第35話 備え
エルヴィラの後ろ姿を見送り、私は家に帰る。住宅地区の一角にある2階建ての家は、今日は誰か先に帰っているようで、灯が漏れていた。ドアを開けて、中に入る。
「お帰り」
家にいたのはお母さんだった。大層な制服に身を包んだまま、パンを頬張っている。私は少しだけ頬が温かくなり、そのまま奥に行く。
「ただいま。今日は早いね」
「ううん、これからまた出なきゃ行けなくてね。お父さんなんてずっとこもって議論を続けてる。議論なんて一番の苦手分野なのに、よく頑張るわ」
「今は何を議論しているの? って言っても、機密事項が多いんだっけ?」
「流石にまだ詳しくは言えない。でも、未来のため、かな。ほら、ごはんはいつものように作っておいたから、食べてね。ちゃんと食べなさいよ。今のうちに栄養バランスよく食べておかないと、いざって時に力でないんだから」
「ん、分かってる」
「学校の方はどう? 友達は新しく出来た?」
「出来たよ。メーヴィスとオズマンドって子たち。純潔一族じゃないから話しやすい。エルヴィラは例外だけど」
「そう、本当に良かったわ。友達が出来るか心配してた。特にお父さんね」
「心配し過ぎだって言っておいてよ。……確かにまだ力を完全に制御出来てないけどさ」
「――天性については、重く考えるしかない。歴史を考えるとね。初めてがあなたなんだし、親としては心配するの」
お母さんはパンの最後の欠片を飲み込み、水を飲み干す。そして、私に向き合いなおして続ける。
「エルヴィラちゃんのことは私たちも知ってる。誘拐されかけたってね」
「流石、公務員で情報通だね。多分、エルヴィラの家族が活動してることが影響してるんじゃないかなって思ってたけど」
「それはあると思う。けれど、あれは恐らく大きな組織としての動きじゃないって、私たちは見てる。純潔協会でも色々と探ってみたけど、彼らもほんの少しだけ驚いていた。だから、あれは純潔の一派が動いたものじゃない」
「ふーん」
「ふーん、じゃないわよ。だからこそ注意喚起しようと思って家にいたんだから。あと、久しぶりに会いたかったし。中学生の娘の姿をね」
「はいはい」
「んもう……。良い? ここ直近で、少し不穏な動きをする反社会組織がいるの。そしてその動きも徐々に落ち着いてきている。それはつまり、何かを準備して、その準備が整うことを意味してると踏んでるわ。だから、エルヴィラちゃんのこと、気を付けてあげて。このことはちゃんと、騎士団にも話してるけど、騎士団がいない間は、自分たちで何とかする必要、あるでしょ?」
「……うん、身をもって実感したよ」
「よろしい。何かあったら裏では私たちも動いているから、あなたの正しいと思うこと、しなさい。それじゃあ、もう行くわね。お休み」
お母さんはそう言って、仕事用のバックを肩にかけ、玄関に消えていった。私は頬がいつもの温度に戻っていくのを実感し、ごはんを口に運ぶ。
正直に言えば、直感的なところで、私はこれから何か大きな出来事が起きるのではないかと不安に思っていた。
昨日のアーネストの問いかけ、今日のエルヴィラの後ろ姿。恐らく、そのことに関して何かしらの動きがあるんだろうと。
「何があっても、私は、自分が動きたいように動く。空のような自由さを持って。自分は、空になりたいから」
私は自分自身に言い聞かせるようにぼそりと呟く。窓から見える空は、青空と共に、暗い色をした雲が散りばめられていた。