気付いた時には何もかも
ヴァルターはルシアと踊っているうちに、ある事に気がついた。
婚約発表の場でルシアの踊りを見た時から。俺はこの女に惚れていたんだ。
ーー本当は今すぐにでも抱きしめて、ルシアを奪いたい。俺はそれほどルシアに……
でもそれ以上踏み込めば、何もかもが壊れてしまう。
ルシアとの関係はもちろん。
侯爵との関係も、俺の父も、俺の心変わりを赦しはしないだろう。広間を囲むように掲げられた歴代のクロイツ家の肖像画が、今はこれほど煩わしい。
立場も歴史も争いも、全てを捨てて……この女を攫えたら。
何も知らないルシアはただ楽しそうに踊っているだけ。だがその無邪気さが、俺の胸を締めつける。
「……なんでそんな顔してるの?」
「……そんな顔ってどんな顔だ」
「怖い顔よ」
くすっと笑うその顔が、あまりにも無邪気で。
ルシアはまた俺を引くように旋回する。
音楽の中で、彼女の存在だけがやけに鮮明だった。鮮明で、鮮やかで、眩しい。
俺を翻弄する笑顔。
赤い髪が揺れるたびに、俺の心も揺れる。
ルシアを形成する全てが、俺の胸を締め付ける。
最初はただ踊るだけのつもりだった。
感想を言ってやるための口実のはずだった。
なのに。
目を離すことができない。
ルシアの笑顔が、回るたびに近づくたびに、胸の奥で何かが深く沈んでいく。
(なんだこれは)
旋回の終わり、ふと目が合う。
「ほら、ヴァルター。私の腰に手を回して。軽くよ」
その無邪気な言葉に、俺は小さく息を飲んだ。
ーーやめろ。
そんな風に笑うな。
そんな風に、俺を見上げるな。
(……もう遅いか……)
俺は自嘲するように軽く笑った。最初から分かっていたはずなのに。
時間があの日まで巻き戻ればいいのに。
この女に近づく前に。
だが一方で、
(このままずっと踊っていたい……)
この柔らかな感触を、触れるか触れないかの危うい感覚を。
ずっと続けていたいと思ってしまった。
音楽が終わり、ルシアが離れて行ってしまう。
(行かないでくれ)
繋いだ手を離したくなくて、思わずルシアを支えていた方の腕に力がこもる。
「ヴァルター?」
ーー最初から、わかっていたはずなのに。
ルシアだけが楽しそうに踊る様子を書けてよかったです。
最後まで読んで頂きありがとうございました。




