11 後宮廃止宣言の余波
「どういうことか、きちんとご説明いただきたいのですが」
その日の夜。
水晶宮に帰ってきた私は、リナルド様にずず、と詰め寄った。
「もしかしてヴィア、怒っているのか?」
「むしろ、怒らないほうがおかしいと思うのですが?」
「え」
「後宮廃止のこともそうですが、皇后のお話など私はうかがったこともありませんし」
「あ」
言われて初めて、まずい、とでも思ったのだろう。
決まり悪げに視線を逸らしつつ、リナルド様はそっと私の手を握る。
「……嫌なのか?」
「それ以前に、説明がなさすぎるとは思いませんか? 私に選択の余地などないのはわかっていますが、それでもリナルド様のお気持ちくらいは事前に教えていただきたかったなと」
「あ……」
リナルド様は夢から覚めたような顔つきになったかと思うと、途端に項垂れる。
「……それは、悪かった。俺が愛しているのはお前だけだし、俺の子を産むのもお前しかいないから、言わなくてもわかるだろうと思って……」
「誰を皇后に選ぶかは政治的な事情や思惑も絡みますし、まだ子を成してもいないのに選ばれるなんて誰も思わないじゃないですか」
「俺にとって、妃はヴィアだけだ。たとえ政治的な理由があったとしても、ほかの皇妃を選ぶわけがないだろう?」
「ですからそういうお気持ちでいることくらいは、先に教えていただきたかったな、と」
物憂げに苦笑する私を見て、リナルド様は弱り切った表情になる。
「……そう、だよな。悪かった。言わなきゃわからないよな」
「ご理解いただけたのでしたら、それで」
「俺が妃と認めているのはヴィアだけだし、ヴィアだけがいてくれればいい。お前以外の女性など端から眼中にないんだ。その想いは、わかってくれるよな?」
これ以上ないほど張り詰めたまなざしが、私を射抜く。
私は黙って頷いた。頷くしかなかった。
回帰にまつわるリナルド様への疑念や不信感は、今も心の中で嵐のように渦巻いている。
でも確かめたいと思ったところで、直接尋ねる勇気はなかった。だって、それを聞くということは、私自身が回帰したことをも告げる必要があるのだから。
あの夜以降、堂々巡りの不安と葛藤に囚われてどこかぎこちなくなった私に、リナルド様は気づいていると思う。私に関することには常に過剰な感受性を発揮するリナルド様が、私の変化を見逃すはずはないもの。
でも彼は何も言わず、いつも通りの溺愛と執着とで私を離そうとはしない。
「俺が恋い焦がれ、心からほしいと思うのはお前だけだ。だから後宮制度も、廃止を決めたんだ」
なおも真っすぐに私を見つめながら、リナルド様は話を続ける。
「もともと後宮の在り方については、疑問を感じていたんだよ。でも即位した直後は政治的にも混乱が続いていて、ひとまずほかの皇妃を受け入れる以外に選択肢がなかった。ただ、俺ははじめからヴィア以外を愛するつもりなんてなかったから、兄上や側近たちと一緒に後宮廃止に向けてあれこれ準備していたんだ」
「……そういえば以前、ルクレツィア様の件があったときに『そもそもの元凶もなんとかする』と仰っていたのは、後宮のことだったのですか?」
「ああ。後宮があるから無駄な争いや面倒事が起こるわけだし、ヴィアにも余計な負担をかけることになるからな。ほかの皇妃たちだって、俺に愛されることはないのに一生後宮に縛りつけられることになるだろう? だったら解放して、自由の身にしてやりたいと思ったんだ」
「そうはいっても、各方面からの反発は免れないでしょうね……」
リナルド様がいきなり後宮廃止を宣言した、あの瞬間。
目の前にいたベルム公爵をはじめ、名だたる貴族や他国の王族たちは総じて衝撃を隠せないようだった。
ベルム公爵同様不満を露わにする者もいれば、顔面蒼白になっている者もいたけれど、みんな一様に後宮制度の恩恵を受けてきた由緒正しき家門の者たちである。後宮廃止宣言は寝耳に水だったに違いない。
「反発も異議申し立ても想定の範囲内だよ。何を言われたって、全員説得できるだけの材料を用意してある。ただ……」
「ただ?」
「ヴィアを皇后にする意志を明確にしてしまった以上、お前に批判や非難が集中しないとも限らない。腹いせに、不当な悪意を向けてくるやつもいると思う。まあ、そんなやつがいたら、俺が片っ端から八つ裂きにしてやるつもりだが」
「人を簡単に斬り刻もうとしないでください」
「なんでだよ。ヴィアを傷つけるやつは万死に値するだろ」
さも当然といった顔をするリナルド様に、どう返していいのか言葉に詰まってしまう。この人の規範意識は、なぜこうも仕事をしないのか?
「とにかく、戴冠式の間は十分気をつけて過ごしてくれ。もしも何かあったときには、すぐ言ってくれよ」
私の頬を優しく撫でるリナルド様は、そう言って愛おしげに微笑む。
ところが残念ながら、その懸念は早速現実のものとなってしまった。
翌日の式典の合間を縫って、カリスタ様が水晶宮に突撃してきたのだ。
「どうせフラヴィア様が言い出したことなのでしょう!?」
「なにを――?」
「後宮廃止のことに決まっています! 陛下の寵愛を独り占めしたくて画策したのでしょうけど、そうはいきませんからね!」
声を荒げるカリスタ様の後ろには、蒼ざめた表情のユスティナ様が見える。激昂するカリスタ様を止めようとして失敗し、ここまでついてくる羽目になったのだろう。
「私は何も画策していません。言いがかりはおやめください」
冷静に答えると、カリスタ様はますますヒートアップする。
「あなたが陛下をそそのかしたことは、わかっているのです! じゃなきゃ、陛下が急にあんなことを仰るなんて――」
「リナルド様は、最初からそのつもりだったようですよ?」
「は!?」
「もともと後宮制度の在り方には、疑問を抱いていらっしゃったそうなのです。ただ後宮廃止のご意向については、私も昨日の式典の際にお聞きするまでまったく知りませんでしたが」
「見え透いた嘘をつくんじゃないわよ! あなたが知らないわけないでしょう!?」
カリスタ様、いつものあざと可愛い演技を完全に忘れてしまっている。居合わせた侍女たちも、彼女の本性を目の当たりにしてしまって呆気に取られている。
こんな醜態をさらしてしまったら、明日にはカリスタ様が実は底意地の悪い狡猾な人間だってことが後宮中に広まっているんじゃなかろうか。
気の毒なような、そうでもないような。
「いいから後宮廃止なんて馬鹿げた宣言は撤回してもらうよう、陛下に進言してちょうだい!」
「あの、カリスタ様は後宮から出たいとは思われないのですか? 一生ここに縛りつけられるよりは、解放されて自由の身になれるほうがよろしいのでは……?」
素知らぬ顔で穏やかに尋ねると、カリスタ様ははっきりと一瞬怯んだ。
私が言うのもだいぶ烏滸がましいことだけど、後宮にいたってリナルド様にはきっと見向きもされず、愛を受けることもなく、ただ漫然と時間が過ぎていくだけである。皇帝に捨て置かれ、蔑ろにされる皇妃ほど、惨めなものはない。
だというのに、カリスタ様がこの場所にしがみつこうとする理由。
それは恐らく、リナルド様への一途な恋情とか、この国への忠誠心といった純粋な動機ではない。これまで後宮制度のおかげで私腹を肥やしてきたベルム公爵たちと同じ、すこぶる身勝手な理由だろう。
つまりは、私利私欲を満たすため。自分勝手な欲のため。
カリスタ様が皇妃として後宮に召し上げられれば、コルヴァス公爵家は皇妃の生家としてその影響力と発言力を強化することができる。生家の力が増せばカリスタ様の後宮内での立ち位置は盤石なものになるし、それを背景にリナルド様に取り入って寵愛を受ける可能性もないわけではない。
野心家で強欲なコルヴァス公爵家の面々が考えそうなことである。
ふと、リナルド様が後宮制度を廃止しようと思った経緯には、こういった事情もあるのだろうと気づく。
一部の人間が帝国の威光を笠に着て、のさばり続ける悪しき慣習を打破したい。そんな目論見もあるのでは。
でも急進的な改革とは、時に大きなリスクを伴うものである。
帝国皇帝による突然の後宮廃止宣言は、想定外の更なる騒動を引き起こすことになる――――




