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君と同じ花を見ていた  作者: 吾妻大和
第一章 アストラ・ベイ計画
3/3

3 緊急事態発生➀ 視線の意味

 ——2026年4月中旬 アストラ・ベイ計画室


「——なんだと!?」


 課長席のPCモニターを凝視していた祥一が、思わず上ずった声を上げた。


 瞬間、計画室全体に不穏な空気が広がる。


「マジっすか、これ……めちゃくちゃヤバいことになりましたね……」


 祥一の隣に立ち、同じ画面を見つめていた拓海が呟いた。


 祥一たちは、緊急事態に直面していた。

 当初、アストラ・ベイ計画について、大阪府との打ち合わせが予定されていたのは約一か月後のことだった。

当然、祥一もその予定に合わせた業務スケジュールを組んでいた。


 ところが、その打ち合わせは2週間後に前倒しされており、その変更に気づかぬまま1週間が経過していたのだ。

 残された時間は、あと1週間。

 当然、このままでは打ち合わせに必要な情報整理や資料作成が、まったく間に合わない。


 こうなってしまった原因は——


「おい、保守管理……!!」


 祥一ががっくりとうなだれながらつぶやいた。


——つい先ほど 国基省サーバールームにて


 祥一は拓海から、アストラ・ベイ計画で使用されているメールサーバーのエラー報告を受け、

担当職員とともにサーバールームを訪れていた。


 事のあらましはこうだった。


 拓海がアストラ・ベイ計画専用のメールアドレスに送信していた業務連絡を、祥一が認知していなかったことから、専用アドレスに何らかの不具合が生じている可能性が浮上した。

その後、担当職員による調査で、オフィス改革の一環としてつい先日行われた計画室の設備改装に、一部致命的な不備があったことが判明した。


その結果、アストラ・ベイ計画で使用されているメールサーバーに高負荷がかかり続け、外部から送信されたメールが正しく受信されず、保留状態になっていたのだ。


「いやあ、そんなはずはないんだけどなあ。間違えるようなところじゃないんだけどなあ。

でも、担当者以外触れないところだからなあ……」


 気の抜けた声で小首を傾げる職員は「まあ、すぐに復旧させますよ」と言いながら作業に取りかかった。


 その様子をやや不安げに見ながら退室した祥一と拓海だったが、祥一の胸には、別の不安が湧き上がってきた。


 ——待てよ。

 拓海のメールが待機状態になっていたということは、他にも重大な情報を未確認のままにしている可能性があるんじゃないか……?


 祥一は、胸のざわつきを「きっと大丈夫なはずだ」という根拠のない願望で押さえ込み、駆け足で計画室に戻った。

 そして、一直線に課長PCに飛びつき、受信箱を更新する。


 ——こうして、大阪府から送信されていた打合せ日時変更の連絡を、ようやく受け取ったのだった。


 「おい、保守管理……!!」


 いや、どれだけ悪態ついても、失われた時間は戻らない。

 そう自分に言い聞かせ、必死に冷静さを取り戻そうとする。


 ——全く、どうしたものか。


 「あの……」

 発言のタイミングを伺っていた凛が挙手をした。


「先方に連絡して、打ち合わせの日程を遅らせてもらうのはどうですか?

あと3週間以上はかかる業務を1週間で終わらせるのは、さすがに無理があるかと……」


 それは祥一も今の時間で既に考えていた。


「いや、それはできない。というよりも、今後のためにしてはならない」


 祥一が悩まし気な表情を浮かべたまま答えた。


「中央官庁と地方行政の力関係はケースバイケースだけど、ほら、このプロジェクトは特複Ⅰの延長線上にあるだろ?

こっちの担当課は一度解散して、新米の俺たちが引き継いだ訳だけど、向こうは変わっていない。

だから、こちらがヘタに上手に出るわけにはいかないんだ。

それに、これだけの一大プロジェクトだから、きっと国基省のメンツにも関わるだろう。

初手からこちらの不手際で延期しようものなら、信用問題にもなりかねない」


 だから、先方の提示した予定は何があっても絶対に外せない、と付け加えた。

 祥一は椅子をゆっくりと半回転させ、窓の外に広がる淀んだ空を見やった。

椅子にもたれながら天を仰ぐ。


 しばらくまともに休息を取っていない身体に、どっと疲労が押し寄せてきた。


 ……最悪だ。何も考えられそうにない。


 誰かが何かを言った気もしたが、しばらくその姿勢のまま呆然としていた。


「悪い。少し席を外させてもらう。皆はいつも通り業務を続けていてくれ……」 


 のろのろと重たい足取りで計画室の出口に向かう。

とりあえず、オープンフロアに併設されているカフェコーナーに向かうことにした。

祥一が熟考する時、よく利用するのがカフェコーナーの隅に設けられた仕切り付きのブースだ。


 途中、ふと鏡花に視線を向けたが、鏡花はほとんど動じることもなく、黙々と業務を続けていた。


 荒川のレクを受けてからちょうど1週間。

祥一にとってこの1週間は、これまでの官僚人生すべてを振り返っても、最悪の部類に入る日々だった。

 できれば思い返したくもなかったが、これから必要な情報を整理するためにも、ゆっくりと一つ一つ、記憶をなぞる。


——1週間前


「……よし、大体これくらいだ。何か質問ある人?……大丈夫そうだね。じゃあ赤羽君、あとのことはよろしく頼んだよ」


 レクの最後に荒川はそう言い残して計画室を退出していった。


 その後、場を引き継いだ祥一は拓海、鏡花、凛の三人に向けて、アストラ・ベイ計画の詳細説明を始めた。


 アストラ・ベイ。

大阪ベイエリアに広がることになる優雅な街並みが、夜、煌々と輝きを放つ様子を「夜空に浮かび上がる星々(アストラ)」になぞらえて名づけられた都市計画である。


 2016年に成立した特複Ⅰは、およそ9年にわたりベテランチームの手でルール策定が進められてきた。

設計や建設も、すでに一部で着手されている。

 しかし、他の行政整備を兼ねた優先順位判断という理由から、2025年度をもってチームは解散し、人事異動となった。

 その後、2026年度からは特複Ⅱも併せて、赤羽祥一たち若手5名のみで担当することになった。


 このような大型都市建設案件の場合、必ず国基省主導で進められる。

 基本的な流れは、まず地方自治体と事業者の間で「区域整備計画」が作成される。

次に、その整備計画が国基省へ申請され、審査・認定業務が省内で進められる。


 祥一たちが担当する業務は、まさに「大阪府から申請される整備計画に対する審査・認定」だった。

 その後、国基省が認定した整備計画に基づき、詳細な都市設計が行われ、建設へと進んでいく。

 全体を通して見れば、この先10年以上は続くことになる案件である。


「……というわけで、まずは大阪府から提出される整備計画を受理できなければ、俺たちの仕事は始まらない。

一か月後に予定されている打ち合わせで、何としてでも()()()()こと。これが当面の目標だ」


 祥一が行政との打ち合わせの結果を「勝ち負け」で表現したことには、明確な意味があった。


 霞ヶ関と地方自治体の「打ち合わせ」は、多くの場合「交渉」であり「駆け引き」だ。

 自治体側は、利益の最大化を目的として「事業者にとって有利な法解釈を引き出したい」「認定の基準を自治体案に寄せて柔らかくしてほしい」といった点で踏み込もうとする。


 一方、省庁側は、認定した内容のすべてに責任を負う立場となる。

そのため、法令との整合性を確保し、責任範囲をできる限り限定すること目的に、可能な限り自治体の要請を退ける——いわゆる「守りの姿勢」を取ることになる。


 霞ヶ関と自治体の打ち合わせとは、こうした互いの利益と都合を賭けてせめぎ合う「勝負」の場なのだ。


 だからこそ、霞ヶ関側にも最高の人材と、最高のチームワークが不可欠となる。


しかし、こうして説明している時も、祥一の胸中には、どこか肩透かしを食らったような感覚が残っていた。

 この1週間、祥一が最も腐心していたのは「チーム内での関わり合い」についてだった。

特に「中野鏡花」と名乗った女性については、何を考えているのかがまったく分からなかった。


 初めて視線を交わした時、凍てつくような憎しみの視線を向けられたことは、やはり間違いではなかったようだ。

拓海と凛の二人は気づかない様子だったが、全体を見渡しながら説明を続けていた祥一は、何度か同じような視線を感じ取っていた。


 昼休みに入ると同時に会議を解散となったが、祥一はその後もずっと、鏡花の投げかけた視線の意味を考え続けていた。


 ——初めて対面したとは思えない目つきだったが、どこかで会ったことがあるか……?

いや、どれだけ記憶を辿っても、彼女の存在を思い出すことはできない。

とすれば、彼女が一方的に俺を知っていた、ということになるだろうか。

それなら、あの視線に込められていた憎しみの正体は一体——。


 思案を重ねるうちに、祥一はある一つの答えに辿り着いた。

同時に、心臓が鉛のように重くなり、ずんと体の内側が押し沈められるような感覚に襲われた。


 ——もしや、父さんのことだろうか。いや、まさか。


 祥一の人生は、人との交流に恵まれていたとは言い難い。

しかし、だからと言って、あれほどの憎しみを向けられる覚えはなかった。

考えれば考えるほど、もうそれ以外に理由がない気がしてきて、内面から増長し始めた恐怖を何とか振り払おうと、祥一は業務に没頭した。


 ——だが、それは叶わなかった。


 初日、残業もそこそこに、そろそろ帰宅しようかと考え始めていた頃。

すでに拓海と凛は退室しており、計画室に残っていたのは祥一と鏡花だけだった。


 業務に没頭しさえすれば、気まずさは感じなかったが、退室するならさすがに挨拶は必要だろう。


 そう思って頭の中で何かしらの挨拶を綴りながら整頓をし始めた時。

不意に、鏡花の方から声がかかる。


「赤羽祥一」


 名を呼ばれ、祥一は思わずぎょっとして鏡花を見た。

 鏡花は淡々と続けた。


「同期の中では群を抜いて優秀な成績を収め、若手ながら名高く、期待されているエリート官僚。

でも、そんなあなたにも、決して人に知られてはならない”裏の顔”があることを、私は知っている」


 祥一を射抜く眼差しは、相変わらず鋭かった。


「……そう。あなたは人殺しの——”悪魔の子”と呼ばれているそうですね」


 心臓が跳ね上がった。

祥一は、ひた隠しに隠し続けてきた過去を暴かれた。

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