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「!」

 俺ははっとして顔をそちらに向ける。すると、そこにはモノクルをかけた老人が厳めしい顔をして立っていた。

 宰相のヌルゴだ。

「『武闘覇王』。それがナヤフ陛下の正式な二つ名です。お見知りおきを」

「は、はい」

 気圧されてしまい、つい声が上擦ってしまう。

 切れ者オーラがすごい。ナヤフがなまじ武闘派であり、親しみやすい分、彼がカレシア王国の頭脳として機能しているらしいと聞く。

 俺は佇まいを正す。ぐっと力強く顔を上げ、ヌルゴと顔を突き合わせた。

「ライリーレ王国、ラーシヴァルトです。本日は折り入って頼み事がございまして、貴国に伺いました」

「ライリーレ王国?」

 不思議そうに口を挟んだのは、ナヤフだ。

「なんだ。まさか、新しく建国したのか?」

「はい」

「そうか! よかったな。どこが領土だ?」

「ここから西の孤島です」

「それはぜひ、行ってみたい。なぁ、シャルーラ」

 ナヤフは笑顔で妹に話しかけたけど、シャルーラは沈黙していた。おかしいな。この二人は普段、仲がいい兄妹なのに。

 シャルーラ……ふとした時に見せる表情が切なげだ。何かあったのか?

 あとでさりげなく話を聞いてみることにして、俺は再びヌルゴに視線を戻す。

「それで、俺たちの国は恵み豊かな土地なのですが、まだ小麦の栽培が進んでおらず……。代わりに天然産の炭酸水があります。ですから、こちらと貴国で所有する小麦を交換できないかと思いまして」

「ほう」

 ヌルゴは顎に蓄えた白髭を擦る。興味がありそうだ。やはり、富裕層に高く売って利益を多く出したいんだろう。

「悪い話ではございませんな。いいでしょう。無事、炭酸水のまま、こちらへ手配していただけたら、小麦をお譲りします」

 あっさりと商談がまとまって、俺は拍子抜けした。もっと何か要求されるなりするかと思っていたからだ。

 そしてそれは的外れの予想ではなかった。

「ただし、ラーシヴァルト様。あなた様が我が国に文官としてお仕えしてくださった場合にのみ限ります」

「?」

 思わず、素っ頓狂な声を出すのをかろうじて抑えた。

 なぜ、俺に仕官を望むんだろう。所詮、マミバとの政争に負けた男なのに。

 そんな疑問が顔に出ていたのかもしれない。ヌルゴは率直に続けた。

「あなた様の固有魔法。我が国にとっては非常に利用価値がある」

「!」

 俺は冷や汗を流しながら、口端を持ち上げた。--なるほど。

 俺は天候を操作する魔法を扱える。荒れ地が多いこの国からは喉から手が出る程の逸材だろう、魔術師としては。少なくとも。

「それに」

「なんでしょう」

「あなた様がこちらへいらしてくだされば、かつての忠臣たちを呼び寄せることも可能でしょう。悪くない話では?」

「……」

 俺がカレシア王国に仕官。

 そんなことはありえない。今となっては。そう断言できる。

 俺はみんなと理想の国を作ると決意しているから。

 それに、と思う。もし、王太子時代の忠臣を仮に呼び寄せたら、肝心のアルヴェルス王国の統治が危ぶまれてしまいかねない。

「……申し訳ございません。了承しかねます」

 ヌルゴは意外そうに片眉を上げた。

「おや。なぜですか」

「先程もお話した通り、俺はもうライリーレ王国の国王です。国を捨てるわけにはいきません」

「西の孤島という規模の領土でよろしいのですか?」

 俺はつい目尻に険を滲ませた。

「どういう意味です」

「我が国にいらしてくださった暁には、より広い領地を差し上げます。ああ、それから」

 ヌルゴはふと穏やかな表情になって、なぜかシャルーナを振り返った。

「シャルーナ殿下のことも奥方にどうでしょう」

「へ?」

「お二人は仲がよろしいと聞きます。どうぞ、連れ添われては」

「な、何をおっしゃっているのですか、ヌルゴ!」

 シャルーラが顔を真っ赤にして、眦をつり上げる。でも、その美しい顔立ちにある表情はまんざらでもなさそうだ。

「わ、わたくしは……その、ウシュベルーナ陛下に嫁ぐ予定なのでしょう?」

 え、と思った。ウシュベルーナに嫁入りする?

 言われてみたら、それもそうか。元々、俺たちの婚約話だって国同士の政略結婚。今のアルヴェルス国王はウシュベルーナなのだから、ウシュベルーナに嫁入りするのが当然だ。

 だけど、ヌルゴはあっけらかんと言った。

「そんなものは断ればよろしいのです。利は、こちらにある」

「で、でも……」

 シャルーラは窺うように俺を見つめた。どことなく、何かを期待しているような目で。

「ラーシヴァルトは嫌……よね?」

「それは……」

 俺は眉をハの字にするしかない。シャルーラのことは好きだ。でもそれは同じ人として、になる。

「……ごめん。シャルーラ」

「!」

 謝罪を口にすると、シャルーラの空色の目が傷ついた。ように見えた。

 顔を背け、さっと踵を返す。

「……っ、シャルーラ!」

 俺は咄嗟に呼び止めてしまったけど……それは相手をもっと傷つける行為かもしれないと気付いた。だって、俺は彼女の気持ちに応えられない。

 代わりにナヤフが急いで追いかけていった。ワンコたちも走って後をついていく。

「……」

 主のいない謁見の間に、気まずい沈黙が下りた。ヌルゴは余計なことをしてしまったと自省している様子だった。

「申し訳ございません。ラーシヴァルト様……いえ、陛下」

 俺ははっとして顔を上げた。

「認めていただけるのですか。俺たちの国を」

「ナヤフ陛下はお認めになった。ならば、一宰相に過ぎない私も認めるほかありません」

「……商談につきましては、やはり譲れませんか?」

「ええ。もちろん」

「……」

 俺は少し考え、あっさりと話を打ち切った。違う算段を思いついたからだ。

「分かりました。では、貴国との取引は諦めます」

 ヌルゴはモノクルの下の小さな目を見開いた。

「よろしいのですか? 小麦を欲していたのでは……」

「俺たちの土地で栽培できないわけではないですし、それに。--アルヴェルス王国に取引を持ちかけようかと思います」

「アルヴェルス王国に?」

「はい。--カザロ。詳しいご説明を」

 それまでずっと静かにいたカザロが「はい」と返答して、一歩前に出る。

 カザロはサーシェ王国において文官だったという。だから、今回の商談にも同行させた。いずれ、敏腕文官として活躍させることを考えている人材だ。

「我が国の天然産炭酸水につきましては、安売りするつもりは毛頭ありません」

 カザロはまず、毅然とそう言った。そして懐から透明な瓶を取り出す。炭酸水が入ったそれを、ヌルゴに差し出した。

「どうぞ。お味見を」

「……分かりました」

 ヌルゴはどこからか栓抜きを持ってこさせ、蓋を開けた。炭酸水のぱちぱちと弾ける音がする。

「では、一口ちょうだいします」

 ヌルゴがごくりと炭酸水を一口飲む。すぐに瓶を口元から離し、喉に手を当てていた。

「これは……! なかなか、炭酸が強いものですね」

 天然のものだとは信じられない、と小さく呟く。

 カザロは「そうでしょう」とにこりと笑った。いつぞやの挑戦的な笑みだ。ただの腰の低い優しい男だと思っていると、痛い目を見るタイプだ。

「こちらの天然産炭酸水、我々は専売で一国とだけ取引したいと思っております」

「専売で!?」

「はい」

 専売。要するにカザロの言葉の言うとおり、一国にしか売らないということだ。そう方針をとることで、お互いにウィンウィンの関係になると考えたのだ。

 ヌルゴは珍しく喉を震わせていた。なにせ、ここで商談を断ったら、少なくともカレシア王国ではこの天然産炭酸水が輸入できなくなるのだから。

 この世界の各地にも、炭酸水が湧き出る場所はある。しかしそれは当然ながらカレシア王国内にはない。

「なるべく、お安くしますよ」

 俺がにこりと口添えすると、ヌルゴは己の負けを認めた。参ったと言わんばかりにそっと息をつく。

「承知しました。では、そのように商談を進めていきましょうか」

 --勝った。

 俺とカザロは顔を見合わせ、にかっと笑い合う。作戦を練ってきた甲斐があった。

 あとは……シャルーラのことか。

 ナヤフが追いかけていったけど、大丈夫か? もっとも、俺には彼女のことを案じる資格も権利もないけども……。

 シャルーラのことに関しては、ヌルゴも心配そうだった。食えない爺さん宰相だけど、兄妹のことに心から忠誠を誓っているんだろうな。

 もちろん、そのためにナヤフもシャルーラも努力してのことだ。臣下から罠にはめられた俺とは大違いだと、苦笑いするしかない。

 その時だ。

「困ります! 陛下は今、謁見中です!」

 カレシア兵士の焦った声が響いた。彼の声を無視し、ずんずんと歩いてやってきたのは……ん!?

「マミバ!?」

 俺が咄嗟に名前を呼ぶと、白豚宰相ことマミバもまた、目を丸くしていた。なぜ、お前がここにいるんだと言わんばかりだ。カレシア以外に渡ったことを掴んでいたんだろう。

 マミバは短い足で立ち止まった。息が僅かに上がっている。少し走ったくらいで……もっと運動して体力をつけろと言ってやりたい。

 無論、余計なお世話であり、嫌みでもある。

「ラーシヴァルト様……なぜ、あなたがこちらに」

「そういうお前こそ」

 マミバはぐっと下唇を噛んだ。俺の顔を……いや、三兄弟一緒の青い瞳を見て、忌々しそうな顔をする。

「関係ありませんでしょう。私はただ、こちらの国の文官にキャリアアップする腹づもりのだけですよ」

「はぁ!?」

 俺は頭に血が上ってしまうかと思った。どういうことだ。人を蹴落としておいて、なぜアルヴェルス王国の宰相の地位をやめようとしているんだ。

 俺はつかつかとマミバに詰め寄った。

「ふざけるな! お前が有能だと信じていたから、俺は……」

 祖国のために、祖国を置いていったのに。

 もちろん、マミバのことだけを信じたわけではないけどもさ。

 目の前にやってきて怒号する俺の言葉尻を捉えたマミバは、なんだか不気味そうだ。なんだこの愚か者と言わんばかり。

「阿呆であらせられるのですか? 私があなたを追いやったのはすべて自分のためです。ウシュベルーナ陛下を陰から操り、全権を掌握したかったからです」

 俺は息を呑んだ。とんでもないクズだとようやく理解したからだ。

 俺は握り拳をぐっと作る。突き飛ばしてしまいそうになるのを、必死に理性で堪えた。

「……なぜ、そんなことを」

「はっ。生まれながらの王子様に私の気持ちは分かりますまい」

 マミバは鼻で笑う。

 マミバは……確か平民出身。末端の文官から宰相まで上り詰めたやり手だ。その政治的手腕を、俺も認めてはいた。

 でも。確かに……どんなに昇進しても、マミバが国王になれる日はこない。だからこその暴挙だったということらしかった。

「バカなことを……」

 思わず呟くと、マミバはむっとする。「さすが、『見本のような王太子』様ですな」とまたも俺に嫌みを口にする。

「持つ者に持たざる者の気持ちなど分かるはずがありませんね。はぁ。バカバカしい」

 会話を打ち切ろうとするマミバに、俺はなおも話を続ける。

「マミバ。じゃあ、お前はもうアルヴェルス王国を捨てるっていうのか」

「もちろん。ウシュベルーナ陛下が大誤算でしたので。まさか……ああも、力強い御方だったとは。私の計画は水の泡です」

「ウーシュが……?」

「ええ」

 マミバはいかにも小馬鹿にするように言う。

「あの金魚の糞みたいな冴えない王子が、まさかあなたの件でああも成長なさるとはね。三兄弟みな、仲のよろしいことだ」

「!」

 ウシュベルーナを侮っていたことも許しがたいが、今はそれよりもマミバの物言いに淡い希望を抱いてしまった。ウシュベルーナはこいつと結託していたわけじゃなかった、俺は嫌われていたわけじゃなかったのだと。

「まぁ、とにかく。私はもうあのバカバカしい苦船からは降ります。こちらの国で……」

「お断りいたします」

 毅然と口を挟んだのは、ヌルゴだ。これまでの会話を聞いていたのだから無理もない。

 俺だって呆れてしまう部分はあるくらいだからな。

「あなたのような浅慮なおバカ文官、我が国には必要ありません。陛下にお目通りをさせる必要すらない。--どうか、お引き取りを」

「……っ」

 ヌルゴに押されて、マミバは言葉に詰まる。お喋りが過ぎたな、マミバ。もしかして、ヌルゴがいたことに気付いていなかったんだろうか。

 なんにせよ、もう終わりだ。お前は。

「……失礼しました」

 マミバは悔しげな表情を浮かべ、くるりと踵を返した。さっさと立ち去ろうとしていくマミバに、俺も素っ気なく声をかける。軽蔑の目で。

「またどこかでな。マミバ」

 会うつもりはないし、会いたいとも思わないけども、マミバが仕官中はアルヴェルス王国が栄えていたことは確か。

 どんなに中身が最低な奴であろうと、有能な成り上がり宰相だった事実は消えない。

 それでも。

 俺の祖国を承認要求を満たす道具に使用したことだけは許さないからな。

「……ふん」

 マミバは忌々しく鼻を鳴らした。何も言わず、さっさと立ち去っていった。



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