六月三十日 わがまま
ちょっと長いです
締めなので
「……わかりました。自分、それだけは見失いません」
「それでいいです。嫌と思ったら嫌、いいと思ったらいい。どちらの自分でも思った通りに判断してください」
「でも、それでも自分は男です。男の自分を一番に考えて行こうかなと思います。それにいざと言うときは……神様がなんとかしてくれると思います」
「そのぐらいでいいでしょう。未来は誰にも見えないんですから。あなたは、いつも通り、あなたとして生きていくだけです……退院手続きが終わったみたいです。そろそろいきましょうか」
「……ごめん、愛、怒ってる?」
「別に、怒ってないけど」
「でも、昨日から口聞いてくれてないじゃん……」
「陽君が何も言ってこないからだよ」
「逆に愛も何も言って来なかったじゃないか」
昨日、二人の話を聞いちゃった後、愛はずっとこんな調子だ。
あいつに関しては特になにも変わってなかったけど……いつもより優しかったのは気持ち悪かったな。
一日経てば少しは話しやすくなると思ってたのに、なんかまったく変わってない。
そりゃ悪かったけどさ。別に愛の話をしてたわけじゃないのに。いくらか本音が飛びかってたとは言え、メインはあいつの話だったじゃないか。
「……ねえ、愛。――うっ!」
「ん?」
ちょっと身体に違和感があった。軋むような、内側から攻められるような。去年にも感じた同じ感覚。女の子になるのとは別の激痛。
「ちょっと、陽君? 大丈夫? 顔色悪いよ?」
「や、やっとまともに口を聞いてくれた」
「あっ……いや、でも本当に大丈夫?」
「うん。どうせ本格的なのは夜にしか来ないから」
「それって、身体変化? 男に戻る時の……」
「うん、よくわからないんだけど、一日前に何回か痛みが走るんだ。すぐに収まるけどね」
こんなのはまだまし。夜は本当に地獄だから覚悟しないといけない。
なんたって身体がそっくりそのまま別人に変化するんだから。
「はぁ、こんな苦しんでる陽君になに対抗してるんだろ。ごめん、ちょっと、拗ねてただけだから」
「拗ねてたって、俺が悪いんだから仕方ないよ」
「違う違う。そうじゃなくて……昨日話を聞いてたんだよね。だったらわかると思うけど……橘君が羨ましかったんだ」
「でも、今は……」
「無理に慰めてくれなくていいよ。昨日見てわかったから。泣いてる陽君が……橘君のひとことですぐに落ち着いたの見たから。あ、やっぱりかなわないなって」
「愛……友達と恋人は種類が違うから、競うなんてことは――」
「あ、今……」
「え? なに?」
「……やっぱりそっか。いや、なんでもないよ」
俺、またおかしなこと言ったかな? あ、まだなってもないのに恋人なんて言ったからかな? ああ、そりゃイタイよね。
「でも、なんで泣いてたのかな?」
「うっ、それは……よくわかんない」
「本当はわかってるくせに」
「……」
「わかったよ、じゃあ二択ね」
「二択?」
「嬉し泣きだったか悲しくて泣いたか。どっちだったのかな?」
「それは……」
嘘を言ってもばれるよね。だったら正直に言おう。
「嬉し泣きだった、と思う」
「……ねえ、陽君。もういいんじゃないかな」
「なにが?」
「彼を許してあげても」
……今さらな話。許す許さないの問題じゃないんだって。だいたい前まで愛は許すなって言ってたのに。気が変わったのか?
「いいこと教えてあげる。どうせ今日彼からも聞くことになるかもしれないけど」
「なんだよ」
「この前、私の家には彼が来た。なんでだと思う?」
「それは……下着を借りに来た。身近に女の子の知り合いがいなかったからダメ元で愛を頼った……違う?」
「残念だけど、全部違うよ」
なぜか得意げな愛。まぁ、そういうとは思ってたけど。昨日聞いたことからじゃこう推測しか出来ないし。
でも、それじゃあなんで?
「そうだよね、わからないよね。意識的にそういう答えを避けてるから……簡潔に言わせてもらうと、陽君について、なんだよね」
「俺? それがメインだったのか? だけど……なんで?」
「……女の子になって、彼が一番心配になったことはなんだと思う?」
「……もったい振らないでよ。なんだって言うんだ?」
「それは、自分の非力さ。だよ」
それは俺も同じだった。筋肉があまりにもなくなって、今まで持てたようなものが重くなって、体力もなくなって……いろいろ苦労した。
それに、力がないということは、自分の身が守れないということだ。あの事件があってから、特にそれを痛感した。
「一番に考えると、護身が出来ないことを案じると思う。女の子は弱いからね。でも彼は違った。守れなくなったのが、自分じゃなくて、陽君だったって。だから、私に頼んだ。陽君を守っていて欲しいって」
「え?」
「陽君、気が付かなかった? 彼が馴々しくしてた理由。あれは、単純に女の子のあなたに惹かれてただけじゃないよ。まわりからあなたを遠ざけるため……」
「でも! あいつは俺に友達が出来るか心配して……」
「だから、逆だったんだよ。女の子になってから出来る友達なんて信用ならない。下心が隠しきれないような人ばかりに決まってるから。私すらも監視してたんじゃないかな? 実際私だって、陽君が女の子になってから話し始めたし」
「そんなこと……いい迷惑だ」
それじゃ、あいつの所為で友達が出来なかったってことじゃないか。
「でも、本当のこと言うと、それは正解だったと思うよ」
「なんで?」
「今まで言わなかったけど……噂、聞いたことある? 自分の」
「俺の? ないけど……」
「おかしくない? こんなに珍しい病気にかかってるのに、私以外一人も話し掛けて来ないなんて」
「それは、前にクラスの男子が言ってた……橘に独占されてるみたいとか、愛とべったりとか、そういうことなんじゃないの? だから、別にやつらに下心なんて無いと思うけど」
「まあ、それもあると思うけどさ……あれは建前に決まってるじゃん。私さ、言ってるよね。いつも。陽君はとっても可愛いって。女の子目線から見て可愛いってのはなかなか言わないよ」
「いや、女の子の可愛いほどあてにならないと思うけど」
そういや、あいつからも似たようこと言われたことがあったっけ。
「とにかく。事実を言うとクラスの男子はみんな陽君を可愛いって思ってるんだよ。気味悪いとか、元男とかの事実を上回るほどに。それぐらいの魅力が陽君にはあるの。この話は結構前から知ってたよ。まぁ、私はそれを言わなかったけど」
「そんなこと……ってか、なんで隠してたのさ」
「嫌がられてないなら仲良くなろうとか思うでしょ? それが嫌だったんだよ。彼もね」
「あいつも?」
「たぶん私の嫌とは理由が違うけど。私は単純に陽君を独り占めしたかったから。彼はあいつらから陽君を守りたかったから」
また、そんな、俺のことばかり考えるような……いくらなんでも愛は話を盛ってるとしか思えない。
それじゃあいつ、完璧に良い奴じゃん。
「でも、それだったら友達を信用してないみたいじゃんか。俺に……そいつらが手を出すと思ってたわけなんだろ」
「本当の友達は陽君だけって思ってたのもあるだろうけど……きっと、自分ですら陽君に魅力を感じるようになったから、危ないと思ったんじゃないかな。実際、誠実で優しい彼が陽君に手を出しちゃったほどだから」
つまり、普通の男と絡んでいたら……二人きりになった瞬間アウトってことか。想像したくもない。
「わかった? 彼、本当に自分は二の次で、あなたのことばかり考えてて……それに陽君自体も彼を信用してたみたいだし。私からしてみれば本当に羨ましくて仕方ないんだよ」
「そう……」
「私が言うのもなんだけど、あんないい人なかなかいないよ。あのことについては許せないけど、逆にあれがなかったら……考えるのが怖い」
とたん、愛の表情が暗くなった。俯いて、なにかを思い出してるみたい。
「陽君、あの事件があったとき……本当はどう思ってた?」
え?
「私さ、何があったかしか陽君に聞いてないでしょ? だから……そのときの陽君の気持ちちゃんと聞いてない」
「決まってるじゃんそんなの……怖かったに……」
「それだけ? それは結果的に怖かったってことでしょ? じゃあ、言いかえるよ。もし――彼が暴走してなかったらどうなってた?」
「だから、愛は何が聞きたいの? あのときは恐怖しかなかったんだって……」
「もし、彼が、ずっと平静を保っていたら、陽君はどこまで彼を受け入れてた?」
「はい? い、意味が……」
「だってさ、裸見られたんでしょ? それについてはあまり怒らなかった。つまり、嫌じゃなかったってことだよね。それに誘うような格好をしてたみたいだし……私さ、思うんだよ」
愛は悲しそうにつぶやく。まるで確信に触れることを怖れるように。
「あの事件があって初めて二人とも目が覚めたんじゃないかって」
「愛の言うことは、全部わかりづらいよ」
「そのままの意味だよ。きっとあのとき、陽君が恐怖を覚えるようなことがなかったら、陽君は女の子として、彼を受け止めていたかもしれないってこと」
俺が? 女の子として? それって……あいつのことが好きだったみたいないいかたじゃないか。確かに嫌いではなかったけど、そんな――いかがわしいことを考えるようなことは全然なかったはず。
「だからさ、私としてはいいチャンスだった。陽君が彼と離れるための。だから私、許しちゃダメって言ってたんだよ」
「でも、今は許したらって言うんだろ?」
「うん。変だよね。私、意地汚くて、正攻法なら絶対に彼にかなわないと思ってたから。でも、もう決めた。正々堂々と勝負する。陽君に私を橘君以上に好きになってもらうことにする」
「なに言ってるんだよ。あいつは男だから勝負もなにもないって」
「だったら、陽君は私の方が好きなの?」
「そりゃそうだよ」
「はあ」
なぜか呆れられた。普通喜ぶところだと思うんだけど……女心ってのは難しい。
「やっぱだめ。陽君、今日は彼の家に行ってちゃんと話をきいてあげて」
「言われなくてもそうするつもりだけど……盗み聞きしちゃったし」
「違う! そんな建前いいの! チャンスだよ。彼を許してあげるチャンス! 彼とのハンデが無くなって初めて私は恋愛するの!」
「別にハンデなんかないって。それに許す前提なんだね……」
「無理にとは言わないけど――陽君が納得するかは別問題だよね。どのみち正直になってほしいから。今の陽君は、言ってることが全部ウソにしか聞こえない。私、陽君の本音が聞きたいから」
「はいはい。わかったよ。とりあえずちゃんと話は聞いてくるから」
「あ、最後に一つだけいい?」
「ん?」
「六月が終わったら……私さらにハンデをもらっちゃうことになるんだよね」
いきなりわけのわからない発言。いたずらに笑う愛。本性はよくわからないけど。やせ我慢っぽく言った気がした。
「陽君は男に戻る、彼は女の子のまま。彼と陽君の性別の壁が、無くなっちゃうんだよね――」
「来たよ」
「ん? わざわざ悪かった。入ってきてくれ」
「うん」
扉を開く、目についたのはベッドに腰掛けた少女。ピンクのキャミソールが愛らしい。スカートからはみ出た大腿が目の毒だ。
「よくそんな恰好できるね」
「ん? ああ、女の格好に慣れないといけないからな。ほら、特に俺って小さいからこういうかわいい系の恰好じゃないとちんちくりんになっちゃうんだよ」
「まあ、確かに、似合ってるけどさ。それでいいの?」
「いいも悪いもない。こんな感じしか着れないから」
表情から察するに嘘はいっていないみたいだ。いや、諦めてるだけって感じかも。
「座布団買ったんだ。ほら、座ってくれ」
座布団もピンク色。そこまで少女趣味にする必要はあるのかな?
「いや、いいや」
俺は床に腰掛けなかった。そのまま、あいつのそばまで近づく。
「ど、どうした?」
「よっこいしょ」
隣に腰掛けた。
「え? っえ?」
「なに驚いてんのさ、ただ横に座っただけじゃん」
「いや、だって――」
「自分だけふかふかのベッドに座るなんてずるい。それに床に座ったら俺が目線下になるじゃんか」
「あ、そう……だな」
本当は照れ隠し。認めるよ。これはちょっと許したって意味。伝わるといいけど。こいつ、鈍いからわからないかもね。
それに、これなら正面向いて話す必要もないからね。こいつからの視線は気になるけど。
「……」
「……」
なにを話せばいいかわからない。だいたい、こいつが話があるって言ってんじゃないのかよ。……仕方ない。俺から話を振ろう。
「あ、あのさ」
「あ、ああ」
「下着、手に入ったのかよ」
さすがにないかと思った。でもそれぐらいしか思いつかなかった。
「おう。今もそれつけてる」
「へえ。借りたのってさ、自分から頼んだの?」
「いや、大岡のところに行って、女として生きるにはどうしたらいいか聞いたときに、下着くらいちゃんとしろって無理矢理……」
「そうか……」
終わった続かない。どうしよう。
「あ、あのさ」
よかった。こいつから振ってきた。
「な、なんだ?」
なんでも来い!
「み、見せようか?」
「おう。 ……え?」
「わ、わかった――」
「え、ちょっと! あれ?」
橘は立ち上がった。足の調子はもうかなりいいみたいだな。すんなりと腰を挙げた。
って、そんなのはどうでもよくて! え? 見せる? 下着を?
「いや、待て、待てって!」
制止を全く無視。橘はキャミソールをなんの戸惑いもなくまくりあげる。薄ピンクのかわいいフリルのついたブラだった。
目をつむるべきか? と思ったけど、対象が対象なだけに、なにが正しいのかよくわからなっくなっていた。
本当に細い体だ。俺よりも愛よりも細い。間違いなく美少女だ。中身があいつでなければ。
ぽかんとしてると、次はスカートを外し始めた。
「いや、いいって。下は! ってか、パンツみせるなら外す必要はなくない? まくりあげれば見えるんだからさ」
変なフォローだと思う。でも、なんかいくらあいつとはいえ、下着姿になられるとちょっといけない気がする。
橘はちらっとこっちをみる。妙に視線が艶めかしい。こいつ、俺より女っぽくなってないか? それともわざとか……
「って、やめろよ!」
その手はまったく止まってなかった。あっという間に下着のみの姿になった。あれ? こういうこと前にもあった気がする。
「どう?」
妙に自信ありげな顔。何を期待してるのか。そりゃ……似合ってるけどさ。
「い、いいんじゃない? か、風邪引くぞ。もういいよ」
「あの日のこと。覚えてるか」
「急になんだよ」
「急じゃない。今日言いたいことがあるから」
そんなことより早く服を着て欲しい。目のやり場に困る。
「あの日さ、俺、お前の裸見ちゃっただろ」
「あ、そ、そうだったね」
「だから」
嫌な予感。
「か、代わりに俺の、は、裸を見てもらう」
まるで愛の時のようだ。なぜか勝手に裸を見せたがる。これも俺に対するアピールなのか? 違うだろ。こいつは今女で俺も女。何もアピールする要素は……あれ? でも愛も女だから……ああ! わけわかんなくなってきた。
「お前の裸なんて見ても仕方ないって! いいから早く服着ろよ!」
ちょっと赤くなってるあいつの顔。恥ずかしいんならやめて欲しい。
でも、そんなことは関係ないのか。ずかずかと脱いでいく。
結構手慣れた手つきで。ひょっとしたら練習したのかも……、いや、どうでもいいよ。
気がつけばあっという間に生まれたままの姿になった。本当に見せておけばいいくらいの気持ちなのかもしれない。
「お、お前! 本当に反省する気あるのかよ! ってか、何が伝えたいのかまったくわけわからないし! 俺、今結構混乱してるんだけど!」
「なんで? 今お前は女じゃないか。女の裸くらいでうろたえるなよ」
「だって……」
「やっぱり、男に戻りつつあるんだな」
「え?」
「いや、お前はそれでいいんだ。女の子に免疫がなくて、水着姿ですら視線をそらしてしまう。それが本来のお前だ。陽。お前は戻れるんだな」
「た、橘……」
「見ちゃったから見せる。なんてそんな単純な理由じゃないさ。俺は――俺の裸を最初にお前に見せておきたかっただけだ」
男に言われてもうれしくない一言だ。
「な、なんで見せたいんだよ」
「それは……きっと他の誰かに裸を見せることになるから」
「ん?」
「一生女なんだ。言い方は悪いけど女としての宿命……いずれは誰かのものになるだろうから」
「は?」
あまりにもふざけた発言。思わず口を全開にしてしまった。
「言っただろ。俺は女として生きるんだ。先生も言っていた、この病気にかかったひとはいずれ女として生きていくって。俺はそれが速くなっただけ」
「いや、意味分かんないんだけど」
「クラスのさ、やつらの目つきが変わった」
橘は強く両手のこぶしを握る。悔しいのか……。
「あいつら、やっぱり友達でもなんでもなかった。俺が、女に変わったって知った瞬間。俺を異性を見る目で見ていた。会話を交わしてみてもやっぱり違ってた。俺とは別の人に話しているみたいだった」
「橘――」
「身体に触れる手も厭らしかった。友達に触れる手じゃなかった。妙な優しさで気持ち悪かった。あいつらとは、二人きりにはなっちゃいけないって身体が警戒していた」
俺は、そこまで思うようなことはなかった。少なくとも橘と一緒にいたときはそこまで嫌に感じなかった。あの事件の時はさすがに男はけがらわしいなんて思っちゃいたけど。
「いつか、いつかきっと俺はあいつらに何かされる。そんな気がする。そうなったら、俺はきっと抵抗出来ない。だから――俺の裸は、最初にお前に見て欲しかった」
「話がつながってるようで全然つながって無いよ」
「そうだな。はっきり言っておくよ。俺は――綺麗なままの姿は好きな人に見せたかった。それだけだ。まぁ、あいつらに汚されなかったとしても、いずれは……」
これは、告白なのか?
「ほ、ホモじゃん」
「今の俺は女だよ。しいて言うならレズじゃないか。でも……なんだろうな。そういうのとはちょっと違う気がする」
「ふーん。そ、そう」
曖昧な返事しかできない。へたれだよね。
「なんつうか、女の子の気持ち、理解できたよ。いや、違うな。お前の気持ちが少しずつわかってきた」
橘はその格好のまま俺の隣に腰掛けた。俺は別の方向を見て、橘を見ないようにした。
「俺さ、無神経だったよ、本当に。ああいうことされたとき、どれだけ怖いかって全然わかってなかった。お前だったら軽く済むぐらいにしか思ってなかったかもしれない。でも、俺が同じ立場だったら、きっとトラウマになってたよ」
「そ、そうかもね」
「陽って、強いんだな。俺、勝手に守ってあげてるなんて勘違いしてたよ。俺がいないとこいつは生きていけないって」
足をパタパタさせながら、橘は言う。あ、あんまり足は開かないでほしいんだけど。
物思いに耽っているっぽいからそんなこと言えない。
「でもさ、そういうんじゃなかったって今は言える」
「なにが」
「俺は、優越感に浸りたいからお前といたわけじゃない。女の子になってから素直になれたよ。俺は、本当の友達が欲しかったんだ」
「友達……」
俺や愛と同じ、橘も一人を感じていたんだ。
「まわりの奴らは違った。一緒にいたらそりゃ楽しかったけど、全然違う。お前といるときは、本当に温かかったんだ」
「六月に温かさはいらないよ」
こっ恥ずかしいので思わずボケてしまった。
「ははは、そうかもな」
こいつは、全部俺のことがわかってる。今のだって呆れることなく聞いてくれた。全部理解してくれてる。
なのに、俺は、こんないい友達を自ら捨てようとした。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。
こいつはわかってるから言ってたんだ。許してくれるのを待つって。俺がすでに怒ってないってことがわかってても、急かしたりしない。ただ、待ってくれてる。
俺は、なぜ答えられない。自分が嫌になる。
わかってるんだ、その理由は。恥ずかしから、俺みたいな人間にこんないい友達はもったいないから。
この学校に来たのだって本当は嬉しかったと思う。でも、そんなこと思っちゃったら、友達として認めてるようなもの。
女の子になったからついて来たんだって下心があると思わないとこいつが眩しすぎて、俺といるのが釣り合わない。
いや、むしろそのことすら本当は引け目を感じてる。
なのに、なんで、こいつは。
「ねえ、橘。ううん。律弥」
「え、なんだ……?」
「俺とさ、友達でいたら、なにがうれしいの?」
やつは笑った。満面の笑みで。
「面白いこと聞くな」
ば、馬鹿にされた! 真剣に聞いたのに!
「な、なにが面白いんだよ!」
「友達ってのに理由がいるのかよ」
「そんなお決まりのセリフなんていらないんだよ。俺が聞きたいのはちゃんとした理由。だってさ、俺、お前が一緒の学校にするって言ったのにすごく嫌がったし、一度も友達なんて言わなかったし、それに、俺といるとまわりから変な目で見られるし、それに……お前ならもっといい友達見つけられるだろ」
「それでいいんだ」
「え?」
「お前が今言ったこと。全部俺のこと考えてくれてるじゃないか。実はないがしろにされてるのかと思ってたけど。でも、やっぱりお前はちゃんと考えててくれた。自分のこと気を遣ってくれる友達なんてなかなかいないだろ? じゃあお前は最高にいいやつじゃないか」
「馬鹿! なに変なこと言うんだよ! 俺はお前みたいなやつといると迷惑だから……」
「ははは! そうか、そうか」
こいつ、全然聞いてないし。しまいにお腹を抱えて笑いだしやがった。本当になにがおかしいのかわからない。
でも、俺もちょっと幸せな気分だった。
いつのまにか俺も声を出して笑ってた。
「これで、十分なんだよ」
橘は言った。
「嘘のない笑顔。それでいられるだけで。少なくとも俺は、お前の前でしか本当に笑えない」
「それって俺が変な顔してるっていいたいのか?」
「違う違う! お前の顔はめちゃくちゃ可愛いって」
「そっ」
まったくうれしくはない。俺は男だから。それに聞き飽きた感じもある。だけど素直に言っておこう。
「ありがと」
「ばっ!」
途端、あいつは顔を真っ赤にした。
「あれ? なんだ? おかしい……あれ?」
「なんだよ……」
「俺、今、女の子なのに……なんで……お前が……」
なにか言おうとして、橘は止めた。と、思ったら急に俯いて身体を震わせ始めた。
「え? お前、泣いてる?」
女の子になって感情の起伏が激しくなったのかな。涙もボロボロと脚の上に落ちていく。
「ごめん、ごめん」
しかも謝り始めた。これじゃただの情緒不安定なだけじゃないか?
「な、なんで泣いてんのさ」
「お、俺、女の子になったのに……お前……かわいいって、好きって思っちゃって……」
「はい?」
「せ、せっかく、もう、そんなことなくなると思ってたのに。女の子になっても厭らしい目でお前を見ちゃ……罰にならない……俺、反省出来てない……」
ああ、そういうことか、こいつ、女の子になって安心してたんだな。俺に欲情することがなくなって。でも、またそんな気持ちになりそうってことか。
本当に……俺の心配ばかりして。友達なら……そんな一方通行じゃだめだろ。
「あ、あのさ、俺考えたんだ」
ここに来るまでの間、必死に考えた。こいつを許す言い訳を。今、言うんだ。
「お、俺に酷いことしたのって男のお前じゃん。でもさ、今はそんなやつよく考えたらもういなくなっちゃったわけだよね。だから……その……女のお前に当たるのはひょっとしたらお門違いなのかな――と。とりあえず保留しとくからさ」
「陽……」
「はい! しみったれた空気はお仕舞い! お前は泣き止め!」
って言っても泣き止むどころか、どんどん涙を流し始めたよ。
足回りがびちょびちょになってる。なんか厭らしい。これはだめだ。
「と、とりあえず服着ろ! な?」
なんで俺が宥めてるんだよ。ま、もういいけど。
それにしても、恰好悪いだろうな俺、素直に許してやれない。呆れるだろうなこいつ。
泣きながら服を着る少女。まるで俺がなにかしたみたいに見える。心臓に悪いから早く着替えて欲しい!
「……よし、着たな。ふぅ……やっとちゃんと見られる。とにかく、今は女のお前は謝らなくていいんだ。わかったな」
「ああ。ありがとう」
笑うとかわいいな。あいつも俺を見てこんな風に思ったのかな。変な感じ。でも、涙は止めてくれないんだな。
「あのさ、最後に一つだけいいか」
橘は言った。とりあえず拒むことも出来ないから聞き入れるか。
「な、なんだよ」
「その……抱き締めていいか? もう一度、俺の気持ちを確かめたい」
こいつ、調子に乗ってるわけじゃないよな? でも、まぁ、最後って言ってんだからこのぐらいいいか。
「……別にいいけど。変なことするなよ」
許した瞬間がばっと俺に覆い被さった。
こいつと抱き合うのは二度目。細々した身体ということが嫌でもわかる。
少しいい匂いがした。でも、身体はちょっと冷たいな。
「で、どんな気分?」
「どっちかというと男として……女の子を抱き締めてる。今は、そんな気持ちだ」
「そう。俺は、よくわからない」
「別にいい。お前はなにも感じなくて。そのほうが……いい」
嫌と思われるよりは、なにも感じないほうがうれしいのだろうか。本当の気持ちが怖いのか?
なんでそこまで健気なんだよ。
「俺、お前の体温を感じられてうれしい。でも、ただ、最後に、男としてお前の友達でいたかった……」
「残念だったね。本当に」
仲直りするのが、全てが変わってしまってからなんて、遅すぎた。
俺は少し深めに腕を回す。お互いの顔が交差した。
これで、酷くなった泣き顔は見えなくなった。
「――俺さ、本当に酷いことして……女の子になって、逃げたみたいなことになって、戻れなくなって……もう、どんなに謝っても、謝ったことにならないような気がして……」
「そうだね。最低だったと思うよ。お前は……被害者になって、逃げたようなもんだ。こっちがやりきれない。本当……この今までの怒りの矛先をどこへ向けたらいいのやら……。でも、もういいよ。とりあえず無かったことにしよう」
「ごめん……ごめん……」
「ただ、泣くなよ。もう……そんなに泣かれたら……」
震えを直に感じる。鼻を啜るのが聞こえる。はっきり言って耐えられない。
「お前、今日はまだ男の心の橘なんだろ? 男なら泣くな。……はっきりさせろよ。今日だけは」
「……」
「もういいか?」
お互い言いたいことは、言い終わったはず。
あとは、なるようになるだけ。
そっと身体を離した。
橘の顔は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだった。
でも、俺もきっと似たようなものだ。
「――ありがとう。こんな、しようもないことに付き合ってくれて」
「別に……盗み聞きした俺が悪かったし。最後まで、お前の言葉を聞く義務があったから」
「……そうか」
「明日からは、女の子っぽく生活するんだよな?」
「譲歩する。逆にお前は男に戻って、俺が見えなくなったものをもう一度、感じてくれ」
「言われなくとも。俺は、男なんだ、まだ」
ゆっくりと立ち上がる。そろそろおいとましよう。思いの外時間がかかってしまった。早めに帰って、変化に対する準備をしとかなくちゃ。
「そういや」
ひとつだけ、感じたことがあった。
「さっき、抱き締めたとき」
「なんだ……?」
「ちょっとだけ、興奮した」
他意はない。ただ、本当のこと。
それは、男として、女の子になのか。女の子として男になのかはよくわからないけど。
間違いなく、対象は――
「え、えっ? な、なに言いやがんだ、こんなときに!」
さすがに橘もしどろもどろだ。言ってて俺もちょっと恥ずかしいし。
早いこと退散しよう。
「ま、聞かなかったことにしてよ。じゃあ……」
「え……なんでそんなこと」
「……さぁ。この気持ちは、俺もよくわからないよ。わかりたくもない。それに、確かめるには、時間がかかると思う。でも今日はもう時間がないよ。だから、気になるんなら……」
六月は終わる。俺は男に戻って、きっと感じ方も変わる。だから、明日からは今日のことは確かじゃなくなる。
だから、
「待っててよ、来年まで」
ちょっと臭いかも知れない。でも、照れ隠しにはこのぐらいがちょうどいい。最後の別れだしね。
「……わかった。さようなら。――明日の俺によろしく……」
「うん。じゃ、またね、橘律弥。来年の六月に――我が儘姫さまによろしく」
俺は、橘律弥と最後の別れを交わした。
本編はこれでおしまいです
あと2つほど、話があります
もう少しだけお付き合いください