六月二十四日 親友
「友達…特別仲のいい奴ってなると…ま、まぁ少ないほうだと思います。人見知りなんです。あ、でも、必要であれば誰とでも普通に話しますよ」
「そうですか…」
「…どうかしたんですか?」
「いや、自分を受け入れてくれる人。それが一番必要なんですよ。知り合いの身体が女に変化すれば…喜ぶ人もいるかもしれませんが、それ以前に気味悪いでしょう?失礼な言い方にはなりますが…」
変に小慣れたもんだ。今俺はスクール水着の肩紐を引っ張りながらそう思う。
水泳は三度目になるけど、水着の着方を愛に教えてもらったおかげでかなりすんなり着れるようになったのは間違いない。
なのに愛は今日も一緒に着替えようか?なんて言ってきたからさすがにもう大丈夫と断っておいた。いくら今は女同士とはいえ、恋人ってことにしてるんだからそんなに接近されると変な気分になる。…たぶん。
嫌々わかってくれたみたいだけど、釈然としない表情してたなぁ…まぁ、俺の気持ちをそれとなく察してくれたら幸いなんだけどね。
…よし、行くか…
「遅いよ!陽くん!」
「ごめん。やっぱちょっと手間取った」
「だから私が手伝ってあげるっていったのに!」
「もうそれは勘弁してよ」
「…うぅ…仕方ないなぁ」
もし、俺の裸が見たいだけなら、ただのスケベだよな?そうじゃないことを祈るけど。
「今日も自由だって。特に記録を取るようなことはしないとか。水泳部とか、ただ記録を取ってみたい人は出来るらしいけどね」
「ふーん…」
「やってみる?」
「遠慮しとく。六月だけしか意味ない記録だし」
そういえば、女の時に取る記録って全部意味ないよな。男に戻る気があるならさ。
「わからないよ?意味あることになるかもしれないし」
「…いいよ、本当に」
「残念。陽くんが本気で泳いでるとこ見たかったのに…」
「逆に愛の本気を見てみたいけどね。そんな俺に言うならさ」
ちょっと面倒だからやりかえしてみる。
「ふーん、そう」
「うん。自分がやらないのに押し付けられてもねぇ」
「なら、泳ぐ」
「えっ?」
今、泳ぐって…?
「先生、私記録取りたいです」
「えっ、ちょっ、愛?冗談だよ?そんなむきにならなくても」
「違うよ。私は卑怯とか言われたくないだけ」
「卑怯なんていってないよ!」
「でも似たようなこと言った。それに納得いかないんでしょ?陽くんが泳ぐ泳がないに関係なく、私が一度泳がないと頼む側としては不適切…そう言いたいんでしょ?」
「そりゃ、そういう意味合いだけど…」
別に本気で言ったわけじゃないのに。
「とりあえず私は泳ぐ。それからもう一度お願いするから」
「…そんなに俺の本気泳ぎが見たいの?」
「うん」
「…なんで?」
「…それは…」
「ん?」
「…私だけが見たいから」
「え?」
「あ、もう順番みたい。んじゃ、行ってくるね」
「あ、ちょっと…」
…私だけ…いや、みんなに見られる羽目になるんだけど?なに言ってるんだろう愛。
…あ、凄い。あれって水泳選手が飛び込むときの構えだ…あんなの出来るんだ愛。もしかして結構本気は凄いのかも。
…ひとり、つまんないな。
…あれ?誰か近づいてくる。あれは…名前覚えてないけど、よくあいつと絡んでた…
「…どうだったかな、陽くん!私頑張ったよ!そりゃ、水泳部とかの人にはかなわなかったけど、先生凄いって誉めてたし…」
「うん、見てた…よ…」
「…あれ?顔色悪いよ?まだ水にも浸かってないのに…体調悪かったの?」
「いや、違うけどさ…」
「…ねえ、一つ聞いていい?」
「…なに?」
「誰と、なにを話してたの?」
…見てたんだ。泳いでたから気付いてないと思ってた。
「…なんでもないよ。クラスのやつと俺が話をするってだけで珍しく思った?別にいいじゃん…」
「よくないよ、だって気分悪そうだもん…嫌なこと言われたんじゃない?ほら、よく見てなかったけど…彼の知り合い?っぽいから、また彼みたいに…」
「違う!別になんにもされてないから!人目の付くとこで変なことする奴がいるわけないだろ!」
「でも…」
「ほら、誰にでも言いたくないことってあるだろ?」
「それって、私に言いたくないようなやましいことがあるって意味だよね」
「…」
墓穴を掘ったかも。確かにその通りだし。
「ねぇ、何を話してたのかな?…なんてね」
「えっ?」
「私そんな意地悪じゃないよ!いやだなぁ!ちょっとからかっただけ。だって陽くんすごく困った顔するんだもん。おもしろかったからつい、ね」
「な、なんだよ。驚かせないでよ」
「ごめんね!ほら!次は陽くんが泳ぐ番だよ!」
「あ、そうか。約束だもんね…」
「頑張ってね」
ちゃんと泳ぐのって久しぶりな気がする。実際、プールなんかに入るのもこの前で久々だったくらいだし。マジ泳ぎするったって、どこまでできるか…もともとうまいってわけじゃないし。人並みにはできる自信はあるけど…なんだかんだ愛の泳ぎをみたあとじゃやる気でないなぁ…
「ま、一応頑張るけどさ」
「可愛かったよ!陽くん!」
「第一声がそれ?ってか、かわいいってのやめてって言ってるよね?」
「じゃあ、愛らしかった!」
「もう…なんでいいよ」
うまく泳げたとは言い難かったけど、普通に泳ぎきることができた。それでもどうやら女子の中では早い方らしく、それを聞いて少しびっくりだった。先生曰く、泳ぎ方はやっぱり男だね…とか。それはちょっとうれしかったり。
「で、愛これで満足?」
「うん!いいとこみられたからね!必死さって言うのかな?何とも言い難い可愛さを感じたよ」
「だから…はぁ」
愛にはかなわないな、ほんとに。
「あ、そうそう。陽くん」
「ん?」
「プールの後、ちょっとお話しない?」
どうやら、まったく水に流す気はなかったようでして…
「…なに、それ」
「いや、だから…勘違いだったんだよ全部。俺の被害妄想」
「いや、そうじゃなくって!なんで私があの人たちにそんな目で見られなきゃならないの!」
「だから…ずっと俺と一緒にいるからじゃない?」
「それに何か問題あるの?私たち女の子同士だよ?彼たちは男。どっちかというと私と陽くんが一緒にいる方が自然だよね?」
「俺は男…」
「今は女の子だよ!」
「そうだけどさ…」
放課後、誰もいない教室。俺と愛の声だけがかすかに響いていた。
…彼ら、あいつの友達が話してきたのはほんの些細な内容だった。
橘、なんで休んでるの?と。中学からの仲の俺なら知ってるだろうと踏んだのだろう。だけど、そう簡単に言っていいものか悩んだ俺は無口を貫いた。それに、こいつらは普段からひそひそと俺について何やら話してたっぽいので絡みたくないというのもあった。
すると、彼らは空気を読んだのか別に無理して言わなくてもいいと言った。
そして、俺らだってあいつの友達なんだ、あいつの心配ぐらいしてる、だから知ってることがあるなら教えて欲しかっただけだとそういった。
たまらず俺は返事した。ならなんで今聞くの?と。
答えは単純。大岡がいるから、だった。泳ぎの途中でこっちに気を取られていない隙にと。
俺には話しかけづらくないの?と意地悪に聞いてみる。すると返ってきたのは意外な返事、なんで?の一言だった。
彼ら曰く、ずっと陰口みたいに言ってたのは単なる興味話だったらしい。男子からみて俺は結構人気があるらしかったのだが、橘が独占してるみたいで話す機会を得られなかったと。
さらには愛が俺がどこ行くにしてもずっと一緒だったため近づけなかったと。
つまり…俺を蔑視してる輩はこのクラスには一人もいなかったと。
むしろ気になったのは愛の方の話だ。
「なぁ、愛…」
「なに?」
「中学の時とか、何かあったの?」
「…」
「嫌なら言わなくてもいいけどさ。なんか…あいつら、愛に若干距離を置いてる感じだったんだよ。ただ女子だからとかそんなんじゃなくて、もっとこう、何か…結構前から知ってる風なかんじで…」
「そりゃそうかもね、このクラスには私と同じ中学の娘が一人いるから…その娘から聞いたのかも」
「やっぱりなにかあるんだ…」
「聞きたい?」
ぞくっとした。本当に光の入らない眼。どこを見ているかもわからないような表情。
トラウマ。そういうのもあるのかもしれない。
「私から勝手に話すよ、陽くんが問い詰めたみたいなのは嫌だから」
「うん…」
と、愛は急に立上り俺に近付いた。そして…
ぎゅっと抱きしめられた。
「え、な、なに?」
「どう?」
「どうったって…そりゃ少しドキドキしたけど…」
「そんなものだろうね普通。だって女の子同士だもんね」
「え?」
「…私さ、ひどいことしたんだ。友達に」
「…」
「友達の娘がさ、さっきみたいに抱きついてきてさ…たぶんスキンシップってやつ。でも私は…強く押しのけた」
「突然でびっくりしたなら仕方ないよ」
「それだけならよかったんだけどね。口がすべっちゃったんだ。触らないでって」
「えっ?」
なんでそれだけのことでそこまで…
「過剰だと思った?うんそう考えるのが普通だと思う。でもね、私って普通じゃないんだよ。価値観とかが」
「そんなの…」
「私さ、一言わかりやすい言い方をするならさ…両性愛者なんだ」
「…!?」
意外な答えだった。もしかしたら女の子が好きとかその類ならありえるのかな…なんて俺自身思っていた節はあった。六月までなんの交流もなかった愛がいきなり俺に話しかけてきたのはそういうことなのでは…と。
でも、それとはちょっと違うみたいだ。
「別に精神科に行ったわけじゃないし、何らかの検査をしたわけでもないけど…たぶんそう。男の子も女の子も全員が恋愛の対象。だからさ、抱きつくとかそういうの無理なんだよ。だってそうだよね?女の子が男の子に抱きつかれたら訴えること出来るでしょ?異性とは一定のラインを守らなくちゃいけないもん」
「えっと…つまり、愛としては、抱きつくとかそういうのは…恋人同士がするものであって、女の子同士だからといって簡単にしないで欲しいってこと?」
「変でしょ?でもそういう考えで固定されちゃってるんだ。だから…抱きつかれたりしたらその気があるの?って勘違いしちゃうでもさ」
「…!?」
「女の子同士でも恋人なら問題ないんだよ?」
「あ、え、う…」
「結局さ、そういう価値観なんだってその娘には話したけど…ほら、抱きついたりとかハイテンションでそういうことする娘って自分がクラスの中で好かれてるポジションって自覚ある人いるでしょ?どうやらそれでプライドとかそういうものに傷をつけちゃったみたいで…あなたの考えは理解した、だからもう二度と近寄らないからねって。皆にもちゃんといっとくからって、笑顔で…」
「それって…その娘、ちょっとひどくない?だって、それじゃあただの偏見…」
「仕方ないよ、私が一方的に悪いから。世間的にずれてるから…だって嫌でしょ?いつも一緒にいる友達が実は自分をそんな目で見ていたなんてね」
「それって…」
心が痛い。どこかで聞いたような話。たぶん、愛は最初から知ってたから…気づいてたからあえて、あいつを俺を避けていたのか?
「ダメなんだよ。常識からずれるのって。それだけで息苦しくなる。私だって我慢はしたよ?でもそれっきり…今までの我慢なんか意味の無いものになっちゃったんだ」
「…」
「だけど…」
涙目になりながらも愛は続ける。
正直いって痛々しかった。もう見てられなかった。だってそれは…俺たちと丸々かぶっていたから。
「会えた。陽くんに会えた。お互いが常識を外れてる存在なら…他人の眼なんて気にしなくてもいいよね?」
「俺は…そんな存在じゃない!そんな存在と思って欲しくない!」
「陽くんはそう思っていてもいい!でも私は…もう陽くんしか縋れる人がいないんだよ…男でも、女でもない不安定な存在…最初は信じていなかった。でも六月になって本当のことだと知った。水月病。そんな不可思議な病気のおかげで私は少しだけ救われたんだよ…」
「そんな…」
「やなやつだと思う?そうだろうね。今まで私は…私以上のコンプレックスを持った陽くんに対して少なくとも多少の優越感を得ていたんだから…たぶん、橘くんのお友達、陽くんの身を案じていたから私がいない隙に話そうと思ったんだろうね…橘くんの心配もして…ホントはいい人ばかりだよ。ホントに…私だけが最低だ」
「そんな風に思いたくない。だって愛は…」
「私は?なに?そうだ、ここまで込み入った話をすることになるとは思わなかったけど…いい機会だよね。はっきりさせようよ…」
愛は俺に近付いて。
「私は…一人の人間として、高杉陽のことが好きだよ」
二度目になる唇を重ねた。
…長い時間が流れたような錯覚に陥るほど、それは深かった。その行為に、愛の感情全てが込められているような気がした…少しだけ、しょっぱかった。
「…言ったよね?恋人同士でしかこんなのできないって…ねぇ、陽くんは…私のことどう思ってくれてるのかな?」