1 こうして私は死んだ
「――――うっ」
突然の息苦しさに襲われる。
指から滑り落ちたティーカップが、ガシャン、と音を立てる。
と同時に、喉が焼けるように熱くなる。痛い。苦しい。呼吸ができない。体中がしびれて、思うように動かない。
「――――カハッ」
何かが喉の奥のほうからせり上がってきて、こらえきれずに思わず吐き出した。
床に飛び散った真っ赤な血に、目を疑う。
でもそれだけで、我が身に何が起こったのかを察してしまった。
「……どう、して……?」
なんとか顔を上げると、倒れ込む私を見下ろす女性の冷ややかな笑みが目に入る。
「だって、陛下が仰ったんですもの。フラヴィア様が鬱陶しくて敵わないから、誰か始末してほしいって」
「……え?」
「宰相の娘であるあなたを、蔑ろにはできないでしょう? でも正直、目障りなんですって。邪魔なあなたさえいなければ、心おきなくわたくしを寵愛することができるのに、なんて仰るのよ?」
目の前の女性は、嘲るような視線で微笑む。
絶え間なく襲う激痛に悶えながらも、私は彼女の言葉を受け止め切れない。
――――フラヴィア様が鬱陶しくて敵わないから
――――正直、目障りなんですって
――――邪魔なあなたさえいなければ
私はそこまで、嫌われていたの……?
陛下は、リナルド様は、そこまで私を疎ましく思っていたの……?
問い質したくても、たとえようのない苦しさで声も出せない。助けを求めたくても、もはや体に力が入らない。
「陛下はね、最初からわたくしだけを求めていらっしゃったの。皇妃なんて四人もいらない、わたくしだけが愛おしいと常々仰っていたわ。あなただって、第四皇妃であるあなたよりも第一皇妃であるわたくしのほうが、陛下に相応しいと思うでしょう?」
勝ち誇ったような声で、第一皇妃ルクレツィア様が立ち上がる。
「だから安心して、死んでちょうだい」
残酷な宣告に、私は絶句する。
……こんなの、嘘よ。
……どうしてなの? 私が何をしたっていうの?
……私、ここで死ぬの……?
次々と浮かんでは消える悲痛な問いに、答えなど見つかるはずもない。
次第に視界がぼやけてくる。
世界は色を失い、やがてどす黒い闇に覆われる。
流れ落ちる涙が、静かに頬を伝う。
そしてあっという間に、意識が遠のいた。
◇・◇・◇
目が覚めて、がばりと飛び起きた。
心臓が激しく暴れ回り、呼吸もままならない。胸に手を当て、大きく息を吸い込みながら、どうにか気持ちを落ち着かせる。
「……あれは、夢……?」
それにしては、リアルだった。リアルすぎた。
焼けつくような喉の痛みも、息ができない苦しさもしびれて動かない体の感触も、全部覚えている。嘲笑うルクレツィア様の声だって、耳にこびりついて離れない。
今だって、体中の震えが止まらないのに――――。
腑に落ちない思いで、私は部屋の中を見回した。
そして、違和感を覚える。
……ここって、私の部屋、よね……?
それは、紛れもなく私の自室だった。でも後宮の、第四皇妃である私が使っていた自室ではない。かつて暮らしていた、実家であるアルトゥム公爵家の自室である。
……え、なんで?
頭の中が、大きなはてなマークで埋め尽くされる。
夢と現実の狭間で思考が一旦停止したそのとき、唐突にドアをノックする音がした。
「フラヴィア様、お目覚めですか?」
聞き覚えのある侍女の声だった。侍女はゆっくりとドアを開け、私を目にしてにっこり微笑む。
「おはようございます、フラヴィア様。そして、二十歳のお誕生日おめでとうございます」
「え!?」
いきなり大声を上げた私に、侍女は変わらない笑顔で「どうかしましたか?」と尋ねる。
いやいやいや。ちょっと待って……!
二十歳の誕生日、ですって?
そんなわけはない。私は二十三歳である。現宰相アルトゥム公爵の娘として生まれ、二十一歳でヴァルシオン帝国皇帝リナルド陛下の第四皇妃として後宮に上がり、その後二年間放置されまくった悲しき冷遇妃である。
の、はずである。
それなのに。
これって、いったい……?
「フラヴィア様、そろそろお支度をなさらないと。旦那様も奥様もお待ちかねですよ」
「え? ええ……」
てきぱきと動く侍女の圧に押されて、私はゆるゆるとベッドから立ち上がる。
頭の中はいまだにはてなマークで埋め尽くされているけれど、とある一つの可能性が、不意に浮上する。
も、もしかして、三年前に時間が戻ってる……?
一度死んで、三年前に回帰したとか……?
いやいや、あり得ない。そんなおとぎ話みたいなこと、起こるわけがない。
と思いつつも、目の前の状況を見れば見るほど、そうとしか考えられなくなる。
例えば今、私の後ろに立ちながら、ブラシで丁寧に髪をとかしてくれている侍女。
彼女は私が公爵家にいた頃、毎日のように朝の身支度を手伝ってくれた侍女である。二十一歳で後宮に上がるまで、ほとんど毎日顔を合わせていたのだから間違いない。
それに、鏡に映る私自身も、記憶の中の自分より若干若いような。無駄に肌つやがいいし、変にやつれていないし。苦労続きの後宮生活を知らない、完全なる箱入り娘のオーラがほとばしっている。
じゃあやっぱり、一度殺された私は、どういうわけか三年前に回帰したの……?
そこで私は、はたと重大な事実に思い至る。
さっき侍女は、今日が私の「二十歳の誕生日」だと言っていた。それが本当なら、私が後宮に上がるのはまだまだ先のこと。
そもそも私が後宮に上がることになったのは、政治的にやむを得ない事情があったからだ。
第四皇子だった現皇帝リナルド陛下は、前皇帝の暗殺騒動の末に即位した。その直後、慣例通り後宮に皇妃を迎える話が持ち上がる。
外交上の理由もあり、第一皇妃として友好国ネルヴァから王女ルクレツィア殿下が、第二皇妃として大国カッシアンから王女ユスティナ殿下がそれぞれ輿入れされると決まった。
大陸の南に位置するカッシアン王国と我が帝国は、実は幾度も戦争を繰り返している。私が十八歳の頃にも国境を越えて侵攻してきたカッシアンとの戦争が勃発し、当時騎士団に所属していたリナルド殿下ももちろん参戦した。
一年後にはカッシアンを退けて戦争に勝利し、改めて結ばれた和平協定によってユスティナ殿下の輿入れが決まったのだ。
そして第三皇妃には、我が国のコルヴァス公爵家からカリスタ様が選ばれた。
コルヴァス公爵という人はかなりの野心家で、宰相である私の父とはたびたび対立する犬猿の仲。しかもコルヴァス公爵には、長く敵対していたカッシアン王国の上層部と裏で通じていた、という後ろ暗い噂もある。
そんな人の娘が皇妃になんてなったら、親子ともども何を画策するかわからない。
だから牽制の意味もあって、私の輿入れが急遽決まったのだ。お父様は「あんな魑魅魍魎が跋扈する悪魔の巣窟に、可愛い娘を行かせるなんて……」とだいぶ渋っていたけれど、国の安寧を考えればそうも言っていられない。
結局、私は第四皇妃として、後宮に上がった。
でもその後の生活は、惨憺たるものだった。
リナルド陛下に密かな想いを抱いていた私にとっては、寂しい檻の中に閉じ込められた地獄のような時間だった。
そして最後には、第一皇妃ルクレツィア様に毒を盛られ、殺されてしまう。
しかも、ほかでもない、陛下自身の命によって。
……そんなの、ひどくない?
私だって、死にたくて後宮に上がったわけじゃないのに……!
皇妃になんてなったら、自由を奪われ心身ともに疲れ果て、いずれは殺されてしまう。だったら、なんとしてでも後宮入りを回避したい……!
幸いにも、今日は私の二十歳の誕生日。回帰前は二十一歳で輿入れしているから、まだギリギリ拒否できるはず。ギリギリセーフなはず。
死んでも嫌だと言ったら(いや、実際に死んだからこそ嫌なのだけれど)、私に甘いお父様は、きっとなんとかして輿入れの話を阻止してくれるに違いない。
そんな期待を胸に、とにかく皇妃になることだけは何がなんでも回避しようと決意した瞬間、後ろに立つ侍女が放った言葉に耳を疑った。
「今日はいよいよ、フラヴィア様が後宮に上がる日ですものね」
お読みいただき、ありがとうございます!
今日から毎日投稿していく予定です。
よろしくお願いします!




