六月七日午前 遊び仲間
「またってどういう…」
「ええ、この水月病、元は水無月症候群と呼ばれていたんですけど…この発症理由が子孫を繁栄させるという目的によるものらしいんですよ。まぁ仮説なんですけどね。六月がどうやら人の仮説的繁殖期にあたると言う説でしてね。『産み月』から転じて『みづき』、『すいげつ』、と呼ばれるようになったらしいんです」
「えっと…?」
「あ、少し長くなりましたね。水月って言葉はですね、幻って意味もあるんですよ。六月の間だけ幻の姿に変わってしまう、ということです。本当に、名付けのセンスだけは良いとは思いますよ。症状自体はなにも解明されていないというのに…」
「は、早い…よ」
今は9時。待ち合わせは確か…10時だったはず…だったよな?なのに玄関からはしつこいぐらいのインターホンの音が聞こえるのはなぜ?
「インターホンが目覚ましなんて最悪だ…」
今日は両親が朝から仕事だからあいつじゃなかったとしてもどの道出なくちゃ。
「はい、どなたですか?」
「よ、おはよう!」
ま、もちろんあいつだったわけなんだけどね。
「…なんか意外だなぁ…」
「なにがだよ?」
「いや、可愛いパジャマでも着て寝てるのかと思ってたもんで」
そんなわけあるか。今着てるのはグレーのスウェット。男の時に着てたのをそのまま使ってる。だからちょっとぶかい。いや、かなりぶかい。肩が首口からはみ出ちゃうぐらい。
「ま、それはそれでエロいから俺的にはありだけど」
「だまれ。で、なんでこんなに早く着てんの?時計も読めないバカなわけないよな?」
「あぁ…わくわくしちゃってつい…早く来ちまった」
わくわくって小学生かお前は?舌を出してみたりしても全然かわいくねえからやめてほしい。
「はぁ…とにかく見ての通りだな、俺は今起きたばっかりなんだよ」
「は?普通10時待ち合わせなら一時間前には起きるだろうが?」
「俺は30分前でいいんだよ」
「女とは思えないセリフだな」
「まぁ、男だし」
「寝癖とか恥ずかしくないのかよ」
「別に。見られたのはお前だから気にしない」
「それって喜んでいいのか?」
「バカにしてんだよ」
ほら…動物とかに裸見られたって気にしないだろ?あんな感覚。まぁ、さすがにこいつに裸は見せたくないけど。
「とりあえずお前はしばらく待ってろ。予定より早いけど優しい俺は準備するから」
「まさか、玄関にいろってのか?」
「家に入れるとでも?」
「いいだろ?待ってるだけなら。リビングくらいどうってことないだろうが」
「女の家にづかづか入りこむ気なのか?」
「こういう時だけ女になんなよ。ずるいぞ!」
ずるくて結構。どの道リビングだって汚いからあまり入れたくないし。かと言って俺の部屋なんかに入れたら着替えできないじゃんか。仕方ないことなんだよ、うん。
「たった30分だから我慢しろ」
「逆にたった30分で用意されるのもなんだかなあ」
「遊びに行くだけなんだから準備なんてかかんねえよ」
「…それもそうか。しゃあねえ、さっさと行けよ」
言われなくても。そうしますよ。
でもなんとなくむかついたから思いっきり玄関を閉めてやった。うわっていうあいつの驚く声が聞こえたから気味がよかった。
まずは…顔でも洗うかな。さすがに目やにが付いた顔を見られるのは嫌だし…つうかもう見られたかな?まぁ、そんな細かいとこみないだろ、うん。
もちろん歯もちゃんと磨く。朝ご飯はもう抜きにするけどちゃんと磨く。女だからって朝起きたばっかりの口が匂わないわけがない。これは公共マナーだ。それ以上でも以下でもない。
それにしても毎度のこと洗顔をするときは鬱になる。何でかって?鏡があるからだよ。鏡を見ると思うんだよね、本当に変わってしまったって…
身長は前より二回りは小さくなったんじゃないかな?で少しだけど胸も出てるし…何より幼さ溢れるこの顔つき。まるで人形みたいなんだよ。髪自体もともと長い方ではあったけど、女に間違えられるなんてことは一度もなかったし…
つまり、なにもかも変わっちゃうんだよ。そう思っちゃうから鬱になる。いや、違うな、怖いんだ。自分が帰らないような気がして。水月病、それが俺を変えたんだ。
「気分悪い。もうやめよう…」
少し高く感じる洗面台から離れ、俺は部屋に着替えに行くことにした。
「待たせたな」
「いや、そんな待ってないぞ?つうか早い!」
「人を待たせた時のマナーとして言ったんだ。甘んじて受けとめろ」
「まぁいいけど…なんだよその格好は?」
なにかおかしいだろうか?今の俺は薄手のパーカーにジーンズ。なんともシンプルな服装だけど。
「おかしいか?」
「いや、そりゃ女の子としても普通な服装だけど…せっかく女の子になってるのになんで男っぽい服装にするんだよ。つうかそれ普段着てるやつだろうが」
「おう、そうだ」
だからぶかぶかなんだよな。腕捲りしてないと手が出ないくらい。ジーンズもロールアップしてベルトで閉めてるからなんとか履ける。
「なんつうか、その姿で着るとビーボーイファッションみたいだな。いや、ビーガールっていうのが正しいのか?」
「ジーンズのウエストはかなり無理矢理で不恰好になっちまったけどな」
「俺、お前と一緒に歩いてて大丈夫だろうか?」
「なんで?」
「なんか恥ずい。つうかお前は恥ずかしいとか思わねえのか?はっきり言うと全体的に変だ!」
「失礼な!サイズ合う服ないから仕方ないだろ!」
「えっ?お前女の子用の服とか持ってねえの?」
「も、持ってるけど…」
確かに何着はある。女の子になってしまったからといって念のためにそろえてもらったものが。だけど、着たいわけがない。いや、着ないほうが一番良いんだ。
何回かは着たことがあるけど…だめだ、あれは本当に。だって気持ちが…本当はセーラー服だって着たくないけど、あれは規則だから止む終えないし。なるべく家では男物を着るようにしてるけど、それでも心許ない時があるし…
「どうした?難しい顔して?」
「いや、なんでもないよ。女の子の服はあるけど恥ずかしいんだようん。いいだろ?別に」
「…まぁ、無理矢理着ろとは言わないけど。ただ、女の子服姿のお前も見たかったなぁ…」
珍しいもの見たさだけで女の子の服なんか着てられるかよ。こっちは真剣に悩んでるのに。
「…セーラー服姿で我慢してろ」
「えっ?それってなに?誘ってんの?」
「どう聞いたらそう聞こえるんだよ。絶対に女の子の服なんか着ねえって意味だよ」
「あっそ。まぁ、なんでもいいや。今日の目的は遊ぶことだし。時間ももったいないからそろそろ行くか!」
「言われなくても」
つうか、なんだかんだで玄関前で時間潰しちゃったな。もしかして早く来てたのはこれを見越してだったのか?それを考えてたとしたら結構やるな!
「あ、そうだ。帽子帽子!」
キャップ装着。
「え?なんでそんなの被んの?さらにビーガールな雰囲気が増したんだけど」
「顔を隠すためだよ」
「なんで?」
「お前と一緒に歩いてるのがばれたら恥ずかしいからに決まってるだろ」
「…酷くないか?」
酷くて結構。
ええ、午後に続きます。