2 『死神皇帝』との再会
「ふぁっ!?」
驚きすぎて、変な声が出た。
侍女は「あらあら」とか言いながらも、顔色一つ変えずに私の髪を手際よくまとめていく。
「きょ、今日!? 今日なの!?」
「今日ですよ。寝ぼけていらっしゃるのですか?」
「ち、違うけど……」
「フラヴィア様を第四皇妃に、というお話が浮上したと思ったら、陛下の申し入れですぐに輿入れが決まったのでしょう? 当初は来年の春頃とされた輿入れの時期も、陛下たっての希望で今日に決まったのだと旦那様からお聞きしましたが」
「……そ、そうだった、わね……」
かろうじて返事をしつつも、私の頭は大混乱に陥った。
な、なんで一年以上も早く輿入れする話になってるの!?
しかも、陛下の申し入れとか陛下たって希望とか、初耳なんですけど!? どういうこと!?
だって陛下は、三年後に私の殺害を命じるのよ!!
それくらい、私を嫌っていたのに……?
死ぬ間際にルクレツィア様から聞かされた残酷な事実が、否応なしに脳裏をよぎる。
陛下は宰相の娘である私を、煙たがっていたらしい。邪魔だと、目障りだと、再三話していたらしい。
確かに、後宮での生活は寂しいものだった。陛下に顧みられることなどなく、かといって逃げ出すことも許されない。
そもそも、第四皇子リナルド殿下が皇帝の座に就くなんて、誰も想定していなかったのだ。
カッシアンとの戦争が終わる直前、前皇帝陛下が突如暗殺されるという事態が発生する。
第一皇子ドミヌス殿下は第三皇子バルナバ殿下とともに、犯人は第二皇子アルベルト殿下であることを突き止め、糾弾した。アルベルト殿下は否定したけれど、抵抗虚しく極刑が決まってしまう。
戦争が終わってリナルド殿下が戻ってきたときには、すでに刑が執行されたあとだった。
私の記憶では、リナルド殿下とアルベルト殿下はそれなりに仲がよかったはずである。ドミヌス殿下とバルナバ殿下が第一皇妃だった皇后陛下の子で、アルベルト殿下とリナルド殿下はそれぞれ別の皇妃の子だったという事情もあるのだろう。
アルベルト殿下が処刑されたことを知り、リナルド殿下は怒り狂った。すぐさま皇帝陛下暗殺について独自に調べ直し、実はドミヌス殿下とバルナバ殿下こそが真犯人だったという確固たる証拠を入手する。
結局、罪を認めた二人の殿下も処刑されることになり、一人だけ生き残ったリナルド殿下の即位が決まったのだ。
ただ、この一連の騒動に関し、口さがない者たちはあれこれと噂した。
ドミヌス殿下は非の打ちどころがない皇子として立太子を控えており、バルナバ殿下も気さくで明るい人柄から人望が厚かった。リナルド殿下はそんな二人を暗殺の首謀者としてでっち上げ、皇帝の座を奪うために問答無用で始末したのでは、と。
なんせ、リナルド殿下はカッシアンとの戦争で数多くの武功を上げ、勝利に貢献した立役者。
畏敬の念から『戦場の悪魔』とか『死神将軍』などと呼ばれ、恐れられてもいるのだ。『死神』に凄まれ、情け容赦なく追及されたら、たとえ皇子といえどもやっていないことを「やりました」と自白してしまうのでは……?
そんな悪意ある噂がまことしやかにささやかれているリナルド陛下だけど、本当は怖いだけの人ではないことを、私は知っていた。
正直に言えば、淡い恋心のようなものを抱いていたと思う。
出会いは、九歳のときだ。
ある日、宰相である父に連れられて皇宮を訪れた私は、中庭で父の迎えを待っていた。
一人で本を読んでいたら、どこからか「みー」とも「にー」とも聞こえる鳴き声がする。きょろきょろと辺りを見回してみると、近くにあった大きな木の枝の上で子猫が心細げに鳴いていた。
どうやってそこまで昇ったのかはわからないけど、降りれなくなってしまったらしい。
私はすぐさま木に駆け寄った。子猫は助けを求めるかのように、必死で鳴いている。
でも当然手が届くような位置ではなく、助けたくても木登りなんてできない。誰かを呼びに行きたいけど、目を離した隙に子猫が落ちたらと思うとその場から動くのも躊躇われる。
あたふたと一人で右往左往していたときだった。
「どうしたんだ?」
後ろから声がして、振り向くと同じ年くらいの見知らぬ少年が近づいてきた。
「あ、あの、子猫が……」
「子猫?」
私は木の枝を指差した。子猫は相変わらず、みーみーと鳴いている。
すべてを理解したらしい少年は、何も言わずに颯爽と木によじ登ったかと思うと、あっという間に子猫を抱きかかえて枝から飛び降りた。
あまりにも華麗な身のこなしに唖然としていると、少年は「お前の猫なのか?」と尋ねる。
「い、いえ……」
「じゃあ、誰の猫だ?」
「それはわかりませんが……」
この時点で、私は目の前の少年がリナルド殿下なのでは、ということに気づいていた。
陛下には四人の皇子がいて、第四皇子のリナルド殿下は私と同い年だと聞いたことがある。すぐ上のバルナバ殿下は三つ年上だからもう少し大人びているはずだし、何より銀髪なのはリナルド殿下だけなのだ。
「……迷い猫かもしれないな」
そうつぶやいたリナルド殿下は、近くに親猫がいないかとあちこち探し始めた。私も一緒になって中庭の中を探し回ったけど、それらしき猫は見つからなかった。
「仕方ない。この猫は、俺が預かる」
子猫をしっかりと抱いたまま、リナルド殿下はぶっきら棒に言い放つ。
「で、でも……」
「もしかしたらあとで親猫が見つかるかもしれないし、見つからなくても引き取ってくれる者を探してやるから。安心しろ」
「……いいのですか?」
「ああ」
鋭い目つきのわりには、子猫を撫でる仕草がやけに優しいリナルド殿下。
結局、殿下は子猫を抱きかかえ、さっさとその場を立ち去ってしまった。
後日、お父様から「子猫はアルベルト殿下付きの侍女が引き取ってくれたそうだよ」と聞かされた私は、素直に驚いた。
「リナルド殿下がわざわざ知らせてくれたのですか?」
「そうだよ。お前が心配しているだろうからと言ってね」
お父様に言づてを頼んだということは、私がどこの誰なのか、とっくに知っていたのだろう。
親猫は見つからなかったけど、殿下は宣言通りに子猫の引き取り手を探してくれただけでなく、それを私に伝えようとしてくれたのだ。思いがけない優しさと気遣いに、心の奥がほうっと暖かくなる。
その後、公式行事や皇室主催の式典などでリナルド殿下を拝見することはたびたびあったけど、残念ながら直接言葉を交わす機会には恵まれなかった。
十一歳になると、殿下は騎士団に所属することが決まり、ますます顔を合わせることはなくなってしまった。
だからこそ、ごくまれにリナルド殿下のお姿を拝見するような場面があると、やけに心臓がどんどこどんどこ踊り出すし、成長とともに完成されていく精悍な顔つきにぼーっと見惚れてしまうし、いつでもどこでも殿下を目で追ってしまう。探してしまう。
そうこうしているうちにカッシアンとの戦争が始まり、前皇帝の暗殺事件が起こり、なんやかんやで即位してしまったリナルド殿下。
雲の上の人だとは思っていたけど、ますます手の届かない存在になってしまったと密かに嘆く私に、第四皇妃として後宮に上がる話が突然浮上したのはもうすぐ二十歳の誕生日を迎える頃だった。
輿入れを渋って頭を悩ませ、時間を引き延ばそうとするお父様を尻目に、私は内心期待に胸を膨らませていた。寵愛を受けるのは無理でも、陛下のおそばに侍ることができるだけで十分幸せだと思ったのだ。
まあ、結果は散々だったけど。
でもさっきの侍女の話を聞く限り、今回は第四皇妃の話が浮上してすぐ私の輿入れが決まったという。しかも、輿入れ自体の時期だって、陛下に急かされだいぶ早まっている。いや、なんで?
何度も言うけど、三年後には私の殺害を命じる張本人なのよ……?
まったくもって状況が吞み込めない私の困惑に気づく者などいるわけもなく、あれよあれよという間に準備は進み、気がついたら私は皇宮へと向かう馬車の中に押し込められていたのだ。
◇・◇・◇
お父様と一緒に、謁見の間に通される。
しばらくすると、護衛に守られた皇族の方々が続々と登場し、席に着く。
顔を上げると、真正面の玉座に座る皇帝陛下と目が合った。
月光を宿したような銀髪に澄んだ空色の瞳をした見目麗しいリナルド陛下は、戦場での活躍と即位にまつわる血塗られた噂から『死神皇帝』などと呼ばれ、恐れられている。
純粋に憧れの気持ちしかなかった前回とは違い、心の中では言葉にならないさまざまな感情が怒涛のように押し寄せて渦を巻く。
皇帝陛下は見慣れた鋭い目つきとは裏腹に、なぜか焦がれるような熱を帯びた視線で私をじっと見つめていた。




