にまだまだ先の『いつか』だけどな。




